大阪ウオークの帰り、ふと前方を見ると櫓の中に人が入って行く??
あそこに入れるの?そうか、紫ののぼりはあの公開のものか。
これは絶対見たい。20km歩いた体にムチ打って、側のチケット売り場に。
金蔵に向かって、再び城内深く、天守閣への道を登って行った。
大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/92/63ba99d71e6e31373c88de603f6517ae.jpg)
金蔵(きんぞう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/fd/83dfc02c09addb15877e851cea4c94ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c1/c2e4171f944ac8a949c7fcfcdefae9cc.jpg)
手前にある四角い箱が千両箱
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f3/70e654f7f6d9ad7bc139696b339c0248.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/af/30fa13fb05d018f1ef4312b0b42c7fce.jpg)
2室の奥の部屋は床に石を敷き詰め、すべての窓は厳重な鉄格子。
江戸幕府は御金蔵(ごきんぞう)とよばれる御用金保管庫を江戸城と大阪城に置いていた。他に小規模なものは二条城など3か所にあった。現在、金蔵として現存するのはこの大坂城の1棟のみだと言う。
維新の大坂城大火に焼け残り、移築、解体、破損から、昭和34年の解体修理によって天保8年(1837)改築時の状態にもどされ現代に至っている。
江戸幕府の西日本中央金庫として、元禄16年(1703)の記録によると、大判48枚、金13万7,488両3分3朱、銀4,436貫432匁1分5厘7毛、銭754貫893文、現在の金額で500~800億円ぐらいのお金が収められていた。
「御金蔵破り事件」「明治維新の大坂城幕府御用金、持ち出し18万両の行方」と言う2つのエピソードも紹介されています。
ちなみに1両は今の25万円。よく時代劇の庶民の中で使われている1朱は1万5千円と意外と高額だ。1両は4分、1分は4朱と4進法になっている。
大手口に戻って、
多聞櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/20/b52032b8a080a12de22bad382f7c53ee.jpg)
多聞櫓を南側から入る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/06/c4eaae88c26a1333f759b67381c3f612.jpg)
長い廊下には銃眼や槍落しが設けられ、右手には兵が駐屯できる部屋が続いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/27/3867420818ac4e4b0f4329a9aa2292f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c3/c3a311c55df9947d3e918ba1db7aeedc.jpg)
右手は槍落し、この隙間から石垣を登る敵兵を槍で射る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e8/077bcef34def68c6e0fdd6940eb8e7fe.jpg)
多聞櫓に続く城壁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/5e/1954e38bc6b89ff23c058e7f9ffec49c.jpg)
多聞櫓と千貫櫓の間にはたくさんの銃眼が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ff/acf2214ec6cfa3c14e9f9ce5fcfc052a.jpg)
千貫櫓の入り口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/cdc1c581d8123d5abafd82102a9b5aa8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/73/1ada86bd2adcef028b0a669bca3d4de8.jpg)
2階は非公開で、1回の中は太い柱で頑丈な作りになっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e5/864a30b5932648a62bd6d8f2abdc8e98.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/77/c49480f1c249f6df0225ea0332d04b38.jpg)
櫓の窓の太い格子の間から大手口土橋が望める
秀吉も多聞櫓の窓から、
今僕が見ているように大手門の人の出入りを見ていたと言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d4/f674c44d461098b8621b197d7e8eca78.jpg)
太い格子で切り取られた大手口桝形の風景は
桃山の時代と人の服装こそ違えど、タイムスリップしたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e3/4ce9ce63fcfa6526e100e8021117468d.jpg)
千貫櫓と多聞櫓
あそこに入れるの?そうか、紫ののぼりはあの公開のものか。
これは絶対見たい。20km歩いた体にムチ打って、側のチケット売り場に。
金蔵に向かって、再び城内深く、天守閣への道を登って行った。
大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/92/63ba99d71e6e31373c88de603f6517ae.jpg)
金蔵(きんぞう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/fd/83dfc02c09addb15877e851cea4c94ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c1/c2e4171f944ac8a949c7fcfcdefae9cc.jpg)
手前にある四角い箱が千両箱
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f3/70e654f7f6d9ad7bc139696b339c0248.jpg)
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2室の奥の部屋は床に石を敷き詰め、すべての窓は厳重な鉄格子。
江戸幕府は御金蔵(ごきんぞう)とよばれる御用金保管庫を江戸城と大阪城に置いていた。他に小規模なものは二条城など3か所にあった。現在、金蔵として現存するのはこの大坂城の1棟のみだと言う。
維新の大坂城大火に焼け残り、移築、解体、破損から、昭和34年の解体修理によって天保8年(1837)改築時の状態にもどされ現代に至っている。
江戸幕府の西日本中央金庫として、元禄16年(1703)の記録によると、大判48枚、金13万7,488両3分3朱、銀4,436貫432匁1分5厘7毛、銭754貫893文、現在の金額で500~800億円ぐらいのお金が収められていた。
「御金蔵破り事件」「明治維新の大坂城幕府御用金、持ち出し18万両の行方」と言う2つのエピソードも紹介されています。
ちなみに1両は今の25万円。よく時代劇の庶民の中で使われている1朱は1万5千円と意外と高額だ。1両は4分、1分は4朱と4進法になっている。
大手口に戻って、
多聞櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/20/b52032b8a080a12de22bad382f7c53ee.jpg)
多聞櫓を南側から入る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/06/c4eaae88c26a1333f759b67381c3f612.jpg)
長い廊下には銃眼や槍落しが設けられ、右手には兵が駐屯できる部屋が続いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/27/3867420818ac4e4b0f4329a9aa2292f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c3/c3a311c55df9947d3e918ba1db7aeedc.jpg)
右手は槍落し、この隙間から石垣を登る敵兵を槍で射る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e8/077bcef34def68c6e0fdd6940eb8e7fe.jpg)
多聞櫓に続く城壁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/5e/1954e38bc6b89ff23c058e7f9ffec49c.jpg)
多聞櫓と千貫櫓の間にはたくさんの銃眼が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ff/acf2214ec6cfa3c14e9f9ce5fcfc052a.jpg)
千貫櫓の入り口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c2/cdc1c581d8123d5abafd82102a9b5aa8.jpg)
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2階は非公開で、1回の中は太い柱で頑丈な作りになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e5/864a30b5932648a62bd6d8f2abdc8e98.jpg)
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櫓の窓の太い格子の間から大手口土橋が望める
秀吉も多聞櫓の窓から、
今僕が見ているように大手門の人の出入りを見ていたと言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d4/f674c44d461098b8621b197d7e8eca78.jpg)
太い格子で切り取られた大手口桝形の風景は
桃山の時代と人の服装こそ違えど、タイムスリップしたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e3/4ce9ce63fcfa6526e100e8021117468d.jpg)
千貫櫓と多聞櫓