テニス試合の出来事・・・強運の成績
中学と高校の6年間をクラブ活動として軟式テニスを厳しい環境のもとで練習を行った。
雨の日以外は一日も休ませてくれないという環境で、先輩の方々が築き上げた、強豪校であ
ったようだ。
その6年間の間終始、学校の中でも2番手という実力の私でした(軟式テニスは二人での
ダブルスで、個人の試合はなかったので、二人組の実力のことです)学校でも常に二番手で
すから兵庫県の大会で優勝するなど少しの可能性も考えられなかったのです。所謂二回戦・
三回戦で敗北するのだろうと。
中学での最大の試合は、近畿大会があります。各県から三位までになった組が、その大会
に出る権利が得られます。三年生になってその予選があり、とても近畿大会には届かない
と思いながら試合が進んで行きました。果たして、何と三位になってやっと出場できる結果
がえられる事が出来、10月の近畿大会に向けていままで以上の猛練習が続きます。
試合会場は、たしか大阪のテニスコ-トが6面もある広い環境で試合に臨みました。優勝
するには5回勝たねばなりません。まあ、2から3回程度試合が出来れば言い方だと思いなが
ら比較的緊張するタイプですがその試合は強く緊張することもなく、試合に臨み、何とあれよ
あれよという間に、決勝戦まで勝ち進んだのです。我ながらびっくりです。
そして相手は奈良県の選手だったと思います。その相手を観ていて確かに自分たちより実力
がありれそうに思えました。試合が進んで行く内に、強く思った考えがありました。自分は中
学生で相手の選手も間違いなく中学生でともにまだ子供であるから欠点はいろいろとある筈だ
と思いつつ、一つの作戦と言うか、いやそれしか出来なかったのですが、あることに努めてや
ったことがありました。どんなスポ-ツ競技でも、相手に勝つためには一般論で言えば、相手
の苦手で強いボ-ルを打てばいいのです。しかしそれには当然実力が伴います。そこで私は相
手が打ち返し易いボ-ルでもいいからとにかく相手にボ-ルを返すことに徹し、決して強いボ
-ルは打たないことに努めました。いわばかっこ悪い試合の姿です。若いのだからもっと思い
切ってプレ-すればいいのにと見ている人達はそう思ったに違いありません。だってこの試合
は決勝戦だから尚更のことです。
どんな試合でも言えることですが、難しいボ-ルよりも、絶好球のようなボ-ルが来たなら
ばこれはチャンスとばかり強く打ち返そうとします。そこに力身が出てしまうでしよう。それ
を我慢に我慢を続けて行く内に相手は徐々にミスをし出してきました。自分がシメタと思って
打ち込んだボ-ルを相手が転げまわりながら、打ち返ってくると、相手はミスの連発になって
ゆきました。そこが中学生だと思っています。
その結果、何と優勝のカップを学校に持ち帰ることができました。このことは作戦もありま
したが、やはり強運による結果だと思っています。
次は高校になってからです。
高校生になっても相変わらず学校では二番手の実力に甘んじていました。三年生の7月に
全国国民体躯大会の出場権を得るための県予選大会が、兵庫県明石市のコ-トであったと思
います。国体は都道府県大会で三組による団体戦になります。この試合で三位まで入らない
と高校生活最後試合になってしまいます。中学の最大の大会は近畿です。高校では国体とし
ては全国大会なので出場するだけでも栄誉感を味わいさせてくれるものと思い、それこそい
つもよりも激しい練習をしました。過日述べた就職活動の結果が出たのはこの時期でした。
私のこれまでの成績は兵庫県においては、ベスト8がぎりぎりでした。これではとても三位
になることは極めて困難なことで、中学生だったように、実力がともなわなくても心理的作戦
と運の良さだけでは勝つことは不可能と言わざるを得ない大会だったと思います。
この高校生活最後の試合に臨み、結果所属する自学校の常にトップの組が優勝し、私の組は
三位入って国体の出場を果たせることになりました。自学校から二組も国体に出場できること
になったからでしようか、学校において朝全校生の前で激励会をしてくれました。
これらのことは、前回のレポ-トで申し上げている通り決して自慢するためではなく、最後の
試合の時ほど今までよりもよい成績を上げられたことに、これは何か強運を与えられたものと
強く感じる事でした。もちろんある程度の努力と勇気が必要なことは当然ですが、しかし、そ
れだけでは良い結果を出し続けられることは難しいだろうと思っているところです。
この6年間のテニスの練習と試合結果から、私は大きな自信を持つことができたと、人生を
振りかえって見る時つくづく思うのです。それまでの私は、おとなしい目立たない気の弱い男の
子だった自分が初めて、自分の意志というものを少しだけ発揮できるようになって来たのだと感
じているところです。私の強運の人生はこれらの体験から本格的に始まることになります。