巻頭写真 : ボナパルト家の菩提寺「帝室礼拝堂」
地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた
今回は再度アジャクシゥの大聖堂から始めよう
母親「レティシア」が産気づいた場所
ナポレオン・ボナパルトが洗礼を受けた場所
「セント・ヘレナ島」から無言の帰還を果たしたナポレオンへの追悼のミサを行った場所
『被昇天の聖母大聖堂』
『Cathédrale Santa Maria Assunta / Cathédrale Sainte-Marie de l'Assomption』
着工が1583年で完成に10年を費やした「反宗教改革様式(ジェジュイット様式)」
内装はバロック
母親「レティシア」が産気づいた場所
ナポレオン・ボナパルトが洗礼を受けた場所
「セント・ヘレナ島」から無言の帰還を果たしたナポレオンへの追悼のミサを行った場所
『被昇天の聖母大聖堂』
『Cathédrale Santa Maria Assunta / Cathédrale Sainte-Marie de l'Assomption』
着工が1583年で完成に10年を費やした「反宗教改革様式(ジェジュイット様式)」
内装はバロック
正面の小さな広場はやや低いので
ここから見ると左後方にある鐘楼はほぼ見えない
身廊と翼廊との交差部(十字架型の中心)は明かり取りの小塔が乗った大円蓋
鐘楼の頂点も明かり取りの小さな丸窓が並ぶ円蓋の上にさらに小塔
中央のポルタイユ(扉口)は単純な長方形で
上部に建立に至る年度や建設に尽力した人物名などが書かれた銘板がある
中は外から見て想像するよりかなり広大に感じる
交差する天井の天蓋から明るい光が差し込んでくる
一番奥の主祭壇とその上のネジ柱を持つルターブル(祭壇衝立)は
女性ながらルッカ大公となったナポレオンの妹エリザが寄進した
もともとはルッカの廃止された教会にあったもの
ちなみに彼女は「トスカーナ大公」でもあった
振り返ると
ポルタイユを入った上に定石通りにパイプ・オルガンがあるが
支え方がかなりユニーク
飛行機の両側にジェットエンジンが突き出ているように
主催団のある内陣と同じ東向きで翼廊にもそれぞれ祭壇がある
北の翼廊に二つ南に一つ
北側の翼廊最初の礼拝堂
北側翼廊二番目の礼拝堂「ピアント礼拝堂」『Chapelle Santa Maria del Pianto』
北側の「ピアントの礼拝堂」の祭壇画は
ドラクロワの『信仰の勝利 または 聖心の乙女』
『Triomphe de la Religion ou Vierge au Sacré Coeur』Dracroix(1822)
その部分の天井の細工は素晴らしい
反対側の南の翼廊の礼拝堂「ロザリオ礼拝堂」は装飾は控えめ
『Chapelle du Rosaire』
この礼拝堂は
後述する「帝室礼拝堂」が「フェスチ宮殿」に建設されるまで
ボナパルト家の墓所であった
もう一つ北側の翼廊の先端に四番目の祭壇「慈悲の聖母礼拝所」があって
その祭壇上部に街の守護聖人である「慈悲の聖母」像が
外からの光を巧みに利用して神々しく安置されている
『Chaelle Latérale de Vièrge de la Misericorde』
『Notre-Dame de Misericorde (慈悲の聖母)』
内部が暗い時には
こう見える
ところで大切なものがもう一つ
「洗礼盤」
『Les Fonts baptismaux(洗礼水盤)』
この見事な細工の青銅製の大きな蓋のついた白大理石の洗礼盤で
「ナポレオン・ボナパルト」は
1771年7月21日2歳の時に洗礼を受けた
洗礼水盤の蓋の部分
教会の十字形交差部の柱に
ナポレオンの「辞世の言葉」を記したローズピンクの大理石板が嵌めてある
『もし私がパリから拒否されるなら
私は
私という人間が拒否されたということを受けて
私の屍は
アジャクシオのカテドラルに
私の先祖たちが眠るすぐそばに葬って欲しい』
ちなみに
彼が生きている頃にはまだ
叔父のフェッシュ枢機卿の宮殿に「皇室礼拝堂」はなかった
実際は
『私は
できることなら私が大好きだったセーヌ川の見えるところに
葬られたい』
という辞世の言葉の前半にそって
パリのセーヌ河沿いの「アンヴァリッド」に
『フランスの皇帝ナポレオン1世』
として葬られている
『Tombeau de Napoléon 1er Empéreur des Français』
パリ「アンヴァリッド」にて撮影
ちなみにこの「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」では
重要な儀式が執り行われる
『ア=マドンヌッチア』
『Statut de Notre-Dame de Misericode (慈悲の聖母像)』
毎年3月18日アジャクシゥで行われる「時hの聖母マリア」のお祭り
は17世紀半ばにさかのぼる
ペストの大流行に悩んでいたイタリアでジェノヴァ共和国の町であったアジャクシオも
被害から免れなかった
1世紀ほど前の1530年代に
イタリアのアヴォーネでペストの流行への保護を願ったある農夫の前に現れたマリアが
町をペスト禍から救い
『アヴォーネの慈悲のマリア』として敬われていた
その「慈悲に聖母」をアジャクシアの町の守護聖人にいただくことを決めた
1656年11月16日から「慈悲の聖母像」を半年かけて準備し
翌年3月18日にそのマリア像を讃えるお祭りをすることになったのが
『A Madonuccia』
大聖堂のロザリオ礼拝堂から出る「慈悲のマリア像」
前日17日21時に前夜祭として大聖堂からフォッシュ広場までの行進が行われ
18日10時からの記念礼拝
その様子は「バチカン・テレビ」で世界中に中継される
18時からいよいよ夜間大行倖が始まる
年にもよるが
バチカンから20名ほどの枢機卿も参加し「慈悲の聖母」が
町を練り歩く
カテドラルを出た「マドンナ」は
大勢のアジャクシオっ子を引き連れて
旧市街を練り歩き
途中
『Eglise Saint-Roch 聖ロック教会』で荘厳なるミサを執り行う
そのまま「フォッシュ広場」下された「マドンナ」は
特製の厨子に安置され
広場中にあふれる人々に囲まれて夜のミサ
そして夜遅くに大聖堂にご帰還になる
『バチカン聖務院(宗教法務省)』の直々のお墨付きの
公式行事なのです
では場所を変えて
ナポレオン所縁の場所の最後に『フェッシュ宮殿/帝室礼拝堂』に行ってみよう
『Palais Fesch』Photo by ⒸGoogle Map
ナポレオン所縁の場所の最後に『フェッシュ宮殿/帝室礼拝堂』に行ってみよう
『Palais Fesch』Photo by ⒸGoogle Map
『フェッシュ宮』は
革命政府が仏国内の教会財産を競売に付したことで
ローマ教皇から破門されていたフランスを
ナポレオンの謝罪で破門を説いた『レオン7世』が枢機卿に任命した
ナポレオンの母方の叔父「ジョゼフ・フェッシュ」大司教
のアジャクシゥの枢機卿宮殿
『Palais Fesch』
フェッシュ枢機卿
右側の部分が「帝室礼拝堂」
『Chapelle Impériale』
この「帝室礼拝堂」は
ナポレオンの甥「ルイ=ナポレオン」が2月革命の後大統領に選ばれて第三次共和制をしき
その後クーデターで議会を廃止して皇帝となり第二帝政を敷いた「ナポレオン3世」が
1857年に建設した
この礼拝堂には写真右端の先にある通りからも入れる
この礼拝堂には写真右端の先にある通りからも入れる
通りに面した扉口
同
内部の地上階は礼拝堂
祭壇の上の磔刑のキリスト像はコプト教徒のもので
エジプトから贈られた
平面図はギリシア正十字(たてよこ同じ長さの十字架)型で
交差部の天井は大天蓋になっている
このクーポラ(円蓋)のレリーフ群は「トロンプ・ロイユ(だまし絵)」
ステンド・グラスはフェッシュ枢機卿の紋章
交差部の床の中央に鋳鉄細工のまる蓋があり
透かし彫りの鉄の蓋の下のクリプト(地下祭室)が
ボナパルト家の霊廟(墓所)
クリプト
暗色の大理石の一つ一つが墓石で
左が「シャルル=マリー・ボナパルト」(父親)
右は「マリー=レティシア・ロマリーノ=ボナパルト」(母親)
交差部の床の中央に鋳鉄細工のまる蓋があり
透かし彫りの鉄の蓋の下のクリプト(地下祭室)が
ボナパルト家の霊廟(墓所)
クリプト
暗色の大理石の一つ一つが墓石で
左が「シャルル=マリー・ボナパルト」(父親)
右は「マリー=レティシア・ロマリーノ=ボナパルト」(母親)
礼拝堂(地上階)と墓所(地階)とを結ぶ階段
ところで
この「フェッシュ宮」はアジャクシゥ私立美術館として使われている
基本的には「フェッシュ枢機卿」のコレクションの遺贈が元となって造られた
『Musée des beaux Arts de la Ville d'Ajaccio』
絵画彫刻などが主な展示だがボナパルト家に関するコレクションもある
ナポレオンの家族の彫像の部屋
ナポレオンの胸像
妹ポーリーヌの胸像
レティシアの肖像
戴冠式の装束のナポレオン
一般のコレクションも素晴らしい
ボッティチェルリ『聖母子と聖ヨハネ』
ベリーニ『聖母子像』
ヴァザーリ『聖ヒエロニムス』
ニコラ・プッサン『パクトール川水源でのミダス王』
ジェゼフ=トマ・ショタール『サフォー』
フェッシュ枢機卿の書庫もすごい量と質の高いもので
現在はアジャクシゥ市立図書館扱いになっている
「アジャクシゥ」の項 続きます
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皆様のご意見ご要望とご感想を是非送ってください
※
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