賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

神のご加護ー大きな交通事故の裏の得たもの

2019-08-20 21:41:49 | 癒やしと恵みの証し

突然、私は植物人間になりかけた

   ある日の朝八時ごろ、妻と私は七歳になる孫娘と一緒に出かけ、薪を集めてリヤカーに乗せ、家に持ち帰る手伝いをさせました。厚さ数インチの薪をリヤカーに満載したあと、十時ごろになり、妻と一緒にリヤカーを引いていたところ下り坂にさしかかりました。私たちはゆっくり坂を下るため、リヤカーを押し戻そうとしました。しかし坂道はとても急で、リヤカーの勢いが徐々に増してゆき、猛スピードで坂を下り始めました。妻と私は全力でそれを止めようとしました。リヤカーに孫娘が乗ったままなのを思い出し、不安のあまり心臓が飛び出そうに感じられました。何としてもリヤカーを横転させてはならない!坂道を驀進したまま横転すれば、私たち全員の命はないでしょう。この危機のさなか、私は矢も楯もたまらず心の中で叫びました。「ああ神様!どうか私たちをお救いください……」リヤカーがあまりの猛スピードで坂を下り続けていたので、妻は速く走れずにハンドルを離してしまい、道ばたへ逃れざるを得ませんでした。私はハンドルに挟まれて逃げ出すことができません。そのうち転んでしまい、リヤカーの下敷きになって坂道を引きずられました。そのとき無我夢中で神様を呼び求めました。「神様、私をお救いください!私をお救いください……」妻もリヤカーのすぐあとを追いかけながら叫びました。「神様、夫と孫娘をお救いください……」二十メートルほど引きずられたあと、突然リヤカーは道ばたに積まれた薪にぶつかって横転しました。孫娘は薪の横に投げ出されましたが、そのおかげで幸いにも下を流れる水路に落ちずに済みました。口の横に小さな擦り傷ができて少し出血しただけです。しかし私はリヤカーの下敷きになって引きずられていたので、かなりの勢いで衝突しました。身体が丸まってボールのような格好になり、頭に両脚がついた姿勢です。ものすごい苦痛でした。頭を持ち上げたくても首がまったく動かず、背中も完全に硬直しています。私は耐えがたい痛みに襲われ、動くことすらできませんでした。



   孫娘の無事を確かめようと妻が駆け寄ったところ、孫娘は泣きながらこう言うだけでした。「おばあちゃん、私は大丈夫だからおじいちゃんの様子を見に行って」私はか細い声で言いました。「全身の骨が折れたようだ。本当に気分が悪い。なんとか頭を動かしてくれ」私がまだ話せると知った妻は、私の頭をまっすぐにしながら泣いていました。孫娘も駆け寄ってきて、泣きながら大声で私を呼びましたが、私はそれに反応できないほど痛みに襲われ、すっかり弱っていました。その時は呼吸をするのも困難で、心の中で神様に祈っていました。「ああ神様、私はいま信じられないほどの痛みに襲われ、長くもちそうにありません。どのくらい耐えられるかわからないのです。私は死ぬのでしょうか?」すると次のような神様の御言葉が頭に浮かび、私に信仰と強さを与えてくれました。

   「万物の長である全能神は、玉座から王としての権力を振るう。神は宇宙と万物を支配し、全地で私たちを導いている。私たちは頻繁に神に近づきあなたに最後の息があるかぎり、神はあなたを死なせはしない」

   全宇宙と万物は神様の御手にあるのだから、私の命も神様の手中にあるのではないか?そうして私は神様に頼り、心の中に希望を持つことができました。その後、私は病院に運ばれ、息子と妻もそこに来ました。医師は家族にこう告げました。「怪我は深刻です。肋骨と頸椎と腰椎の二十ヵ所以上が骨折しています。麻痺状態か植物人間になるのは避けられませんし、死に至る可能性もあります。心の準備をなさったほうがいいでしょう」

   その夜、妻は私に医師の言葉を伝えました。私は動揺してこう考えました。「本当に麻痺状態だったなら、あるいは植物人間になるのなら、苦難の人生にすぎないじゃないか。それでも人生に意味があるだろうか」そう考えると泣くより他にありませんでした。その瞬間、私は心の絶望と身体の苦みを感じながら、死んだほうがましだと思いました。苦痛が極限に達していたのです。まさにその時、私は神様に祈りました。「神様、いま私は心底痛みに苦しんでいます。医師の言葉のせいで、ずっと不安で仕方ないのです。神様、このすべてに耐える信仰と勇気を持てるよう、私をお導きください」その夜、苦痛が暗雲のように私を覆い、一睡もできませんでした。やがて深夜を過ぎたころ、神様からの御言葉が頭に浮かび、一つの謎を明らかにしました。

   「宇宙で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。」

   「すべての人間の中で、誰が全能者の目に見守られていないのか。誰が全能者の定めの中で生きていないのか。誰の生と死が自分の選択で訪れているのか。人間は自分の運命を左右できるのか」

   全宇宙と万物はすべて神様の支配下にあり、私たちの命も神様の手中にある。私が麻痺状態もしくは植物人間になるかどうかにかかわらず、あるいは生きるか死ぬかにかかわらず、それはすべて神様によって経営される。神様の御言葉は私に信仰と強さを与え、心の中で寄りかかるものを授けてくださいました。

   病院のベッドで眠っていた私の全身には包帯が巻かれ、腕には点滴の針が刺さっていました。まったく動くことができません。妻はベッドのそばにいて昼も夜も私の世話をし、薬を飲ませたり食事をとらせたりしてくれました。私がつらそうにしているのを見ると、神に祈り、頼るようにさせました。私は来る日も来る日も絶えず祈り続けました。ある日のこと、私はヨブが受けた試練のことを考えました。彼はたくさんの家畜だけでなく自分の子どもまで失ってしまい、全身が腫れ物に覆われました。そして灰の中に座り、素焼きのかけらで腫れ物をかきむしりました。しかし肉体的な打撃と精神的な打撃を同時に受けていた時でも、ヨブは信仰を失ったり神様を拒絶したりはしませんでした。それはかくも見事な証しでした。「ヨブが尊いのは、彼が誘惑に遭い、皮膚が腫物に覆われ、極度の苦しみの下で、言い換えれば、ヨブは自身に降りかかる誘惑がどれほど大きくても、どれほどの苦痛や困難の中にあっても、たとえ死に直面しても、神への信仰を捨てることはなく、神を畏れ悪を避ける生き方をやめることはないのである。そうであるならば、ヨブの心の中の最も大切な位置を占めていたのは神であり、ヨブの心の中にあったのは神のみであったということである」という神様の御言葉が述べている通りです。その後、私はヨブの例にならおうと、心の中で静かに決意しました。将来、自分の健康でどんなことに直面しようと、呼吸できる限り一生神様の御言葉に頼ろう。それ以降、私は毎日欠かさず神様の御前で自らを静め、神様の御言葉を深く考えることに集中しました。自分の状態について神様にいつも祈り、それを神様に委ねました。喜んで神様に寄りかかり、神様の支配と采配に従おうとしたのです。

奇跡によって28日後に退院する

   このすべてを神様に託すと、奇跡が起きました。事故から八日後の午前九時ごろ、何人かの医師と看護師が回診に来て私に尋ねました。「調子はどうですか?」私はこう答えました。「痛みはそれほどひどくないですし、食事もできるようになりました」一同はそれを意外に感じたらしく、医師の一人がこう言いました。「あなたがこれほどまでに回復するとは思いませんでした。以前にもあなたのような患者さんを診たことがありますが、誰一人として回復しなかったんです。でもあなたの状態は徐々に改善しています。まったく信じられません!あなたの現状から判断すると、我々が以前に触れた三つの可能性(麻痺状態、植物人間、死)はどれも起きそうにないですね!」医師の言葉を聞いた私は、思わず泣いてしまいました。感謝、罪の意識、そして喜びを感じ、心から神様に祈りました。「神様、あなたに感謝いたします。私は二十ヵ所を骨折していましたから、あなたの素晴らしい行ないがなければ、医師に言われたことから判断して麻痺状態に陥るか植物人間になっていたはずです。最悪の場合は死んでいたかもしれません。しかし、そのどれも起こりませんでした。あなたのご慈悲がなければ、わたしは生き続けることすらできたでしょうか?心からの感謝と賛美をあなたに捧げます。あなたは人生の二度目のチャンスを与えてくださいました。ああ神様、あなたに感謝し、あなたを讃えます」

   祈りのあと、神様の御言葉が頭に浮かびました。「水が人間をそっくり呑み込むと、わたしは淀んだ水から救い出し、新たに生きる機会を与える。人間が生きる自信を失うと、死の瀬戸際から引き戻し、生きる勇気を与え、わたしを存在の基礎とするようにする。何度、人々はわたしの手を見ただろう。何度、人々はわたしの親切な顔、笑顔を見、人間は、けっしてわたしを知らないのだが、わたしは彼らの欠点につけ込んで無用な厄介事を引き起こしはしない。人間の困難を経験したため、わたしは人間の弱点に同情する」

 

   その神様の御言葉から、神様の本質は愛であると気づきました。私が苦しみ弱っていたとき、神様は私に信仰と勇気を授け、その御手で私を見事に守り、生き続けることを許してくださったのです。リヤカーが横転したときのことを振り返ると、一メートルほどの深さがあったあの水路にリヤカーが突っ込んでいたら、小さな孫娘はどれほどひどい怪我を負っていたでしょう。それに私も命を失っていたはずです。しかしリヤカーは、近所の人が積んであった薪のすぐそばで横転しました。その薪の山があったおかげで、孫娘は水路に放り出されずに済んだのです。それに、私もゴムボールのように弾みながら、長く引きずられずに済みました。さもなければ本当に生き残れなかったでしょう。私たち、私、そして孫娘が死との接触から逃れられたのは神様の愛情に満ちた御手のおかげであり、私は心の中で深く感動しました。また神様に対する途方もない恩義も感じました。その時、自分はそれまで自身の信仰を真剣に考えたことがなく、心の中に神様がいらっしゃればそれで十分だと思っていたことに気づきました。私は集会に出かけることがほとんどありませんでした。働いて金を稼ぐ時間がとられると思ったからです。兄弟姉妹は何度も私に説教を語ってくれ、金銭に重きを置きすぎることなく、テーブルにある食事と身につけている衣服で満足し、信仰と真理の探究に集中すべきだと促してくれました。しかし私は、彼らが言うことに耳を傾けませんでした。自分のやり方で物事を行ない、より多くの金を稼ごうとし続けたのです。ところが、私が深刻な危険にさらされたとき、神様は私の反抗的な振る舞いにふさわしい対処をなさいませんでした。その代わりに私を守り、死の銃弾から身をかわすのをお許しになったのです。神様の私への愛に対して、私は十分な感謝を捧げられそうにありません。そのことはまた、災難に遭遇したとき、金銭が私を救うことは絶対にできず、神様だけが私をお救いになれるということを気づかせてくれました。

   事故から九日後、医師が私の包帯をすべてはがし、身体の痛みも日を追うごとに軽くなっていきました。二十日目の午前九時、十人以上の医師と看護師が診察に来たとき、医師の一人がこう言いました。「ずいぶん元気になりましたね。顔色もずっといいですよ。こんなに早く、ここまで回復できたのはもちろん、これほど深刻な怪我から生還できたのは本当に奇跡です。いつでも退院できますよ。帰宅して回復に努めてください」しかし子どもたちがもっと長く病院にいるべきだと言い張るので、私はさらに八日間入院を続け、二十八日目に退院手続きを行ないました。帰宅して程なく、何名かの兄弟姉妹が私に会いに来ました。彼らは真理についての説教を私に伝え、神様の御言葉をもっと読み、神様と正常な関係を築き、何事においても神様に祈って頼り、自分の信仰を真に実践するよう言いました。兄弟姉妹による説教を通じて神様の愛と憐れみをよりよく理解できたことについて、神様の愛に感謝を捧げました。それ以降、私は自宅で快方に向かうとともに、集会にも出席するようになりました。正常な教会の生活を送り始めたのです。

ある日、私は神様の御言葉を読みました。

   「神が精神的な支えであると考えている人々が居るが、こうした人々は大部分を占めている。」「もし人々がこうした信仰を続けたとしたら、こうした人々にはどのような結末が待ち受けているであろうか。こうした人々は、このような形態の信仰によって神の要求を少しでも満たすことが出来るだろうか。それとは反対に、そうした人々は概念や想像が原因となって、神の道から遠ざかってゆくだけであろう。なぜなら、そうした人々の方向性は神が求める方向性とは正反対のものだからである。……神への信仰から利益を得ることができるのは、食糧や衣服などよりも、なによりも大切なものとして神の信仰に取り組んだ場合のみであろう」

   神様によるそれらの御言葉が明らかにしたことは、私に恥と罪の感覚を残しました。神様の御言葉の中で暴露された人間とまったく同類だったのです。私は神様に対する信仰を、自分自身の精神的な必要性を満足させるものとして扱い、助けが必要なときには神様を探し求めるものの、必要ないときには神様を脇にのけるだけで、今まさに呼吸している空気と同じように神様の存在を当然だと考えていました。そのような信仰の見方は実際の神様への信仰ではなく、漠然とした神様への信仰です。そのような信仰を抱いていれば、最後に真理は得られなかったでしょう。この経験は、私が何年もの間抱えていた誤った信仰の見方をすっかり変えました。神様への信仰を、自分に精神的な支えを与えるものとして捉えることも、金銭に縛られることもなくなりました。私は喜んで神様のご命令に従い、自分の信仰を人生を前進させる上で最も重要なものとして扱うようになり、神様の御言葉を読み、信仰を実践し、真理を探し求めることにより多くの時間を費やしました。テーブルに食事があり、衣服を身につけている限り、私は満足です。現在、私は歩き回れるようになり、私を見た隣人は口を揃えてこのように言います。「あれだけひどい怪我をしたのに、回復するとは思わなかった。天にいらっしゃる神様があなたを救ってくださったんだ!」また、あなたはとても幸運だったと言う人もいますが、私を守り、生きることを許してくださったのは神様だと、私は心の中で知っています。私が今日ここにいるのは、それが唯一の理由です。