たぶん風邪だと思いますが、土曜日は前日の夜からの腹痛でご飯も食べられず、寝ておりました。
日曜のバスツアーはキャンセルかも(何よりも一時間ごとオトイレでしたので)、と思っていましたがお金を出してくれた相棒が怖くて、いい言い出せませんでした。しかし願いは天に通じたのか、休憩の度にオトイレに駆け込むだけでなばなの里のベコニアガーデンとイルミネーションを楽しむことができました。でも梅はまだだし、イルミネーションは寒かったなあ!
イルミネーションについては去年の「富士山」よりも綺麗でした。お奨めいたします。
僕の写真のほうは、目指すものからはほど遠いですが、少しづつ自信のようなもの(なんとか絵にできるというような)ができてきました。どんな分野でも、まずは自分が楽しまなくちゃね。
日曜のバスツアーはキャンセルかも(何よりも一時間ごとオトイレでしたので)、と思っていましたがお金を出してくれた相棒が怖くて、いい言い出せませんでした。しかし願いは天に通じたのか、休憩の度にオトイレに駆け込むだけでなばなの里のベコニアガーデンとイルミネーションを楽しむことができました。でも梅はまだだし、イルミネーションは寒かったなあ!
イルミネーションについては去年の「富士山」よりも綺麗でした。お奨めいたします。
僕の写真のほうは、目指すものからはほど遠いですが、少しづつ自信のようなもの(なんとか絵にできるというような)ができてきました。どんな分野でも、まずは自分が楽しまなくちゃね。
こころは水でできているらしい
まさかカエルが跳びこむわけではなかろうが
見えない指で
弾かれたように鳴ることがある
子どものころ
ひとり部屋にのこされたとき
鏡をこころと間違ったことはなかっただろうか
跳びこもうとしたことはなかっただろうか
跳びこんだのである
この波紋は
この哀しみは
まさかカエルが跳びこむわけではなかろうが
見えない指で
弾かれたように鳴ることがある
子どものころ
ひとり部屋にのこされたとき
鏡をこころと間違ったことはなかっただろうか
跳びこもうとしたことはなかっただろうか
跳びこんだのである
この波紋は
この哀しみは
一切の景色は
わたしの住んでいる
ひとつの部屋ではないだろうか
遠い声…
わたしが誰だか思いだすとしたら
そのとき誰かがわたしを思いだしているという思想において
わたしは木だった
わたしは歩き始めた木だった
わたしは魚だった
わたしは歩き始めた魚だった
わたしは鳥だった
わたしは歩き始めた鳥だった
わたしは猿だった
歩き始めた猿だった
わたしはまだ歩いている
わたしは木だった、魚だった、鳥だった、猿だった、人間だった
と、つぶやきながら
木が、魚が、鳥が、猿が、
そして最後に
かろうじて人間がわたしを思いだしている
わたしの住んでいる
ひとつの部屋ではないだろうか
遠い声…
わたしが誰だか思いだすとしたら
そのとき誰かがわたしを思いだしているという思想において
わたしは木だった
わたしは歩き始めた木だった
わたしは魚だった
わたしは歩き始めた魚だった
わたしは鳥だった
わたしは歩き始めた鳥だった
わたしは猿だった
歩き始めた猿だった
わたしはまだ歩いている
わたしは木だった、魚だった、鳥だった、猿だった、人間だった
と、つぶやきながら
木が、魚が、鳥が、猿が、
そして最後に
かろうじて人間がわたしを思いだしている
わたしは
と言い出してから
(それは流れる時間に切れ目を入れることである)
…である。
と結語するまで
およそ半呼吸の
タイムラグがあるだろう。
だからいつも人間は
リアルから
半呼吸ほど
遅れているとの印象を
自分たちについて
持たざるを得ないのだ。
その意味で
人間は常に自分自身であることに失敗し続けるのだ。
吾輩は猫であることができるのは
猫だからだ。
人間ができるのは
せいぜい
人間であった、
という過去の証明である。
とんまになりたくなければ
黙ることである。
石像や銅像のように。
メドウサに出会った
訳ではないが僕は固まってくる。
塊の中で
愛することより
愛されなかったことは
大したことだった、と
考えているのだ。
「考える人」は
と言い出してから
(それは流れる時間に切れ目を入れることである)
…である。
と結語するまで
およそ半呼吸の
タイムラグがあるだろう。
だからいつも人間は
リアルから
半呼吸ほど
遅れているとの印象を
自分たちについて
持たざるを得ないのだ。
その意味で
人間は常に自分自身であることに失敗し続けるのだ。
吾輩は猫であることができるのは
猫だからだ。
人間ができるのは
せいぜい
人間であった、
という過去の証明である。
とんまになりたくなければ
黙ることである。
石像や銅像のように。
メドウサに出会った
訳ではないが僕は固まってくる。
塊の中で
愛することより
愛されなかったことは
大したことだった、と
考えているのだ。
「考える人」は