賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

9歳のキリスト教徒はあやまって井戸に落ちた後、どのようにして生き延びたのでしょう?

2019-06-06 21:18:53 | 癒やしと恵みの証し

   私は幼かった頃、母を模範として主を信仰しました。これ故に、私は主の御加護の下で育った子供でした。聖書に書かれている:「あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。」(詩篇91:9-12)。という言葉を目にする度に、私は子供の頃に井戸に落ちた後、主に救っていただいた時のことを思いだします⋯

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   私が9歳だった時、雨が降ったばかりのある秋の夜、私は野菜を摘みに一人で野菜畑まで行きました。野菜畑は離れた所にありました。暗闇が怖かった私は暗くなる前に戻りたいと思っていました。こうして、私は雨靴を履いて細くぬかるんだ小道を足早に歩きました⋯

   私は歩いていた時に突然何かを踏みつけてしまい、それは柔らかくてまだ動いているように感じました。それがヘビであったのを見た私は叫び声を上げて駆け出しました。しかし、道はとても滑りやすくなっていたので、私は全く走ることができず、野菜畑に向って早歩きをすることしかできませんでした。しかし、私はその入り口に着いた時、足を滑らして、思いがけず井戸に落ちてしまったのです。

   井戸の中の水は深さが2メートル以上もありました。私は井戸に落ちたとたんに底まで沈み、水が続けて口の中に入り込んできました。私は泳げなかったので、水の底でもがきました。私はとても無力に感じてこう思いました:「回りには誰もいない。私は今日井戸で溺れてしまうのか。」

   その時、私は力強い主イエス様のことを思い出しました。私を救えるのは主のみだと思いました。従って、私は主に助けを請い続けました。突然、私はもう口を開けていられないことに気が付きました。口を開けていたら私は水で窒息してしまうところだったのです。私は慌てて唇をしっかりと固めて息を止めました。それと同時に、私は水から抜け出そうと必至になって井戸の壁にある石につかまろうとしました。しかし、コケで覆われていた石はとても滑りやすかったのでつかまることができませんでした。それに加えて、水は波を打っていたので、私の体は左右に揺さぶられ、石につかまるのは更に困難でした。その後、私は何とかして石につかまり、そして上に這いあがろうとしましたが、滑ってしまい又しても井戸の底へと沈んでしまいました。この瞬間、私は更に怖くなり、もう息を止めていられなかったので水がどんどん口に中に入り込み、窒息してしまうかと思うほど息をするのが困難になりました。

   しかし、私は井戸の中で生き延びることを諦めませんでした。よって、私はさらにはやる思いで主に助けを求め、もっと力をくださるようお願いしました。私は祈りを捧げた後、また自信がつきました。そして、私は息を止め、もう一度壁の石をつかみ、上に登り続けました。しかし、石にはコケがつき過ぎており、私は石につかまっていないとまた井戸の底まで沈んでしまうことを恐れたので、必至になって横にあった石に足をかけようとしました。突然、私はしっかりとした石の上に乗り上がることができました。そして、私は石に足をかけて井戸の壁に沿りながら上に登っていきました。

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   私はやっと一瞬だけ水からはい上がることができましたが、その時は既に暗くなっていました。息を長い間止めていたせいで、私は息を切らしてあえぎ、お腹の中は水でいっぱいで、体はぐったりしている感じがしました。私は高い所にある井戸の開口部と下にある冷たい水を見ていると、その瞬間、登っている最中に力尽きたり、コケの付いた石を掴んだりして水に滑り落ちてしまうのではないかと本当に怖くなりました。これを何度も繰り返していたら、私は力を使い果たして溺れてしまうでしょう。この瞬間、私は主イエス様のみが自分を救うことができると分かっていたので、井戸の開口部まで這いあがるために、もっと信念と力を与えてくださるようもう一度主に助けを求めました。

   そして、私は少し休憩しました。少し力が回復した後、私はまた登り始めました。しかし、もう夜遅かったので井戸の中は暗くなっていました。このため、私は石がどこにあるのかがよく見えませんでした。こうして、私は足を乗せられる石を見つけようと、蹴ったりしながらゆっくりと登っていきました。私は主に助けを求めながら慎重に足を乗せていきました。

   ついに、私は主の優しさと御加護の下で井戸の縁まで到着し、精一杯の力で自分を地面に引き上げました。水でびしょ濡れだった私は壁の側に座ってゆっくりと元気を回復させました。私は回りを見渡してみました。そこは真っ暗で誰もいませんでした。秋風が吹いていたので、私は寒く感じました。しかし、私は心の中は全く怖くありませんでした。むしろ、私は主イエス様が側にいておられると心の中ではっきりと分かっていたので、とても穏やかな気分がしていました。私は主の優しさと御加護のおかげで脱出に成功したのです。私は主に救ってくださったことを感謝しました。私が井戸の底から安全に登り出ることができたのは、紛れもなく主からいただいた信念と耐久力のおかげだったのです。

   私はこの体験を思い起こしました:井戸に落下した後、私は死の瀬戸際では主のみが唯一の頼みの綱であることを体験しました。これについて聖書にはこう記されています:「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」(詩篇18:2)。 救い主であられる主イエス様がお与え下さった救いの恵みに感謝します!私は主の優しさと御加護のおかげで無事に切り抜けることができました。全ての栄光、主にあれ!