賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

人類の運命と万物の運命は創造主による統治と不可分である

2019-08-03 17:46:04 | 聖書の奥義を開く

 あなたがたは皆、成人である。あなたがたの中には、中年の者もいれば、高齢者もいる。未信者から信者となるまでの間、そして神への信仰を持ち始めてから神の言葉を受け入れ、神の業を体験するまでの間に、あなたがたには神による統治に関する認識がどの程度あったであろうか。人間の運命について、どのような識見を得たであろうか。人間は、生涯のなかで望みを全て叶えられるであろうか。あなたがたは、数十年の生活のなかで、自分の望みをいくつ叶えることが出来たであろうか。叶わなかった望みはいくつあるだろうか。思いもよらなかった喜びはいくつあるだろうか。未だに結実するのを待っていたり、好機を無意識に待っていたり、天の意を待っていたりする事柄はいくつあるだろうか。絶望的で行き詰まったと感じた事柄はいくつあるだろうか。自分の運命には、皆大きな希望を抱き、全てが思い通りになり、衣料や食料が不足せず、財産がめざましく増えることを期待する。貧しく、虐げられ、困難で、災いに苛まれる人生を望む者はいない。しかし人間は、こうした物事を予測することも、操作することも出来ない。一部の人々にとって、過去は様々な経験の無秩序な寄せ集めに過ぎず、そうした人々は天の旨を知る事も、それが何かを考えることも無い。こうした人々は、動物のように、何も考えずに毎日を過ごし、人類の運命や、人類が生きている理由、人間はどのように生きるべきかなど考えることは無い。こうした人々は人類の運命について何も理解することなく年老いてゆき、死ぬときまで人生の意味について何も知ることは無い。そうした人々は死んでおり、魂の無い獣のような生き物である。人間は万物の中で生活し、この世で人々の物質的な需要を満たす様々な方法により快楽を得、この物質世界が継続的に進歩しているのを見ているにもかかわらず、自分自身の経験、すなわち人間の心や霊が感じる事柄は、物質的な事柄と何ら関係が無く、また、物質的な事柄はそうした経験の代替ではない。そうした経験は人間の心で深く認識する物事であって、目に見えないものである。そうした認識は、人生と人間の運命に関して、その者が理解し、それを感じることの中にある。そして多くの場合、そうした認識の結果として、目に見えない支配者が人間のために万物を用意し、指揮していることの理解へと繋がる。こうした物事の中では、人間は運命の定めや指揮を受け入れざるを得ず、また同時に、人間は創造主が計画した将来の道、創造主による個人の運命の統治を受け入れざるを得ない。これは疑いの無い事実である。運命に関して人間がどのような見通しを立て、どのような姿勢であったとしても、その事実を変えられる者はいない。

人生の運命

 あなたがたが毎日どこへ行き、何をして、誰と会い、何を見て、何を言うか、あなたがたに何が起こるか、といった事柄を予測出来るであろうか。人間はそうした事柄の発生を予測することができず、ましてそれらがどのように展開してゆくかを予測することは出来ない。人生において、予期せぬ出来事は日常的に発生する。こうした日常的に起こる変化や、そうした変化の発生のしかた、発生後の展開形態は、何ら規則性無く発生する物事は無く、発生した物事の結果やその必然性は、人間の意志で変えられないということを、人類に対して継続的に喚起するものとなっている。あらゆる出来事は、人間に対する創造主の訓戒や、人間は自分自身の運命を支配できないという知らせを伝達すると同時に、自らの運命を掌握しようとする人間の大それた、そして無意味な野望や願望に対する反証でもある。こうした出来事は、耳元で連続的に発生する強い衝撃音のように、人間に対して、誰が最終的に人間の運命を支配しているかを強制的に再検討させるものである。人間の野望や願望が繰り返し阻まれ、砕かれてゆくにつれ、結果として人間は、待ち受ける運命や、現実、天の意、そして創造主による統治を、無意識のうちに自然と受け入れる。こうした日常的な変化から全人生の運命に至るまで、創造主の計画や統治を明示しないものは無い。すなわち、「創造主の権威は超越不可能である」という知らせを伝えないもの、「創造主の権威は至高のものである」という恒久の真理を伝えないものは存在しない。

 人類の運命と万物の運命は、創造主による統治と密接に絡み合い、創造主の指揮と不可分の繋がりがあり、最終的にそれらの運命を神の権威から引き離して翻弄することはできない。人間は、万物の法則により創造主の指揮と統治を理解するようになり、生存の法則により創造主の統治を認識し、万物の運命により創造主がその万物に対する統治と支配を行使する方法に関して結論を得る。また人間は、人間と万物のライフサイクルによって、万物やあらゆる生物に対する創造主の指揮と采配を真に経験し、そうした創造主による統治や采配が、この世の法令や規則、制度その他の権力や威力よりも優先されるのを目の当たりにする。これに鑑みると、創造主による統治は、いかなる被造物も侵害出来ないものであり、いかなる権力も創造主によって予定された物事に干渉したり変更したり出来ないものであることを、人類は認めざるを得ない。人類や万物の何世代にもわたる生活や繁殖は、こうした神性の法則や規則の下で行われる。これは創造主の権威が真に具現化されたものではなかろうか。人間は客観的な法則の中に、あらゆる出来事や万物の創造主による統治と定めを見出すが、創造主による宇宙の統治の原理を把握できる人間は何人いるであろうか。自分自身の創造主による統治と采配を真に知り、認め、受け入れて、それに服従出来る人間は何人いるであろうか。創造主による万物統治という事実を信じて、創造主が人生の運命も支配していることを真に信じ、認めることが出来る者は、誰であろうか。人間の運命は創造主の掌中にあることを真に理解できるのは、誰であろうか。創造主が人類の運命を支配し、管理しているという事実に直面した時、創造主によるその統治に対して人類はどのような態度で向き合うべきかということは、その事実に直面する全ての者が判断すべきことである。