ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

ベリーダンスにヨガ、深層美容術、トータルであなたの人生をサポートします。新しい自分を再発見してみませんか。

すてきないのち vol.126

2007-03-05 20:48:57 | すてきな命
 アバスさん六十三歳は、日本に来て十六年になる。イラン革命の王制の時に、十七年間、政府の秘密警察の高官をしていた。鉄格子の中に長く入り、多くの苦難をくぐり抜け、仲間を失い、イバイ経由で日本に亡命した。
 東京に七年間住んだ。後に妻や子ども達も日本に来たが、子ども達は巣立ち、数年前、妻と太田でレストランを開いた。言葉の壁もあり、妻はイランに帰ってしまった。世界中どこにでも行けるが、イランにだけは帰れない。
 アバスさんとは、私が踊らせていただく伊勢崎のペルシャ料理レストランビータでお会いした。私の踊りを見てほめてくれるアバスさんの品の良さや礼儀正しさから、高官だった若かりし日の美男子の姿が想像できる。王制の時代、イランには国営のキャバレーが全国に数カ所あり、ベリーダンスも踊られていたと懐かしそうに語った。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 2006年6月1日号より)

すてきないのち vol.129

2007-03-05 20:45:20 | すてきな命
 星野富弘さんが県内七人目の名誉県民に選ばれた。六月二十日、群馬県名誉県民顕彰式が行われた。その富弘さんの挨拶は、「名誉県民に選ばれたのだから、子供のころ近所のすももを取ってしまったことを黙っておくように、友人から電話がありました」などと言い、会場を笑いでほぐした。「素晴らしい事、大切な宝物は苦しい辛いところからやってきました」というような話をしたと、富弘を囲む会の世話役をしている私の子供の父親から聞いた。
 富弘さんの詩画は今、世界中の人に勇気や感動を与え続けている。十数年まえ聾唖者の映画を上映する実行委員会で事務局長をした時に、ある聾唖者夫婦がわすれな草の花を持ってゆき、チケットを富弘さんの絵でつくりたいと直談判したことがある。
もちろん後日のお返事だったが、引き受けてくださった。高崎の上映会にわざわざ勢多郡東村から来てくださった。美しい山々を眺めながら後日私は子供達と私の母と散歩にご一緒させて頂いた。山百合が咲いていた。「この花は夜街のホステスさんのような匂いがしますねー」などと言っていた。わたしの母が「どこか痛いところはないですか」と聞くと、「時々ときめいて胸が痛いんですよ」と答えていた。私の母はきょとんとしていた。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞 2006年7月13日号より)

すてきないのち vol.132

2007-03-05 00:22:32 | すてきな命
-昭和十七年度、比較的豊かな川場村政。その村の教育熱心な先生方の「この村からも女性師範を」という勧めで試験に臨んだが、初日だけであとは高熱が出て果たせなかった。これも運命と思い、その後、検定試験で初等科訓導の資格を得た。昭和十九年九月三十日、十六才四カ月で教職についた。それ以来四十二年六カ月、定年に二年残して教壇を降りた。
 何代か前、隣村から移ったという我が家はわずかな田畑の小作。厳しく正義感強い頑固な父と人柄の良い母。読み書きソロバン、板金工、大工、竹細工、裁縫料理、華道に語り、山岳信仰に神主、易学名付け、百姓も上々と器用な父。母は誠実で働き者。人情味があり、人生訓や子どもの頃の記憶の良さには驚いた。思えば金剛石のようなもの。学ぶ折りがなかっただけで本当に誰よりも頭が良かったのかと-
 以上は林香先生の文章。今月十六日、「私の人生」と題して林先生の講演会が開かれた。九人兄弟の長女。貧乏で無学なんだよと語る。物の豊かな今、こんな先生を生む家族や環境をあらためて貴重と思う。先生は七十八才。家の中は物がいっぱい。「白い紙は売っていても、色々書いた紙は売ってないんだよ」と人生と父と母の教訓を私たちに伝えてくれる。

(高崎市民新聞 2006年9月21日号より)

すてきないのち vol.139

2007-03-05 00:14:02 | すてきな命
この春、統一地方選が行われる。高崎市も合併によりマンモス都市になった。この春、どんな議員が顔を揃えるのか楽しみだ。
 政治とは、自分の車だけきれいにして、信号待ちで山盛りの灰皿を捨てるような人は失格だ。群馬県全体の中の高崎市、日本全体の中の群馬、世界の中の日本、さらに宇宙銀河系の中の地球。バランス感覚を磨き抜き、より永続可能な平和な社会づくりセンスのある人が望まれる。
 以前、千葉知事選の時に知り合った車椅子の市議会議員がいた。彼が初当選した時、議員庁舎は車椅子で自由に移動できるようにバリアフリーに改造されたそうだ。宮崎県知事選のように、新たに政治学を身に付けての出馬は必要にしても、世の中を良くしようという志があれば、主婦やハンディのある人、お年寄り、若い人、色々な職業の人、あらゆる立場の人が議員になれたらよいと思う。
 未来はつくるもの。車椅子の人が議員になっただけで、議会がバリアフリーになった。存在そのものが社会を変える。過去の戦争をはじめ悲しい出来事を無駄にしないで、人を、国を、文化を認め合いながら平和で豊かな社会づくりのために、清い一票に託して投票しよう。

(高崎市民新聞 2007年1月25日号より)

すてきないのち vol.138

2007-03-05 00:11:58 | すてきな命
 昨年十二月、立ち寄った広瀬画廊さんに、それはそれはきめ細かな切り絵の世界が広がっていた。曼陀羅の絵を和柄にしたような、その細かな細工は特殊な刀によって五十二年間紙を彫り続けた伊藤正義さんの芸術作品だ。
 伊藤さんは五歳の時に父が中国で戦死した。苦労して育ててくれている母に、早く仕事を身に付けて親孝行したかった。二人兄弟の妹に自転車を買ってあげたかった。中学校を卒業して、十五歳から二十歳、徒弟の住み込みで月千円、二年目二千円、そして五年目五千円の小遣いをいただき、休みは月二回で、家には盆と正月しか帰れなかった。
 そして五年の修行の後、御礼奉公として一年つとめあげ、その後も横浜の型紙屋につとめ、輸出物のスカーフの型紙を切った。
 そうして培った職人技でその後の人生は豊かに過ごし、持ち家も建てたが、保証人をして、その家は失った。が、十五年前より、その技術を芸術作品として世に出し、切り絵(刀刻)によるその作品は、日本だけでなく、主にフランスやヨーロッパで日本美術栄誉賞などを受賞した。
 六十八歳になった伊藤さんは、紙を切って五十二年の歴史によって今を楽しく過ごし、すばらしい作品を製作している。物や金ではない宝物を一生をかけて築いている豊かな人だ。

(高崎市民新聞 2007年1月11日号より)

すてきないのち vol.136

2007-03-05 00:09:54 | すてきな命
 桐生リフレッシュヨガ断食道場「三万坪の山地、立派なログハウス、檜のお風呂、自然素材だけの空間。意識して呼吸すると身体の中に、宇宙のエネルギーが入ってくる。日常の慌ただしい日々。知らぬ間に溜め込むストレス。肥満、肩こり、不眠、慢性疲労、イライラ、意欲減退、からだは一体何をあなたに訴えているのでしょう?そろそろからだの言い分に耳を傾けてみませんか?宿泊しながらライフスタイルの見直しを行い、本来のイキイキとした自分を取り戻す合宿です」とパンフレットにある。
 ここに道場長としてやってきた谷義人さん。父の会社の西宮工場長として、120人あまりの社員を率いて十五年やってきた。茨城工場長の兄と父と確執があった。義人さんは父とケンカをして会社を辞めた。父はガンになり、入院した。義人さんも腎臓にガンのあることがわかった。二人は毎月、仲良く大阪から東京まで自然医学の先生のところへ通った。道中、玄米食料理の情報交換をし、「新大阪の立ち食いそばを二人で食べるのが楽しみやった」。その夏、父は他界した。
 ガンは義人さんと父を仲直りさせた。発病して四年、熱海断食道場三年を経て、ガンもすっかり安定し、この十月からオープンした道場にやってくる、アンテナの合った人たちにヨガや食生活を含めた指導を行っている。

(高崎市民新聞 2006年11月16日号より)

すてきないのち vol.134

2007-03-05 00:07:57 | すてきな命
 とうとう、私の愛する、四年半いっしょに暮らした愛犬「チョコ」が永遠の眠りについてしまった。四年半前に娘とひろった時、両目は目ヤニであかず、身体中毛玉だらけ、左後足はケガをしていて使えず、虫歯だらけ。車のゆきかう道の真ん中で、三本足でうろたえていた。一生懸命生きようとしていた。警察に話したら、保健所行きというので、私との生活が始まった。
 チョコをバッグに入れ、夜行バスで広島も大阪も行った。東京へは何度も行った。せまい二人乗りの車で岡山も行った。一声も出さず、お水とトイレと食べ物で、いつもバッグの中でいびきをかいて寝ていた。チョコを通じて、世界が見えた。小さな細い足を、大切そうになめる姿に、世界中の人が、動物が自分の身体を、命をいとおしく大切に思っている私は感じた。いつも私を見つめ、私が帰ってくると、ぐるぐる回りをして喜ぶ姿に、人は頼りにされ、愛されることで、実は自分が支えられ、生きる力をもらっていることを知った。もう二度と、暖かいチョコを抱くことはできない。前を見て生きろ。過去は帰ってこない。親を、家族を、出会った人を、全てを今、大切にしろと言っている。あんなちっちゃなポメラニアンのチョコは、一生懸命、愚痴もこぼさずに生きて、すてきなメッセージを残して消えてしまった。

(高崎市民新聞 2006年10月19日号より)

すてきな命について

2007-03-05 00:05:31 | インフォメーション
『すてきな命』について
『私の出会ったすてきな命』
坂口せつ子が、2000年10月より高崎市民新聞に連載しているコラムの転載です。2007年3月で142人になりました。すこしづつ記事追加していきます。

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