京おんな
京おんなという言葉を思うとき
一番に思い浮かべる人がいる
母方の遠縁にあたるおじさんの奥さん
色白で、とってもキュートで
なによりもそのきれいな京言葉が
心地よく耳に響いてくる
そのおばさんが88歳で亡くなった
おじさんと母は法律上からいうと存在すら知らないかもしれないほどの遠縁だが
小さい頃から兄妹のように育ち
それゆえに、おじさんの3人の息子さんたちと私は従兄妹同志くらいの付き合いがある
おじさんは一人っ子だったので、母や私が親戚として通夜、葬儀に参列させていただいた
5年ほどの入院生活の間
おじさんは毎日病院に通っておられた
通夜の時に
「おじちゃん、よう毎日通たげはったねえ」というと
「60年以上も、安心して仕事ができたのも、家のことを全部まかせっぱなしやったから・・・だから、毎日面倒みるのは当たり前やんか」
と、かえってきた
そして最後のご挨拶の時
面と向かってありがとうと言ったことはないけれど
3人の息子を産んでくれて
立派に育ててくれて
本当に感謝しています
と言われた
仲の良いご夫婦なのは知っていたけれど
なんだかせつないような、うれしいようなそんな気持ちになった
戦地から婚約者だったおばさんに送った手紙というのを見せてもらった
いまのメールのように、絵文字が入るわけでもなく
愛してるだの、好きだのそんな言葉もなにもない
達筆な、ただ自分の無事を知らせ、必ず生きて帰るという内容のその手紙
戦争をくぐり抜けてきた人々の、心の底からわきあがる生きたいという気持ち
通夜のときのご導師様のお話
通夜やお葬式は、亡くなった方が無事にあちらの世界にいかれるのを見送ることではありません
人の死というものを介して、自分の生き方を考える機会を与えていただくご縁なのです
人はいつか必ず死を迎えます
平均寿命がのびたといっても、それはいつやってくるかわかりません
死ぬまでにやっておきたいこと・・・
それは本当にあなたにとってやりたいことですか?
大事なことですか?
そういうことを考えていただくご縁なのです
最近無宗教の葬儀が続いたので
このようなお話を聞くのは久しぶりだった
残されたおじさんが力を落とすことなく
やりたいことをやって
元気に暮らしていかれることを願うばかりだ
揃って90歳を迎え
「怪物」と呼ばれている、母とおじさん
お互い軽口をたたきながら
楽しく暮らしてほしい
きっとおばさんも
「お父さん、こっちへ来はるのはもう少し遊ばはってからでよろしいえ~」
って言ってはるにちがいない
私たちもこんな風に夫婦を全うできたらな~と思った二日間だった