賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

私はサタンからどのように邪魔をされようと、最後まで神についていきます (II)

2019-05-21 22:03:20 | 霊的戦い

   その後、私は自信を取り戻し、息子と義理の兄から束縛されることもなくなりました。全能神への信仰に固執する私を見た息子は私が彼と一緒に私たちの牧師と会うことをせき立て、牧師を使って私の邪魔をしようとしました。私はこう思いました:「私は何も間違ったことはしていないわ。一緒に行って、いい機会だから牧師に神の御国の福音を説いてみせるわ。」しかし、私は真理を欠いていることを知っていたので、牧師に騙され妨害されず、神の証を立てられるよう、道中ずっと神に祈りを捧げ、御啓示、御知恵、そして喋るべき言葉を与えてくださるよう請いました。

   私たちが牧師のオフィスに到着した時、牧師は落ち着いた口調で私にこう聞いてきました、「主イエス様が再臨なさっておられると証言する人がいると耳にしましたが、これは事実ですか?」私はこう言いました、「はい、主はお戻りになり、人間を清めるために裁きと刑罰の働きをされておられます。」そして牧師は声を上げて私にこう聞きました、「私は主の再臨については知りませんでしたが、あなたはどのように知ったのですか?」彼の大きくなった声を聞いて、私は心臓が高鳴り、心の中で神に何度も祈りを捧げました。そして、私は彼にこう言いました、「主の再臨は他の者の交流を聞いて知りました。聖書にはこう書かれています、『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。』(マタイによる福音書25:6)。 これは、主がお戻りになる時、それを知り、それについて説教をする人がいることを意味しています。神は人間を救うために受肉され、人間の中に来られました。神が私たちにお知らせくださらなかったら、私たちはどのようにして神からお救いを受けられるのか。それいついて、聖書にはこう書かれています、『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ人への手紙10:17)。この御方が主の再臨であるのかどうかという確認は、この御方の御言葉を聞いて、それから判断するべきです。私はあなたが全能神の御言葉を読んで調査すればよいと思います。」私の提案を聞いた牧師は憤慨してこう言いました、「どうして私が調査をしなくてはならないのですか?あなたは長い間に渡って主を信仰し、聖書を理解している人々の言葉を聞くべきです。私はあなたよりも長く主を信仰してきて、あなたよりも聖書を良く理解しているし、あなたよりも主の知識を持っています。あなたは聖書に関する知識と理解をどれだけ持っていると言うのですか?」私は、「長い間に渡って主を信仰し、聖書に精通している人たちが最初に主の来臨について知るというわけではない」、と思いました。主イエス様が来られた時、東方の三博士と預言者たちが最初にそのことを知りました。ペテロ、ヨハネ、そしてサマリアの女は主イエス様が救世主の来臨であることを主の御言葉から知りました。しかし、パリサイ人は聖書に精通し、人生を通してヤ―ウェ神に仕えていたにもかかわらず、主イエス様が来られた時、主に気付かないどころか、主の働きに抵抗し、それを非難し、さらに酷いことに、彼らはローマ政府と共謀して主イエス様を十字架に磔にしたのです。神は人々の地位の高さや低さ、彼らがどれだけの間主を信仰していたか、または彼らがどれだけ良く聖書を理解していたかは確認されず、彼らに探求する意思があるのかどうかを見られました。それは今回も同じことなのです⋯」牧師は私の言うことは全く聞いてくれず、私に全能神教会を去ることを説得し続けました。私はこれを見てもう何も言いませんでした。

サタンから,邪魔をされようと,神についていきます

   ある日、私は牧師の家の近くで彼に出くわしました。彼は私に向って歩いてきてこう警告しました、「戻って来ないと、助祭の地位から解任しますよ。」私はこう思いました:「私は真の神に従っているんだから、助祭の地位なんかどうでもいいわ。それが私を天国に連れて行ってくれるわけでもないし、私にとって何の価値もないわ。」

   牧師による妨害を通じ、私は彼の行っていることをある程度見極めました。以前、私は牧師は主の真の信者であると信じ、彼は長い間主を信仰し、長年に渡って聖書を読んできているのだから、彼が主を一番良く知っていると思っていました。そして、主がお戻りになる時、真の道を調査し、主をお迎えするよう私たちを引率してくれると思っていました。しかし、私は彼がこのように振る舞うとは全く思っていませんでした:彼は自らが調査しないだけでなく、私が調査することも妨害したのです。私は主イエス様がこう仰ったのを覚えています:「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。」(マタイによる福音書23:13)。牧師の妨害を受け、私はついに彼の本質はパリサイ人のと同じであったことを見抜きました。彼は私が天国にはいるのを邪魔する障害だったのです。同時に、私は牧師に騙されて、心を揺さぶられることから守ってくださった神に感謝しました。

   その後、私の前の教会の長老と助祭たち全員が戻ってくるようにと私を説得しようとしました。しかし、私はそれがサタンによる妨害であるとはっきり分かっていました。サタンは私の邪魔をしようと私の息子と義理の兄を利用しましたが、それが失敗に終わったので、今度は私に神を裏切らせようと牧師と助祭たちを使って私を引きずり込もうとしたのです。それでも、私は彼らの影響を受けず、毅然と神に従いました。

   正に弱り目に祟り目!サタンは私に対する阻害と妨害を緩めませんでした。私が全能神を信仰するのを牧師ですら止められないと知った息子は、私の目の前で驚きの行動に出ました。彼は跪いて、自分の頭を何度も床に叩き付けたのです。そして彼はすすり泣きながらこう言いました、「お母さん、お母さんが全能神を固く信じるのなら、僕は家を出るよ、そして二度と戻らない。お母さんは独りで自分の神を信じたらいいよ。」私はこの状況に呆気にとられました。私は彼にこう言いました、「私が全能神を信じているから家を出るって言うなら、その必要はないわ。私が出て行く。」私の言葉を聞いた彼は私を部屋の中に引っ張り込み、もう一度私を説得しようとしました。私は少し弱気になりましたが、以前読んだ神の御言葉と自分が神の前でした決意のことを考えると、私はまた証言をする機会を失うわけにはいきませんでした。これ故に、私は神に祈り続けました、「ああ、神様、前回息子に邪魔をされた時、私はあなたの御心を満たすことができませんでした。しかし、今回はあなたの御心を満たし、決してあなたから離れません。神様、どうか私に自信と力をお与えください。」こう祈りを捧げた後、私は自信を取り戻し、息子にこう言いました、「私は何十年も主を信仰してきて、今やっと主の再臨をお迎えすることができたの。あなたとあなたの伯父、そして牧師がどのように邪魔をしてきても、私は自分の信仰を続けるわ。」これを見た息子はどうすることもできず、溜息をついてこう言いました、「僕1人の力じゃお母さんを止められない。」その後、彼は荷物をまとめて家を出て行きました。

   息子が家を出た後、家の中は空っぽに感じました。私は彼のことが心配でしたが、同時にサタンの卑劣さと邪悪さを知っていました。それは私を解放せず、私の家族を使って私が神を信仰するのを妨げようとし、私が屈するまで諦めそうにありませんでした。しかし、私は神の御言葉を支えに、全能神は正に主イエス様の再臨であられることを確認し、主に最後までついて行く決心をしました。私は息子が家を出たことで惨めな思いをし、彼が家から離れるのは危険でないかと心配でしたが、神がこう仰っておられたのを思い出しました:「あなたがこのことを信じようと信じまいと、ありとあらゆるものが、生けるものも死せるものも、神の考えに従い、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が万物を支配する方法である。」そうなのです、全ての物と出来事は神の御手にあり、私の息子も同じなのです。私は神への信仰を通じて神を頼り、神を見上げ、私の息子を神に託すだけでいいのです。こうして、私は神に祈りを捧げました、「ああ、神様、私は息子をあなたの御手にお連れいたします。彼が戻ってくるのかどうか、そしていつ戻ってくるかはあなたが定めておられることです。私はサタンからどのように邪魔をされようと、最後まであなたについていきます。」

   驚いたことに、その3か月後、私の息子は無事に家に帰ってきました。彼は私にこう言いました、「お母さん、自分の歩む道が正しいのかどうかはもっと慎重に考えてね。」私は確固たる口調でこう言いました、「私が信仰しているのは真の神よ。私は全能神が主イエス様の再臨であると確認したの。だから、あなたがどうやって反対しても、私は神について行く決心をしているの。」私の息子はこう応えました、「真の神を信仰していると確信しているなら、信仰を続ければいいよ。僕はもう邪魔しないから。」息子の言葉を聞いた私は心の中で言葉で表現できないほどの興奮を感じ、今までずっと私に御加護と御指導を差し伸べてくださった神に感謝しました。私は時に弱く否定的になることがありますが、神は常に私がサタンの妨害と誘惑に打ち勝つことができるよう神の御言葉で私を指導し、導いてくださりました。

   数か月後、私は洗礼を受け、神への信仰が更に強まりました。私は真理を理解していなければ、人はいつ何処にいても神に抵抗し、神を裏切る者になり得ると感じました。私はサタンは本当に邪悪で卑劣であり、常に全ての方法で神の働きを邪魔し、妨害し、そして人間が神の御家に立ち返るのを防ごうとすることを知りました。しかし、神は人間を救うために最善を尽くしておられ、御言葉によって私がサタンの誘惑に打ち勝ち、神の証を立てられるよう御導きくださったのです。全ての栄光、全能神にあれ。


私はサタンからどのように邪魔をされようと、最後まで神についていきます(I)

2019-05-20 23:04:05 | 霊的戦い

   私は幼い頃から家族に倣って主を信仰してきました。過去45年の間、私の最も大きな願いは主が再臨なさる時に天国に受け入れてもらうことでした。しかし、最近、牧師たちは新しい見解が何もなく、いつも古くさくて陳腐なことばかり説教しています。信者たちは魂の備えが受けられず、彼らの信仰は大体において冷めていました。私は私たちの教会では主の御前を感じられなかったので、自分の魂が備えを受けられる別の教会を探すことにしました。次の1年間、私は4つの教会を探求しに訪れましたが、状況はとても似ていました。私は少し絶望しました。これ故に、私は主に祈りを捧げました、「ああ、主なる神様、あなたは何処におられるのですか?あなたの御前が感じられません。どうかこの先の道をお導きください。」

   主が私の祈りを聞いてくださったことを感謝します。しばらくした後、私は全能神教会のある姉妹と出会いました。姉妹の話を受けて、私は教会が悲惨な状態にある理由がやっと分かりました。神は受肉され、教会を起点に裁きの働きをされておられ、聖霊の主要な働きも世の終わりの神の裁きの働きに移行していたことを知りました。世の終わりの神の新たな働きを受け入れる者のみが聖霊の働きを受けることができ、それを受け入れない者は聖霊の働きによって排除されてしまうのです。これはまるで受肉された主イエス様が律法の時代の末に神殿の外で恵みの時代の贖いの働きをされた時のようです。神の主要な働きは恵みの時代の贖いの働きに移行していました。主イエス様の働きを受け入れた者たちだけが聖霊の働きと主の御指導を授かり、神殿に残って主イエス様の足跡をたどらなかった者たちは聖霊の働きによって排除されたのでした。従って、かつてはヤ―ウェ神の栄光で満ちていた神殿は取引の場、かつ盗人の巣窟と化してしまったのです。私は姉妹の話はとても合理的だと感じ、心がとても明るくなりました。その後、彼女は神の3段階の働きの奥義、人類の罪の根源、裁きの働きの神秘、そして真理のその他の側面について話してくれました。しばらく調査を行った結果、私は全能神は正に再臨された主イエス様であることを確認し、罪を完全に振り払う方法も発見しました。私は主が本当に再臨されるとは夢にも思っておらず、ついに主をお迎えすることができたのです。私はこう考えれば考えるほど、増々嬉しくなり、興奮が高まっていきました。私はとても恵まれていたのです!

   世の終わりの神の働きを受け入れた後、私は日中は働き、夜は神の御言葉を読み、全能神教会の映画や動画を見るか、神を讃える讃美歌を聞きました。私は神の御言葉の注ぎと備えに毎日恵まれ、魂の渇きも、心の虚しさも感じなくなりました。毎日が満たされていたのです。

   集会の場で、私たち兄弟姉妹は霊的戦いの真理について交流しました。ある姉妹がこう言いました、「世の終わりの神の働きを受け入れた後は、家族に対する迫害、宗教的な牧師たちによる妨害、そして様々な噂による策略を始め、サタンによる様々な度合の妨害と誘惑に直面するでしょう。このような状況では、サタンの罠を見抜き、神の証を立ててのみ、私たちは最後まで神に従うことができます。」私はこの姉妹の交流を聞いてこう思いました:「神を信仰する人々はサタンから妨害を受けることになるのか。まあとにかく、私はこれが真の道だと確認したんだ。サタンの妨害と誘惑に本当に直面することがあれば、私は毅然として神の証を立て、神から決して離れません。」意外にも、しばらくしてから、サタンの誘惑と包囲網が本当に私に降りかかってきたのです⋯

   私の家族は全員が主を信仰していたので、私は世の終わりの神の働きを受け入れた後、少しずつ自分の家族に対して神の働きの証言をしていきたいと思いました。彼らがあまり簡単には受け入れてくれないことを恐れた私は彼らが家にいた時は聖書を読まず、神の御言葉の栄唱と讃美歌を自分の携帯電話にダウンロードしていました。私はチャンスがある時にイヤホンをつけてこれらを聞いていました。次第に、私の長男が、私が毎日イヤホンを通して一体何を聞いているのかと知りたがるようになりました。こうして、およそ一か月後、彼は私が家にいなかった時に私の携帯電話を開き、私がダウンロードしていた全能神教会の映画を見つけました。そして、彼はインターネットで全能神教会を非難する中国共産党の否定的な宣伝活動を目にしたのです。私が帰宅すると、彼は一瞬で人が変わったかのように私の肩をつかんで激しく揺さぶり、大きな声で勢いよくこう言いました、「お母さん、全能神を信仰しているじゃないか。ネットで沢山の記事を検索したけど、お母さん目を覚ますべきだよ。」彼は溜息をつきながらインターネットで見た否定的な情報について触れました。私は彼の取った行動にショックを受けてこう思いました:「これがよく私について教会に行っていた私の正直で素直な長男なの?」私はこれが信じられませんでした。彼の極端な行動を見た私は何を言ってよいのか分かりませんでした。こうして、私は慌てて心の中で神に祈りを捧げました、「ああ、神様、どうか私に智恵をお与えください、喋るべき言葉をお与えください。私は彼に何を言えばいいのでしょう?」その瞬間、私は兄弟姉妹が私と交流していた内容で、中国共産当が噂を流して神を中傷し、神に抵抗する目的で利用する様々な言い回しを思い出しました。これ故に、私は勇気を出して彼に神の証言をしました。私は彼にこう言いました、「神は新しい働きをするために本当に来られているのよ。中国共産党は無神論政党で、神の存在を信じなければ、人々が真の神を信仰することも許可しないの。大勢の人たちが全能神教会を調べていることを知った中国共産党はそれに憤慨し、全能神教会を中傷して、その信用を傷つけるために噂を捏造し、人々が真の道を調べ、それを受け入れるのを阻止しているの。中国共産党の言葉は信用ならないわ、私たちは神の御言葉に従って神の御言葉を信仰するべきなの。」しかし、私が何を言っても、彼は私の言葉よりも中国共産党の噂を信じたがりました。私はとても悲しくなって落胆しました。突然、私は兄弟姉妹が交流してくれた霊的戦いに関する真理を思い出しました。神はそれについてこう仰っておられます:「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある――その背後にはすべて戦いがある。」これは真実です。私が直面しているのは単にサタンの妨害と誘惑なのではないでしょうか。表面的には、私の息子が私を妨害し、邪魔しているように見えますが、実はこれは霊的戦いが行われているのです。そして、サタンは私を弱く否定的にして神への信仰を失わせるために私の息子を使って私を邪魔しているのです。私はサタンの狡猾な策略を見抜いて神の証を立てる必要があるのです。

   自力では私の妨害をできないと知った私の息子は伯父の所へ行きました。私の義理の兄はすぐに私の家にやってきました。彼は一言も喋らず私に向って叫び始めました、「義理の妹よ、聖書には主が来られる時は先ず死者が蘇ると書かれている。お前は神がお戻りになられたと言っているが、どうして私は死んだ聖徒たちが蘇るのを見ていないんだ?」これは主が戻っておられないことを証明しているんだ。お前は聖書の言葉に従って神を信じて、今すぐ改心するべきだ⋯」義理の兄からの質問を前に、私は全能神は本当に主イエス様の再臨であると分かっていながらも、どのように反論してよいのか分かりませんでした。そして私は突然気分がとても悪くなり疲れを感じました。私はただ神を適切に信仰したいだけなのに、どうしてこんなに多くの困難が降りかかってくるのでしょう。私はこれはサタンが人々を使って私の神への信仰を妨げようとしているのだと分かっていましたが、この状況の中で、まだ少し弱かった私は、彼らに打ち勝つことができませんでした。これ故に、私はあの姉妹に電話をしてこれ以上は神の御言葉を読まないと伝えました。その日の午後、私は突然、魂が暗く、沈んだ気分になり、体中が弱く感じました。以前感じていた喜びと平安は感じられなくなり、まるで地獄に落ちてしまったかのように神の御前も感じられなくなってしまったのです。私はとても怖くなり、急いで神の前に行き、慌てて神に祈りを捧げました、「ああ、神様、私はあなたを裏切るべきではありませんでした。私は自分が間違っていたと分かっています。しかし、私はあのような状況を打開することができません。神様、どうか私をお助けください。」こう祈りを捧げた後、私はあの姉妹が来て私を支えて助けてくれることを心底願いました。

   神は私の霊的背丈をご存知で、私の困難にも配慮してくださりました。あの姉妹は私の状況を知った時、急いで私の所にやってきて、神の御言葉のこの節を読んでくれました:「神は人に愛されることを強く願っているが、人が神を愛するほどその苦しみは大きく、より愛すればより人の試練も大きくなる。もしあなたが神を愛すれば、あらゆる苦しみがあなたにもたらされるであろう──そしてもし神を愛さなければ、多分何もかもが順調にゆき、あなたの周囲では何もかもが平和であろう。あなたが神を愛する時、周囲の多くの事が克服し難く、あなたの霊的背丈があまりにも小さいために精錬され、神を満足させることができないと感じるであろう。神の旨はあまりにも崇高で、人の及ばぬところにあると感じるであろう。そうした事すべてのために、あなたは精錬されるのである──内に弱さが多くあり、神の旨を満足させられないものが多くあるため、内を精錬されるのである。しかし、あなたがたは、穢れは精錬によってしか拭い去れないとはっきり知らなければならない。」神の御言葉を読んだ後、姉妹は私と沢山交流をしてくれました。神の御言葉についての交流を通じ、私は、今現在は真の神に従っている限り、多くの苦しみに耐える必要があることを理解しました。これはなぜなら真の道は古代からずっと迫害を受けてきているからです。主イエス様は働きをなされた時、パリサイ人と権力者の迫害を被りました。主に従う弟子たちも迫害を受けましたが、彼らは自らの命を犠牲にしてでも真の神に従いました。現状も例外ではないのです。私がいとも簡単に神の偉大なる御救いを授かり、天国に救い招かれることを、サタンが許すわけがないのです。これ故に、私が神に近づけば近づくほど、サタンの包囲攻撃は増々深刻になり、私は増々苦しみに耐えなければならなくなるのです。サタンは私が神のもとを去り、神を裏切り、最終的には地獄に落ちて一緒に罰を受けるようにしようと、様々な人々を使って私を迫害し、私の邪魔をすることを望みました。これがサタンの悪意に満ちた動機だったのです。これはサタンの誘惑でありましたが、同時にこれは神から私に対する試練でもあったのです。神はサタンによる妨害を利用して私を試され、私の信念が真なるものであるかどうかを見られていたのです。それと同時に、神は私が神の証を立て、試練の中でサタンを辱めることを期待されました。私は神の前で、「神の証を立て、神から絶対に離れない」、という自分の決意を思い出しました。当時、私は神に対し忠実で、大きな信念を持てていると思っていたのです。しかし、真実は私の真の霊的背丈を明らかにしました:私は一時的な安心を得て、自分の親戚との関係を維持する目的で神を裏切りかねなかったのです。私は本当に恥ずかしくなりました。その瞬間、私は自分の置かれている状態を少し理解しました。私はサタンの狡猾な策略を見抜き、神の証を立て、サタンを辱める必要があるのです。

   後に、私は姉妹の交流を通じて、「死者の復活」の真の意味を理解しました。それは「死者が墓から出て来る」という私たちの考えとは全く異なりました。これは私たちの観念と想像意外の何でもなく、それは単に聖書の文字どおりの意味を理解しているに過ぎないのです。神はこう仰ります:「神は人を造ったが、その後、人はサタンによって堕落させられ、この堕落が人々を死人にしてしまった。したがってあなたが変わった後、あなたは死人とは違うものになる。人々の霊にいのちを与え、人々を再生させるのは神の言葉であり、霊が再生した時、人々は生かされる。死人についての言及は、霊を持たない死体のこと、霊が死んでいる人々のことを指している。霊にいのちが与えられると、人々は生かされる。以前語られた聖者とは、生かされた人々、サタンの支配下にあったがサタンを打ち負かした人々のことを指す。」私たちの先祖アダムとイブはヘビに誘惑されて善悪の知識の木の実を食べてしまい、エデンの園から追い出され、堕落の中を生き、そして魂を欠く死者と化しました。神は世の終わりに真理を表して私たちの堕落した性質を明らかにし、私たちがサタンによって堕落させられているという真理を知り、サタンの支配を振り払い、神に従い、かつ神を知ることを成し遂げ、真の人間らしさを貫けるようにしてくださるのです。このような人々のみが蘇り、これこそが「死者の復活」の真義なのです。その時、私は世の終わりの神の働きを受け入れずに、ただ自分の観念と想像の中を生きていたら、自分がどれだけ愚かで情けない状態になっていたかを知りました。


9か月も続いた霊的戦いの中で、彼女が神の証を立てた方法とは

2019-05-19 22:46:44 | 霊的戦い

   2017年の初め、私はインターネットで数人の兄弟姉妹と知り合いになりました。時間がある時、私たちは一緒に聖書を読みました。

   聖書の勉強会の時、ある兄弟が私たちに終わりの日の全能神の働きを証言してくれました。全能神に関する集会や兄弟姉妹たちによる交流を通じて私は、「全能神はイエス様の贖いの働きを土台として人間を罰し、裁き、清め、罪の束縛から完全に開放するという次の段階の働きをなされた」、ということを知りました。その後すぐに、私は全能神が主イエス様の再臨であると確信しました。その後、私は毎日午後にインターネットで全能神教会の兄弟姉妹たちとの集会に参加しました。私はいつも時間があれば神の御言葉を読みました。こうして、私の干からびた魂は心の支えを得たのです。

私は噂を見抜き、見識を得ました。

   その後、私は溢れるほどの喜びを胸に、この良い知らせを娘に話しました。しかし、彼女は私にインターネット上で全能神教会を非難する数々の否定的な情報と動画を見せてきて、私の信仰は間違っていると言いました。この否定的な内容を目にした後、私は疑念を胸にこう考えました、「神から来るものは裕福に違いない。」神の働きなくして、東方閃電がここまで迅速に拡大し得たはずがありません。さらに、全能神の御言葉は聖書の奥義を明かしているだけでなく、私たち人間の堕落した性質と誤った動機をも明らかにしています。神の仰る御言葉のみがそのような効果をもたらすことができるのです。しかし、どうしてインターネット上にはこのような否定的な宣伝活動や動画が存在しているのでしょうか?これらの噂は真実なのでしょうか、それとも虚偽なのでしょうか?」私はこういった困惑を胸に抱きながら、全能神教会の兄弟に相談しました。

   兄弟はこう話しました、「姉妹、思い出してください、主イエス様が働きをされた時、ユダヤの民は皆、祭司長、律法学者、そしてパリサイ人に従って主イエス様に抵抗し、主イエス様を非難しました。過去の宗教指導者たちはローマ政府と力を合わせて主イエス様を捕らえ、ついには主を十字架に釘付けにしました。これらの事実から、この世界は暗く、邪悪であり、完全にサタンの力の中にあることが分かります。真理を愛する人はほんのごく僅かしかいません。これはまさに主イエス様がこう仰った通りです、『そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。』『そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。』(ヨハネによる福音書3:19)。『この時代は邪悪な時代である。』(ルカによる福音書11:29)。それに加えて、ヨハネの第一の手紙5:19には、’全世界は悪しき者の配下にある’ とも記されています。全能神が来られて働きをされて以来、人々が全能神に従うのを妨げようとする中国共産党政府と宗教指導者たち数人が全能神教会を攻撃して中傷するために、そして理知を欠き識別力のない人々を騙すために、メディアを利用して嘘のニュースを捏造しているのです。昔から、真の道は常に迫害を受けてきました。それ故に、私たちは見識力を持つ必要があります。そうしないと、私たちは騙されてしまいます。」

   彼の交流を聞いた後、私はこのように理解しました:「否定的な噂はどうやら中国共産党と宗教界の仕業のようだわ。彼らがこういった噂を広めるのは、人々が全能神を頼りにするのを妨げて、私たちが救いを受ける機会を逃すようにして、そして最終的には彼らと一緒に滅びるようにすることを目的としているのよ。真理を求めず、むやみに人間の言葉に耳を傾けていたら、私たちはいとも簡単に騙されてしまうようだわ。」その瞬間、私の心の中で、「何があっても、神の証を立てみせるわ」、と思い、神を満足させたくなりました。

牧師の口にする出る虚偽を聞き分けるために真理を求めました。

霊的戦い,神の証を立てた方法とは,9か月

   ある時、私は神を礼拝するために教会に足を運びました。私がドアの中に入ろうとした時、牧師は無表情な顔で「礼拝が終わったらここに残ってください。あなたに言いたいことがあります」、と私に言ってきたのです。私はこう思いました、「彼は私が全能神を信仰するのを邪魔するつもりなのかしら?もしそうだったら、どうしよう?」私たちが讃美歌を歌い、交流を聞いていた時、私は心の中で神に祈り続けました、「ああ、全能神!牧師は礼拝の後に私と話しをするつもりでいます。どうか私をお導きください、そして彼に話すべき言葉をお与えください。」
   

   私たちが礼拝を終えると、牧師は私にこう言ってきました、「私はあなたがインターネット上で他の者たちと集会を行っていると耳にしました。私たちは主イエス様を信仰しているのですよ、他の神を信じてはなりません。今すぐお止めになりなさい。」

   私は言いました、「牧師、ご存知ですか?主イエス・キリストが戻られたんですよ。主は全能神として受肉なさったんです。」

   意外にも、彼はすかさずこう言い返してきました、「そんなことはあり得ない!そんなものは存在しません。聖書には、『そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。』(マタイによる福音書 24:30) 、と予想されています。これ故に、主が再臨される時は主御自身が白い雲に乗って降臨されるのです。私はまだ主が雲に乗って降臨されるお姿を見ていません。従って、全能神が主イエス様の再臨だなんてことはあり得ないのです。」

   彼の言葉を聞いた後、主は再臨される時は秘かに降臨され、それから雲に乗って公然と降臨されると聖書には預言されているということを、全能神教会の兄弟姉妹たちが言っていたことを私は思い出しました。なので、私は牧師に言いました、「聖書にはその以外にも、主の再臨を予想する預言が他にもたくさんあります。例えばこれです、『見よ、わたしは盗人のように来る。』(ヨハネの黙示録16:15)。『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。』(マタイによる福音書 25:6)。『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。』ヨハネの黙示録3:20)。この預言は全て、神は人の子として受肉され、秘かに来臨されると言っているのです。1つの聖句だけを基に主が再臨される方法を定義することはできません。全能神教会の兄弟姉妹たちはこの点をとても明確にしていました。主はまず肉となられてから、人間を裁き、清め、救う働きをするために秘かに来臨され、勝利者からなる集団を作った後、雲に乗って地上の各国の前で公然とそのお姿をお見せになると、彼らは言っていたのです。」

   私の言葉を聞いた牧師は傲慢さをむき出しにしてこう言いました、「そんなことは不可能だ!全能神が主イエス様の再臨だなんてことはあり得ない。全能神教会の人々は主が再臨され、女として受肉されたと主張している。しかし、主イエス様は明らかに男だ。キリストが女である訳がない!」

   私は彼がこう言ったのを聞いて、何も言わずにこう思いました、「神が女として受肉されたなんて兄弟姉妹たちが言っているのは聞いたことがないわ。そんなことがあり得るのか、彼らに聞いてみる必要があるわ。」私が黙っているのを見た牧師は、後ろを振り返って東方閃電への警戒を働きかける小さなパンフレットを手に取りました。彼はそれを私に手渡し、持って帰ってじっくり読むようにと言いました。

   帰宅した後、私はすぐに全能神教会の姉妹に連絡しました。すると、彼女は全能神のこの御言葉を私に読んでくれました、「神による各段階の働きには実質的な意義がある。イエスが来た時男性であったが、今回は女性である。このことから、神はその働きのために男と女の両方を造ったが、神には性の区別がないことがわかる。神の霊が来るとき、それは意のままにいかなる肉体でも持つことができ、その肉体が神を表す。男性であろうと女性であろうと、それが受肉した神である限り、どちらも神を表す。」「もしも神が男性としてだけ受肉したならば、人々は神を男性として、男たちの神として見定め、神を女たちの神だとは決して信じないであろう。⋯神が人類を創造したとき、神はアダムを造り、そしてエバを造った。神はアダムだけを創造したのではなく、自分にかたどって男と女の両方を造った。神は男たちだけの神ではない。神はまた女たちの神でもあるのだ。」

   そして、彼女はこう言って交流しました、「神の本質は霊です。神に性別はありません。神は働きの必要性に応じて受肉されます。しかし、神が男として、または女として受肉されたとしても、神の本質が変わることはありません。神は変わらず神のままで、神は霊でもあるのです。神は人類を創造された時、男と女を自分のかたちに創造されました。これ故に、神は肉となられる時、男としても、女としても受肉することがおできになるのです。世の終わりに受肉された全能神が女として働きをなさるのは、私たちの観念を覆すためなのです。神は2回受肉されましが、ともに男としてその姿をお見せになられたので、私たちは神が男であると決めつけて、神は男だけの神であり、女の神ではないと信じ込んでいます。ご存知の通り、今回神は女として受肉されました、これには意味があるのです。」

   神の御導きに感謝します。姉妹の交流を聞いていなかったら、私は牧師が口にした虚偽に騙されていたことでしょう。それ以降、私はもう教会に行くのは止めて、自宅で1人で全能神の御言葉を読み、インターネットで全能神教会の様々な映画や動画を見るようにしました。私はこれにより、教会で説教を聞いていた時よりもはるかに有益な恩恵を得ました。

神は否定的で弱気になっていた私に信仰を与えてくださりました

   5月2日の午後、私の娘と娘の夫がまず最初に私の家にやってきて、その後すぐに牧師もやってきました。彼らは皆、インターネット上で全能神教会の兄弟姉妹たちと集会をしていたことについて私を咎めました。牧師は、「私たちの教会の兄弟姉妹たちと集まって聖書を勉強すればいいじゃないですか」、と言いました。

   私は言いました、「私は長い間教会で集会に参加してきましたが、私の霊的生活に大して役立っていないように感じるんです。全能神が表す御言葉はとても豊かです。その御言葉は私が神を信仰する中で遭遇する問題を解決してくださるし、私が実際に歩むべき道を指し示してもくれるんです。私はその御言葉から本当に心の支えを得たんです。あなたも読んでみれば分かりますよ。」

   従って、私は神の御言葉の書籍を取り出して、彼らに読んでもらおうと思いました。しかし、意外にも彼らはそれを手にした瞬間どこの出版社がそれを出版しているのかを確認し始めたのです。彼らにはその内容を調べる気など全くなく、私に教会に戻るよう説得し続けてきました。私には教会に戻る気が全くないことを悟った3人はお互い心得顔に目くばせをした後、私の義理の息子が机の中から私の携帯電話、神の御言葉の書籍、そして聖書勉強用のメモ張を取り出してそこを飛び出して行きました。私が取り返そうと思って足を前に運ぼうとした時、横にいた娘が突然私をぐっと捕まえてきたのです。身動きが取れなかった私は、彼らに奪われた書籍を見詰めながら、ただそこに呆然と立ち尽くすことを余儀なくされてしまったのです。

   私はこう思いました、「手元に神の御言葉がないし、携帯電話も奪われてしまったわ。これじゃあインターネットで兄弟姉妹たちと集会ができないじゃない。どうやって神に従って神の働きを体験すればいいのよ?」こう考えると、私はとても不安になって動揺しました。そして私はこう思いました、「神は私が神の御言葉を読む機会を与えてくださったのに、どうしてあの書籍が彼らに奪われることになってしまうの?神は私との交わりを求めておられないのかしら?」こう考えれば考えるほど、私は増々悲しくなって行きました。私は神に祈ることしかできませんでした。神に数回祈りを捧げた後、私はヨブのした体験を思いだしました:「ヨブは一晩で全てを失ったけど、神は彼と交わることを拒んでおられたわけではないわ。むしろ、それは霊的戦いであって、サタンが神と賭けをしていたんだわ。サタンはヨブが試練の中で神の証を立てられるかどうかを試そうとしていたのよ。今、私もヨブと似た状況に置かれている。でも、これは神が私を見捨てようとしているのではなくて、むしろ私の信仰を完全にしようとしてくださっているんだわ。私はヨブを見習って、神の証言をして、サタンを辱めるべきなのよ。」こう考えた時、私は落ち着きを取り戻し、神への信仰を胸に抱きました。

牧師は聖書の勉強会で私の指導をしてくれましたが、それには隠された動機があったのです。

   5日目の午後、牧師は勉強用の聖書を購入し、ある姉妹を私の家に連れてきました。彼は、これから私のために毎日月曜日から金曜日の午後に聖書の学習指導をしに来ると言ったのです。一度、私たちが聖書の学習をしていた時、牧師がノアに箱舟について触れたことがありました。私はその機会を利用してもう一度終わりの日の神の働きの証言をしました。私はこう言いました、「ノアの生きた時代、全人類は邪悪で、放縦で、極めて堕落していました。神はノアを送って福音を宣教させました。しかし、その当時はそれを受け入れようとする人は誰一人としていませんでした。最終的に、ノアの8人家族を除いて、全人類が洪水に飲み込まれてしまったのです。現代人もノアの時代の人間と同じように堕落して、罪の中を生き、そこから抜け出す術がありません。世の終わりに受肉された全能神は真理を表し、裁きと清めの働きを実行され、人間を罪から完全に救ってくださりました。世の終わりの神の働きを受け入れず、絶えず罪の中に生き、清めていただいて改心することができなければ、神の働きが成就する時、私たちもノアの時代の人間と同じように滅ぼされてしまいます。なぜなら、神の性質は義で神聖であるからです。」牧師はこう言って反論しました、「神は慈しみと憐みの深い御方です。私たちは主イエスキリストの名に誠実でありさえすれば、永遠のいのちを授かり、滅ぼされることはありません。」

9か月,霊的戦い,神の証を立てた方法

   私の意見を聞く気がなく、頑固な姿勢を貫く牧師を見た私は途方にくれて悩みました。私はこう思いました:「彼は普段とても熱心な人で、教会の中で自分の職務を尽くすだけじゃなくて、外に出て宣教もしているわ。でも、どうして彼は神の新たな働きを無視しているのかしら?それにどうして彼には謙そんして探求する心が全くないのかしら?」

私が苦しかった時、神の愛が付き添ってくれました。

   牧師は頻繁に私の家にやってきて、虚偽を広めようとしたり、私に全能神への信仰を止めることを働きかけてきました。時に、私にも判断がつかないことがあったので、心の状態がとても乱れてしまうことがありました。何度か、教会に戻って集会に参加しそうになったこともありました。しかし、私はこう考えました:「全能神は主イエス様の再臨なんだから、逆戻りするわけにはいかないわ。」当時、私は、神に自分を御導きくださるようにと助けを求めることしかできませんでした。

   その後の数日間、私は聖書を読んで霊的献身に専念しました。一度、私は偶然にも聖書のこの御言葉を目にしました、「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」(ヘブル人への手紙 3:14)。私は、この説を読むようにと、神が私をお導きくださったのだと思いました。私は、諦めずに待って、根気よく最後まで努力をし続けてさえいれば、神は必ず全能神教会の兄弟姉妹たちと連絡が取れるように私をお導きくださると思いました。教会に戻らないと言い張る私を見た牧師は、次第に、私の家に週2回も聖書の勉強会をしに来るようになりました。これは4か月以上も続きました。私が全能神への信仰を曲げる気がないことを悟った牧師はもう私の家に来なくなりました。

   9月になった時、非常に気掛かりだった私は自分の携帯電話を取り返そうと娘を見つけました。苦労の末、私はついに取り返しました。ある朝、私は家族が全員寝ている間にインターネットにアクセスして全能神教会の兄弟姉妹たちと連絡を取りました。その瞬間、私はとても興奮しました。私は、彼らにこの電話は家族にチェックされるから連絡を取り合うためだけのもので、集会には使うことができないと伝えました。私がこう言ったのを聞いた彼らは一緒に集会をするため専用の携帯電話を私に送ってくれると言ったのです。これを聞いた私は感動して涙しました。そして、すぐに私は教会生活を始めました。私がまた教会に戻れるようにしてくださった全能神に感謝します。私は真理を適切に追い求め、神の熱心な御旨を裏切らない決意をしました。

私は真理を明確に知り、神の御恵みに感謝しました。

   ある日、私は神のこの御言葉を目にしました、「荘厳な教会で聖書を読む者たちは毎日聖書を暗唱するが、一人として神の働きの目的を理解しない。一人として神を知ることができない。さらに、一人として神の心と一致していない。彼らは皆価値のない、卑劣な人々だが、それぞれ神を教えるために高い地位に就いている。彼らは神の名をこれ見よがしに振りかざすが、故意に神に反抗している。彼らは自分たちを神を信じる者と呼びはするが、人の肉を食し、その血を飲んでいる者たちである。そのような人々は皆人の魂を貪り食う悪魔、正しい道に一歩踏み出そうとする人々を故意に混乱させる悪霊、神を探し求める人々の道を妨げる躓きの石である。彼らは「健全な肉体」の者たちであるが、彼らの信者たちはどうしたら彼らが人を神に敵対する方向へ導く反キリストであると知ることができるだろうか。どうしたら彼らが魂を好んで求めては貪り食う悪魔の権化であることを知ることができるだろうか。」神の御言葉の御啓示は、私が牧師と長老たちの本性をはっきりと見抜けるようにしてくださりました。彼らは神学を学び、宗教の知識を豊富に持っていると考えるがため、それを利用して、傲慢で、思い上がり、強情な姿勢を取ります。そして、彼らは真理を全く愛していなければ、神のことも知りません。私は、一番初めに通っていた宗派の牧師に終わりの日の全能神の働きを証言した時、彼は探求する心を全く持っていなかったことをあらためて考えました。彼は真理に即した交流を聞いても関心を見せませんでした。その時、私は思わず過去のパリサイ人、律法学者、そして祭司長のことを考えました。彼らは、主イエス様が宣教し、働きをされた時にたくさんの奇跡を起こされているのを目撃していましたが、探求する心を全く持っていませんでした。それどころか、彼らは地位と生活を維持するために、出来る限りのことをして主イエス様の噂を捏造し、主イエス様を非難し、悪人に仕立て上げ、ついにはローマ政府と共謀までして主を十字架に磔にしたのです。現代の牧師と長老たちもまた彼らと同じなのです。彼らは信者たちを永遠に操るという陰謀を実現するためにインターネット上で噂を広めて全能神を批評し、攻撃し、冒涜しています。教会は東方閃電に抵抗するパンフレットや冊子を発行して、それを兄弟姉妹全員に配布しています。牧師と長老たちは信者たちが真の道を求めて調査するのを全力で妨げようとします。彼らの本質は真理を嫌い、神に抵抗するものであり、彼らは真の道を受け入れる人々に立ちはだかる障害物であり、人間の魂を貪る生きた悪魔であると、私はやっと明確に知ったのです。

   私は、全能神がいつも私にお啓きくださり、私を導き、そしてお守りくださり、私が牧師に騙されず真の道にしがみついていられるようにしてくださったことを感謝しています。私は、全能神が私の主であり、私の神であることを今まで以上に確信しました。私は必ず全能神に従い、真理を追い求める道を歩み、完全なる救いを手にいれたいと思います。


私はもう日中に罪を犯し、夜に告白するという生活に悩まされてはいません (II)

2019-05-18 22:44:56 | 神に帰す証

   チェン兄弟は聖書に書かれた預言をいくつか取り入れ、主が来臨される方法について話し、神が人の子になられて地上に降臨されたと言いました。チェン兄弟はこう言いました:「実際に、主はお戻りになられました。主は人間の姿で受肉され、世の終わりに裁きの働きをしに御言葉を表されました。これは聖書の中の預言を現実化してもいます:「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙4:17)。主がお戻りになられた!本当に主はお戻りになられたのですか?主は裁きの働きをしに受肉されたのですか?チェン兄弟がたった今読んでくれた御言葉は正に神の新しい御言葉なのですか?私はとても驚いたと同時に嬉しくなりました。しかし、私は、彼が裁きが教会から始まると言ったのを聞いて思わず、「主はお戻りになられる時に私たちを裁かれるのかしら?」、と心配になりました。私は以前、主の教えを貫けずにいつも罪を犯して主に逆らっていたので、そんな私は刑罰を受けることになるのではないかと思いました。

   チェン兄弟は、神が実際はどのようにして裁きの働きをなさるかを私に理解させようと神の御言葉の他のパラグラフを読んでくれました:「以前に話した通り、裁きは神の家により始まる。この「裁き」とは、終わりの日に神の玉座の前に来る者に対して今日神が下す裁きのことを指す。終わりの日が来た時、神は天空に大きなテーブルを用意し、その上には白いテーブルクロスが広げられ、神は偉大な玉座につき、全ての人は地に跪く。そこで神は、その者が天国に昇るべきか燃える硫黄の湖に送られるべきかを決めるため、各々が犯した全ての罪を明らかにする―そのような超自然的な様子を想像する人がいるかもしれない。人の想像がどのようなものであろうとも、神の働きの本質は変わらない。人の想像は、人の思考による構築物にすぎず、人の脳に由来しており、人が見聞きしたものから組み立てられている。だから、いかに素晴らしくイメージが構想されていたとしても、それはやはり絵画にすぎず、神の働きの計画の代替物にはなり得ない。結局のところ、全ての人はサタンにより堕落しているのだから、どうして神の考えを推し量ることができようか。」

   兄弟は続けてこのように交流しました:「裁きは私たちが思っていたように、神が天国で白いテーブルクロスを広げたテーブルを立てられ、私たちがそれぞれの行いに応じて天国に昇るのか、それとも地獄に落ちるのかを決定されるのではありません。これは私たちの想像に過ぎません。もし神が本当にこのような形で私たちを私たちの行いに基づいて裁かれるのであれば、私たちの中に生き残れる人はいないでしょう。実際、神の裁きは私たちの罪を非難するためのものではなく、私たちを救うためのものなのです。」兄弟の交流を聞いて、私は神の御言葉にとても驚きました。これらの御言葉は私のことを言っているのではないでしょうか?私が以前想像していたのは、大きな白い御座の裁きが下される前に、私があの日やこの日に犯した罪がテレビに映し出されるというだけのものでした。そうか!これは本当に神の御声なのです。私の心の中の思考は神のみが知り得るものです。しかし、大きな白い御座の裁きの前に天国で下される裁きの内容が私の想像に過ぎないとしたら、神はどのようにして裁きの働きをなさるのでしょうか?

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   その後、私が困惑しているのを見たチェン兄弟はまた神の御言葉の節を読んでくれました:「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。」

   兄弟はこのように交流しました:「神の御言葉から、神は世の終わりに御言葉を通じて裁きの働きをされ、御言葉を使って私たちの堕落した本質を明らかにして私たちの考えと行い全てを暴露されることが分かります。神の御言葉の御啓示を通じ、私たちは自分の本質が本当に極めて傲慢かつ利己的であることに気付き、自分たちは嘆かわしいほどに汚れているため、何をするにしても自分の名声と地位を守るために自分の意図と不純さをもって行動していることを知るのです。神の働きが自分たちの観念と合わないと、私たちは未だに神に文句を言って抵抗します。また、私たちは全ての点においてサタンの傲慢な性質を指針に生き、常に高い地位に立って人々を叱ります。私たちは自分がもはや人間らしさをほんの僅かも持っていないほどサタンに堕落させられていることを知る時に初めて自らを嫌い、罵り始めます。これと同時に、私たちは神の御言葉の中に神の神聖さと義なる性質を体験し、主に対して敬虔の念を感じるようになり、主に満足していただくため自らの肉に背き、真理を実践する意欲を持つようになるのです。私たちは実践すればするほど、増々人間らしさを持つようになります。この全ては、裁きの働きがもたらす効果です。考えて見てください:「神がもし、来臨される時、救いにおけるこの段階の働きを実行されなかったら、私たちはどうやって自分の罪を捨て去り、清められることができるでしょう?私たちはどうやって天の御国にはいる資格を得ることができるでしょう?」

   そうです。私は以前、夫と子供たちに対する怒りを抑えられなかったために罪から抜け出せないことに頭を悩ませ、罪を犯してはそれを告白するという状況の中を生きていました。私は主が再臨なさる時に非難されることをとても心配しました。私は今日聞いたチェン兄弟の交流を通じ、主による裁きは人間を直接非難しているのではなく、むしろ御言葉を表して私たちのサタンのような性質を明らかにすること、そして私たちが自己認識をして自らを変えられるようにすることだと理解しました。それは私たちを清めて変えるためのものなのです。主は本当に私たちを愛してくださっています!常に罪を犯してきた私のような人は紛れもなくこの神の救いを必要としているのです!私にまだ悔い改めて変化を遂げるチャンスがあるというのは、本当に素晴らしいことなのです。

   集会が終わった時、私は、「主は本当に再臨なされた!」と思ってとても興奮しました。私は夢を見ているような気分で、しばらく興奮が冷めませんでした。この2日間でチェン兄弟が交流してくれた内容を振り返ると、私はとても感動し、涙しながら神に祈りを捧げずにはいられなくなりました:「ああ、神様!私はサタンからとても深く堕落させられてしまい、あなたの前に来るにふさわしい者ではありません。それでも、あなたはお戻りになった時、卑しむべき私があなたの御声を聞いて、あなたの再臨をお迎えできるようにしてくださりました。あなたは私をとても愛してくださっています。今となっては私の生活の惨めさとストレスは全てもうどうでもいいことで、最も重要なのはあなたの再臨をやっと見ることができたということです。私は将来全能神の御言葉をよく読み、自分の堕落を捨て去ることに努め、人間らしさを貫いていく必要があります。」

   しばらく調査した後、私は全能神が主イエス様の再臨であると確信し、神の御言葉をもっと切望しました。その後、私はこの神の御言葉を目にしました:「人間が地位を得ると、気分を制御するのが困難になり、事あるごとに不満を爆発させ、感情を露わにする。人間は、自分の力を示し、自分の地位や身分が普通の人々とは違うことを他人に知らしめるため、明確な理由なく激怒することさえ多々ある。無論、地位の無い腐敗した人間も、頻繁に取り乱す。そのような人間の怒りは、その人間の個人的利益に対する危害によって発生させられる場合が往々にしてある。自分の地位と威厳を守るため、腐敗した人間は感情を発散させ、傲慢な本質を露わにすることが往々にしてある。」 この時、私は、「私を操り、私に夫と子供たちに怒りをぶつけさせていたのは自分の傲慢な性質であった」、ということに気が付きました。過去に、子供たちが自分の言うことを聞かないと私は彼らを大声で叱っていました。夫が私の期待に沿わないことをすると私は彼を口喧嘩をしていました。私は常に彼らが自分の意図に従って行動することを望んでいましたが、彼らの考えに耳を傾けたり、彼らの気持ちを大切にしたことはありませんでした。その時、私は主イエス様でさえ弟子たちの足を洗われたことがあったのを思い出しました。これ故に、自分のことを振り返ってみると、私は傲慢過ぎたと言えないでしょうか?

   これを理解した後、私は夫と子供たちと仲良くなり、そして彼らに怒りたい時があっても、自分の傲慢な本質が顔を出していることに気が付き、意識的に神に私の心を静めてくださるよう祈り、落ち着いて彼らと話したり、彼らが心の中で何を考えているのかを聞くことができました。娘が宿題をしないことがあっても、私は以前のように大声で彼女を叱りはせず、ゆっくりと彼女を善導し、どのような困難を抱えているのかを聞きました。このように実践していると、私と家族の関係は次第に大きく改善していきました。

   ある日、夫が私に、「最近は前みたいに気性が荒くなくなったな」、と言いました。私は彼がこう言ったのを聞いて、心の中で神に感謝をせずにはいられませんでした。そして、私は誇らしげにこう言いました:「神のおかげよ!神の御言葉が私を変えてくださったのよ。」私は神の働きを受け入れてから自分が少し変わったことに気が付き、世の終わりの神の裁きの働きは本当にとても有意義で、それは私たち人類を本当に変え、清めることができると感じ、真理を追い求める私の意思をさらにかき立ててくれました。自分の堕落したサタンの性質を捨てる方法を手にした今、私はもう日中に罪を犯し、夜にそれを告白するという生活に頭を悩ますことはなくなりました。私は神の御言葉を上手く飲食し、自分の堕落した性質を知ることに集中し、そして真理を実践している限り、いつかは清められ、そして神の御救いを受けることができると信じています。私は全能神に感謝し、全能神を讃えます!


私はもう日中に罪を犯し、夜に告白するという生活に悩まされてはいません (I)

2019-05-17 11:42:59 | 神に帰す証

   現在、主を心から信仰する兄弟姉妹たちの多くが日中に罪を犯し、夜にそれを告白するという生活に悩んでいます。彼らは罪の束縛を捨て去りたいのですが、どうすることもできないでいます。私も一度同じ状況に陥りましたが、今は罪を捨て去る道を見つけたので、もうそれに悩まされてはいません。従って、自分のした体験を兄弟姉妹たちと共有したいと思います。

   私は中学生の時に洗礼を受けてクリスチャンになりました。私は結婚した後、息子と娘を授かりました。その後、私の夫がレストランを開店し、私はそこで忙しくなって子供たちの世話をする時間がなくなってしまいました。その後、私の娘は夜にゲームをして宿題をしなくなり、日中はいつも授業中に居眠りをしていました。彼女の成績は落ちていきました。私は頻繁に彼女の先生から彼女の状況について聞かされていたので、彼女のことをちょっしゅう大声で叱らずにはいられませんでした。私たちは次第に仲違いしてしまいました。他の時には、息子がサッカーをしていた最中に骨折をして病院に行ったのですが、私の夫はレストランのことはほったらかしで、私が全て対応することを当てにしているので、私は息子の世話をしてあげることができませんでした。結果、私は夫に対する不満が募り、彼と頻繁に口論をしました。

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画像はご参考までに

   ある時、私たちが口論をしていると夫が私にこう言いました、「お前は自分を主の信者と呼んでるけど、主への信仰はこんな感じであるべきなのか?」私は彼の言葉を聞いて恥ずかしくなってこう思いました:「神は私たちに自分を愛するように他人を愛し、他人を何度でも許すよう教えてくださるけど、夫や子供の言葉と行動に納得いなかいと怒りが抑えられなくて、いつも彼らに腹を立ててしまうわ。」私はその後、罪悪感を感じて後悔し、絶えず主に祈りを捧げて罪を告白したものの、また同じようなことが起った時は依然として自制することができませんでした。その時、私は聖書にこの御言葉が書かれていることを考えました:「主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。」(詩篇98:9)主は全ての罪人たちを裁きにやって来られます。日中に罪を犯し、夜にその告白をしているような私に天の御国に入る資格などあるのでしょうか?

   その後、レストランは売上が悪くなり、私たちのビジネスは次第に落ち込んでいきました。さらにその後、私は自分たちの日頃の経費を維持して、店員の給料を払うために借金をするはめにもなりました。私は一日中心配に駆られ、食欲を失い、睡眠を取らずに生活をしていました。様々なストレスの中で息苦しい思いをしていた私は機嫌がさらに悪くなっていきました。これを理由に、私は善良な姉妹たちと私たちの教会の牧師の妻に主の御言葉を実践する方法について助けを求めました。彼女たちの答えは、「私たちがあなたのために祈りを捧げますから、あなたは主を信じるべきです」、というものでした。しかし、私は心の中で疑念を抱くようになりました:「毎日主の前に行って祈りの中で助けを求めているのに、私はどうして主の御言葉を実践できないのかしら?」私は生活のプレッシャーに加え、魂がしなびていたことが原因でとても惨めな気分になりました。私はまるで見捨てられた子供のようで、夜になると頻繁にすすり泣きました:「ああ、主なる神よ!あなたは何処におられるのですか?私は辛い苦しみの中を生きています。どうか私をお導きください。。。」

   後に、私はインターネットでリアン兄弟と知り合いになり、彼は頻繁に聖書の中の節の話をして私を慰め、勇気付けてくれました。一度、リアン兄弟は私にこう聞いてきました、「あなたは罪を犯していると思いますか?」私はこう返事しました、「大きな罪は犯していませんが、誰でも犯すような小さい罪なら。」彼は続けてこう言いました:「罪を犯していることを踏まえて、私たちは天国に入れると思いますか?」彼の言葉は私を沈黙させました:「そうよ。罪深い私たちは天国に入れるのかしら?」これは常に私を困惑させる疑問でもありました。最後に、兄弟はこの疑問を兄弟姉妹たちと一緒に調査しようと私を誘ってくれました。この質問には混乱させられてもいたことを考えて、私は誘いを受けました。

   集会の時、チェン兄弟が次の2パラグラフの聖句を送ってくれました:イエスは彼らに答えられた、『よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。』」(ヨハネによる福音書 8:34-35)「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである。」ペテロの第一の手紙1:16)チェン兄弟はこのように交流してくれました:「この聖句から、神は神聖な御方であり、汚れて堕落した人々が神の御国に入ることを神が許可されるなどあり得ないということが分かります。これ故に、神は私たちが罪の束縛を捨て去り、清められることを要求しておられるのです。私たちは罪を犯さなくなって、神に抵抗もしなくなって、初めて神の御国に入ることができるのです。」これを聞いて私はがっかりしました。私はこう思いました:「そうよ、どうして私は今までこの聖句に気が付かなかったのかしら?主は清らかな人々のみ神の御国に入れると仰っておられるけど、だとしたら毎日罪を犯す私は見込みがないってことなのかしら?」

   私がこう熟考していた間に、チェン兄弟は他のパラグラフも送ってくれました:「罪が赦されたが、人の中にある堕落したサタン的な性質がどのように取り除かれるかという働きは人の中ではなされていなかったからである。人は信仰の故に救われ罪が赦されただけで、人の罪深い性質は取り去られず残ったままであった。人の罪は神の受肉を通して赦されたが、それは人の中に罪がないという意味ではない。人の罪は罪のためのいけにえによって赦されることができたが、人がもはや罪を犯さず、罪深い本性が完全に取り去られ変えられるにはどうしたらよいかという問題を人は解決することができなかった。人の罪は神の十字架の働きの故に赦されたが、人は古い、堕落したサタン的な性質の中で生き続けてきた。そのため、人は堕落したサタン的な性質から完全に救われなければならない。そうすることで、人の罪深い本性が完全に取り除かれ、二度と芽生えなくなり、人の性質が変えられるのである。」「受肉の奥義(4)」より。チェン兄弟はこのように交流してくれました:「このパラグラフから、主イエス様は十字架に磔にされて人類の贖いの働きをされ、私たちを罪から救ってくださったことが分かります。主の贖いにより、私たちは主の前に行って、主が祝福してくださる平安と喜びを受けることができます。しかし、傲慢、うぬぼれ、偽り、心の歪み、身勝手さ、そして卑劣さ等、私たちの堕落したサタンのような性質は私たちの中に深く根付いてしまっています。従って、私たちは依然として自分を抑えられず、罪を犯して神に抵抗しているのです。私たちは主を信仰してきたにもかかわらず、依然としてお金と名声を追い求め、自分の利己的な利益を守るために頻繁に嘘をつき、他人を騙します。他人の行いが自分の考えと合わない時、私たちは激怒します。時に、私たちは依然として邪悪なトレンドを追いかけ、常に罪に束縛され、耐え難い苦しみの中を生きています。私たちはサタンに極めて深く堕落させられており、罪を克服する力を持ってもいないため、成す術がないままサタンに自由に欺かれ、日中に罪を犯し、夜にその告白をするといった状態の中を生きているのです。地面に生えるにらのように、根こそぎにしない限りは一度刈り取ってもまた顔を出してくるのです。これ故に、私たちは罪に束縛されるのではなく、完全に清められるためには、神に更なる働きの段階を行っていただいて、私たちの内に深く浸透している堕落したサタンのような性質を完全に一掃していただく必要があります。私たちは堕落したサタンのような性質から抜け出して、自分たちの性質が変化を遂げた時に初めて神の御国に入る資格を得ることができるのです。」

   私はチェン兄弟の交流にとても感謝しました。私はまた、自分たちが日中に罪を犯し、夜にその告白をするという状態の中を生きているのは、自分たちの内にあるサタンのような性質が払拭されていないことが理由であるとも理解しました。さて、兄弟が読んでくれたこれらの御言葉は一体どこから来ているのでしょう?それはどうして私の状態を解き明かすことができるのでしょうか?私は一度も耳にしたことがありませんでした。普通の人間が口にする言葉とは思えません。チェン兄弟は、神に来ていただいて働きのまた他の段階を実施していただく必要があると言いました。私はこれに対する好奇心でいっぱいになり、チェン兄弟による次回の交流がさらに楽しみになりました。