宮城の春夏秋冬

日々の事や私の趣味の事などを綴ります。
独り言なので異論もあるかとは存じますが宥恕賜りたく存じます。m(__)m

アマチュア無線

2010年01月05日 | ホビー系

写真:QSLカード(交信証)

アマチュア無線では交信すると、交信した証として“QSLカード”(交信証)という物をお互いにやり取りするのが礼儀となっています。
そこで各局長さんはカードのデザインに色々と工夫を凝らすのです。
そこで多くの局長さんは自局のある地方や国を表現する写真を使ってカードをデザインしているのです。

写真の2枚のQSLカードは両者とも“日本アマチュア無線連盟”(JARL)が主体となって開設した無線局で、私にとって思い入れのある交信だったのです。

上は南極の昭和基地からのものです。
雪原を走ってくる雪上車の車列が写っています。
当時、外国の南極基地の局とは数局交信済だったのですが、なぜか日本の昭和基地との交信が出来ていなかったのです。
30分ほど順番を待ってやっと交信できて嬉しかったのを思い出します。

下は日本最南端の島“沖ノ鳥島”からのものです。
大海原の中の島の露岩に仮設のステージを作っています。
ここは南海にある絶海の孤島ですが、日本最南端の島としてこの“沖ノ鳥島”がある事により日本のEEZが飛躍的に増大しているのです。
この非常に重要な“沖ノ鳥島”から1976年(昭和51年)5月30日から6月2日まで日本アマチュア無線連盟(JARL)の創立50年を記念してアマチュア無線の移動運用が行われた時のものです。
この時はこの局と交信しようと世界中のアマチュア無線局が呼んでいた中で私のコールサインが返って来たときは「ヤッタァ~!」って言う感じでした。(^^)v



写真:無線工作室

ここは無線工作室です   って言うか工作室でした。(-_-;)
蘭の冬の置き場として3畳ほどの蘭室を作ってあるのですが、鉢数が増えてしまい部屋の外にまで並べなくてはならなくなったのです。
という事で画面左端にチラッて写っていますが、工作室も蘭達に侵食されちゃってます。
以前は180cm程のデスクの全部を使って無線や工作をしていたのですが、今では3分の1ほどは侵食されています。(^_^;)

右上の米国ハリクラフターズ社の“SX-100”は取り敢えず修理を終えて受信できるようになりました。
若かりし頃の憧れの通信型受信機が何十年かの時を経て手元に来たのです。(^^♪
左上のトリオ(現ケンウッド)製の通信型受信機“9R59”と言って、この機種は私が無線を始めた頃のもので、右の“SX-100”とほぼ同じ時代のものです。
今でこそ日本製の無線機が世界を席巻してはいますが、この時代のアメリカ製の通信機は性能は言うに及ばずデザインも世界中の受信機を圧倒していたのでした。
9R59も当時の日本としてはなかなかの受信機でしたが、SX-100などと比べると…。○| ̄|_
こちらも修理を行って何とか受信できる用になったのですが、まだまだ修理が必要です。
もう少し弄くる楽しみがあるってぇ~もんですぅ。
って やせ我慢でした。(*^_^*)
寒いうちはなかなか手に付かないですが、部品取り用の9R59を入手してあるので、春になったらまた修理調整を再開しようと思っているところです。
ところでこの二つにはさまれた銀色の機械は、右下のトランシーバーの外部VFO(周波数を自由に変えるための装置)だったのですが、現在は自作の基板を組み込んで50MHzの入力1Wトランシーバーになっています。
こんな小さなものでも50MHzだけあって海外とも通信できているんですよぉ~。(^^)v
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする