●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

存在の価値

2007年07月07日 | 思うこと
これは、実際にあった話しなのだが。。。ある所に手のつけられない程に「乱暴な少年」がいた。今でも、そんな子はたくさん居るかも知れない。

その少年は、直ぐに暴れるし、言う事も聞かないので、担任の先生も困り果ててご両親と一緒に児童相談所に相談した。
あらゆる手を尽したが、少年の乱暴な所は直らなかった。
そこで誰かの提案によって、寝たきりの少年のいる病院に慰問に行く事にした。少しでも刺激を受けて、優しい心を取り戻して欲しいとの苦肉の策だったのだろう。

そこで乱暴な少年は、寝たきりの少年のいる病院に連れて行かれた。乱暴な少年は、寝たきりで、寝返りしかうてない程に動けない少年を見て、しばらく静かにしていたが、何を思ったか?そこにあった紙で鶴を折りはじめた。そして、その鶴を寝たきりの少年の枕元にそっと置いた。

しかしである。。。何とその時に!寝たきりの少年が、寝返りをうったのである。鶴はクシャクシャになってしまった。周りの大人たちは、固唾を飲んでその様子を見守った。少年が暴れるのではないか?と思ったのだろう。
所がその少年は、クシャクシャになった鶴を、もう一度綺麗に作り直して、今度は寝たきりの少年が届かない所にそっと置いたのである。

周りにいた看護師たちは、その光景を見て大変驚いた。それは意外にも、乱暴な少年が優しくなったからではなかった。

「この寝たきりの少年にも、生きている意味があったんだっ!」

と感動したと言う。なぜなら、長年この少年のお世話をしている看護師たちは、この寝たきりの少年を思い、「何のために生まれて来たのだろう。楽しみも喜びも知らず、一生このベッドで過ごすのか?」と心を痛めていたからだった。

しかし、何も出来なくても、失敗したとしても、人より劣っていたとしても、またこの少年のように寝たきりだったとしても、生かされている意味があるんだ。
この寝たきりの少年は、乱暴な少年の優しい心を引き出す事が出来た。
その事によって、周りの人々に感動を与える事が出来たのだ。

そして、このように私達も、例えどう言う自分だったとしても、神さまに愛され使命が与えられている価値ある者なのだ。(メッセージの中の例話より参照)