私の妻と私は今年で共に80歳を超え、山の中腹で暮らしております。神への信仰を初めて以来、私たち年寄りは神の御恵みと御加護を受けながら健康に過ごせています。私たちは神の愛にお応えするために、聖書を保護するという本分を尽くしています。聖書が湿らないよう、地面から150センチの高さで厚板の上に置いています。
2014年7月の末、小雨がもう10日以上も続けて降っていました。最初は地面に水たまりができない程度にパラパラと降っていただけでしたが、8月7日の午前9時頃、土砂降りの雨が降り始めたのです。その僅か30分後には地面に水たまりができていたように見えました。その時でした、雨水が我が家の壁の角にあった隙間から家の中へと流れ込んできたのです。その瞬間、私は不安になりこう考えました、「一体どうしたらいいのだ?このまま続いたら家が危なくなってしまう。」動揺して落ち着きを失った私は部屋の中で右往左往しました。「私の命などどうでもよい。しかし、聖書は傷つけるわけにはいかん。一体どうすればいいんだ?」私は聖書を見つめながら、どうしてよいのか分からず途方に暮れてしまいました。後に、私は洗面器とバケツを見つけて妻と一緒に雨水をかき出すしかありませんでした。そしてその時、私の甥が私たちを助けにやってきました(しつこい雨で屋根が雨漏りしていたので、彼は修理しに来てくれたのです)。しかし、外の水は我が家の中に入り続け、しばらくすると家の中で溜まっていた水は深さが既に10センチほどになっていました。このような状況の中で、私は更に心配になり、どうすればよいのか分かりませんでした。その時、この神の御言葉が突然私の頭に浮かんだのです、「わたしはあなたの強固な岩である。わたしに拠り頼みなさい。」「その通りだ!神は私たちの頑丈な岩であり、唯一なる避け所なのだ。神の存在を忘れてはならない」神の御言葉が気持を落ち着かせてくださったので、私は静かに神に祈りを捧げました、「ああ、神よ!外は土砂降りで、家の中では水位がどんどん上がってきています。我が家には聖書が沢山ありますが、私たち年寄り二人では対応できませんし、それらを保管する場所を見つけることもできません。聖書はあなたに託すしかありません。どうかこれらの聖書をお守りください。」30分以上経った後、部屋の中の水はおよそ20センチまで深くなっていました。午前11時頃、空は灰色になり、雨が激しく降り始め、その様子はとても恐ろしいものでした。その後すぐ、前後の山から雨水が我が家に向って流れ落ちてきたのです。この状況に直面した私は非常に不安になりこう考えました、「雨がこのまま振り続けたら、私の泥壁の家は確実に倒壊してしまう。そうなったら、聖書は間違いなく損傷してしまう。」私はこう考えるのを止め、心の中で切羽詰まった私は神に助けを請い、これらの聖書を神に託すしかありませんでした。
この暴風雨は続けてその激しい猛威を振るい、雨水も我が家に入り続け、室内の水位は増々高くなり、その深さはすぐに40センチを超えました。靴、洗面器、テーブル、そして椅子等、これら全てが家の中で水に浮かんだ状態となり、水位はすぐに私たちの膝を超えました。その瞬間、私の妻と私は聖書を見たまま、パニックと恐怖のあまり体全体が震えました。その時、私の甥が私たちにこう言いました、「もうこれ以上家の中にいては駄目だ。泥壁の家はいつ崩れる分からない。そうなったら、死んでしまう。急いで!お金と貴重品を持って山を上がるんだ。」甥の言葉を聞いた私は混乱しながら増々動揺してこう考えました、「家が本当に倒壊したらどうしよう?妻と私は共に80歳、逃げたくても逃げられない。それに、聖書はまだ家の中にあるのに、置いて逃げるわけにはいかない。」その時、神のこの御言葉が頭に浮かびました、「世界で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。わたしの言うことはすべてその通りに進み⋯」「そうだ!全世界にあるもの全てが神の御手の中にあるはずだ。家が崩れるかどうかもまた神の御手の中にあって、神がお決めになることだ。」こう考えた私は甥に言いました、「他に行ける場所はあるか?私たちはもう走れるような年じゃない、だからここに残る。」これを聞いた甥はびっくりして、脱出するのを止めました。私たちが中に残っているのを見た彼は私たちを置いて逃げようとはしませんでした。しかし、今にでも家が倒壊することを恐れた彼は軒の下に立って私たちを見守っていました。
その後、豪雨は更に激しさを増し、我が家の中の水かさはどんどん上がっていきました。これを見た私は又しても不安になり、心の中で神の助けを求め続けることしかできませんでした。その時、私は神のこの御言葉を思い出したのです、「信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが…」神の御言葉は私に力を与えてくださりました。神は私の神への信仰を完全なものにするために、この状況を使われたのだと私は理解しました。私の生死は神の御手の中にあり、それ故に私は命を捨てる覚悟で神に頼るべきなのです。こう考えた私は、危険を顧みず、家から20メートル離れた脱穀上まで水の中をやっとの思いで進み、そこで地面に跪き、大声で神に祈りを捧げました、「ああ、神様!この事態にはあなたの善良な御旨が込められています。私が生きるか死ぬかはあなた次第です。あなたが何をなさろうと、私はあなたに従います。しかし、聖書はまだ私の家の中にあり、傷がつくことがとても心配です。ああ、神様、私は今これらの聖書をあなたに託すこと以外は何もできません。」
私が地面に跪き、続けて神に助けを求めていると、私の甥がこう叫びました、「伯父さん、戻ってきて!どうしてそこで跪いてるの?大雨の中で風邪を引くよ!」その時、私は甥の言うことは気にせず、続けて神に祈りを捧げました。その間、私の妻も軒の下の水の中で跪いて神に祈りを捧げていました。30分以上祈りを捧げた後、突然、連続で雷が鳴るのが聞こえ、その後に家の裏でドスンと何かが倒れる音がしました。私が様子を見に行ってみると、我が家から6メートル離れた所に直径が大きなどんぶりの厚さほどある油桐が山から流れ落ちてきた雨水によって倒されており、そこの地面には直径160センチの穴ができていました。これ故に、雨水が全てその穴に流れ込み始めていたのです。これは神が私の祈りを聞いてくださった故のことだと、私は明確に分かりました。私は心の中で神に感謝し続けました:「神は本当に全能であられる!雨水が絶えず家の中に流れ込んでいたら、間違いなく倒壊していたことでしょう。しかも、我が家の前には幅10フィートほどの溝ができており、雨水がその溝を通って山のふもとに流れ出ていたことも私は発見しました。
私はこの様子を見て、神はずっと私の側にいてくださったのだと感じて興奮しました。私たちが絶望に陥り、行き場を失った時、神は逃げ道を開いてくださりました、すなわち、雨水が流れ出る場所を設けてくださったのです。これは神から私への憐みだったのです。以前、私はとても無知でした。私は神の御言葉を文字通りに、そして教義上の意味で理解しているだけで満足し、神の御言葉を真理として実践してはいませんでした。これ故に、何らか出来事に直面すると、それが自分の個人的な生活に関するものであれ、または教会での本分に関するものであれ、私は自らの手段で対応していたのです。しかし、今回私は物事と出来事はその全てが神の御手の中になり、災害は神によってより一層細かく計画されているということを自ら知りました。神は正に真なる、そして生気に満ちた神であります。私は誠実な心で神を頼りにした時、神の御業を目撃し、この世界にある全ては神の御旨に従って動くということを実際に体験したのです。これについて神はこう仰りました、「人の心と霊は神の手の中に掌握され、人の生活全ては神に見られているのである。あなたがこのことを信じようと信じまいと、ありとあらゆるものが、生けるものも死せるものも、神の考えに従い、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が万物を支配する方法である。」
その後、豪風雨は徐々に勢いが収まり、家の外の水は中に流れ込んでこなくなりました。しかし、まだ深さ2フィート近くの水が家の中に残っていたのを見た時、私はまたとても心配になりました、なぜなら泥壁の家が長い間水に浸っていたら、そこにいるのは危険だからです。こうして、私の妻と私は慌てて洗面器で水をかき出しました。しかし、水位はとても高く、いつになったら全部流しだせるのか全く分かりませんでした。心配で動揺しながら、私は休まず心の中から神に助けを求めました、「ああ、神様、室内の水を早く流し出さないと、長時間水に浸っているこの泥壁の家はすぐにでも倒壊してしまいます。神様、雨は収まりましたが、聖書は依然として損傷する危険性があります。どうか私たちに解決策をお与えください。」こう祈りを捧げると、すぐに水が流れる音が聞こえてきました。様子を見に行ってみると、奔流により横の部屋にある地下貯蔵庫に洗面器ほどの大きさの穴ができていたのです(貯蔵庫の外は急なスロープになっており、貯蔵庫は石材の破片で舗装されていました)。これにより、雨水は貯蔵庫を抜けて流れ出ていたのです。この時、私は角に穴を開ければ水がもっと速く流れ出るとひらめきました。こう思った私は急いで鉄棒を見つけてきて、石材を2つこじり出しました(家の礎は石材でてきていました)。すると水はすぐさま穴を通って流れ出てゆき、地面が見えてきました。これを見た私はやっと安堵を感じ、心の中で神に感謝し続けました。これは全て神の驚くべき御業であったのです。すると、私の甥が私にこう言いました、「伯父さんと叔母さんが信じている神は本当に善良ですね。さっきは外が大雨で、水が家の中に入り続けたから、深さがすぐに20フィートにもなって。そんな状況だったから、僕は凄く怖かったんだ。でも、2人が逃げないから、僕も一緒に残ることにしたよ。家が崩れて圧死するのが怖かったから、僕は外に出て軒の下で立っていることにしたけどね。その時、2人は水の中で跪いて、空を見上げながら祈りを捧げていたよね。しばらくしたら暴風雨が次第に収まっていくからビックリしたよ。裏の山から押し寄せてきた雨水が油桐を押し倒して、それで穴ができたから、水が家の代わりにその穴の中に流れていくなんて。もう50年以上も生きてるけど、こんな奇跡は見たことがないよ。しかも、さらにビックリしたのは2人とも80歳で、1時間以上も水の中で跪いていたのに、風邪は引いてないし、まだ水をかけ出す元気があるなんて。これは本当に素晴らしいよ。」彼の言葉を聞いた私の妻と私は共に笑顔でこう言いました、「その通り!これは全て神の御加護のおかげなんだ。神に感謝します!」
その時、誰かが外で私の家の隣の2軒が倒壊したと大声で叫び、その後に近所の人たちの泣き声が聞こえてきました。これを聞いた私はこう思いました、「私は幼い頃からこの泥壁の家に住んできて、今はもうかなり古くなっている。隣の家はここよりも高い立地に建っているから、雨水はいつも私の家に向かって流れてくる。にもかかわらず、彼らの家が倒壊して、私の家は無事だなんて。これは正に神の偉大な御力だ。」
豪風雨が去った後、村の幹事とリーダーが我が家にやってきました。私たちと我が家が無事であるのを見た彼らは笑顔でこう言いました、あなた方2人は本当に運がいい。天が助けてくださったのですよ!」そして、彼らは我が家の裏に行き、そこにあった穴を見てこう言いました、あなたの家の裏にある溝は山から押し寄せてきた泥と砂で詰まっている。しかも、雨水は上に建っている家々からあなたの家に向かって流れている。この穴のおかげで、雨水は流れ出ることができたんです。これがなかったら、あなたの家は間違いなく倒壊していたでしょう。」その後、彼らはドアの所に行き、幅10フィートの溝があるのを見て驚きました。幹事は驚きのあまりこう言いました、「天は本当にあなたを助けておられる。私の家々は高い位置にあるから浸水しなかったけど、新しいれんが造りの家2軒は吹き倒された木がぶつかってで損傷したんですよ。なのに、あなたの泥壁の家は全く損傷していないとは。天があなたをお守りくださったんですよ。」彼の言葉を聞いた私は心の中で神に感謝し続けました。私たちは神を信仰しているがために、拠り所を持つことができ、私たち2人と我が家は神の御加護を授かりました。未信者たちには拠り所がなく、災害を前に何もすることができなかったのです。これにより、私は神のこの御言葉の内容をより強く確信しました、「わたしは人類の唯一の救いである。わたしは人類の唯一の望みであり、さらに、わたしは全人類がその存在を託すその者である。」
神は存在する全てのものの主権者であり、万物のいのちは神から生まれます。神は私たち人間を育て、私たちに備えてくださります。神は常時私たち人間に気を配り、私たちをお守りくださります。私たち人間は、神から離れると大災害の被害に見舞われてしまいます。私たちは誠実な心を持って神の前に行き、神に頼り、そして神を崇拝する場合に限り、良い運命と終着点に至ることができるのです。私は今回の暴風雨を経験し、私たち人間は災害の前ではとても小さく、そして僅かな強風にすら耐えられないと心から感じました。政府官僚は私たちを救うことはできませんし、私たちの親戚や友人たちもそれはできません。神のみが私たちの贖い主であり、私たちの避け所なのです。神は災害を通じて人間の義なる行動を大切にされていること、そして人間の悪行はお嫌いであることを私たちに警告されます。ロトを例に考えてみましょう。彼は2人の天使を守るために自分の2人の娘を指し出そうとしました。この彼の義なる行動のおかげで、彼の家族は神がソドムの街を破滅させた時に神の救いを受けることができました。同様に、私たちは災害が頻繁に起こる終わりの日には、神を信仰するだけでなく、ありとあらゆる善行を行うべきです。私たちはこうしてのみ災害の中で神の御加護を授かることができるのです。
従って、私は、「今後神を信仰していく上で、もっと神を頼りにし、自らを神の御手に委ね、神に私を管理そして支配いただくようにします。私はもっと神の御言葉を読み、神の御心を和められるようにしっかりと自分の本分を尽くしていきます」、と決心しました。全ての栄光、神にあれ!