copyright (c)ぴーきん
絵じゃないかぐるーぷ
-----------------------------------------
「
3000人が1日に、どっと押し寄せ後は閑古鳥。
よりも、
100人が30日間ひきも切らずだらだらと路歩きなどに。
「左琴」「右書」ならぬ古書・新書に導かれて、
あなただけのピンポイント地方めぐりを!
」 「左琴」(万葉集巻五参照) (c)ちふ・ぴーきん
-------------------------------------------
・16歳・畝傍中学5年生の六爾氏の論文
「
森本六爾 『薬師寺』 「氷れる音楽」
」
大正8年(1919)、
森本六爾 畝傍中学 5年生(16歳) 1学期末の「交友会誌」より
<一部、字体等不足のための改変、行変え等あり>
堀井甚一郎 六爾の畝傍中学時代の同級生、
二人は連れ立って畝中に通っていた。
二人が通った路を求めて歩くのも、
中々いいものですよ。
六爾没32歳。昭和11年(1936)1月22日。
大和史学 「少年時代からの親友森本六爾氏を偲ぶ」より
堀井甚一郎(奈良教育大学名誉教授)
『
森本六爾 『薬師寺』
「
・・・・
されどその後しばしば厄災にあって、前人信仰の跡を伝ふるものは唯一の三重の塔
があるばかりである。尤も唯一つではあるが、非常に立派なそして珍しい建築である
形式上我が仏像彫刻の原始的な推古時代に、隋唐の芸術を加味したもので、天平に移
る過渡期の作に属してをるから塔婆建築上、たった一つの風変りな意匠を有している
即ち三層と云ふものの層毎に裳階をつけているので、一寸見ると六重塔の観がある。
そして裳階の軒の制はやや短い。従って六重の軒は長短交互に織り出しているのだか
ら不恰好の様だが、静に暫く此の塔を仰ぎ見るとき微妙に音韻をもつ美しい形に低頭
せざるを得ない。即ち各層と裳階との隙もない装飾的要素の具備により、この総合的
芸術この氷れる音楽のリズムは具体化され、立派な曲をなすものである。
」
全く中学生とは思われない格調の高い論評をしていて、最近盛んに用いられている
「氷れる音楽」の形容の句は君から始まるのかも知れない。さらにその内部の組物の
説明、金堂の薬師三尊の鋭い論述、その他の仏像や仏足石の説明に及んでいる。
最後に
「
終に此の文は現代青年の徒らに西洋の二字に中毒し、吾が国家の愛すべきを忘れ先
人の伝説と信仰とをすてて顧みないものに、せめて永遠の生命を有する奈良時代芸術
一班をなりと知らしめ、以ってその蒙を啓かんことを望む愚かなる心から出たことを
記さねばならぬ。自ら骨董学を展開せうとする意志より発しないことを知って頂きた
い。
」
と結んでいる。これにより君のこの論文を作った意途が明かである。当時第一次大戦
の終る頃の一般の思想に反抗して、我が国の古代文化の特色を力説してやまない君の
意気がよく現れている。
』
「」内は、森本六爾氏、『』内は、堀井甚一郎氏の文です。
この項おわり