11月24日は国が定めた「和食の日」です。では、和食を後世に伝えるに当たって大事なことは何だろうか、と考察しました。
まず、このブログで繰り返しお伝えしてきたことですが(まだ読んでない方は過去のブログもぜひ読んでくださいね。)、和食は時代と地域と社会階級によってずいぶんと異なるものです。江戸時代から白米を大量に食べられたご先祖も居れば、雑穀中心の食事だったご先祖も居ます。だから、「これが和食だ!」という簡単な説明や模型を提示できないのです。
次に、人によって和食の定義があまりにも違いすぎる、という問題があります。ラーメンやとんかつも和食ですし、中華レストランを和食レストランに計上している統計データがあることも過去にこのブログで紹介しました。
「和食の定義に悩むなら、ユネスコに登録された時の定義に沿えばいいんじゃないか?例えば、旬を大切にすることなどが書いてあるよ。」と考える人もきっと居ることでしょうが、でも、実は肝心の日本人間の旬の定義でさえ、全く曖昧で、例えば「走りを旬に入れたり入れなかったり」と、かなりいい加減なことが行われていることも、先日このブログで紹介しました。つまり、ユネスコ登録の定義では、実はうまく和食を説明できないのです。
「日本型食生活が和食でしょう?」という人もすごく多いのですが、農水省の定義によると日本型食生活はご飯を中心にはするものの、パン食も西洋料理も時々食べる食事のことであり、伝統食とは全く異なる概念です。このことも過去のブログで紹介済みです。
「日本食」と「和食」の区別も難しいものです。この2つをどう分けるのか、人によって全く異なります。ラーメンやカレーライスについて聞くと、ある人は「日本食であり和食である」と答え、別の人は「日本食だが和食ではない」と答えます。
「味噌や醤油を使うのが和食だ」という人も居ますが、それだと、カレーやたこ焼き、お好み焼きだけでなく、純和風と思われる「すまし汁」(普通は出汁と酒とみりんで調味します。たまに隠し味で醤油を入れることもありますが、多くの場合は醤油を使いません。)さえ和食ではないことになります。
そこへ持って難問なのが、「和食」と「日本料理」も全く違う概念であるという事実です、遠藤哲夫先生の「大衆めし 激動の戦後史」によると、1973年頃に遠藤先生は、「たいへん偉い日本料理の先生」に、お米のごはんのおかずは日本料理ではない、と指摘されてショックを受けたそうです(p80~83)。遠藤先生はその直後に、板前さんでかつ料理文化研究者だった江原恵先生に会い、その意味を知ったとのこと。
江原先生によると、日本料理とは料理屋料理(=宴会料理であり、芸者をあげて遊んだり、特別のもてなし料理であり、酒を飲むための料理。)であり、ゆえに、日本料理とは家庭料理とは異なる、使う材料からして違う、とのことでした(p84~85)。
その後も遠藤先生は研究を続け、同著p96によると、「海外でも人気のすしやてんぷらなども、そばやうどんも、日本料理からは下賤な食べものとして見られていたのだ。」とのこと。
遠藤先生によると、社会学者の加藤秀俊先生が1978年に、日本の食文化について非常に重要な指摘をしているそうです。それは何かというと、中華料理や西洋料理と比較して、(焼き魚や刺身やおひたしなどのように)新鮮な食材をほとんど手を加えずに食べるという点で日本食は作るにしても手間をかけず簡便で、食べるにしても「大いにせっかち」「さっとかきこんで食事をすませる」という点です。だからこそ、日本人は蕎麦などを発明したのだということです。
そう言われて思い起こせば、高度成長期までは「早飯、早●ソ(注:自粛して伏せ字にしました。)」が奨励されていました。早くご飯をかき込んで、トイレに行って(お食事中にこの文章を読んでいる方はすみません・・・・。)すぐ仕事をするのがかっこいい大人なんだよ、とよくいわれたものです。
寿司や天ぷらもファーストフードとして広まったという事実は、色々な研究書に記されています。
つまり、スローフードとは真逆のファーストフード文化こそが、日本の食文化の芯であり根っこだったのです。その芯はぶれることなく、今日にも、会社近くの食堂で黙々と立ち食い蕎麦や茶漬けやラーメンをかき込むように食べるサラリーマンのお父さん達の背中に現れていると言えるでしょう。
さて、そろそろまとめに入ります。和食とは何か。二つの方向性が見えてきました。
1つめが、「時代や地域や社会階層によって全く食材が違うから、材料や旬などでは和食を定義出来ない。」という厳しい現実。
2つめが、「西洋料理や中華料理と決定的に違う点といえば、多くの料理においては素材を活かすためにあえて手間をかけず、簡便に調理し、急いで食べられるものが好まれていた。」という点。
つまり、和食の伝統を維持し、後世に伝承するに当たって欠かせない和の心構えとは、「アンチ・スローフード」つまり、素材をさっと調理して急いで食べる文化を大切にすることではないでしょうか。
和食の日だからこそ、この、「和の心」の芯にあるファストフード文化を絶やすことなく、次世代にも伝えていきたい物だと思います。・・・・あれ?
まず、このブログで繰り返しお伝えしてきたことですが(まだ読んでない方は過去のブログもぜひ読んでくださいね。)、和食は時代と地域と社会階級によってずいぶんと異なるものです。江戸時代から白米を大量に食べられたご先祖も居れば、雑穀中心の食事だったご先祖も居ます。だから、「これが和食だ!」という簡単な説明や模型を提示できないのです。
次に、人によって和食の定義があまりにも違いすぎる、という問題があります。ラーメンやとんかつも和食ですし、中華レストランを和食レストランに計上している統計データがあることも過去にこのブログで紹介しました。
「和食の定義に悩むなら、ユネスコに登録された時の定義に沿えばいいんじゃないか?例えば、旬を大切にすることなどが書いてあるよ。」と考える人もきっと居ることでしょうが、でも、実は肝心の日本人間の旬の定義でさえ、全く曖昧で、例えば「走りを旬に入れたり入れなかったり」と、かなりいい加減なことが行われていることも、先日このブログで紹介しました。つまり、ユネスコ登録の定義では、実はうまく和食を説明できないのです。
「日本型食生活が和食でしょう?」という人もすごく多いのですが、農水省の定義によると日本型食生活はご飯を中心にはするものの、パン食も西洋料理も時々食べる食事のことであり、伝統食とは全く異なる概念です。このことも過去のブログで紹介済みです。
「日本食」と「和食」の区別も難しいものです。この2つをどう分けるのか、人によって全く異なります。ラーメンやカレーライスについて聞くと、ある人は「日本食であり和食である」と答え、別の人は「日本食だが和食ではない」と答えます。
「味噌や醤油を使うのが和食だ」という人も居ますが、それだと、カレーやたこ焼き、お好み焼きだけでなく、純和風と思われる「すまし汁」(普通は出汁と酒とみりんで調味します。たまに隠し味で醤油を入れることもありますが、多くの場合は醤油を使いません。)さえ和食ではないことになります。
そこへ持って難問なのが、「和食」と「日本料理」も全く違う概念であるという事実です、遠藤哲夫先生の「大衆めし 激動の戦後史」によると、1973年頃に遠藤先生は、「たいへん偉い日本料理の先生」に、お米のごはんのおかずは日本料理ではない、と指摘されてショックを受けたそうです(p80~83)。遠藤先生はその直後に、板前さんでかつ料理文化研究者だった江原恵先生に会い、その意味を知ったとのこと。
江原先生によると、日本料理とは料理屋料理(=宴会料理であり、芸者をあげて遊んだり、特別のもてなし料理であり、酒を飲むための料理。)であり、ゆえに、日本料理とは家庭料理とは異なる、使う材料からして違う、とのことでした(p84~85)。
その後も遠藤先生は研究を続け、同著p96によると、「海外でも人気のすしやてんぷらなども、そばやうどんも、日本料理からは下賤な食べものとして見られていたのだ。」とのこと。
遠藤先生によると、社会学者の加藤秀俊先生が1978年に、日本の食文化について非常に重要な指摘をしているそうです。それは何かというと、中華料理や西洋料理と比較して、(焼き魚や刺身やおひたしなどのように)新鮮な食材をほとんど手を加えずに食べるという点で日本食は作るにしても手間をかけず簡便で、食べるにしても「大いにせっかち」「さっとかきこんで食事をすませる」という点です。だからこそ、日本人は蕎麦などを発明したのだということです。
そう言われて思い起こせば、高度成長期までは「早飯、早●ソ(注:自粛して伏せ字にしました。)」が奨励されていました。早くご飯をかき込んで、トイレに行って(お食事中にこの文章を読んでいる方はすみません・・・・。)すぐ仕事をするのがかっこいい大人なんだよ、とよくいわれたものです。
寿司や天ぷらもファーストフードとして広まったという事実は、色々な研究書に記されています。
つまり、スローフードとは真逆のファーストフード文化こそが、日本の食文化の芯であり根っこだったのです。その芯はぶれることなく、今日にも、会社近くの食堂で黙々と立ち食い蕎麦や茶漬けやラーメンをかき込むように食べるサラリーマンのお父さん達の背中に現れていると言えるでしょう。
さて、そろそろまとめに入ります。和食とは何か。二つの方向性が見えてきました。
1つめが、「時代や地域や社会階層によって全く食材が違うから、材料や旬などでは和食を定義出来ない。」という厳しい現実。
2つめが、「西洋料理や中華料理と決定的に違う点といえば、多くの料理においては素材を活かすためにあえて手間をかけず、簡便に調理し、急いで食べられるものが好まれていた。」という点。
つまり、和食の伝統を維持し、後世に伝承するに当たって欠かせない和の心構えとは、「アンチ・スローフード」つまり、素材をさっと調理して急いで食べる文化を大切にすることではないでしょうか。
和食の日だからこそ、この、「和の心」の芯にあるファストフード文化を絶やすことなく、次世代にも伝えていきたい物だと思います。・・・・あれ?