「アヴィニヨンの」ローマ法王庁
最高権力者が居を構えると
町は栄える
中世においてヨーロッパの最高権威といわれたのは
世俗の『神聖ローマ皇帝』
聖職の『ローマ教皇』
ローマ帝国滅亡の後
全欧の秩序の維持のために世俗権力に頼る必要があって
ローマ教会が再興した「神聖ローマ皇帝」と言う位は
名目だけの権威に過ぎず
方や
ローマン・カトリックが全欧に広がったことで
『ローマ教皇(法王)』が
最高権威者となった
その教皇が
14世紀の75年間『アヴィニヨン』に教皇座を置いたために
アヴィニヨンに
あらゆる芸術家や技術者が集い
商人が集まって
アヴィニヨンを絶頂期を与えた
なぜ教皇がアヴィニヨンに居たかは
以前スペインのカタルーニアのシリーズで
少しだけ触れたが
複雑怪奇で100ページ程も必要となるので割愛させて頂く
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旧市街は完全に城壁で囲まれている
いくつもある城門の中で
正面に当たる門だけ門がなくなっている
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そこを入ると唯一の目抜き通り
一直線の奥まで1kmくらいなものか
付き当たりから右斜めに入ると
ちょうどこの角度で『法王庁』が姿を表す
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当時はいわゆる戦国の世
法王庁は法王の「宮殿」であると同時に防衛拠点の「城」でもあった
斜めにスロープを登って門まで行くと
教皇の紋章が
我々を見下ろしている
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天国の門の鍵と三重冠
の
紋章
14世紀の終わりに教皇がローマに去って以後
維持管理が行き届かず
革命で傷んだり
19世紀に大火災にあったり
内部は教皇在位の時代のものは多くない
広場に面した正面はやや高台になっており
反対側の奥は外壁が30m以上屹立している
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その奥の位置にある一番広い部屋は
枢機卿会議を行った
写真の左に部分を支えるために
外側に四角い塔が二つくっついており
そのうちの一つの中が「礼拝室」
その内装のフレスコが残っている
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『聖マーシアルの礼拝室』
このフレスコは
建設に当たって教皇がシエナから招いた
大家『シモーネ・マルティーニ』の作と伝わっている
その塔の礼拝堂の下
つまり
同じ位置の下の階も
同じく礼拝室となっている
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『聖ヨハネの礼拝室』
法王庁の外部から見ると
この聳り立つ壁面を支える塔は三つある
大広間の
外に向かって最も左の隅にある塔の中は
教皇の厨房
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その厨房の塔は
天井全体が煙突になっている
大広間を先に進むと
騎士の控えの間
そして
教皇の日常の部屋がふた部屋
一つ目は壁のフレスコにより
『狩りの間』と呼ばれる
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『鷹匠』
壁3面に
「鷹狩り」「鳥呼び」「鹿狩り」「魚釣り」
が描かれている
そして
教皇の寝室
ただし寝台などは当然ながら無い
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壁の唐草紋様が目を奪う
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『Cathédra 教皇聖座』
カトリック聖職者の最高位は
『司教』
大司教も教皇も
括りで言えば司教なのです
首相も閣僚も
国会議員
みたいに
その「司教」の椅子をカテドラ(聖座)と言います
司教のいる町が司教座の町と呼ばれ
「カテドラ」が置かれた教会が
『Cathedrale カテドラル(司教座聖堂=大聖堂)』
と呼ばれます
床のタイルも部屋によくあっている
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その先に
衣装部屋だったところを抜けて
教皇専用の法王庁大聖堂
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各所にある礼拝室や礼拝堂で
日々
何度もミサが執り行われたが
教皇が司祭するミサは
この大礼拝堂で執り行われた
天井のほんの一箇所
と
壁の一部分にだけ
当時のフレスコが残っている
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教皇聖堂に入る扉口は
横についていて
そこを出るとその外が
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こうなる
この反対側は
横に大階段がある囲まれたテラスのような「ロッジア」
になっており
ミサを執り行った教皇が
下の中庭に集う寄衆たちに
右手で十字を切って祝福を与えた
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法王庁の外に出ると
法王庁を背に右手の先がもっと小高くなっていて
『ドームの丘』
という見晴らし台のよう場所に至る
頂上から
真下にローヌ河が流れ
アヴィニヨンの橋という名と童謡で名高い
『サン・ベネゼ橋』が見下ろせます
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この橋は
写真右側の中洲の上を通り
その先に流れるローヌの残り半分をわたって
1300mばかり
向こう岸の『フィリップ1世の塔』につながっていた
度重なる洪水で何度も流され
再建を繰り返したが
19世に再建をあきらめこの形で残っている
敵の進撃を不可能にするため
地上より高いところから渡るように作られており
両岸には
橋の防御と入り口を兼ねた塔がある
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船に乗って
川の中から見るとこうなります
五百メートルほど離れた
対岸の塔
『フィリップ1世の塔』
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この王様は
フランス王フイリップ1世なのですが
同時に「ナヴァーラ王フィリップ1世」でもあり
現地でな『フィリップ1世』と呼ばれる
ちなみに
橋の渡る上部の幅は4mほどしかなく
「踊ろよ 踊ろよ 輪になって おどろ」
というわけにはいきません
本当は
町の祭りの日に中洲に集まって
橋桁の下で踊っていたのだそうです
その
フィリップの塔から法王庁を見てみると
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もちろん
望遠レンズの写真です
この対岸は
すでにアヴィニヨンではなく
『Villeneuve-lès-Avinion ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニヨン』
という隣町
そこにも大規模な要塞のような城が
残っている
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アヴィニヨン自体
旧市街が完全に城壁に囲まれていて
外側でも
内側でも
一周できます
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城門も数多く残っている
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これは
すでに塞がれてしまった城門
背が低く感じるのは
上部の胸壁(凸凹の隠れて反撃する部分)がなくなり
真下に彫ってあった空堀を
埋めてしまったから
要所要所の防御の塔も残っている
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このアヴィニヨンは1947年に始まって
毎年7月
ほぼ1ヶ月間にわたって
正式招待劇団
(例えばロイヤル・シェークスピア・カンパニーなど)
を中心に正式エントリー組が行う法王庁中庭特設ステージでの公演が
『IN』とよばれ
招待ではない公認参加組が法王庁特設小ステージ及び
町の劇場で行われる
『OFF』
さらに
町に広場や路上で行うパフォーマンスが
『OFF OFF』
2020年は
コロナ禍で53年目にして初めての中止となった
現在21年7月のフェスティヴァルのエントリーを
受付中
なんとか
人類の英知を絞って
新型コロナ・ウイルスに打ち勝たねがなりません
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