「やっぱり無いかぁ・・・」ボクは小さな声で呟いた。淡い期待を抱いて来てみたものの、これでこの街にある3軒の中古屋は全滅だ。この街にはもう行くあては無い。
ボクは、どうしたものかと考えながら、3軒目の中古屋の入口の方へゆっくりと歩いた。
店の中の照明は蛍光灯ではなくオレンジ色の光で、店の一角に並んでいるお香が、静かで落ち着いた不思議な雰囲気を醸し出していたが、一歩外へ出てみると、街の色々な音が複雑に絡んで耳に届き、夏の陽射しの強い光が、ボクの真上から降り注いで眩しかった。
右の手の平をおもわず額にあて、何の気なしに真上を見上げてみると、雑居ビルの背後は水色の空で、薄い白いすじ雲が一層暑い夏の到来を感じさせる。
駅の繁華街から少し外れている、3軒目の中古屋周辺は人通りがわりと少ないが、なぜか、近くのコンビニエンスストアはレジに人が並ぶほどいて、自動ドアがひっきりなしに開閉を繰り返していた。土曜の午後だから会社員は見当たらない。客層はどう見ても近所の住人だ。ボクはその光景を横目で見ながら、そのまま駅に向かって真っすぐに歩いていった。
5分くらい歩いていると、やや長くなって容積を増したボクの真っ黒い髪の毛は、照りつける強い陽射しを吸収して熱を帯びた。右手を櫛のようにして、前髪の生え際に当て、頭頂から後へ滑り込ませてみると、確かに量が増えた感触がある。右耳の背後から髪に指を滑り込ませても同じだ。少し前までは気にならなかったが、今は無性にうっとうしい。
「今夜、隙バサミでバサバサ切り落とそうか・・・」
本当なら、行きつけの美容室に行って、少し強めにパーマをかけて、久しぶりにビターチョコレイトくらいの色を髪に入れたいところだが、1万円を超える額は今はまだ厳しい。
ケチくさいくらいに倹約して、1週間をおよそ5000円で過ごしているボクには、今は散髪のために1980円さえ出す気がない。家に帰ってから、自分で適当に、髪に隙バサミをジョリジョリと入れさえすれば、取りあえずは見てくれだけでもスッキリするから、“それで十分”だと思いながら駅の近くの路地まで来ると、普段は意識などしない“カット1980円”という床屋の看板が目に入って、ボクは一瞬立ち止まって雑居ビルの2Fを見た。
だがボクは、1980円も出して髪を切ってもらおうなどとは思わなかった。
帰りの電車の中でもそれは変わりはしなかった。鏡を見て、ちょっとドキドキしながら、自分の髪に隙バサミを入れ、直にスッキリと変わって行く容積を楽しむつもりだった。
地元の駅につくと、小さいながらも中古屋がある事を思い出し、改札口を出ると自宅とは反対の方へボクは足を向けた。マクドナルドはいつの間にか、閉店時間が20時から23時に変わっていた。小さな商店街だが、土曜の15時は、そこそこの人通りだろうか。小さな中古屋には ボクの探し物など“まずないだろう”と思っていたが、やはりだった。
それよりもボクが気になったのは、隣の“カット980円”というカットハウスだった。
窓越しに見る店構えは恐ろしくシンプルで、椅子は5つ並んでいて、客はサラリーマン風な男と子供の二人だけだった。“う~ん、どうしよう”・・・そう迷いながらも、ボクは、店の引き戸に手をかけていた。10分1000円よりも安い事についつい反応してしまったのだ。
“いらっしゃいませ”女性店員に促されて、受付の用紙にカタカナで名前を書き、言われた通りに右端の席に座った。果たして技術的にはどうなのだろう?美容室というにはあまりにも殺風景で、理容室のような洗髪台もない。目の前には鏡があるだけだった。
うっとうしい髪を切ってもらってスッキリするだけで十分ではあったのだが・・・。
「初めてでいらっしゃいますよね、今日はどうなさいますか?」
「左右と後がうっとうしいので、まずは、隙バサミをザクザク入れてもらって、その後で毛先を揃えていただければいいかな~っと・・・。あっ、後は刈り上げない程度に短くスッキリしてくて、全体的に容積を薄くしたいんです。けっこう髪の量が多いみたいで、行きつけの店のスタイリストさんも、こんなに隙バサミを入れたのにまだこんなにあるって驚くので・・・」
ボクがそう言うと、受付をしてくれた女性の店員は、不思議そうな目をしながら笑っていたが、髪に霧吹きをかけ、櫛を通しはじめると、真剣な表情に変わった。
女性店員が、隙バサミを万遍なく髪全体に入れていくその様を、ボクはずっと目で追いかけていた。やはり自分では、こう上手い具合に切る事などできやしない。
「あぁ~ホントだ、けっこう多いですね~これならこの先も安心ですよ」
髪に櫛が通されるたびに、後の髪がザックリと滑り落ちた。そのたびに少しづつ髪がスッキリと軽くなって、鏡の中に移るボクは、椅子に座った時とは様子が違っていった。
椅子の下に散らばる黒い髪がそれを物語っている。
カットをはじめた時には2人いた先客は、ブローが済む頃にはもういなくて、別の客で4つの椅子は埋まっていた。さらに、待合席には5人の人が順番が来るのを待っていた。
消費税込みのブロー付きで980円、この安さが地元民には魅力的なのかもしれない。
自分で髪をいじる楽しみは失くしてしまったが、軽やかな気分で店を出たボクだった。
おそらく2度とは利用はしないだろうが・・・
16時過ぎ、強かった陽射しは緩み、小さな商店街は家路を急ぐ人で溢れていた。
妹「あれ?髪切ってきたんだ、どこで切ったの?」
帰宅して真っすぐにダイニングに行くと、家族が揃ってお茶を飲んでいた。
偶然にも、妹も美容院に行ってカラーを入れ、昨日とは様相が違っていた。
ボク「いくらだったと思う?」
妹「どうせ床屋でしょう?4000円くらいなんじゃないの?」
父「珍しくバッサリ切ったなぁ~」
母「長くてうっとうしかったからそう思うだけで、普通じゃないの?」
ボク「今そんなに払えると思う?隙バサミ入れようと思うくらいなのに」
母「え?隙バサミ?よしなよそんな事・・・じゃぁいくらよっ」
妹「あっ!イチキュッパでしょう?」
ボク「ブブ~ハズレ・・・980円」
妹「え?嘘っ、どこ?」
ボク「ほら、中古屋の隣の・・・」
父「あぁ~あそか~人入ってんのか?」
母「そんな店あったっけ~?」
三人とも、眉間にしわを寄せながら、ボクの髪をマジマジと見つめた。
980円は・・・我家には大きなインパクトを与えたようだ。
ボクは、どうしたものかと考えながら、3軒目の中古屋の入口の方へゆっくりと歩いた。
店の中の照明は蛍光灯ではなくオレンジ色の光で、店の一角に並んでいるお香が、静かで落ち着いた不思議な雰囲気を醸し出していたが、一歩外へ出てみると、街の色々な音が複雑に絡んで耳に届き、夏の陽射しの強い光が、ボクの真上から降り注いで眩しかった。
右の手の平をおもわず額にあて、何の気なしに真上を見上げてみると、雑居ビルの背後は水色の空で、薄い白いすじ雲が一層暑い夏の到来を感じさせる。
駅の繁華街から少し外れている、3軒目の中古屋周辺は人通りがわりと少ないが、なぜか、近くのコンビニエンスストアはレジに人が並ぶほどいて、自動ドアがひっきりなしに開閉を繰り返していた。土曜の午後だから会社員は見当たらない。客層はどう見ても近所の住人だ。ボクはその光景を横目で見ながら、そのまま駅に向かって真っすぐに歩いていった。
5分くらい歩いていると、やや長くなって容積を増したボクの真っ黒い髪の毛は、照りつける強い陽射しを吸収して熱を帯びた。右手を櫛のようにして、前髪の生え際に当て、頭頂から後へ滑り込ませてみると、確かに量が増えた感触がある。右耳の背後から髪に指を滑り込ませても同じだ。少し前までは気にならなかったが、今は無性にうっとうしい。
「今夜、隙バサミでバサバサ切り落とそうか・・・」
本当なら、行きつけの美容室に行って、少し強めにパーマをかけて、久しぶりにビターチョコレイトくらいの色を髪に入れたいところだが、1万円を超える額は今はまだ厳しい。
ケチくさいくらいに倹約して、1週間をおよそ5000円で過ごしているボクには、今は散髪のために1980円さえ出す気がない。家に帰ってから、自分で適当に、髪に隙バサミをジョリジョリと入れさえすれば、取りあえずは見てくれだけでもスッキリするから、“それで十分”だと思いながら駅の近くの路地まで来ると、普段は意識などしない“カット1980円”という床屋の看板が目に入って、ボクは一瞬立ち止まって雑居ビルの2Fを見た。
だがボクは、1980円も出して髪を切ってもらおうなどとは思わなかった。
帰りの電車の中でもそれは変わりはしなかった。鏡を見て、ちょっとドキドキしながら、自分の髪に隙バサミを入れ、直にスッキリと変わって行く容積を楽しむつもりだった。
地元の駅につくと、小さいながらも中古屋がある事を思い出し、改札口を出ると自宅とは反対の方へボクは足を向けた。マクドナルドはいつの間にか、閉店時間が20時から23時に変わっていた。小さな商店街だが、土曜の15時は、そこそこの人通りだろうか。小さな中古屋には ボクの探し物など“まずないだろう”と思っていたが、やはりだった。
それよりもボクが気になったのは、隣の“カット980円”というカットハウスだった。
窓越しに見る店構えは恐ろしくシンプルで、椅子は5つ並んでいて、客はサラリーマン風な男と子供の二人だけだった。“う~ん、どうしよう”・・・そう迷いながらも、ボクは、店の引き戸に手をかけていた。10分1000円よりも安い事についつい反応してしまったのだ。
“いらっしゃいませ”女性店員に促されて、受付の用紙にカタカナで名前を書き、言われた通りに右端の席に座った。果たして技術的にはどうなのだろう?美容室というにはあまりにも殺風景で、理容室のような洗髪台もない。目の前には鏡があるだけだった。
うっとうしい髪を切ってもらってスッキリするだけで十分ではあったのだが・・・。
「初めてでいらっしゃいますよね、今日はどうなさいますか?」
「左右と後がうっとうしいので、まずは、隙バサミをザクザク入れてもらって、その後で毛先を揃えていただければいいかな~っと・・・。あっ、後は刈り上げない程度に短くスッキリしてくて、全体的に容積を薄くしたいんです。けっこう髪の量が多いみたいで、行きつけの店のスタイリストさんも、こんなに隙バサミを入れたのにまだこんなにあるって驚くので・・・」
ボクがそう言うと、受付をしてくれた女性の店員は、不思議そうな目をしながら笑っていたが、髪に霧吹きをかけ、櫛を通しはじめると、真剣な表情に変わった。
女性店員が、隙バサミを万遍なく髪全体に入れていくその様を、ボクはずっと目で追いかけていた。やはり自分では、こう上手い具合に切る事などできやしない。
「あぁ~ホントだ、けっこう多いですね~これならこの先も安心ですよ」
髪に櫛が通されるたびに、後の髪がザックリと滑り落ちた。そのたびに少しづつ髪がスッキリと軽くなって、鏡の中に移るボクは、椅子に座った時とは様子が違っていった。
椅子の下に散らばる黒い髪がそれを物語っている。
カットをはじめた時には2人いた先客は、ブローが済む頃にはもういなくて、別の客で4つの椅子は埋まっていた。さらに、待合席には5人の人が順番が来るのを待っていた。
消費税込みのブロー付きで980円、この安さが地元民には魅力的なのかもしれない。
自分で髪をいじる楽しみは失くしてしまったが、軽やかな気分で店を出たボクだった。
おそらく2度とは利用はしないだろうが・・・
16時過ぎ、強かった陽射しは緩み、小さな商店街は家路を急ぐ人で溢れていた。
妹「あれ?髪切ってきたんだ、どこで切ったの?」
帰宅して真っすぐにダイニングに行くと、家族が揃ってお茶を飲んでいた。
偶然にも、妹も美容院に行ってカラーを入れ、昨日とは様相が違っていた。
ボク「いくらだったと思う?」
妹「どうせ床屋でしょう?4000円くらいなんじゃないの?」
父「珍しくバッサリ切ったなぁ~」
母「長くてうっとうしかったからそう思うだけで、普通じゃないの?」
ボク「今そんなに払えると思う?隙バサミ入れようと思うくらいなのに」
母「え?隙バサミ?よしなよそんな事・・・じゃぁいくらよっ」
妹「あっ!イチキュッパでしょう?」
ボク「ブブ~ハズレ・・・980円」
妹「え?嘘っ、どこ?」
ボク「ほら、中古屋の隣の・・・」
父「あぁ~あそか~人入ってんのか?」
母「そんな店あったっけ~?」
三人とも、眉間にしわを寄せながら、ボクの髪をマジマジと見つめた。
980円は・・・我家には大きなインパクトを与えたようだ。
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