日本経済新聞1月14日29面の記事は見逃せない内容でした。食文化研究で著名なあの石毛直道先生によれば、一汁三菜が和食の基本、と言われ出したのは「現代のこと」だそうです。
このブログの9月6日版「和やかな食事と書いて和食・・・」の記事の中で、ミラノ万博の頃から急に「一汁三菜が和食の基本」という説が聞かれるようになったことについて、疑問を書きました。つい最近まで「一汁三菜が和食の基本」なんて話は聞いたことがなかったし、それが本当ならうどんや蕎麦や寿司はどうなるんでしょう、と書いたのですが、やっぱり私の疑問には間違いがなかったのですね。「一汁三菜が和食の基本」という説は本当にごく最近に「誕生」した話だと考えるべきでしょう。
原田信男先生の著書「江戸の料理と食生活」を読むと、一汁三菜説は完全に覆されます。例えば冒頭の十返舎一九の食事。一汁二菜で、青野菜はほとんどありません(つけものは菜には数えない決まりです)。大ベストセラー作家でさえ、こんな生活だったのです。ましてや町民はどうだったか。朝は一汁一~二菜、昼は外食でファストフード(うどん、そば、寿司、天ぷらなど)、夕は茶漬けだったようです。うどん、そば、寿司、茶漬けなどは一汁三菜ではないことは言うまでもありません。
同著によると、井原西鶴はグルメの知識があり、商人同士のもてなしの献立を記述したそうで、三汁七~八菜のごちそうが載っているそうです。p21には将軍家斉は普段でも朝と昼で一汁四菜、夕は汁なしの五菜だったと書いてあります。p12には「七五三の膳を基本とする本膳料理によって今日の日本料理の基礎が形成された」とあります。・・・以上のことを重ね合わせて考えると、「一汁三菜が和食の基本」という説は、誰かの創作か誤解が広まったものとしか思えません。
江戸という一地域を見てもこのように和食は多様だったのですし、ましてや全国で見ると非常に多様な和食がありました。例えば琉球(現在の沖縄)の主食はイモでした。また先の日経の記事に戻ると、石毛先生のお話では、農村では長らく一汁一菜が食の中心だったそうです。もちろん、お米はご馳走であり、普段は麦飯やアワ飯などを食べていました。従って和食を「お米中心の一汁三菜」と唱えることには慎重になるべきでしょう。
では、誰が何の目的で「和食の基本は一汁三菜」という「現代の神話」を広めているのでしょうか。その点については調べても答えが見つからなかったのですが、一つだけ言えることは、この説が広まると有利になる人達が居ることです。
それは、「伝統的和食が一番健康に良い」と主張してきた人々です。彼らはかつては、多くの医者や栄養学者らから「炭水化物過多で、野菜も魚もごく少量しか食べない一汁一菜の食事では身体をこわす」と反論されて、言い返すことのできない立場でした。だからこそ、「日本では昔から一汁三菜だった。」というイメージが多くの国民に定着すれば、こうした人々は「ほら、私達の言う通り、伝統食は栄養バランスがいいでしょう?」と言い返すことが出来るのです。
実は、伝統的食材から作る一汁三菜は塩分が高くてカルシウム等が少ないので、栄養バランスがいいとは限りません。和食の一汁三菜=栄養バランスが良い、という奇妙なイメージが近年急速に広まっているのはなぜでしょうか。これは「和食」という言葉の定義の自体の問題が深く関わっているようです。則ち、和食研究の第一人者、原田信男先生は、別の著書の中で、カレーやラーメンも含めた日本人が改良した食品も和食ですと唱えており、同様に第一人者である熊倉功夫先生は、おかずがとんかつ等洋風のでも汁と飯が付けば和食だと唱えているのです。これら原田先生説と熊倉先生説に基づけば、洋食は和食の一種なので(!)、和食を食べれば牛乳や肉類やサラダも食べられるので(!)栄養バランスがとれて健康に良いのです。ところが一般の人の間では和食というと牛乳や肉類などを廃した料理とされがちです。こうした定義のねじれから、いろいろと奇妙な誤解が広まっているのではないかと思われます。
さて、以上のことから考えると、「伝統的食事が身体に良いとする疑似科学」に人々がのめり込んで健康を害しないように、私たちはきちんと、正確な知識と記録を次世代に伝えていきたいものです。
「和食は一汁三菜だけではなく、いろいろな形態がある。うどんや蕎麦や寿司のように汁と菜の概念がない料理だって、日本の誇る和食文化だ。ただし、和食が健康に良いかという話は、定義の問題から慎重に議論しなければならない。」と。
このブログの9月6日版「和やかな食事と書いて和食・・・」の記事の中で、ミラノ万博の頃から急に「一汁三菜が和食の基本」という説が聞かれるようになったことについて、疑問を書きました。つい最近まで「一汁三菜が和食の基本」なんて話は聞いたことがなかったし、それが本当ならうどんや蕎麦や寿司はどうなるんでしょう、と書いたのですが、やっぱり私の疑問には間違いがなかったのですね。「一汁三菜が和食の基本」という説は本当にごく最近に「誕生」した話だと考えるべきでしょう。
原田信男先生の著書「江戸の料理と食生活」を読むと、一汁三菜説は完全に覆されます。例えば冒頭の十返舎一九の食事。一汁二菜で、青野菜はほとんどありません(つけものは菜には数えない決まりです)。大ベストセラー作家でさえ、こんな生活だったのです。ましてや町民はどうだったか。朝は一汁一~二菜、昼は外食でファストフード(うどん、そば、寿司、天ぷらなど)、夕は茶漬けだったようです。うどん、そば、寿司、茶漬けなどは一汁三菜ではないことは言うまでもありません。
同著によると、井原西鶴はグルメの知識があり、商人同士のもてなしの献立を記述したそうで、三汁七~八菜のごちそうが載っているそうです。p21には将軍家斉は普段でも朝と昼で一汁四菜、夕は汁なしの五菜だったと書いてあります。p12には「七五三の膳を基本とする本膳料理によって今日の日本料理の基礎が形成された」とあります。・・・以上のことを重ね合わせて考えると、「一汁三菜が和食の基本」という説は、誰かの創作か誤解が広まったものとしか思えません。
江戸という一地域を見てもこのように和食は多様だったのですし、ましてや全国で見ると非常に多様な和食がありました。例えば琉球(現在の沖縄)の主食はイモでした。また先の日経の記事に戻ると、石毛先生のお話では、農村では長らく一汁一菜が食の中心だったそうです。もちろん、お米はご馳走であり、普段は麦飯やアワ飯などを食べていました。従って和食を「お米中心の一汁三菜」と唱えることには慎重になるべきでしょう。
では、誰が何の目的で「和食の基本は一汁三菜」という「現代の神話」を広めているのでしょうか。その点については調べても答えが見つからなかったのですが、一つだけ言えることは、この説が広まると有利になる人達が居ることです。
それは、「伝統的和食が一番健康に良い」と主張してきた人々です。彼らはかつては、多くの医者や栄養学者らから「炭水化物過多で、野菜も魚もごく少量しか食べない一汁一菜の食事では身体をこわす」と反論されて、言い返すことのできない立場でした。だからこそ、「日本では昔から一汁三菜だった。」というイメージが多くの国民に定着すれば、こうした人々は「ほら、私達の言う通り、伝統食は栄養バランスがいいでしょう?」と言い返すことが出来るのです。
実は、伝統的食材から作る一汁三菜は塩分が高くてカルシウム等が少ないので、栄養バランスがいいとは限りません。和食の一汁三菜=栄養バランスが良い、という奇妙なイメージが近年急速に広まっているのはなぜでしょうか。これは「和食」という言葉の定義の自体の問題が深く関わっているようです。則ち、和食研究の第一人者、原田信男先生は、別の著書の中で、カレーやラーメンも含めた日本人が改良した食品も和食ですと唱えており、同様に第一人者である熊倉功夫先生は、おかずがとんかつ等洋風のでも汁と飯が付けば和食だと唱えているのです。これら原田先生説と熊倉先生説に基づけば、洋食は和食の一種なので(!)、和食を食べれば牛乳や肉類やサラダも食べられるので(!)栄養バランスがとれて健康に良いのです。ところが一般の人の間では和食というと牛乳や肉類などを廃した料理とされがちです。こうした定義のねじれから、いろいろと奇妙な誤解が広まっているのではないかと思われます。
さて、以上のことから考えると、「伝統的食事が身体に良いとする疑似科学」に人々がのめり込んで健康を害しないように、私たちはきちんと、正確な知識と記録を次世代に伝えていきたいものです。
「和食は一汁三菜だけではなく、いろいろな形態がある。うどんや蕎麦や寿司のように汁と菜の概念がない料理だって、日本の誇る和食文化だ。ただし、和食が健康に良いかという話は、定義の問題から慎重に議論しなければならない。」と。
スーパー・加工食品のない時代なら、なおさら専業主婦(または女中)がいないと不可能です。
※農民・飲食店の嫁は、勤めてはないがフルタイム労働です。
夕食はすいとん鍋・翌朝は雑炊の一品料理、一日2食が普通でした。