先の「『心理カウンセラーお断り』の貼り紙」の記事について、記したいと思います。
この記事については、予想外の反響があり、おおいに物議を醸しているようです。
この際、発信した者として、僕の率直な意見と感想をコメントしておきたいと思います。
まず最初に、臆せずコメントを寄せて頂いた方々に、お礼を申し上げます。
僕の記した内容へ賛否両論ありますが、いずれの方にも感謝したいと思います。
それだけ、この記事の内容に、関心を持って真剣に受け止めて頂いたと考えるからです。
本来であれば、寄せて頂いたコメントの方、お一人ずつに返コメしたいところですが。
さすがにこれだけの数のコメントを頂くと、なかなかそう言う訳にもいきません。
この記事をもって、返コメに替えさせていただくこと、お許し下さい。
今日までに頂いた68件のコメントは、かなり多種多様です。
記事内容の事実関係を問うものから、僕自身の立場や人格を批判するものまで。
すべてに答えるのは無理がありますが、いくつかに整理して返答させていただきます。
■1.ネットの影響力について
率直に言って、今回の反応には、いささか僕はビックリしました。
ある程度の反応は予想していましたが、ここまでとは思いませんでした。
こんな個人ブログの一記事が、ツイッターで拡散していくとは、想定していませんでした。
ただし、ネットの影響力について無自覚であったかと言うと、そうではありません。
ネットは豊かな可能性を秘めていますし、まだまだ潜在する力があると思っています。
個人ブログを始めたのも、自分なりの情報発信を通して何か伝えられたらと考えたからです。
今回の東日本大震災については、マスメディア中心に被災地の様子が伝えられています。
でも、僕たちが仕事の上でも危惧している領域については、情報は乏しいままです。
様々な団体・個人から発信されているネットの情報が、本当に貴重に思います。
SNSの伝達力についても、今回、僕は身をもって直接感じることができました。
ただ、残念なのは、この記事の取り上げ方には、ややネガティブな扇動があったことです。
ツイッターを拝見すると、同一人物が繰り返し、この記事を取り上げているようです。
■2.コミュニケーションについて
ネガティブでアグレッシブな批判は、僕はとても大事だと思っています。
どろどろぐちゃぐちゃの怒鳴り合いのコミュニケーションも、時には必要です。
そういった議論がし難くなっている最近の学会等は、大変紳士的すぎて物足りなく、何も生まないのではとも思います。
少なくとも、ここにコメントを寄せて頂いた多くの方々は、真剣に考えて下さっている。
やや言葉足らずな僕の記事に対して、向き合い受け止めて下さっている。
被災地への支援のあり方を論じるそのことには、本当に僕は感謝しています。
ただ、そうは言っても、文字を介してのネット上のやりとりは限界があります。
特に、ネットの強みでもある匿名性が前提となっている点で、歪な関係が固定しがちです。
記されただけの文字は、ネガティブな感情反応を惹起する傾向が、どうしてもあります。
願わくば、この意見対立を止揚していくような、相互の共通理解が築ければと思います。
2チャンネルのような、匿名ゆえのネガティブな毒の吐き合いで終わるのではなく。
仮にも、僕たちは、対人支援サービスにかかわる者同士なのですから…。
■3.僕の立場について
コメント中に、僕の所属と氏名を明らかにせよ、との要求がありました。
その意図は、実名をネット上に流して、社会的に批判を加えたいということだと思います。
一応これ、匿名ブログなので、回答は差し控えさせて頂きます。
ただ、このブログの読んで頂ければわかりますが、僕の所属と実名はバレバレです。
防衛的になる必要もないので、実名を挙げて批判して頂いても、構いません。
ただ、その際は、ご自身の所属と実名も明らかにして頂ければ、幸いです。
やはり、他者を実名をあげて指弾し批判するには、それ相応の覚悟が必要です。
リアルな社会的存在である、自身のアイデンティティも賭しての討論になります。
そうでなければ、前述のコミュニケーションも成立しないでしょうし。
近しい方からは、一旦ブログを停止した方が良いのでは?というご忠告も頂きました。
大学に迷惑をかけ、僕自身もなんらかの処分を受けるのでは?との心配する声もあります。
色々と親身になって、この間メッセージを寄せて頂いた皆さんには、本当に感謝します。
でも、個人ブログでも言いたいことが言えない、自己検閲が働くのは危険です。
また、関係がまずくなったからといって、回路を閉ざさないのがSWの姿勢だと思います。
むしろ、今回の記事を契機に、大学と臨床現場が率直に語り合えれば良いなと思います。
■4.事実関係について
さて、「心理カウンセラーお断り」の貼り紙が、本当にあったのか?ということですが。
僕自身の遠慮もあり、婉曲的表現で曖昧な表現になっていたことが想像を膨らませてしまったのかも知れません。
しかし、その文言通りの貼り紙があったのは、紛れもない事実です。
ここにその場所を記すことで、現地の方に何かご迷惑がかかることを恐れます。
岩手県の沿岸部で、街全体が壊滅的打撃を受けたところです。
大規模な仮設住宅が建ち並びつつある場所です。
入れ替わり立ち替わり訪れる「心理カウンセラー」に、住民が怒ってしまったそうです。
支援体制に入るボランティアのコーディネートの重要さを、表していると思います。
それは、心理職に限らず、ワーカーだろうが医師・看護だろうが、同じだと思います。
僕は、基本的には、やはりユーザー側の反応や声を大事にするべきだと考えています。
専門職を名乗る側が、ユーザーの批判に謙虚であるべきだというのが、僕の主張です。
精神保健福祉士等のソーシャルワーカー側の自戒として、僕は記したつもりです。
貼り紙が本当にあったのか?という疑念が、まず表明されたのは、残念なことです。
善意のボランティアは感謝されているはずという前提は、危険だと思います。
むしろ、貼り紙に記された言葉の意味を考えるのが、専門職を名乗る側の義務と考えます。
■5.「心理カウンセラー」について
「心理カウンセラーお断り」との貼り紙なので、僕は「心理カウンセラー」と記しました。
「心理カウンセラー」イコール臨床心理士とは、考えていません。
本文中にも、そのような記述はないはずですし、心理の民間資格は数多あるのが現状です。
むしろ、臨床心理士会は今回の震災当初から、組織的対応を早期から組んでいます。
阪神淡路大震災の経験と教訓も踏まえて、臨床心理士の危機対応体制は明確です。
政府への対応、現地への派遣体制調整等、もっとも早かった職種といえます。
コメントを読んでいくと、いつの間にか「臨床心理士VS精神保健福祉士」のようになっていますが。
住民の怒りを買った方が、「心理カウンセラー」を名乗った、あるいは受け止められたということであり、資格は特定されていません。
一般の方にわかりやすい肩書きかも知れませんが、曖昧な名称であることは確かです。
被災地という特殊な状況下では、感情的反応も昂進し、精神的な深い傷跡を残します。
カウンセリング技術を駆使しての、心理的介入やケアの必要な方が、たくさんいます。
他職種と連携して、心理職の方々が果たす役割は、本当に大きいと僕は認識しています。
■6.心理職とワーカーとの関係について
「心理職とワーカーが元々仲が悪い」というコメントがあり、僕は少し意外でした。
確かにそういう職場はあるのでしょうが、僕はむしろとても近しい職種と感じていました。
少なくとも、僕が勤めていた病院では、常に一緒に仕事をしているチームの仲間でしたし。
今回の記事を投稿する際にも、その時の同僚の顔が浮かんで、考えました。
この記事内容は、彼ら彼女らを批判することになるだろうかと、僕なりに考えました。
でも、自らの専門職種としての襟を正すという趣旨で、職種が異なっても共有して考えてもらえる課題であると思いました。
自職場だけでなく、各地の臨床現場で奮闘している心理職も、多数知っています。
心理職の国家資格化についても、僕なりのスタンスで応援してきた経緯もあります。
異なる職種ゆえに、お互いの差異を認め合い、差異を共有する関係が築けるはずです。
心理職と精神保健福祉士は、現場では相補的な関係にあると、僕は考えています。
スクールカウンセラーとスクールSWも、タッグを組めると本当に力を発揮できると思います。
お互いの認識や方法に違いがあって当然だし、覇権争いのようなコンフリクトが生じるとしたら、やはりコミュニケーション不足があるのではと思います。
■7.「心理職を蔑視している」との批判について
コメント中で、僕が心理職の方を蔑視している、との批判がありました。
心理職と精神保健福祉士を比較して、PSWの優位性を誇示しようとしていると。
問題のあった事例を取り上げて、心理職全体をネガティブに批判していると。
記事本文で僕が記しているのは、残念ながらこういう方もいるという例示です。
少なくとも、心理職全体がそうであると批判するような意図は、毛頭ありません。
ましてや、PSWの優位性を示そうなどという考えはなく、優劣をつけられるはずもありません。
なお、仮に「精神保健福祉士お断り」との貼り紙があった場合には、記事で取り上げないのでは?という問いかけがありました。
これについては、僕はまったく逆に考えています。
むしろ、そのような貼り紙が掲示されていたら、もっと厳しく問題にするでしょう。
被災地の方からの無言の抗議を、いかに受け止めるべきかの自己検証を提起するでしょう。
PSWの被災地支援の入り方が、どのように問題とされているのか。
PSWとして何が問題であったのか、自身も反省的にやはり考えると思います。
■8.「専門職種の対立を煽っている」との批判について
僕自身の言葉足らずな記述が、心理職の方々に不快の念を与えたとしたら、それはお詫び致します。
ただ、僕の考えている心理職の方とSWの関係については、これまでに記した通りです。
専門職種同士の対立を煽るような意図は、まったくありません。
むしろ、本当に意外だったのは、寄せられた数々のコメントの展開でした。
僕の記事を契機に、なんでそこまで話しが展開するの?と思える記述が多々ありました。
記事の言葉に対して、一気に日頃の不満が投影されているような印象さえあります。
相互の職種に対する、異和感や不満が、そんなに各現場でくすぶっていたのでしょうか?
僕のように、自分の現場で相互に言いたいことが言えていた関係は、まれなのでしょうか?
だとしたら、本当に不幸なことで、チームで働く臨床現場では深刻な事態と言えます。
先に記したように、僕にとっては心理とワーカーは、車の両輪のような関係です。
対象者への視点や働きかけ・かかわりの深さや広さを、相互に刺戟し合える職種です。
デイケア等のリハビリ活動でも、退院・地域移行支援でも、常にそうでした。
現場によって、異なる専門職種間のコンフリクトが生じがちなのは、確かでしょうけど。
そんなに、心理職とPSW、対立していますか?各現場で?
これは、僕の率直な疑問です。
まだまだ、たくさんお答えしなければならないことがありますが。
とりあえず、今の時点での僕の率直な感想と意見を、記させて頂きました。
このコメントが、更に火に油を注ぐようなことにならないか、やや危惧もあります。
それでも、率直にディスカッションするのは、いいことだと思います。
この記事のコメント欄に、どうぞご自由に、ご意見ご批判をお寄せ下さい。
物議を醸した張本人の僕も、できるだけ、自分なりにお答えしていきたいと思います。
※4月25日、画像を差し替えました。
<訂正前>
ボランティアとか初心者の方はともかくとして、プロであれば「お断りの貼り紙」で仕事を放棄したりはしないと思いますよ。
<訂正後>
上文を削除
削除の理由:ボランティアの方も初心者の方も適切な対応のできる方々はたくさんおります。プロとしての心構えを強調したくて勇み足の表現になっていることに気づきました。訂正してボランティアと初心者の方にお詫びいたします。
今回の問題ですが、プロは、自分がその必要性を判断し、必要と感じたら例え「お断り」の貼り紙があっても根気よく当事者へ働きかけて仕事をすると思います。
マスコミの方も、お断りの貼り紙があっても、そこで取材をする必要性を強く感じれば、誤解を解く努力をし、配慮不足を謝罪し、信頼関係の回復に努めて取材するのではないでしょうか。
ボランティアとか初心者の方はともかくとして、プロであれば「お断りの貼り紙」で仕事を放棄したりはしないと思いますよ。
ないにこしたことはない貼り紙ですが、貼られた経緯に配慮しながら介入することになります。
拒絶に対応しながら仕事をしたことがないと、貼り紙に驚くかもしれませんが、援助職という仕事とは、そういう「業」のようなものがあると私は思っています。
お断りの貼り紙、出されないにこしたことはないですが、強い拒絶は一つの関係作りのチャンスにもなりますよね。臨床のパラドックスですね。
いたるところに貼り出されたとしても、それはそれなりに、対処してやっていくものですよ。おそらく、先生もコメントを下さった皆さんも大震災と原発からのストレスでいつもより、お疲れでナーバスになっておられるのだろうと思います。
私は先生の礼賛者ではありませんが、デイケア学会設立のときにいっしょに苦慮した旧知の臨床心理士です。「震災直後から、何かとお疲れさまでした」とお伝えしようとこのブログを訪問しました。連休でお疲れがとれますように。
コメント欄を閉じるか、コメントを承認制にして、自分の耳に心地好い批判の一切ない、龍先生を礼賛する信者、精神保健福祉士だけにコメントを許可すれば炎上は止みますよ。
勝手なぼやきは答えようがありませんし、
何日もお待ちの、質疑応答にお答えになればよいと思われます。
実際現実で起きていることを、龍先生に書いて頂く為に、前に進めていただけると嬉しいです。
ご意見ご批判をお寄せください。なんて続行するみたいに書かないで、
これが答えです。
、、、で、完結させればよかったのに、
新たに質疑応答を待っていらっしゃる人が出てしまってますよ。
それに誠実にお答えして、それで、
この話はもう終わらせませんか?
次の龍先生の情報日記が、止まってしまい、貴重な社会資源を、分かち合えません。
それは、日本の医療福祉にとっても残念なことです。
ありませんから。
他者のコメントの責任まで負わせるのは理不尽。
それより、他人に批判されて、匿名で荒しまくった心理士へ、
批判が集まるのは、心理士たちの自業自得当然でしょう。
コメント書いた私としては、筆者より
荒らして批判している人間にこそ、
是非、龍先生同様、
名前を出して堂々と不平を言って欲しかったですね。
あの、荒しがなければ、ここまで誰も心理士ってこんななんだ批判までは、しなかったでしょう。
ワーカーよりの方のコメントはあきらかに、
臨床心理士批判になってませんか?
それをほったらかしにしてるのはどうかと思います。無責任です。
http://www.yomiuri.co.jp/policy/copyright/
http://www.asahi.com/policy/copyright.html
「また、ホームページやブログなどに記事や写真を載せることは、個人が行う場合であっても私的使用にはなりません。大勢の人がアクセスでき、「家庭内その他これに準じる限られた範囲」で使うとは言えないからです」
もうそこまで検索サイトに多くヒットしているということを先生もご自覚してください。
どのようなプラスの効果が日本の精神医療においてはこのような炎上を超えてあるのでしょうか?
これはひとえに先生のもともとの記事がきっかけで起こっていることで、この炎上が鎮火することはなく、このブログは両職種が良好な意見交換をするためではなく、対立して敵意を現すためのブログになってくるでしょう。
そして不満を抱いている患者さんも来るわけです。
今後先生としてはどのようなブログ運営に対するビジョンをお持ちなのか、今回の記事では不十分ですので、ご説明をお願いしたいのですが。
はてなブックマークのコメントを見ると、私のツイート経由で400ほどクリックがあったことがわかります。確かに私が情報を拡散させてしまったのは事実だと思います。
しかし、その事実をもって「ややネガティブな扇動」とおっしゃられるのは、やはりいかがなものかと思います。
当該記事は拡散されると困るようなものだったのでしょうか?だとしたら、そもそも公開するべきではないのではないでしょうか?
ブログでもツイッターでもそうですが、ネット上にアップした情報は(なんらかの制限がない限り)世界中の誰もが閲覧可能な情報となります。
もし誰かに見られるのが嫌なのであれば、例えば会員制のSNSで公開範囲を限定するなどすればいいでしょうし、見られて困らない情報であれば拡散されたという事実のみで「ややネガティブな扇動」というのはやはりいかがなものかと思います。
以上、全て私の憶測で書いてしまいましたが、できればブログ主様のおっしゃる「ややネガティブな扇動」とは何のことなのか、教えていただけると今後の参考になります。
お忙しいところ大変恐縮ですが、ご教授いただけますでしょうか。
総合病院の精神科で臨床心理士をしております、ハンドルネーム・ロテ職人と申します。
> この記事の取り上げ方には、
> ややネガティブな扇動があったことです。
> ツイッターを拝見すると、同一人物が繰り返し、
> この記事を取り上げているようです。
とのことですが、この同一人物とは、ひょっとして私(twitterID:@rotemeister)のことでしょうか?
確かに当該記事に関するはてなブックマークを見ていただければわかるかと思いますが、私はこの記事のURLを引用したツイートを3回しています。
表示されているのは4回ですが、2回目のRTはタイプミスで投稿してしまったもので、既に削除済みです。
さて
> ややネガティブな扇動があったことです。
とのことですが、少なくとも私には全くその意図はありません。
私のツイートを読んでいただければおわかりかと思いますが、最初のツイートは
> 「臨床心理士会などが、きちんとコーディネート機能を果たして、
> 派遣する人材をコントロールできていれば」
> 本当に大丈夫なんだろうか?
> それでも「お断り」されるケースがあることを
> 専門家は自覚する必要があるかと
と、臨床心理士だからと良いというわけでもない…ということを言っています。
そして、2回目、3回目のリツイートに関しては「貼り紙」の件は事実ではないかもしれない…ということについてです。
これはブログ主様は「ネガティブな扇動」と捉えられたということでしょうか?
このことや、あるいはTwitterで繰り返し取り上げた「同一人物」が私であるということが、そもそも私の勘違いであるならばこのコメントは無視してくださって構いません。
ただ、ブログ主様のおっしゃるところの「同一人物」「ネガティブな扇動」というのが、私が述べていることで間違っていないのであれば、それは全く私の本意ではありません。
これは龍先生が望んでいる「自由な議論」なんですか?
ただお互いの感情をマイナスにぶつけ合っているだけじゃないんでしょうか。
これは好ましいことなんですか?
龍先生がこのブログを始めた理念と今の状態は一致していますか?
どうしてこういうことが起きているのか、今後どうすればいいのか、龍先生自身よくお考えになった方がよろしいかと思いますか。
断られたところに現われた心理カウンセラーとは何者なのでしょうね??
悪質デマ 名誉毀損で立件視野に(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110401-OYT1T00793.htm
失礼を承知で書かせていただきますと、
後半の、
‘心理カウンセラーはいらない’
に賛同する程、
先週からの、カウンセラー側の反応が(一部の人々除き)被災地のお断りの張り紙を知ったとたん、
怒りと追求ばかりで、
心理として全く反省も、思いやりもないコメントからの、当然の『心理士いらない』
ではないでしょうか?
少なくとも、私はそれでコメントを書きました。
臨床心理士って、こんな人々だったんですね。がっかりしました。
龍先生の記事は、気をつけましょうという辛口でも、害のないものです。
それは前からカウンセラーと名乗る連中に不審を
抱いていたから。医療処置出来る訳でもなく、美容師みたいに髪を洗う訳でもなく、勝手に話してるだけだからね。
ブログ主様は今後、被災地の方々をどのようにケアしていくことが適切だとお考えでしょうか?そこを私は知りたいです。心のケアは必要だとは思いますが、これほど沢山の人達をどうやってみていくのか。当然一人の力、一つの分野の力では無理でしょうから、いろんな立場の人が連携して、長いスパンで継続して行わねばならないことだと思いますが、このような縄張り争いが激しい業界?では無理ですかね。
私はまったく門外漢なもので、稚拙な質問をお許しください。このような精神療法関係の資格には、何がしかの医療技術の取得も含まれるのでしょうか?(応急手当であるとか、内科的な知識だとか)
精神疾患には内科的な原因がある場合も往々にしてありますが、こちらの皆様は自分たちだけでそれが判断可能なのでしょうか?
可能なのであれば、今からでも現地に行き、現地の医師や看護師とタッグを組んで、仕事をなされればよいかと思います。しかし、それは無理というなら、今は差し控えるべきです。
話を聞くだけでも救われる人は確かにいるでしょう。意味がないとは申しません。
しかし例えば、避難所の窮屈で不安な生活で、子どもの夜泣きが止まらない、と悩む母親の「話を聞くだけ」で何か解決するでしょうか。「わかりました。今しばらく私がお子さんを預かります。その間にゆっくり寝てくださいね」と具体的な助けの手を差しのべることが今は求められているのでは?
私がもし、衣食住に極めて不自由な状況にある被災者であったら、精神医療ほにゃらら士のカウンセリングと、プロの美容師のボランティア洗髪とどちらを選ぶかといったら、迷わず後者ですね。そこはわきまえないといけないと思うんです。
被災地の人の心のケアを具体的にどうしたらいいか。
その辺の議論をせつに求めます。それがプロの勤めだと思います。
心理カウンセラー批判だと、ここで騒いでいる心理カウンセラーは、サイテイだと思う。
心理カウンセラーお断りの文がネットで反乱して信用を失うというより、お前らの自己保身とサイト荒しで、心理カウンセラーってブチ切れるし理屈っぽくて
コワイと思われるだろう。
相手が精神保健福祉士だと分かるや否や、お前らこそと荒らす荒らす。
被災地にいらないって言われたからって、ここで荒らすなよ。
被災地のサイトに直接真偽を確かめて、貼り紙の被災地に言えばいいんだ。
相手もオトナとして、貼り紙した行為の反応の責任はあるんだから。被災者とはいえ、オトナだろ、社会人だろ。ハッキリあんたらお断りと、言えばいいんだよ。
苦情の相手が違うよ。
私も関係ない仕事です。
だからこそ、あきれて文句を書いてます。
意見は自由ですからというカウンセラー。
よく読まないで納得いかないと書いた臨床心理士の検討違いのコメントには哀れさえ感じました。
文句言うけど相手の言い分は読まないで、カウンセラーが勤まるのかいな。
患者や利用者、他の職員さんも苦労しているんだろうな。
荒らした人のブログに、本来書くべきだけど、結局書くとこないから、龍龍先生のブログに意見を書くんだよね。
意見は自由ですからというカウンセラー。
よく読まないで納得いかないと書いた臨床心理士の検討違いのコメントには哀れさえ感じました。
文句言うけど相手の言い分は読まないで、カウンセラーが勤まるのかいな。
患者や利用者、他の職員さんも苦労しているんだろうな。
荒らした人のブログに、本来書くべきだけど、結局書くとこないから、龍龍先生のブログに意見を書くんだよね。
ここで熱く語っていらっしゃる方は従事者なのでしょうか?
意見を言うのは自由ですし考えもそれぞれかと思いますが、ここでコメントで争っているのを見ていると、小学生の喧嘩にしか見えません。
自分の意見だけを正当化して、こんな自己中心的な方もいらっしゃるのですね。
荒らしと思われてしまうほど不愉快なコメントを残していらっしゃる方は、よほどご自分に自身があるのでしょう。だから、龍龍先生の記事の意味が読み取れないのですね。
こんなに空気が読めない方にカウンセリングされるなんて、まさに「お断り」ですね。
ここでのコメントを読んでいたら「こんな専門家達なら貼られても仕方ないな。」と思います。
本来は、被災者のことを考えた議論が繰り広げられるべき場所だったはずです。
被災者側の気持ちを考えた議論がここで繰り広げられないことが哀しいです。
それも、専門家として悔い改めるべき点なのではないでしょうか?
デイケア連絡会、そして病院改革関連での様々な場に於いて、数年間大変お世話になりました。あの土曜PMの例会(月に1回)は、自分の臨床の原点の1つに今もなっています。
そして昨日、それこそ、ひょんなことから、このブログに出会いました。「心理カウンセラーお断りの貼り紙」をめぐっては大変でしたね。しかしその論議にしっかりと向き合い、また誠実に対処し続けられるFさんの姿に、デイケアのメンバーを常に大切にしつつ、またそうした様々な協議の場もしっかりと維持し続けられるねばり強さ等、感じられ、かつての姿とも重なって、とても懐かしく、また嬉しくなってしまいました。
避難所でのこの件、先週、精神神経学会の対策本部等から〈新興宗教ないしカルトの集団が、カウンセラー等と自己紹介して色々入り込んできているので要注意〉といった情報が入っていましたが、そうしたことともどこかリンクしている可能性等ありましょうか・・・。
尚、CPとPSW間にあるギクシャク、これは困ったものです。Fさんが色々と記されている通りで、共に補い合いつつ、進みたいところです。ただ残念ながら、CPの方は国家資格化に向けて、内部でまだガタガタしている面もあり、そんなイラ立ちから、とかくPSWに様々な想いを重ねるコメント(まさに、日頃の不満の投影)になりがちな感じもします。しかしそれは自分達でしっかりと改善し、乗り越えねばならない課題だと思っています。
ではまた、どうぞお元気で!(いづれ何かの会議でまた久々にお会いできるかと思います・・・)。
>そして、その貼り紙の横に、もう一枚、新たな貼り紙が加わりつつあるようです。
「心理カウンセラーお断り」という貼り紙が…。
これを、
そして、その貼り紙の横に、もう一枚、新たな貼り紙が加わった避難所があります。
「心理カウンセラーお断り」という貼り紙が…。
と訂正ください。それだけの話です。
意味がわからないとつぶやいている人へ。コメントは著者に向けたものです。あなたの意見やわからなさ加減には興味も反論もなにひとつありませんから、どうぞこれからもひとりでつぶやきください。自由ですから。
議論するつもりがなかったり、自分の言いたいことを言うだけなら、他の人の意見は意見として尊重すればいいのに。自由なんですから…
筆者の職場まで事態が飛び火しちゃいますけどね。
これ以上大きな問題に発展しないうちに、
聞きいれられたらいいのですが、
無自覚なので、難しいでしょう。
法的な観点に関しては、
きちんと記事を訂正したものをしめしたうえで、一定の期間をおいて(訂正した証拠をネット上に残すため)から、記事を削除することです。訂正、削除したものに対し、訴えられることはほぼないでしょう。
議論の紛糾や、職業上の責任に関しては、一度ネットに書き込まれてしまった以上、消しようがありませんので、ご自身の主張、考えの中で、こりゃまずいと感じられることがあれば、ひたすら訂正、傷つけた相手に対し謝罪をするしかないでしょう。間違えていると思わないのであれば、そのままで批判も甘んじて受けたらよろしいでしょうし。
こんなこと、高校生でも知っていると思っていたのだけれどな。やはり幼さにびっくり。
ただ、自分の意見を書けば良いという
加瀬さんの意見には、合っています。
我々は、違う意見をもつのも認めるんだ。
例え荒しに見えてもね。
は?そこまでの親切をする義理はありませんが。こちらに書いておけば、書いた方が直接ご覧になるでしょ。それがこの方に私ができる最大限の親切です。聞き入れなければご勝手に。
世間知らずではすまされないですね。
欧米なら訴訟問題に間違いなく発展するでしょう。
タイトルをご覧いただいて、どう思われましたか?あなたは、汚染野菜の裏ルートでの出荷を1件発見したとして、上記タイトルのような表現をされますか?お答えください。今回の記事は同じことです。
「議論歓迎」と言いながら非常に攻撃性を秘めておられ、ちょっと笑ってしまいました。理屈をこねまわさずに、表現に誤りがあったことを認め訂正されればすむことです。議論以前の問題です。
>貼り紙が本当にあったのか?という疑念が、まず表明されたのは、残念なことです。
これには正直たまげました。
ちょっと言葉を失いますが、「~つつある」という表現のあいまいさを明確にすることは重要であるとは思いませんか?1件のできごとなのか、何件もそのような事態がおきているのか。それとも相手の言葉を信用することが前提ですかそうですか(「大丈夫原発は安全です」)。
最後に、
>※画像は、陸前高田市で水をくむ子ども(47NEWSより)
これ、犯罪だってこと、ご存知ですよね(念のため伺います)。なさっていること、企業勤めなら即効解雇レベルです。
久しぶりにブログを覗いたら凄い事になっていますね~。善くも悪くもここまで反響がある事に驚きます。
先生の記事だけではなく、ここに書き込んである内容は非常に興味深いです。
ここで起きている事もある意味「震災の影響」なのでしょう。きっと被災した人々の間や復興支援者の間でもこのブログ上で起きているような「気持ちの行き違い」生じているのではないでしょうか。
でも、私には皆さんの共通点が見えた気がします。それは、皆さんが他者の事を思っているということなのではないでしょうか。被災者の事はもちろん、専門職として働く友達のこと、同僚のこと、専門職としての自分のこと社会のこと・・・。それぞれの人が真剣な事に感動します。
震災の事は日本国民だけではなく、世界中の人に「なにか」を考えさせたのではないでしょうか。被災者に支援をするのはもちろん最優先されるべきですが、私たちは今それぞれが考えている「なにか」についてしっかり向き合うべきだと思います。それが私たちの責任です。
でも、その「なにか」は人それぞれです。そして、今回龍龍先生が考えた「なにか」の一部がこの記事に書かれたのだと私は思いました。だから色んな人が違う意見があって良いと思います。
でも、中傷は意味が無いです。意見はすばらしいです。議論はすばらしいです。でも中傷は醜いです。このブログの素晴らしさが失われます。
ここに書き込む人に言いたい。
「礼儀を忘れないで」
相手の顔はみれないかもしれません、しかしここに書き込んでいる人は「人間」です。気持ちがあります。皆さんが書いていることを読むのも人間です。龍龍先生も人間です。
「意見」と「感情」を分けて書いてください。
そして、他の人が意見を持つ事を認めてください、許してください。それから自分の意見を述べてください。足を引っ張り合うのは議論ではありません。相手の意見を批判する必要は無いです。ただ、自分の意見を述べれば良いのです。
私はそう思います。
これが私の意見です。
龍龍先生、私は先生のブログが好きです。だからこれからも書き続けてくださいね。楽しみにしています。
そして、私もぶつくさ書き込みます
が、本来のお話だったので、私も、軸から外れた
今回の件での書き込みは、ここまでといたします。
まだまだ書きたいことはありますが、そうするとやはり段々趣旨と変わっていきそうですし、文字のやり取りは限界があると思うので。
最後に個人的な意見ですが、専門家って自分と同じ職種や資格の人は厳しくみるのかなと思います。本当の専門家ならね…
書いて、憎しみでいっぱいになられても、、、、。
よく読んでみたら、、、あら、本当ですね,
仲良くしましょうと友好的に終わらなくて
残念( ´△`)です。えーーーーん。
精神保健だからかばっているんじゃないです。
なんで対立にしたがるのでしょう。
関係なさそうな内容には、
ここは怒りの捨て場じゃないから、被災地支援と
関係ない内容の文句を捨てていくのはやめましょうと
荒しを止める発言は、必要かも。
自由意見とは
お互いが話し合えるから成り立つので、一方的にゴミを捨てていくのは違います。
返事されると、極端に攻撃された
と思う方は、
資格も教員も立場も関係なく
時々ありますね。自分と関係ないケースの
勉強会でも、
呑みに行こうと試験も近い日に言う人が、
勉強会なので、うちではナンパ禁止と言われて
(イジワルされたの)
と、お話されている知人がいます。
自分自身のものは、自由な意見。
だけど他者からの異なる意見は攻撃。
時にそう捉えがちだと、、、私たちは自戒をもって
気をつけていかなきゃいけません。
ツタージャさんのコメントを読んで私は目から鱗が落ちました。未熟な自分をふり返るのに大変勉強になりました。
本当に有り難うござましたm(_ _)m
苦しくて読めないからです。
「お断り」「的外れ」という言葉を精神保健福祉士は、当事者、利用者の方によく使うのでしょうか。
私は龍先生が言うとおり、精神保健福祉士と心理カウンセラーが各所で対立しているのかと聞かれたので、自分の過去の体験を書いたら的外れと言われる。
ネットでは誰も影響を受けないはずだと書いていましたが、「ネットで見たけどここはいい病院(施設)だから、よくないから」という方を私はたくさん見てきました。
高圧的な精神福祉士の下で働いてきましたが、それでもその人が特殊なのだと思い、心理カウンセラーを志す若い人には「精神保健福祉士という、大変世の中のためになる仕事もある」と今まで勧めていたのですが、今後は一切やめます。
現在は精神保健福祉士と一切かかわらない職場で働いていて、そのことをこのブログを通じ、とても幸せに感じます。
ここは大学教員の龍先生という精神保健福祉士が書いているブログで、その意味ではこのブログの読者は龍先生に心酔している人が多いのでしょう。
精神保健福祉士の立場から、龍先生に異議を唱えた人はこれまでのコメントで一つもなかったことに、私は気持ち悪さを感じます。
ここは私にとっては完全にアウェイです。
自分のフィールドで意見が言えることは楽だと思いますが、アウェイに乗り込んで意見を書くことは精神的にとても辛いことなので、今後一切このブログを読まず、精神保健福祉士という存在についても忘れて生きていこうと思います。
それは議論をする立場ではないと言われたら、確かにそうでしょう。
しかし、あたかもそれは、話したくない被災者の方に根掘り葉掘り、家族が亡くなった時の状況、死にかけた状況を聞くのと類するものです。
当初は困惑だったのが、憎しみに自分の感情が変わったことがわかりましたが、それを抱き続けていては、私が持ちませんので、このサイトを閉じて一切を忘れて生きていくことにします。
少なくとも、置いてきぼりというより、
被災者への支援について書いていて、
あなたのカウンセリングは関係ないと思われる。
自分の内情は自分のカウンセラーと話すべし。
あきらかに被災地に行っていないカウンセラーや、何
も
知らない調べもしようとしない、
関係ない人が逆ギレしたり、
関係ない連中が全く記事と関係ないことを書きに
来ているのを、荒しというのでは。
心理カウンセラーお断りとはられたカウンセラーと、
はった被災者は、置いてぼり。
写真も勝手に使っていますが、私の家の写真だったら、私は絶対に許しません。なんでかってにつかうんでしょう。許可をもらたのでしょうか。弱い立場に置かれている人が、どんなことで傷つくか、よく考えてください。
関係ない立場で読ませていただいた場合、申し訳ないですが、
人の文章をまっさらな心と目で読み、まずは共感し(皆さん、ご存知でしょうけど共感とは賛成するという意味ではありませんよね。)、さらに、相手の気持ちを汲みつつ、感情的に押し付けるのではなく、自分の意見として、相手に提示することのできない人たちに、心のカウンセリングなんてできるのかな~???って思いました。
自分の心をきちんと整理し、ことばで伝えることができるなら、専門家を頼る必要などないですよね。
専門家さんたちは、共感し、理解して、心を引き出して軽くしてくれるのがお仕事なんじゃないですか?
書いてある文章をきちんと読むことができず、人に共感することもできず、自分の感情を一方的に押し付けてくる人に相談したら、「ああしなさい!こうしなさい!!!どうしてしないの???」って叱られちゃいそうで、なんだかそんな人に当たってしまった人がかわいそうだな~って思いました。
最初の記事は、そういったことを専門家としてみんなで(『心理カウンセラーに限らず』)気をつけましょうってことだと思いました。
炎上させて喜んでる淋しい人もたくさんいるのですね。
でも、人間は棄てたもんじゃありません。
ちゃんと明るい場所、あったかいものに人は集まってきます^^
この弁明をよく読んでみてください。
心理カウンセラーお断りの貼り紙なので、心理カウンセラーと書いてますが、具体的に心理と言っても沢山の民間資格があります。臨床心理士とは、ひとことも書いていません。
むしろ臨床心理士のことは擁護して書かれています。
前のページの中の人々でも、
勝手に臨床心理士と決めて、色々誤解されてて、
心理擁護の皆様は、
よく
読めばいいのにと思ってみてました。
よく読めば、誤解は解けるかなあと、コメントさせていただきました。
私は、精神保健福祉士ですが、臨床心理士さんで、素晴らしい人も存じ上げておりますよ。
お仕事の仕方を尊敬しております。
どんな職業でも色々多種多様だから良いし、資格は出発点、仕事をする最低基準であり、仕事ぶりとは関係ないです。
明治の児童文学者、金子みすゞの
わたしと小鳥と鈴と、
みんな違ってみんないい
という詩のように役割も個性の違いを認め合えればいいですね。。
心理も、お医者さんも、看護師さんも、
介護士さんも、精神保健福祉士さんも、
社会福祉士さんも、OTさんも、PTさんも、
患者さんも、みんな、みんな、
みんな違ってみんないい
その上で、貼り紙がはられない援助の方法を
建設的で前向きに、お話し合いできた幸いです。
と言うのが、私の考えなので、反論やご意見をお待ちしています。
精神保健福祉士と臨床心理士が、全く利害関係なく、働けている職場というのがどれだけあるのかと思います。
国家資格である精神保健福祉士、サービス管理責任者である精神保健福祉士の方が上位者として扱われる施設もあるでしょう。
先生がなんでもこれまで心理職との間で腹蔵なく話ができていたからと言って、どこの施設でもそうだとは限らないのです。
当事者さん、利用者さんは人間関係にとても敏感です。
精神保健福祉士と臨床心理士が少しでも違うことを言えば食いついてきます。
お互いに忙しい職種間で十分に意思疎通ができる職場だけではないのです。
先生は長い経験の中でPSWと臨床心理士がお互いに対立している職場を一つも聞いたことがない、ということはないはずです。
これが、先生のブログでなく、ただの個人ブログであったならば、私も問題として取り上げなかったと思います。
臨床心理士がこの記事を書いていたとしたら、私も納得して読んでいたでしょう。
ところで、検索サイトでは「臨床心理士お断り」で検索するとこのサイトがトップに出てきます。
わかるでしょうか。
先生が対立を煽るつもりではなかったと言っても、心理職の信用を失墜させる行為をしたということを。
相補職種だから何を言ってもいいとは思いません。
今回の件で被災者が一番に考えられなければならないのはもちろんですが、震災で不安定になり、心理カウンセラーと危ういながらもカウンセリングを続けながら、治療を続けているクライエント、患者さんもいるわけです。
それが例え精神保健福祉士がいない職場であっても。
そのクライエントさんなり、患者さんが、これだけ「臨床心理士お断り」が大きく目で飛び込んできて、しかも今回は「事実である」と言明されていらっしゃる。
心理職への不信感が増し、治療関係継続が不可能になるクライエントさん、患者さんがいるということにご想像が及ばないのでしょうか。
先生はこのブログで所属も明らかにし、立派な経歴をお持ちだということがわかります。
そのような方だからこそ、一言一言には重みがあり、与える影響も大きなものです。
前回のブログのコメントを読んでも、「自分は精神保健福祉士だけれども、心理カウンセラーはには期待している」というものは一つも見受けられませんでした。
精神保健福祉士のブログであるからには、私がアウェイにいる少数者だということは承知しています。
先生は事実と主張していますが、だからと言って、先生のような立場でしたら、臨床心理士の団体に申し入れをするなり、人づてで心理カウンセラーに注意を喚起することはできなかったのでしょうか。
情報は一人歩きしていて、ツイッターどころか、別サイトにも飛び火して、反臨床心理士論も出ています。
先生はネットの与える影響についてあまりにも無自覚であると思います。
また、事後の処置が先生の今回の記事で終息しているわけではなく、インターネットを通じて永遠に流れ続けているわけです。
「臨床心理士お断り」と。
ところで、「お断り」という張り紙が貼られたから良くない、張り紙が貼られていないからOKだ、と考えるとしたら、それは、どこかで利用者の心をぞんざいにあつかっているのではないかという気がしております。支援者がどんなに素晴らしい支援をしても、被災者の方にとっては、外部の専門職に支援してもらうこと自体が、心理的な負担のはずです。「すばらしい支援であってもお断り」という側面が必ずあると思います。私達の支援そのものが、元々は不必要であったことを、私達は常に覚えていなくてはならないと思います。そして今後はドンドン不必要になっていくことを願っていなくてはならないとおもいます。つまり、もともと「お断り」ですし、これからも「お断り」という部分が必ずあるんだと、考えていなくてはならないと思います。
記事では、カウンセラーとソーシャルワーカーの違いをごく当然のこととして書いておられました。しかし、余計なことではありますがあえて申し上げます。その2つの違いは、こちらの都合です。被災者に限らず、多くの利用者の方にとって、支援者がカウンセラーなのかソーシャルワーカーであるのかは、重要なことではありません。そこを区別して考えるのは、こちらの都合です。利用者にとって支援者は、自分の人生や生活の外部からやってくる、もともと自分の人生にはいなかった、必要なかった存在なのです。
だから、もしも「ソーシャルワーカーお断り」という張り紙があったとしても、私はソーシャルワーカーではなく、カウンセラーですが、外部から来た支援者の一人として、被災者の方々にまずお詫びを申し上げなくてはならないように思います。
その上で、張り紙を張って下さった被災者の方に感謝も申し上げたいと思います。被災者が、一つひとつ声を挙げていかなければならない現状は、さらなる負担を強いることだと思います。しかし、それでもなお、被災者のかたが、自ら声をあげてくださったことは、周りの方を大きく力づけ、支えになってくるんだと思います。そして私達に気づきを与えてくれたと思います。感謝するより他ありません。
また、被災者の方に、ご面倒をおかけするうえ、本来はあってはならないことですが、これからも、「お断り」と言いたくなる状況が生じる可能性があります。被災者の方には、そういう場合は、是非、遠慮なく、「お断り」と言ってくださるようお願いしたいと思います。
私達のように自分のことを支援者だ考えるものは、常に「お断り」の張り紙が目の前のドアに貼られているつもりで、活動を続けていかなくてはならないと改めて思いました。
色々と、考えさえられました。ありがとうございます。勝手なコメントでしたがお許し下さい。