数年前、NHKの「白夜の大岩壁~クライマー山野井夫妻」
という番組を見逃してしまい、いつまでも残念な思いをした。
たまたまこの前図書館に行った時、
その同名の本を見つけさっそく借りてきた。
山野井泰史は90年代、2000年代初めには世界最強のクライマーと言われた。
その登攀の多くを単独、ソロでしかも無酸素で成し遂げている。
どれも世界の山岳史に残る記録といわれている。
山野井妙子、女性としては日本屈指の登山家にとどまらず、
登山家としても日本トップレベル。
女性クライマーとしては世界一かもしれないのだ。
泰史が単独で登攀するのは、たくさんの人と意見交換する事が
気持ち良くないという。自分で判断して行動したいかららしい。
その最強の二人が夫婦になったのは
クライミングパートナーとして同じ考えを持ち、
言葉を尽くさなくても同じ行動をする相手だからという。
二人とも未知の土地、未踏のビッグウオールに対する
パイオニア精神が誰よりも強い。
そして緊張感の強い泰史に対して
緊張したり焦ったりしない、落ち着いた性格の
妙子とはベストカップルであり、パートナーだ。
妙子がマルカーで登頂した後、遭難寸前となり
初めての凍傷を負ったのを泰史が見舞い、
次に泰史が富士山の強力仕事中に落石に当たり、
足を骨折したのを見舞った後、二人は
奥多摩で一緒に暮らし始めた。
二人で数々の山を登攀するが、
中国とネパール国境の美しくて難しいと言われる、
エベレストの近くのギャチュンカン(7952m)に挑んだ時、
珍しく妙子が体調を崩し、泰史だけが登頂した。
その10m先も見えない吹雪の中の下山の途中に雪崩に会う。
雪崩の後、中吊りになった妙子を救いに行く泰史の眼は
雪崩の衝撃で視力を失っていた。
目が見えない今、手袋越しでは岩の割れ目がわからない。
泰史は雪の中、凍傷になるのを覚悟で
素手をさらして割れ目を探すことを決断する。
この時泰史は、この後氷河まで降りるのに
ピッケルを持たなければいけないから
親指と人差し指は最低限必要と考え、
それ以外の指を使おうと考えたという。
そして、4時間以上かかって妙子のもとにたどり着く。
体調を悪くして胃液をはいている妙子を連れて
ベースキャンプについたのは3日後という。
後日談で泰史はギャチュンカン登攀を後悔していないという。
常に自分の能力を最大限発揮したいと思っていると。
ギャチュンカンでは体力、精神力、テクニックすべてを出し切り、
そして、帰ってこれたんだから、
僕の中では最高の登山の一つだと確信しているという。
泰史の両手は薬指と小指がない。右手は中指の先もない。
右足は5本の指すべてがない。
妙子の両手には指らしい指が1本もない。
足も左足の小指と薬指の2本以外ない。
両手両足を除いて18本の指がないのだ。
クライマーにとって指がないことは致命傷だ。
だが、この手足でも妙子はクライミングをこなしている。
泰史も指を失ったことでテクニックも制限されるようになったが、
2人とも絶対不可能と言われた岩登りができるようになった。
「どんなに頑張っても最終的に解決できないことが、
繰り返されたらつらいけれど、長年クライミングをやって、
できない動きを何度も繰り返していると、ある日出来るようになる。
それを知っているから続けられる、できたときには感動する」
泰史はソロで登った経験が多いせいか、人一倍安全に気を使う。
「最も天国に近い男」と言われた通り、
挑戦するルートは死と隣り合わせのものばかり。
しかし、登っている最中の行為一つ一つは「生きるため」に
必要なことを誰よりもきちんと行っている、という。
人によればこの命を粗末にしているとしか思えない行動(行為)と
安全に生きるために誰よりも気を使っているという行為の
相反する矛盾している行為に、
なんでわざわざそんなバカなことをするんだと思うだろう。
でも僕は人間だからする行為なのだと思うし、
人として生まれたからにはそうあるべきだと思っている。
泰史は長年憧れてきたグリーンランドの大岩壁に挑むのだ。
そして、もう一人のパートナー木本哲を伴って。
木本哲。日本のフリークライミング創成期から活躍し、
同じく世界各地の山々を登ってきたベテラン。
木本も足の指すべてを凍傷で失っている。
「植村直己物語」の撮影に山岳ガイドとして協力した。
その時下山できなくなったカメラマンを救助に向かって、
成功し、代償に凍傷を負い指を失ったのだ。
そして、彼も不可能を克服してクライマーとして復活した。
3人は同じ医者に手術をしてもらっている。その悲壮感を
笑ってしまえる、痛みや辛さを理解しあえる仲だ。
3人は「オルカ」と名付けた、1300mを超える
前人未到のグリーンランドの大岩壁に挑むのだ。
オルカ(約1300m)
是非、見ていただきたい。
読んでいただきたい。
壮絶なのである。
そして、楽天的なのである。
という番組を見逃してしまい、いつまでも残念な思いをした。
たまたまこの前図書館に行った時、
その同名の本を見つけさっそく借りてきた。
山野井泰史は90年代、2000年代初めには世界最強のクライマーと言われた。
その登攀の多くを単独、ソロでしかも無酸素で成し遂げている。
どれも世界の山岳史に残る記録といわれている。
山野井妙子、女性としては日本屈指の登山家にとどまらず、
登山家としても日本トップレベル。
女性クライマーとしては世界一かもしれないのだ。
泰史が単独で登攀するのは、たくさんの人と意見交換する事が
気持ち良くないという。自分で判断して行動したいかららしい。
その最強の二人が夫婦になったのは
クライミングパートナーとして同じ考えを持ち、
言葉を尽くさなくても同じ行動をする相手だからという。
二人とも未知の土地、未踏のビッグウオールに対する
パイオニア精神が誰よりも強い。
そして緊張感の強い泰史に対して
緊張したり焦ったりしない、落ち着いた性格の
妙子とはベストカップルであり、パートナーだ。
妙子がマルカーで登頂した後、遭難寸前となり
初めての凍傷を負ったのを泰史が見舞い、
次に泰史が富士山の強力仕事中に落石に当たり、
足を骨折したのを見舞った後、二人は
奥多摩で一緒に暮らし始めた。
二人で数々の山を登攀するが、
中国とネパール国境の美しくて難しいと言われる、
エベレストの近くのギャチュンカン(7952m)に挑んだ時、
珍しく妙子が体調を崩し、泰史だけが登頂した。
その10m先も見えない吹雪の中の下山の途中に雪崩に会う。
雪崩の後、中吊りになった妙子を救いに行く泰史の眼は
雪崩の衝撃で視力を失っていた。
目が見えない今、手袋越しでは岩の割れ目がわからない。
泰史は雪の中、凍傷になるのを覚悟で
素手をさらして割れ目を探すことを決断する。
この時泰史は、この後氷河まで降りるのに
ピッケルを持たなければいけないから
親指と人差し指は最低限必要と考え、
それ以外の指を使おうと考えたという。
そして、4時間以上かかって妙子のもとにたどり着く。
体調を悪くして胃液をはいている妙子を連れて
ベースキャンプについたのは3日後という。
後日談で泰史はギャチュンカン登攀を後悔していないという。
常に自分の能力を最大限発揮したいと思っていると。
ギャチュンカンでは体力、精神力、テクニックすべてを出し切り、
そして、帰ってこれたんだから、
僕の中では最高の登山の一つだと確信しているという。
泰史の両手は薬指と小指がない。右手は中指の先もない。
右足は5本の指すべてがない。
妙子の両手には指らしい指が1本もない。
足も左足の小指と薬指の2本以外ない。
両手両足を除いて18本の指がないのだ。
クライマーにとって指がないことは致命傷だ。
だが、この手足でも妙子はクライミングをこなしている。
泰史も指を失ったことでテクニックも制限されるようになったが、
2人とも絶対不可能と言われた岩登りができるようになった。
「どんなに頑張っても最終的に解決できないことが、
繰り返されたらつらいけれど、長年クライミングをやって、
できない動きを何度も繰り返していると、ある日出来るようになる。
それを知っているから続けられる、できたときには感動する」
泰史はソロで登った経験が多いせいか、人一倍安全に気を使う。
「最も天国に近い男」と言われた通り、
挑戦するルートは死と隣り合わせのものばかり。
しかし、登っている最中の行為一つ一つは「生きるため」に
必要なことを誰よりもきちんと行っている、という。
人によればこの命を粗末にしているとしか思えない行動(行為)と
安全に生きるために誰よりも気を使っているという行為の
相反する矛盾している行為に、
なんでわざわざそんなバカなことをするんだと思うだろう。
でも僕は人間だからする行為なのだと思うし、
人として生まれたからにはそうあるべきだと思っている。
泰史は長年憧れてきたグリーンランドの大岩壁に挑むのだ。
そして、もう一人のパートナー木本哲を伴って。
木本哲。日本のフリークライミング創成期から活躍し、
同じく世界各地の山々を登ってきたベテラン。
木本も足の指すべてを凍傷で失っている。
「植村直己物語」の撮影に山岳ガイドとして協力した。
その時下山できなくなったカメラマンを救助に向かって、
成功し、代償に凍傷を負い指を失ったのだ。
そして、彼も不可能を克服してクライマーとして復活した。
3人は同じ医者に手術をしてもらっている。その悲壮感を
笑ってしまえる、痛みや辛さを理解しあえる仲だ。
3人は「オルカ」と名付けた、1300mを超える
前人未到のグリーンランドの大岩壁に挑むのだ。
オルカ(約1300m)
是非、見ていただきたい。
読んでいただきたい。
壮絶なのである。
そして、楽天的なのである。