タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

パンは食の乱れ?

2015年11月02日 | Weblog
タミアが尊敬する食品業界の方の一人が齋藤訓之先生です。博学なだけでなく、それぞれの情報の間に一貫した物の見方や哲学があり、お話を読んでいろいろと考えさせられます。最近では著書「有機野菜はウソをつく」が大評判になったので、ご存じの方も多いことでしょう。

その齋藤先生が、最近のあるメルマガの中でこのようなことを指摘されていました。
10年以上前、ある「消費者の食事の実態調査」研究報告本を読んでいたら、「菓子パンを食事代わりに食べる人」を指して「食生活の乱れ」と紹介していましたが、果たしてそういう食事を「乱れている」と決めつけていいのでしょうか・・・・と。

確かに、タミアもこれはおかしな決めつけだと思います。これが食事の乱れというなら、朝食のバゲット(フランスパン)にチョコクリームや蜂蜜などをたっぷりかけて食べるフランス人は「国民全体が乱れている」ということになってしまいます。

「いやいや、フランス人はフランスパンを食べていいんだ。でも、日本人ならお米を食べるべきだ。理屈じゃないんだ。」という方もいると思います。でも、そのパターンの考え方がOKなら、実は大変な結論になるのです。

「日本人だから〇〇するべきだ。」という物の言い方は個人の自由を束縛する表現だからです。特に太平洋戦争の時代にはそういう物の言い方がよく聞かれました。例えば「日本人だから日本語さえできれば良い。英語を勉強してはいけない。」「日本人だから伝統的音楽だけに親しむべきだ。西洋の音楽を歌ったり聴いたりもしてはいけない。」「日本人だから髪の毛はまっすぐであるべきだ。パーマをかけてはならない。」など様々に言われて、「なぜですか?」と疑問を表明した人は村八分にあったり、石を投げられたり、特高に捕まったりしたのです。

現代でも時々「日本人だから〇〇すべきだ。」という言葉を聞くことがあります。それが小学生から発せられたりするのを見ると、背筋が寒くなります。子どもは時代の雰囲気に敏感だからです。現代は、あの、言論の自由がない、暗い恐ろしい時代に近づいて居るのでしょうか。

さて、農文教の「聞き書 東京の食事」の44-45頁によれば、すでに大正時代末から昭和初期の東京人形町の女学生の間では「お昼にあんパン」などが普通の生活になっていたようです。そのほかの本を読んでも、都市部ではパンは大正時代から昭和初期にかけて、生活に欠かせないものになっていたと指摘されています。子ども達は菓子パンをよく食べ、大人は味噌や醤油をつけて焼いて食べたりもしていました。食事代わりに菓子パンを食べるのは本当に「食の乱れ」なのでしょうか。むしろ日本の伝統の一つになっているのではないでしょうか。

タミアはお米も大好きですが、パンも好きです。特にあんパンは和食といっていいと思っています。酒種で発酵させてあんこをつつむなんて大胆な発想はすばらしいと思います。お米とパンがけんかしたり、どっちが上か下かの議論ではなく、米食文化とパン食文化、互いの文化がその良さを見つめ合い、認め合い、時には融合もある、そんな心豊かな社会であって欲しいと願っています。

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