そこに何も無いのであれば、時間や空間も無いのではないか。
空の時間とか、虚の空間とかが有ると考えるときは、その“有る”は事や物が“有る”ということとどう違うのか。
仏教や形而上学が考えることであって、われわれが考えても空転するばかりだと思うと、いつも割り切れないものが残ってきた。
それが最近になって、たまたまブライアン・グリーンによる“ひも/M理論”の解説を読んで、「おや?」と思った。
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20世紀を通じて量子力学を記述する数学の開発が行われ、それによって行われた計算は実験結果と嘗てない精度で一致し、僅かにズレが見いだされたときは更に新しい発見へ導いてきた。
それがどのような数学なのか。どのようにして計算するのか。
数学者の中には簡単なことですと言う人もいるが、実際には簡単に学べるものでないらしい。
推論の結果だけが、数学的説明を抜きにして、整理されて伝えられてくるようで、いつも違和感があった。
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ぼくの最も古い記憶は夢で見た光景ではないかと思う。
青空が池か海になっていて、アメリカ人がボートを漕いでいた。
むこうも、こっちを見上げて笑っていた。
多分、地球が丸いと誰かから聞いたかして見た夢だと思う。
何歳のことか、全く見当が付かない。
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壬申の乱については高校で詳しく教えてもらい、興味を持って学んだつもりだったか、随分忘れてしまったらしい。
どっちが先に仕掛けたのか。
どうでも良いようなことかも知れないが、最近になって明らかにされるようになったことも多いのではないだろうか。 . . . 本文を読む