「一汁三菜が和食の基本」という説が、近年になって創られた説であることは、今までのこのブログの中で、繰り返し述べてきました(2015年9月6日、2016年1月16日、同年4月2日)。
我が国の和食文化研究の第一人者、静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫先生も、産経ニュース2014年1月6日付けで、古い文献には「和食の基本が一汁三菜」と示す物が一つもないことを指摘しています。先生は同年3月5日付けのALICというHPの消費者コーナー「トップインタビュー」においても、「お菜(注:おかずのこと。)が三つでなければならぬと思われては困ります。汁とご飯とお菜と漬け物という四つの要素からできているのが和食の基本」「お菜がトンカツでもすき焼きでも(和食である。)」と述べて居ます。上記の定義だと、寿司や蕎麦やうどんは和食の基本ではないということになりますが、そのことはともかく、「おかずが三つが基本」とする一汁三菜説には、全く根拠がないのです。
ところが、最近「古い絵巻物の中に一汁三菜の絵が書かれている物があるから、これが和食の基本だ」という説が聞かれるようになりました。この説は残念ながら、2つの意味で大きな疑問があり、学問的に通用するレベルではありません。
まず第一に、その「証拠の絵」がたった1点しかないことです。その絵の他に、一汁三菜を描いた古い絵巻物が、専門書にもネットにも全く見当たらないのです。我が国には古くから多数の絵巻物が保存されており、そこにはいろいろな数のおかずの絵が描かれています。その多数のパターンの食事図の中に、たった1点、一汁三菜の絵があっただけで、「一汁三菜が和食の基本だ」と唱えるのは、あまりにも説得力に欠ける話です。
そして第二の問題。その問題の絵が「病草子」という12世紀末から13世紀初頭に作られたと推定されている絵巻物なのですが、この絵一つだけを根拠に「一汁三菜が和食の基本だった」と決めつけるのは、絵という「メディア」の性質について誤解していると思われることです。ここは専門的な話になるので少し難しいところですが、以下、出来るだけ丁寧に説明いたします。
「病草子」は当時の様々な病気を描いた絵巻物であり、問題の場面は、歯槽膿漏の男性が、一汁三菜の食事を前にして、食べられず、困った表情をしているところです。したがって絵師は、食事が出来ない苦痛を強調するために、あえておかずの数を増やした可能性が高いのです。と、説明してもこれだけではちょっと分かりづらいので、いったん現代に戻って、大人気イラストレーターの中村祐介先生が書いた「みんなのイラスト教室(飛鳥新社)」のお話をご紹介しましょう。
この本は、イラスト好きの若者の投稿作品に、中村先生が、こうしたらもっと良くなるとアドバイスする内容ですが、6~14頁で取り上げられた投稿作品はまさに、「虫歯かなにかの理由で食事ができない人の周りにお菓子がいっぱいある。」という、病草子を思わせるシチュエーションです。この作品について中村先生は、色使いを変えてでも、周りの食品を美味しそうに見せるべきだと指摘しています。作者の伝えたいこと、つまり「甘い物が食べられない」ことをはっきりさせるのが一番大事だからと書いてあります。作者の伝えたいことを明確にするために、小道具をありのまま描かずに、意図的に変更さえするのが、プロの仕事であり力量なのです。当然、お菓子やおかずの数を増やすことだってあり得るのです。
同様に、絵巻物に書かれた食事についても、そのまま当時のリアルな現実の図だったと捉えることは危険なのです。絵巻物の詞書きに「後の世に、当世の食を伝えんとて、ありのままに記す物なり。」とでも書いてあるなら話は別ですが、そうでなければ、絵巻物の中に書かれた食事を指して、そのすべてが当時のスタンダードだったと考えるのは早計なのです。絵を描いた作者の意図的改変もあり得ると考えて慎重になる必要があるのです。それが病草子のような、病気の苦悩を示す図であればなおさらのことです。
話をまとめましょう。日常食を描いた絵の中では、あの熊倉先生でさえ、「病草子」にしか一汁三菜の絵を見つけることができなかったのです。そして、さらに文献に至っては、「和食の基本は一汁三菜だった」という証拠が全くないのです。大勢の人が信じていたあの「江戸しぐさ」が、実はねつ造だったということで最近問題になっていますが、一汁三菜説についても同様の可能性を考えて、慎重になりたいものです。
今ひとつ心配なのは、この問題について、寿司、蕎麦、うどんなどに携わっている人々が危機感をいただいていないことです。ユネスコが和食を世界無形文化遺産に登録した中、和食の基本は一汁三菜だという説がすっかり定着してしまえば、基本と認められない寿司、蕎麦、うどんなどの業界は、様々な面で影響を受けかねません。業界の将来に影を落としかねない深刻な問題ではないかと懸念します。
我が国の和食文化研究の第一人者、静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫先生も、産経ニュース2014年1月6日付けで、古い文献には「和食の基本が一汁三菜」と示す物が一つもないことを指摘しています。先生は同年3月5日付けのALICというHPの消費者コーナー「トップインタビュー」においても、「お菜(注:おかずのこと。)が三つでなければならぬと思われては困ります。汁とご飯とお菜と漬け物という四つの要素からできているのが和食の基本」「お菜がトンカツでもすき焼きでも(和食である。)」と述べて居ます。上記の定義だと、寿司や蕎麦やうどんは和食の基本ではないということになりますが、そのことはともかく、「おかずが三つが基本」とする一汁三菜説には、全く根拠がないのです。
ところが、最近「古い絵巻物の中に一汁三菜の絵が書かれている物があるから、これが和食の基本だ」という説が聞かれるようになりました。この説は残念ながら、2つの意味で大きな疑問があり、学問的に通用するレベルではありません。
まず第一に、その「証拠の絵」がたった1点しかないことです。その絵の他に、一汁三菜を描いた古い絵巻物が、専門書にもネットにも全く見当たらないのです。我が国には古くから多数の絵巻物が保存されており、そこにはいろいろな数のおかずの絵が描かれています。その多数のパターンの食事図の中に、たった1点、一汁三菜の絵があっただけで、「一汁三菜が和食の基本だ」と唱えるのは、あまりにも説得力に欠ける話です。
そして第二の問題。その問題の絵が「病草子」という12世紀末から13世紀初頭に作られたと推定されている絵巻物なのですが、この絵一つだけを根拠に「一汁三菜が和食の基本だった」と決めつけるのは、絵という「メディア」の性質について誤解していると思われることです。ここは専門的な話になるので少し難しいところですが、以下、出来るだけ丁寧に説明いたします。
「病草子」は当時の様々な病気を描いた絵巻物であり、問題の場面は、歯槽膿漏の男性が、一汁三菜の食事を前にして、食べられず、困った表情をしているところです。したがって絵師は、食事が出来ない苦痛を強調するために、あえておかずの数を増やした可能性が高いのです。と、説明してもこれだけではちょっと分かりづらいので、いったん現代に戻って、大人気イラストレーターの中村祐介先生が書いた「みんなのイラスト教室(飛鳥新社)」のお話をご紹介しましょう。
この本は、イラスト好きの若者の投稿作品に、中村先生が、こうしたらもっと良くなるとアドバイスする内容ですが、6~14頁で取り上げられた投稿作品はまさに、「虫歯かなにかの理由で食事ができない人の周りにお菓子がいっぱいある。」という、病草子を思わせるシチュエーションです。この作品について中村先生は、色使いを変えてでも、周りの食品を美味しそうに見せるべきだと指摘しています。作者の伝えたいこと、つまり「甘い物が食べられない」ことをはっきりさせるのが一番大事だからと書いてあります。作者の伝えたいことを明確にするために、小道具をありのまま描かずに、意図的に変更さえするのが、プロの仕事であり力量なのです。当然、お菓子やおかずの数を増やすことだってあり得るのです。
同様に、絵巻物に書かれた食事についても、そのまま当時のリアルな現実の図だったと捉えることは危険なのです。絵巻物の詞書きに「後の世に、当世の食を伝えんとて、ありのままに記す物なり。」とでも書いてあるなら話は別ですが、そうでなければ、絵巻物の中に書かれた食事を指して、そのすべてが当時のスタンダードだったと考えるのは早計なのです。絵を描いた作者の意図的改変もあり得ると考えて慎重になる必要があるのです。それが病草子のような、病気の苦悩を示す図であればなおさらのことです。
話をまとめましょう。日常食を描いた絵の中では、あの熊倉先生でさえ、「病草子」にしか一汁三菜の絵を見つけることができなかったのです。そして、さらに文献に至っては、「和食の基本は一汁三菜だった」という証拠が全くないのです。大勢の人が信じていたあの「江戸しぐさ」が、実はねつ造だったということで最近問題になっていますが、一汁三菜説についても同様の可能性を考えて、慎重になりたいものです。
今ひとつ心配なのは、この問題について、寿司、蕎麦、うどんなどに携わっている人々が危機感をいただいていないことです。ユネスコが和食を世界無形文化遺産に登録した中、和食の基本は一汁三菜だという説がすっかり定着してしまえば、基本と認められない寿司、蕎麦、うどんなどの業界は、様々な面で影響を受けかねません。業界の将来に影を落としかねない深刻な問題ではないかと懸念します。