●毎年、この季節になると戦争・敗戦・原爆・9条などの単語が飛び交う。しかし、なんだか、どれを見ても観念的に言葉をもてあそんでいるだけとしか思えないのだ。
たとえば、終戦というが実際は敗戦だろう。終戦記念日ではなく敗戦記念日だ。こういうところから体裁をつけたのかどうか知らないが、ごまかしが始まっている。原爆と9条は実質上リンクしており、原爆反対・9条擁護となる。そこで、思考が止まっているのだ。9条を守るのはいいが、では、北朝鮮などの脅威にどう対応するのか。核の傘を否定したあとはどうするのか? 信者からその後の言葉は聞いたことがない。全員で9条を守って死ぬのか?それを容認するのかということだ。その問題に無回答でいるのは無責任でしかない。
たとえば、終戦というが実際は敗戦だろう。終戦記念日ではなく敗戦記念日だ。こういうところから体裁をつけたのかどうか知らないが、ごまかしが始まっている。原爆と9条は実質上リンクしており、原爆反対・9条擁護となる。そこで、思考が止まっているのだ。9条を守るのはいいが、では、北朝鮮などの脅威にどう対応するのか。核の傘を否定したあとはどうするのか? 信者からその後の言葉は聞いたことがない。全員で9条を守って死ぬのか?それを容認するのかということだ。その問題に無回答でいるのは無責任でしかない。