賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

真のキリストと偽キリストの見極め方

2019-05-26 02:47:17 | 真のキリストと偽キリスト

   信仰ステーションの兄弟姉妹たちの皆さんへ、

   こんにちは!

   私の名前はリ・リと言います。私は家庭教会を管理している指導者です。私たちはある者が主イエス様は既に再臨されていると説いているのを耳にしました、しかし聖書では主イエス様は、「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」 (マタイによる福音書24:23-24)、と仰っておられます。これらの御言葉から、主が再臨なさる時にはありとあらゆる偽キリストと偽予言者が信者たちを欺くために現れることが理解できます。それ故に、私たちは偽キリストに騙されるのが怖くて、探求や調査することができません。しかし、私たちは主が、「しかり、わたしはすぐに来る」(ヨハネの黙示録22:20)、と仰ったことを考えると、主がお越しになる時に主をお迎えする機会を逃してしまのではないかと懸念しています。私たちはとても心配しています。兄弟姉妹のみなさん、私たちはどのように実践すればいいのか分からないです。それと、どうか私たちと真のキリストと偽キリストの見極め方について交流してください。

リ・リより

2018年10月2日


   リ・リ姉妹へ、

   こんにちは!あなたは教会の指導者として兄弟姉妹たちのいのちの責任を担っています。あなたが交流を求めているのは真理を切望し、神の御旨を大切にしているということです。今は終わりの日の末期、主イエス様が再臨なさる非常に重要な時です。この時期に必ず多くの偽キリストが現れて人間を騙すでしょう。あなたが彼らに騙されてしまい、主に引き上げていただく機会を逃すことを懸念するのは理解できます。ご質問について、一緒に真理を探求して交流しましょう。

キリスト,偽キリスト,見極め方

   主イエス様が私たちの場所の準備ができたら私たちを受け入れるためにお戻りになると、かつて約束されたことは誰もが知っています。最近、終わりの日が到来しました。偽キリストに騙されることを恐れ、自らを守るばかりで探求し調査することを拒んでいたのでは、主をお迎えすることなどできるはずがありません。主イエス様はかつて私たちにこう仰りました:「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書25:6)。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書10:27)。ヨハネの黙示録では、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録2:7)、ということが何度も強調されています。私たちは、これらの御言葉を通じ、主はお戻りになる時もその御声を発せられると理解しています。主の御声を聞いて、それが主であると気が付く者たちのみが主をお迎えすることができ、そのような人間は賢い乙女であり、主の羊であります。主がお戻りになったのを誰かが目撃しても、それを調査することも、主の御声を聞くこともなければ、主をお迎えすることなどできるわけがありません。

   主の再臨の予言を調査する時、多くのクリスチャンは自らを偽キリストや偽予言者たちから守ることを重要視しますが、花婿の来臨をお迎えすることや、花婿の御声を聞くことにもっと注意を払うということはしていません。これは何が問題なのでしょう?これは喉を詰まらせることを恐れて食事をせず、得ることよりも多くを失うことになるという振る舞いではないでしょうか?実際、私たち人間は偽キリストや偽予言者から自らをどれだけ守ろうとしても、主の再臨をお迎えして神の御座の前に引き上げていただくことができなければ、愚かな乙女となり、神に排除され、見捨てられてしまうでしょう。そうしたら、私たちの神への信仰は完全な失敗に帰してしまわないでしょうか?

   主の再臨をお迎えして、偽キリストと偽予言者から騙されることを避けたいのであれば、私たちは偽キリストがどのように人間を騙すのかを明確に理解しておく必要があります。実は、主イエス様は既に私たちに偽キリストと偽予言者の行いについて話してくださっておられます。主イエス様はこう仰りました:「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マタイによる福音書24:24)。主イエス様の御言葉から、偽キリストと偽予言者は主として大きなしるしと不思議な業を表して神の選ばれし人々を欺き、それは彼らが主として発現させることであることが分かります。この点について、私たちは偽キリストが人間を騙すためにしるしと不思議な業を見せるのは、彼らは何の真理も持っていないからであることを理解しておく必要があります。彼らは本性的かつ本質的に極めて邪悪な霊なのです。そして、彼らは人間を救い清める働きも、私たちに歩むべき道を示すことも、私たちにいのちを備えることも全くできないので、人間を騙すためにはしるしと不思議な業を見せることに頼るしかないのです。彼らは真理を持っていたら、人間を騙すためにしるしと不思議な業を使うことは絶対にないでしょう。従って、偽キリストと偽予言者がしるしと不思議な業を見せるということは、彼らが策に尽きていることを明示しているのです。私たちはこの点を見抜く必要があります。これができないと、私たちはより簡単に騙されてしまいます。

   私はある霊的書籍の中で次の2節の御言葉を目にしました:「この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪魔を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。… 人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならないのだが、今の神はまったくの別物である。もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。」「神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。」

   姉妹、これらの御言葉から、神の働きは常に新しく、決して古くないことが分かります。神は同じ働きはなさりません。主イエス様が働きに来られた時も、主は恵みの時代を開始され、律法の時代を終了され、贖いの段階の働きをなされました。主は病人を治され、悪霊を追い払われ、多くのしるしと不思議な業をなされ、人間に豊富な恵みをお与えくださりました。最後に主は十字架に磔にされて人間の罪を贖ってくださったのです。主イエス様の人間を贖う働きは既に成就しているので、神はもうその働きはなさりません。偽キリストたちはどうでしょう?彼らは皆、キリストを装う邪悪な霊で、新たな時代を迎え入れ、古い時代を終える働きは全くできません。彼らは混乱して識別力を持たない人間を騙すために単純なしるしと不思議な業を見せて主イエス様の真似をすることしかできず、主イエス様がなされた奇跡をまねて起こすことなどできません、そして例えば、主イエス様のように死者を蘇らせたり、5つのパンと2匹の魚だけで5000人を食べさせたり、風と海を叱るといったことは間違ってもできないのです。こういったことより、私たちは主イエス様がかつて、「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マタイによる福音書24:24)、と言って私たちに警告なさった理由が分かります。主は私たちが、しるしと不思議な業を見せて主イエス様を装う邪悪な霊から自分たちを守れるようにしてくださっています。彼らは偽キリストであり、私たちが識別して拒むべき者たちです。これこそが、これらの御言葉における主の御旨であります。しかし、私たちは主の御心を理解せず、主の御言葉を誤解し、神の再臨を証言する者たちを誤っていると非難すらしました。これは極めて不合理なことでないでしょうか?私たちは神の善良な御旨に逆らっているのではないでしょうか?私たちにはこのような途方もないことができてしまい、それは私たちが偽キリストを識別できないことだけでなく、真キリストを知る方法を理解してもいないことを示しているのです。

   他にもこの御言葉の節があります:「神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、神が人の間で業を行い完成させるため神が宿った特有の肉体である。この肉体は、誰でも代われるものではなく、地上における神の業を適切に引き受け、神の性質を表し、神を十分に象徴し、人にいのちを与えるものである。遅かれ早かれ、キリストを騙る者はみな倒れる。彼らはキリストと自称しながら、キリストの本質は全く持っていないからだ。だから、キリストの真偽は人が定めることのできるものではなく、神自身が答え定めるものだとわたしは言うのだ。」姉妹、キリスト様は肉となられた神であり、神の魂が顕現した肉であり、すなわち、それは神が有するものと神そのもの、神の性質と神の知恵全てが肉に顕現しているということなのです。キリスト様は神性な本質をお持ちで、真理そのものであります。キリスト様は何時、何処でも真理を表して人間に供給し、人間を導くことがおできになります。キリスト様のみが人間を贖い救う働きがおできになり、それは誰も真似ることはできないのです。これは正に誰も否定できない事実なのです。対照的に、偽キリストは誰もが邪悪な霊に取りつかれており、その全員が極めて傲慢で不条理です。彼らは邪悪な霊であり、悪魔であるため、どのようにしてしるしや不思議な業を見せ、聖書の内容を歪曲したり、深遠な知識や教義を口にしても、彼らのやっていることは、人間を欺き、傷つけ、没落させ、人間に何らかの霊的成長を具えることもなく、ただ単に人間が絶えず暗闇に陥り、歩む道を持てずに最終的にはサタンに破滅させられるようにするだけなのです。偽キリストと偽予言者はその全員が神の働きを邪魔して妨害するサタンと邪悪な悪魔の化身であることは明らかです。これ故に、どれだけの人々を騙し、傷つけ、没落させても、彼らは何の真理も持たないのですぐに滅び、消えていくでしょう。姉妹、私たちは真キリストと偽キリストの見分け方に関する真理を本当に理解しているのなら、絶対に、偽キリストに騙されるのが怖いからといって、神の御声を聞くことや、神の顕現をお迎えすることを拒否してはいけないのです。

   リ・リ姉妹、真キリストを偽キリストから見分ける方法ですが、あなたはその知識を少しお持ちかもしれません。キリスト様のみが真理、道、そしていのちであります。新な時代を迎え入れ、古い時代の幕を閉じ、人間を清め救うために真理を表し、人間にいのちを与えることができるのはキリスト様であります。真理を表すことができず、人間を騙すために単純なしるしと不思議な業を見せることしかできない者は間違いなく偽キリスト、欺瞞者なのです。これが真キリストと偽キリストを見極めるための基本原則です。真の道を求め、調査する者は全員がこの原則に従って神の御声を求め、それを確認するべきです。これが間違いであることは絶対にあり得ません。真理のこの側面を理解できれば、私たちは偽キリストと偽予言者に騙されることを心配しないでしょう。


クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

2019-05-25 20:11:56 | 真のキリストと偽キリスト

   【編集者メモ】主は終わりの日に偽キリストが現れて人々を騙すと仰いました。ならば、どのようにして真キリストと偽キリストを見極めればよいのでしょうか?このエッセイの著者であるリー・シンは以前そう質問されました。しかし、以下の交流の後、彼女の心の困惑はついに解消されたのです。

   2017年6月8日、木曜日、曇り

   今日の集会の最中、牧師はこう言いました。「終わりの日が到来しました。主の再臨の預言は基本的に成就しています。4つのブラッドムーンもその姿を現しました。大災害もすぐそこまで迫ってきています。私たちは主が来られるのを注意深く待つ必要があります。主イエスはこう仰いました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24章23-24節)終わりの日には、偽キリストと偽預言者が間違いなく私たちを惑わしにやってきます。なので、主イエスが再臨なされたと誰かが宣教する場合、偽キリストに惑わされて、主に捨てられても、不注意に調査してはなりません」。

クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

   ここ数年の間、牧師たちはいつも私たちにこう言っています。「偽キリストが人々を惑わすために現われます、なので、主イエスの再臨を証言する人がいれば、それを聞いても、信じてもなりません。」 そして、私はその言葉に従ってきました。しかし、集会が終わった時、ある年配の姉妹が私にこう言ったのです。「牧師は主の再臨の知らせを広める人がいたら、それを調査しても、信じてもならないっていつも私たちに言うけど、主イエスはっきりとこう仰っているわ。『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。』(マタイによる福音書25章6節) 主の再臨を宣教する人がいてもそれを調査しないということにこだわっていて、万が一主が本当にお戻りになることがあったら、私たちは主に会う機会を逃して、主に見捨てられてしまうのでないかしら?」

   私は彼女の言葉に考えさせられました。「そうだわ、私は今までずっと偽キリストが現れて人々を惑わすと信じていたわ。でもその結果、偽キリストを警戒することにしか注目していなかったのよ。積極的に神の顕現を求める方法については一度も考えたことがなかったわ。誰かが、『さあ、花婿だ』、と言っても、神の働きを求めないで調査もしなかったら、私は主に会う機会を逃してしまうわ。そうしたら、後悔しても手遅れになるわ。真キリストを知ろうとせず、偽キリストを警戒してばかりいたら、主には会えないし、まして神の御前に携挙されることなんて多分あり得ないわ。そんなの嫌よ、このままただじっと座って死ぬのを待っていたらいけないわ。自分から探求する必要があるけど、先ず最初は真キリストと偽キリストを見極めることに関する真理を理解する必要があるわ。こうしてのみ、偽キリストから自分を守って、真キリストに会うことができるのよ。主はかつて、『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。』(マタイによる福音書7章7節)、といって私たちに約束してくださったわ。だから、心から探求してさえいたら、主は必ず私を導いて理解できるようにしてくださるはずだわ」。

   2017年6月13日、火曜日、曇り

   最近、私は一日中困惑しています。時に、主が夢の中に現われてそれを解決してくださると期待することすらありました。いいえ、私はただ待っているわけにはいきませんでした。牧師の意見を聞きに行く必要があったのです。外はどんよりと曇った状態で、雨が降りそうでしたが、それを気にしている場合ではありませんでした。私は急いで朝食を済ませた後、レインコートを掴み、電動スクーターに乗って牧師の家に向かいました。

   私はリー牧師の家に行き、それからワン牧師の家に行きました。彼らは私の困惑について「主イエスが受肉して再臨されたと宣教する者がいても、それは間違いなく虚偽です。惑わされないように、それを信じることは拒否しなければなりません」とだけ言いました。しかし、彼らは偽キリストの特徴と見た目に関しては、何もはっきりとした説明ができませんでした。私は彼らの返答にとてもがっかりし、困惑が解消されないままそこを後にしました。電源が切れた電動スクーターを雨の中で押しながら、私はまるでずぶ濡れになった猫のようでした。私は体と心の両方で寒気がしました。私は意気消沈してしまいました。

   夜になると、空に星はなく、月は分厚い雲の後ろに姿を隠し、空気中にはまだ蒸し暑さがありました。私は聖書を手に取り、主の御前で跪いて祈りを捧げました。「主よ!私は常にあなたの再臨を心待ちにしてきました。しかし、牧師と長老たちは見知らぬ人の言うことを聞いてはならないと私たち言います。それは惑わされるのを避けるためだと、彼らは言うのです。私には見極める力がありません、なのであなたの再臨を証言する福音には耳を傾けず、信じないようにしています。しかし、今あなたが再臨されるという預言はほぼ完全に成就しています。私はあなたの再臨をさらにお迎えしたくなりました。主よ、偽キリストに惑わされないためには、どうやって真キリストと偽キリストを見極めればよいのでしょうか?主よ、どうか私をお導きください。アーメン!」

   2017年8月16日、水曜日、晴れ

   外は太陽が出て晴れ渡り、鳥たちはまるで良い知らせを広めているかのように、鳴きながらお互いをお追いかけ合っていました。さらに、主の信者であるリー姉妹が私に会いたがっていたので、私は気分が上々でした。彼女は、長年に渡って主のために働き宣教をしてきた姉妹が今日偶然彼女を尋ねてきているので、その姉妹とこの困惑について相談すればよいと言ってくれたのです。その姉妹と会った後、私は彼女の優しさを感じ、軽く挨拶をした後、単刀直入に自分の困惑を彼女に伝えました。

   私の話しを聞き終えたチェン姉妹は笑顔でこう言いました。「実は、主イエスは真キリストと偽キリストの見極め方についてかなり前から語っておられます。主はこう仰いました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24章23-24節) この御言葉から、偽キリストの持つ最も顕著な特徴は、人々を惑わすためにしるしと奇跡を行うということであることが分かります。彼らは神ではないし、真理を持ってもいないため、新たな時代を始め完結させるという働きはできません。彼らは神の働きの後ろに付き、神が以前行われた働きを真似て人々を騙すことしかできません。例えば、中国本土で言えばジー・サンバオとフア・シュエハ、韓国で言えばアン・シャンドンがそうです。彼らは全員しるしと奇跡を行うことができ、自分たちが神だと言い張ります。しかし、彼らは新しい働きをもたらすことができなかった上に、彼らが行ったしるしも神が既に以前の働きの中で行われているものでした。彼らは偽キリストです。しかし、神は決して同じ働きを繰り返されませんし、神は常に新しく、決して古くありません。律法の時代に人々を導くためにモーセを使って律法を発布された時も、恵みの時代に人間の罪を贖うために人の子となられ、十字架に磔にされた時も、神の各段階の働きは神の経営計画および人間が必要とするものに合わせてなされました。なので、終わりの日には、奇跡的なしるしと業を行うことできる人々を警戒しなくてはなりません。奇跡を起こして自らをキリストと名乗る者たちは偽キリスト以外の何者でもありません」。

   私は興奮してこう言いました。「主に感謝します。主はかなり前から偽キリストの特徴について語っておられたのです。どうして私はこんなに混乱していたのでしょう?これで私は 『偽キリストとは神が以前なされた働きを真似て、終わりの日に人々を惑わすために奇跡を起こす者たちのことである』 ということが分かりました。」 同時に私は突然こう考えました。「もし私の前に現われる人が自らをキリストだと宣言しても、不思議な業を起こさないとしたら、その人が真キリストだってことなの?偽キリストがその才能を見せなかったり、奇跡を行わないとしたら、どうやって彼らを見極めればいいのかしら?」こう考えると、私は思わず心配になって彼女にこう聞きました。「チェン姉妹、偽キリストはしるしと奇跡を行って、自らをキリストと名乗るとあなたは言われました。なので、彼らを見極めることが容易なのは分かりました。でも、自らをキリストと名乗るけれども、奇跡的な業を見せない人がいたとしたら、その人が真キリストということなんでしょうか?」

   チェン姉妹は笑顔で言いました。「姉妹、それはとても重要な質問ですね。なぜなら、偽キリストが奇跡を見せないとしたら、私たちが肉眼で彼らを認識するのは不可能だからです。しかし、この点については、主の御言葉が既に私たちに正しい道を示してくださっています。主イエスはこう仰いました。 『わたしは道であり、真理であり、命である。』(ヨハネによる福音書14章6節) キリストは神の御霊の権化であられます。キリストは神の顕現でもあられます。キリストのみが、私たちに真理、道、そしていのちを与えることがおできになります。キリストのみが、神が有するものと神そのものを表すことがおできになります。キリストは神の御知恵を持っておられ、神の性質を表すことがおできになります。キリストの御言葉には権威と力があり、キリストが仰ることは私たちに神のことをもっと知らせてくださいます。例えば、主イエスは外見上はごく一般的で普通の肉であられますが、その本質はキリストなのです。主の御言葉には権威と力があり、一旦仰せられると、それは達成されるのです。主イエスはこう仰いました。 「ラザロよ、出てきなさい」(ヨハネによる福音書11章43節)そして、ラザロは死から蘇り、墓から出て行ったのです。主イエスが風と海をお叱りになった時、海はいつものように穏やかになりました。さらに、受肉された主イエスは新しい時代を始めて、贖いの段階の働きをされました。主の御言葉は私たちに新たな実践の道をもたらしてくださいます。主の御言葉で生き、主の教えに従っている限り、私たちの心は安定し、穏やかになり、喜びを感じるでしょう。

   対照的に、偽キリストたちは悪霊に取り付かれており、彼らの本質は悪霊なのです。彼らは真理を持っておらず、彼らの言葉は嘘、でたらめ、虚偽で満ちており、善悪がごちゃ混ぜになっています。偽キリストは聖書の文脈を無視してそれを誤解する、または人々に祝福と約束の言葉を与えて、主イエスをかたって人々を惑わすことしかできないのです。いのちに入ることにおいて、彼らが人々のためになることは決してありません。彼らは新しい道をもたらすことはできませんし、新しい時代を開くことはなおさらできません。偽キリストたちによる聖書の解釈と神の時がいつ到来するかに関するおかしな考えは全て嘘とでたらめであり、成就したものは何1つもありません。これに加え、彼らの宣べ伝えるメッセージは人々が実際に神を知り、神に従えるようにすることができなければ、人々の霊的いのちを成長させるという実際的な結果を生むこともできませんし、まして私たちに新たな実践の道を示すことなどはもちろんできません。むしろ、彼らは人々を混乱に陥れることしかできないのです」。

クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

   チェン姉妹の言葉を聞いた私は突然の啓示を受けました。私は喜びながらこう言いました。「偽キリストの語る言葉は実に人々を惑わすことしかできないのです。彼らは人々に新たな道をもたらすことはできません。それはなぜなら偽キリストは創造物であり、真理を持っていないからです。キリストは神の御霊の権化であり、神そのものであるため、神の御言葉のみが真理であり、権威を持ち、人々に道を指し示すことができるのです。これは、主イエスが来られた時に律法の働きを完結させ、全人類の罪を贖うという新たな働きをお持ちになったと同じようです。主は私たちに真理、道、そしていのち、ならびに将来の新たな方向性をお与えくださいました。これこそが、真キリストと偽キリストを見極める方法なのです。」私がこう言い終えた後、リー姉妹は嬉しそうにうなずいて賛成の意を示してくれました。

   夜も更けてきたので、私たちは翌日に続けて交流する約束をしました。

   2017年8月17日、木曜日、晴れ

   昨日の会話のおかげで、私は突然光が見えました。最近続いていた心のもつれも解けました。そして、私はやっと真キリストと偽キリストの見分け方を知ったのです。しかし、チェン姉妹と合流した後、彼女はこう言ったのです。「真キリストと偽キリストを見極めるためには、神の性質に従って彼らを識別するという他の方法もあります。」 これは私の期待を超えるもので、とても新鮮でした。私は期待に胸を膨らませながら彼女の交流に聞き入りました。
   

   チェン姉妹はこう話しました。「偽キリストは本質的には悪霊であり、極めて傲慢かつ不合理です。偽キリストたちは自らをキリストとして、そして神として讃えます。それに、彼らは神からつかわされて来た、神の子である、さらに自分たちの内には神の御霊が宿っているとまで言います。彼らは自己顕示して自らを称賛するために、新たな働きをすると豪語します。しかしながら、彼らは神の御言葉を真似ることしかできません。彼らは神の本質を持ってはいません。なので、彼らは自らをキリストと呼びますが、神の働きをすることはできないのです。彼らは人から尊敬されることだけを目的に働き、私たちに新たな実践の道を指し示すことはできないのです。

   キリストは受肉された神です。これは神御自身の御言葉ではありませんが、聖霊によって証言されていることです。それは聖書にこう書かれています、『イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。』(マタイによる福音書3章16-17節) 聖霊は自ら主イエスの証言をされ、それによって聖霊に証言されるキリストのみが真キリストであることが分かります。さらに、神は本質的に謙虚で、隠れた神であり、決して自己顕示されません。これは主イエスと同じです。主は神御自身でありますが、普通の人間の格好で私たちに備えるために謙そんして人間の中に隠れ、真理を語っておられます。主は世界中の全ての苦しみを体験され、そして様々な人間からの中傷、侮辱、隔離に耐えられました。しかし、主はそれでも何の文句も言わずに人間を寛容し、我慢してくださいます。主イエスキリストの来臨は旧約聖書、すなわち、律法の時代を完結され、恵みの時代を開かれました。主は私たちに将来の方向性を与えてくださいましたが、決して自らを誇ったり、頑固であったり、まして威張るようなことはされませんでした。これは神の尊く聖なる本質、そして主は愛の権化であることを明らかにしています。最終的に、主は自らの聖なる肉を十字架に捧げ、全人類の罪を贖う働きを全うされたのです」。

   私は喜びを込めてこう言いました。「その通りです。本質的に、偽キリストは悪霊であり、彼らの本性は傲慢です。彼らは自己顕示し、自らを称賛し、横柄な態度を取ります。彼らは自らを神、そしてキリストとして讃えます。しかし、彼らは真理を持っていませんし、救いの働きもできません。真キリストは神御自身の御霊を象徴しておられ、権威と力をお持ちです。真キリストは新たな時代を開き、古い時代を完結させ、新たな働きをもたらすことがおできになります。真キリストは謙遜し、隠れながら、そして静かに働きをされます。真キリストは決して自己顕示したり、自らを称賛されません。真キリストは聖なる、尊い御方です」。

   チェン姉妹は頷きながら続けてこう言いました。「主イエスは働きをしに来られた時、パリサイ人とローマ政府の同盟勢力から抵抗と迫害を受けましたが、主の福音はそれでも地上の隅々まで広まりました。偽キリストは創造物にすぎません。これ故に、彼らが自らをどのように見せて、どのように奇跡を行っても、しばらくの間は人々を惑わすことができても、その偽り行為は長続きましません。彼らはすぐに拒絶され、完全に消え去り、死に絶えていきます。これは議論の余地がない事実なのです」。

   これ以外にも、チェン姉妹はこう言いました。「実は、主イエスが偽キリストに対する注意を私たちに促してくださるのは、私たちが惑わされないようにするために、用心して神の御言葉を覚えておくようにと、私たちに伝えるためなのです。主は、誰かが主イエスの再臨を説くのを私たちが耳にする時、私たちがむやみにただ死ぬのを待つということを意図されているわけではありません。探求も調査もしないというのは、私たちの愚かさ露わにしているのではないでしょうか?主イエスはこう仰いました。『たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。』(ヨハネによる福音書12章47-48節) 『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』(ヨハネの黙示録2章7節) 『わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。』(ヨハネによる福音書10章27節) 主の御言葉は、神が終わりの日にもう一度来臨され、その御言葉を仰せられ、真理を表してくださることを私たちに明白に語っておられます。探求も調査もせず、ただむやみに待っているだけでは、主の御声を聞いたり、主の再臨をお迎えできるはずはありません」。

   彼女の言葉を聞いて、私は 「そうだわ、私は今まで意地を張って主の再臨の証立てをする知らせに耳を傾けることを拒否してきたわ。私は本当に間違っているみたいだわ。聖霊が諸教会に語りかけられているのに、それを無視していたら、私は主の再臨をお迎えする機会を逃してしまうのではないかしら。神の羊たちは神の御声を聞くのよ。私はこれ以上ここで何もしないで待っているわけにはいかないわ。私は心を開いて、聖霊が諸教会に語る御言葉を誰が証言しているのかに注目しないといけないわ。そして私自らが神の御声を聞くことに注意しないといけないのよ」と反省せずにはいられなくなりました。


お茶とは沸騰させた水よりもわずかに苦いものにすぎないのでしょうか?

2019-05-24 08:32:44 | 人生の奧義

   私は茶店の見習いです。私は茶道を学ぶ前、お茶は沸騰させた水や他のドリンクと比べて少しにがいだけのものに過ぎないと思っていました。しかし、私は茶店で働き始めると、お茶には沢山学ぶことがあり、思っていたほど単純ではないことを知りました。

   例えば、紅茶、緑茶、黒茶、白茶、黄茶、ウーロン茶、菊花茶、そしてプーアル茶等があります。このそれぞれに独自の特別な味と効能があります。これ故に、人間は長い間お茶を飲んでいると、健康に良い異なる効果が得られます。黒茶は本質的に温かいものなので、体を温めたり、お腹の状態を整えてくれますので、冬に飲むのが適しており、お年寄りや冷え性の方に最も効果的です。緑茶は本質的に冷たく、涼しいものです。炎症を抑えることができ、リフレッシュするのに効果を発揮します。これ故、それを飲むのは夏が最適な時期です。ウーロン茶は本質的に温かく、体を温めたりお腹の調子を整える効果があるので、大抵の人が飲むのに適しています。さらに、このお茶は香りが豊かで、呑んだ後も口の中に香りが残るのでいつまでも後味が続きます。プーアル茶は黒茶の一種です。脂っこい物を食べた後は、これを飲んでお腹の中をきれいにすることができ、脂質を分解してくれるのでダイエットに効果的な特性があります。しかし、このお茶は、生茶および熟茶、といった2種類に分かれます。生茶は発酵されていないので、脂質を効果的に分解することができます。しかし、飲み過ぎるとお腹が痛くなることがあります。それに加え、味は熟茶より劣ります。従って、大抵の人は本質的に温かくてお腹の調子を整えてくれる熟茶を選んで飲まれます。

神の権威,神の主宰,創造

   私が先生の下で茶道を学び始めた時、彼女はこう仰りました:「山の湧き水は都市の汚染からかなり離れています。それは最も自然な水であり、普通の湧き水の中でも最高のものであるから、それに浸したお茶は自然と普通の湧き水に浸したものよりも美味しいのです。私たちは精製水を使ってお茶を浸しますが、山の湧き水の甘い味は出ないんです。」これを聞いた後、私はお茶を飲むことについて学ぶことが沢山あることを知りました。私の先生は私に笑顔を見せてこう言いました、「ほら、私の健康状態はどう?」健康でみなぎっている彼女を見た私は、「とても健康的です」と答えました。そして彼女は言いました、「私は以前仕事で忙しくて、お腹の調子が悪かったのよ。しかも、私生活におけるプレッシャーもあってよく不眠症になっていたの。でも、静かにお茶を味わったら、不安だった心が次第に落ち着いていったのよ。しかも、夏には緑茶を飲んで熱を解消して炎症を抑え、冬には黒茶を飲んで寒さ対策をしてお腹を温めるといった感じで季節に合わせてお茶を定期的に飲むようになったら、次第に健康を取り戻すことができたの。でも覚えておいて、お茶は夜には飲まない方がいいのよ。どうしてかって言うと、夜は私たちが寝る時間だし、お茶は頭をすっきりさせてしまうから、お茶を飲むのは逆効果なの。」この言葉を聞いて、私はお茶の葉の小片の効能と価値は本当にそれぞれの期待に応えていることを知りました。

   後に、私は友人と知り合いました。彼女はよく私たちの茶店にお茶を飲みに来ました。最初、彼女は血色が悪く、不眠症と便秘に困っていました。彼女は自分が飲むに適したお茶を選び、それをしばらく飲んだ後、血色がどんどん良くなり、彼女の容態も大幅に改善しました。その後、私もお茶を飲んでみたくなりました。私は冷え性で、指とつま先が冷たかったので、黒茶を飲むことにしました。それは私の予想以上で、しばらく経った後、私の体は以前ほど冷たくなくなり、手と足もそれほど冷たくなくなったのです。一時の間、私は頻繁に夜更かしをしていたので、道を歩いていると視界が全てぼやけてしまうことがありました。私はその時、菊花茶が視力を改善できると聞いたのでそれを飲み続けて、少しずつ就寝時間を調整しました。しばらくした後、私の視界はそれほどぼやけなくなりました。私は自らお茶の素晴らしい効能を体験したのでした。私はこういった種のお茶は薬の代わりにはならないものの、軽度の病気や慢性疾患なら適切なお茶を飲めば予防したり、治すことができると感じました。これは本当に素晴らしいことです!感嘆の吐息をもらした後、私はお茶の効能はどこから来ているのかを知りたくなりました。

   その後、私はこの御言葉を目にしました:「さらに、動物であるか植物であるか草であるかを問わず、万物の中には、神が造った、人体の負傷や疾病を癒やすために必要とされる植物もある。…血行を促進して血行不良を改善する植物、痛みを緩和する植物、止血する植物、麻酔効果のある植物、正常な皮膚の回復を促進する植物、鬱血を解消する植物、解毒する植物などもある。要するに、これら全ての植物を日常生活で使用できる。これらの植物は人間にとって利便性があり、人体に必要な場合のために神が用意したものである。神により人間が偶然発見できるようにされた植物もあれば、特殊な現象により発見された植物もあり、神が用意した特定の人間により発見された植物もある。そうした発見の後、人間はそれを伝えて多くの人々がそのことを知るようになる。このように、神によるこうした植物の創造には、価値と意義がある。…神は隠れて業を行った。この世界に人間が現れる前、神が人類と接する前に、神は既にこれら全てを造り終えていた。神が行った業は、全て人間と、人間の生存のためのものであり、また人間の存在のために配慮されたものであるので、人類は、神が人類のために造った、このような豊富で潤沢な物質世界で生活することができ、食料や衣料に懸念すること無く、不自由無く幸せに生活することができる。」

   全ては神に創造され、制御されていることが分かりました。神は人間を創造なさる前に、既に私たちが必要とするもの全てを用意されていたのです。神は私たちが実生活において病気に罹ることをご存知であられたので、各植物に異なる効能をお与えになり、それぞれが異なる用途および価値を持つようにされました。そうすることで、私たちの病気は様々な薬草で治療することができるのです。例えば、人によっては痰を治して咳を和らげることができたり、人によってはお腹を温めて下痢を緩和することができたり、また他の人は熱を下げて毒素を取り除くことができたり、さらにまた他の人は食物の停滞を解消して脂質を分解することができます。それらの有する効能が何であれ、私たち人間が最大の受益者なのです。これは、神の創造された植物は、大きなものであれ、小さなものあれ、それぞれが独自の価値と存在の意味を有していることを意味しています。

   実際に、植物の中に神の全能さと御知恵が込められているだけでなく、空気、光、適切な温度など私たちが存続するための環境は神によって適切な形で用意されており、私たちが好ましい環境で暮らせるようになっているのです。さらに、神が各季節に備えてくださる様々な食物や果物はやがて私たちが必要な様々な栄養素を提供してくれます。これより、私たちに対する神の愛は包括的であることが分かります:私たちの生活環境から日常の食べ物まで、神は私たちに豊富にお与えくださっています。これを受けて、私は本当に神の善良な御旨と奇跡的な創造を讃えます。私たちの回りにある木、花、魚、虫、そして鳥を注意して観測してみれば、創造主は全てのものを養っておられ、絶えず私たちに備えてくださっておられることが容易に分かります。神様、有難うございます!全ての栄光、神にあれ!

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噂や嘘を見抜いた後は光が見つかるでしょう(II)

2019-05-23 10:07:11 | 霊的戦い

   そして、姉妹は続けてこう交流しました、「真の道と偽の道を見極めるために、私たちはその道が人間を導いて、普通の人間性をもっと貫き、神に関する知識をもっと得られるようにしてくれるかどうかを見分けるべきなのです。兄弟姉妹たちは中国で福音の伝導活動を行う際、中国共産党からの迫害を受けますが、彼らは神の御導きの下で困難や危険を恐れず、逮捕される危険にさらせれながらも神と協力し続けるのです。時に、彼らは福音を説く最中に相手から見捨てられ、侮辱されることもありますが、その人が心から神を信じている限り、彼らは愛と辛抱強さを土台にその人との交流を続けます。彼らがこれほどの信念、忍耐、そして愛を持っているのは神の御言葉による御導きのおかげであり、それはまた神の働きによって成し遂げられてもいるのです。」

   私はこの言葉に心を打たれました。私は自分の前にいる兄弟姉妹を見てこう思いました:「彼らはそれぞれ正直で、率直で、他人と誠実に接しているし、彼らの言葉も正直だわ。さらに、彼らは交流の中で神を讃え、神の証言もしている。彼らはインターネット上の噂の内容からかけ離れているわ。」その時、私は、調査をしてちゃんとした答えを出す前にインターネット上の噂を全て信じ込み、又しても神の働きを拒否していた自分が本当に無知だったと感じました。しかし、神は私を見捨てず、依然として私に対して慈悲を持ってくださったのです。この姉妹は真の道と偽の道を見分ける原則に関してとても明確に話してくれたので、私はその見分け方を知りました。神に感謝いたします!

噂や嘘を見抜く,光が見つかる,真の道と偽の道

   その後、姉妹は、「山東省招遠事件の裏に隠された真実の暴露」と「真実を明かす:邪悪な中国共産党による見せしめ裁判の実態」と題した映画を見せてくれました。中国共産党が全能神教会の噂を広め、全能神教会のクリスチャンを残酷に拷問したという事実を知った時、私は自分の目が信じられませんでした。私は彼らがここまで邪悪で、クリスチャンをこのように扱うほど人間性を失っているとは想像もしていませんでした。私は言葉で表現できないほど心が悲しくなり、思わずこう口走ってしまいました、「中国に住んでいたのでは中国共産党が何をしでかすが分かったものじゃないわ。中国のインターネットは制限されているから、私たちは彼らが秘かに行う卑劣で邪悪な行動を知ることができないわ。私たちは中国共産党に騙されているのよ。」

   私の言葉を聞いた姉妹はこう交流しました、「知っての通り、中国は無神論を信じる政党が統治している国です。政権を握って以降、中国共産党は宗教的信仰を絶えず抑圧してきました。それは聖書を狂信的宗教の文献とさえ呼びます。中国共産党の言葉に照らして教会を判断、そして定義するのはとんでもないことだと思いませんか?中国共産党は真理と神を極端に嫌い、人々が神の御声を聞いたら神を頼りにすることを恐れているのです。これ故に、誰も神に従わないのです。それは人々を永久に支配し、操るという野心と欲望を達成するため、全能神教会を理不尽に有罪とし、中傷し、神の福音の拡大を妨害、そして世の終わりの神の働きを禁止しようと試みているのです。これより、中国共産党は神に逆らい抵抗する悪魔サタンであることが分かります。真の道が古代から迫害を受けてきたことは誰もが知っています。主イエス様が働きをしに現われた時、主は宗教界とローマ政府による強烈な迫害と非難を受けました。今、神はまた受肉され、人間の中で働きをされていますが、全ての分派および宗派の指導者たちはそれを探求も調査もしていないどころか、彼らは全能神教会を熱狂的に批評、非難、そして中傷しているのです。彼らは全能神教会を中傷し、攻撃するために中国共産党と結託してさえいるのです。これは邪悪で暗い世代であり、人々は神の敵であることは明らかです。中国共産党と宗教界が認めるかどうかに照らして真の道を調査していたら、私たちは騙されやすくなり、そして神の救いを失って、ついには神から排除されてしまうでしょう。これは聖書にあるこの預言を現実のものとしています、「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。」 (ホセア書4:6).

   実際、神の働きが宿る場所ではサタンによる妨害が起ります。サタンの策略を見抜けなければ、私たちはそれに騙され、捕まってしまうでしょう。神はこう仰っておられます:「神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。」 神が人類を救おうとされる反面、サタンはインターネット上の噂を利用して私たちを妨害し、騙そうとしていますが、これは霊的戦いなのです。神に祈りを捧げず、真理を求めもせず、または真理を使ってサタンの策略、邪悪な本質、そして悪質な動機を見抜かなければ、私たちはサタンの策略に捕まって、神に救っていただける待望の機会を逃してしまうでしょう。」

   姉妹の交流を聞いた私は突然この認識に至りました:「インターネット上の噂はサタンの仕業だったのね。サタンはそれを使って私を騙して、私に全能神の働きを調査しないいようにして、私が救われる機会を逃してしまうようにして、最終的には私を貪り食おうとしているんだわ。サタンは本当に極めて卑劣で邪悪過ぎるわ。」神に感謝します。姉妹たちが私を何度も集会に誘ってくださり、そして辛抱強く私と心理について交流してくださったおかげで、私はサタンの策略に関する見識を持てるようになり、その結果、また神の前に立ち返ることができました。サタンの妨害を受けた後、私は人類を救う神の働きに関する知識を修得し、全能神が主イエス様の御姿であることをより強く確信することができました。私は最後まで主について行く決心をしました。

   その後、私は神の家族に戻って教会生活を送りました。兄弟姉妹たちと集会をしていると、とても幸せで解放された気分になりました。私は集会に参加し始めた時、記憶が悪く交流の内容を覚えていなかったのですが、彼らは私を疎外しないどころか、辛抱強く私が理解できるまで交流を続けてくださり、私はそこに神の愛を実感しました。私は集会に参加してお互いの経験、そして神の愛について兄弟姉妹たちと共有し合うのが増々好きになりました。神によるお引き上げと御恵みのおかげで、私は神の前に行くことができたのです。私は神に対する感謝の気持ちでいっぱいになり、真理を求めて神の愛に報いるために最善を尽くす決意をしました。その後、私は娘に何度も全能神の御国の福音を証した後、彼女も噂を見抜いて神に立ち返ることができたのです。神様有難うございます!

  


噂や嘘を見抜いた後は光が見つかるでしょう (I)

2019-05-22 22:23:19 | 霊的戦い

   「賢い人は噂に耳を傾けない」という諺があるように、根拠のない噂は応じる価値がありません。しかし、噂が広まってきた時、私たちはそれをどう扱うべきでしょう?特に、真の道を調べている時、私たちクリスチャンは噂を耳にしながらどのように真理を求めるべきなのでしょう?

   私は偶然の機会により神の御国に関する福音を耳にしました。兄弟姉妹たちとの集会に数回参加した後、私は人類の起源の真理、人類の退廃の根源、神の働きの3つの段階に関する内なる真実、受肉の奥義と重要性、そしてその他の点について知りました。私はまた神の人間を救う働きに関する理解もいくつか得ました。私は彼らの交流を聞けば聞くほど、心の中が増々嬉しくなっていきました。その後の集会で、デン兄弟がこう交流しました、「主イエス様がお戻りになり、かなり前に中国で受肉されて新しい働きを実行されています。世の終わりの主の働きは東から西へと広まっています。」私はこれを聞いてとても興奮しました:「神は既に地上で働きをなされたのか!主をお迎えできるほど自分が幸運だとは思っていなかった。主に感謝します!どうりで彼らの交流は筋が良く通っているわけだ。彼らは神の新しい働きに従っていたんだ。」集会に行く度に多くを学び、全能神教会の兄弟姉妹たちと一緒にいることに喜びを感じた私は、集会に参加するのが増々好きになっていきました。一度、ある集会の終わりに、リー姉妹が私たちを率先して神に祈りを捧げました。私は彼女が祈りの中で、「無数に存在する人間の中からこの姉妹を選んでくださったことを神に感謝いたします。。。」と言ったのを聞いた時、私の心のに温かい気持ちが流れ込み、私は思わず涙してしまいました。私たちはお互いのことを知りませんでしたが、彼らは私を家族のように扱ってくださり、私は家族の温かさを感じることができました。神のみが愛を貫くよう人間を導くことがおできるになるのです。神様に感謝いたします!こう考えると、私は神の愛に対して感謝の気持ちでいっぱいになりました。神は私を無数に存在する人間の中から選んでくださり、神の前に行けるほど幸運にしてくださったのです。

   そのおよそ1か月後、私は娘に電話をし、彼女も私と一緒に神を信仰してくれることを期待しながら良い知らせを伝えました。予想外なことに、私の言葉を聞いた彼女はインターネットで全能神教会を検索したのです。彼女は否定的な情報を目にしたとたんこう言いました、「お母さん、良くない教会を選んでしまっているわ、すぐに脱会して。インターネットでその情報を調べたら分かるから。」これを聞いた私は呆気にとられ、これが信じられませんでした。私はこう思いました:「全能神教会の兄弟姉妹たちは皆良識があって、上品なのに。集会では神の御言葉について交流しているし、彼らの交流はとても啓蒙的だったわ。」よって私は彼女に自分の考えを伝えました。すると、娘は電話でこう言いました、「とにかく自分でインターネットで確認して!」彼女はこういった後、私にウェブサイトのリンクを送ってきました。私がそのリンクをクリックすると、そこには宗教界と中国共産党による全能神を中傷および攻撃する言葉がありました。特に「5・28山東省招遠事件」という文字を見た時は何のことだか分からずこう思いました、「これは何のことかしら?私の信仰は間違っているの?でも兄弟姉妹たちは私に優しくしてくれるし、教会は踊りと讃美歌の動画を沢山持っているわ。これは聖霊の働きの効果じゃないの?でも、インターネット上の情報も筋が通っているように見えるし、正しいのかもしれないわ。ああ、間違った道を歩んでしまっていたらどうしましょう?」私は考えれば考えるほど、真の道と偽の道を見分けられず、誤った道を選んでしまったのではないかと怖くなって増々心配になりました。そして、私は全能神教会の集会には参加しないことにしたのです。

   翌日は日曜日で、私の隣の家の人が一緒に教会に行こうと誘ってきました。インターネット上で目にした悪い噂のことを考えると、私にはまだ疑問がありました。全能神教会による説教とこの教会による説教の違いを知るため、私は彼女と一緒に行きました。しかし、牧師が説いていた内容は全ては聖書における理論と神学的な知識ばかりで、私たちが実際に抱えている困難は全く解決しませんでした。私はこの説教を聞けば聞くほど、増々退屈になり、何の喜びを見つけることもできませんでした。特に、牧師が最後に、「主イエス様がお戻りになる時、」と言った時、私はこのように困惑しました:「全能神教会の兄弟姉妹は世の終わりに神は既に肉として地上に現れて、何年間も働きをされ、沢山の御言葉を表されたと言っていたけど。その御言葉には権威と力があって、まるで神の御声のようだったわ。主は既に来られているようだけど。彼らはどうして未だに主の再臨を待っているの?ちょっと遅れ過ぎじゃないかしら?」集会の最中、働き手は袋を持って2回も各信者の所に歩いて行き、集金をしていました。私はこの行いをとても嫌いました:献金は任意で行うべきことなのに、彼らの振る舞いは私たちに強制的にやらせているように見えたのです。集会の後、私はこの教会からは得るものがないと感じ、もうそこへは行きませんでした。

   しかし、噂の影響を受けていた私は全能神教会に行って真の道を調査する勇気がありませんでした。姉妹たちから集会に誘われても、私は親戚の子供の面倒をみる必要があるふりをして断りました。しかし、彼女たちの誘いを断った後、私はいい気がしませんでした。その半月の間、私は時々、彼女たちと集会に参加している様子や彼女たちの誠実な表情が頭に浮かびました。このような思いが頭に浮かんだ時、私は少し悲しくなりました。私は思わず心の中でこう考えました:「インターネット上の否定的な情報は正しいのかしら? 全能神が本当に主イエス様の再臨だとしたら、私は救われる機会を逃してしまうのかしら?」私が途方に暮れていたちょうどその時、リー姉妹から公園に散歩に行こうという誘いのメッセージを受けました。最近この状況について心配になっていた私はこの機会を使って彼女の意見を求めようと思いました。公園に到着した後、私は彼女に自分の抱えていた困惑の内容を伝えました。彼女は自分の体験と、世の終わりの神の働きを受け入れた後どのようにして噂を振り払ったかについて話してくれました。彼女は、神は真理、道、そしていのちであられる故に、人間は真の道を調査するなら神の御声に耳を傾けることを学ぶべきだとも言われました。私は彼女の話は筋が通っていると感じましたが、帰宅後、私は又しても噂のことを考えてしまい、未だに少し怖い気がしました。その2日後、姉妹はまた訪れて来て私を集会に誘ってくれました。私は何度も断っていたにもかかわらず、彼女たちは変わらず辛抱強く私を助け、支えてくれました。私は彼女たちの誠実な姿勢に心を打たれ、ついに誘いを受けることにしました。

看到谣言和谎言,找到光明,寻求真理

   集会の場で、姉妹たちは私の困惑を踏まえて真の道と偽の道を見極めることに関する真理について私と交流してくれました。これが神の御言葉です、「真の道と偽りの道とを判別するには、いくつかの基本的な知識が必要だ。最も基本的なことは、そこに聖霊の働きがあるかどうか、ということである。人間の神への信仰の真髄は神の霊を信じることであるからだ。受肉した神への信仰も、その肉が神の霊の体現であることに基づいている。だから、そうした信仰はなおも聖霊への信仰であるということになる。霊と肉の間には違いがある。しかし、この肉体は霊から来たものであり、肉となった言葉であるのだから、人間が信じるのは、なおも神に内在する実質なのだ。そこで、それが真の道であるかどうかを区別するには、何よりもまず、そこに聖霊の働きがあるかどうかを見て、その後で、その道に真理があるかどうかを見るのだ。この真理は正常の人間性のいのちの性質である。つまり、神がはじめに人間を創造した時に人間に要求したこと、すなわち、(人間の理知、見識、知恵そして、人間であることの基本的な知識を含む)正常の人間性すべてである。即ち、この道が人間を正常な人間性の生活に導くものかどうかを見極めなければならない。述べられている真理が正常の人間性の現実において必要なものかどうか、この真理が実用的で現実的であるかどうか、また、それは最も時宜にかなったものであるかどうか、といったことを見極めなければならない。もし真理があるのなら、それは人間を普通の現実的経験へと導くことができるはずだ。更に、人間はいっそう正常になり、人間としての理知はより完全になる。人間の肉体における生活と霊的生活とはさらに秩序あるものとなり、喜怒哀楽はより正常なものとなる。これが第二の原則である。もうひとつの原則がある。それは、人間は神についてより多くの認識をもっているかどうか、そのような業と真理を経験することは神への愛を呼び起こすかどうか、その人をより親密に神のもとへ近づけるかどうかということだ。このことによって、それが真の道であるかどうか見定めることができる。… もしそれが聖霊による働きであるなら、人間はずっと正常になり、その人間性はさらに正常になる。人間はサタンに堕落させられた自分の性質、人間の本質についての認識を増し、真理への渇望は更に大きくなる。これはつまり、人間のいのちがどんどん成長し、人間の堕落した性質においては、より一層の変化が可能となる。これら全てが神が人間のいのちになるということの意味である。もし、ある道が、人間の本質であるこれらのものを明らかにすることができないのなら、また人間の性質を変えることができないのなら、さらにまた、人間を神の前へ導き、神についての真の理解を与えることができないのなら、あるいは、人間性をさらに卑しめ、その理知をますます異常なものにするのなら、その道は真の道ではあり得ず、悪霊の業、あるいは、古い道なのだ。要するに、それは聖霊が現在為している働きではないということだ。」

   ある姉妹が私とこのように交流してくれました、「神の御言葉から、真の道と偽の道を見分けるのに大切なのは聖霊の働きが宿っているかどうかを見分けることであると分かります。聖霊の働きが宿っているかどうかは、私たちがいのちの備えを得られるかどうか、そして神に関する新しい理解を得続けることができるかによって決まります。こういった効果が得られない場合、私たちが人生において前進できない、そして私たちの実際問題が解決に至らない場合、そこには聖霊の働きがないということになります。真の道は神が自らなされる働きから生まれるのです。それは神御自身の働きであるため、そこには真理の表れと聖霊の働きがあります。最近、全能神は人類が神を知り、救いを見つけるために必要な真理を全て表され、神の6000年の経営計画の目的、神の働きの原則、聖書の真理、そして神の御名前の重要性等、神の経営計画における全ての奥義を明らかにされました。これら全ては人間には理解できない奥義です。全能神の御言葉の中で、人類の堕落した本質とその根源が完全に明らかにされています。神の御言葉の裁きの中で、私たちは傲慢さ、うぬぼれ、身勝手さ、そして卑劣さ等、自分たちの堕落と醜さに関する真の理解を得ます。これと同時に、私たちは神の義なる性質に関する真の知識を得て、神に対する敬虔の念を感じ、私たちのいのちの性質が何らかの形で変化を遂げ、それが徐々に罪と告白を繰り返す悪循環から私たちを救い出してくれるのです。これは全能神の働きが真の道であることを完全に証明しています。全能神の御言葉は真理、道、そしていのちであり、それは権威と力で満ちています。それは人類を清め、救うことができるのです。」

   この姉妹の交流を聞き、私は突然光が見えました。真の道と偽の道を見分ける原則はとても単純だったのです。本当にそうなのです!神の御言葉を読み、全能神教会の讃美歌を聞いて踊りの動画をいくつか観賞した後、私は神の働きに関する知識を得ました。しかも、私はとても解放されて、嬉しい気分にもなりました。これは聖霊の働きの表れだったのです。

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