森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

北海道へ

2022-10-10 14:52:21 | 森の施設

 

      北海道へ

 

 このぶどうは、私がマンション住まいになった25年ほど前に、小さな苗木を4本植えた

ものです。35世帯という小さなマンションで敷地も狭く、建物の裏手にある、僅かな土地

に飢えたのです。およそそれから5~6年経て食べることが出来るぶどうが実り出しました。

10月中旬から下旬にかけて、収穫祭と大袈裟な行事と銘打って、子供優先でぶどうをそれ

ぞけで食べあった。今年も良く実りました。

 

  さて、私が北海道に縁を最初に出来たのは、過日述べました「研究所」が全国に10カ所

の拠点を設置し、本格的に普及(営業)するためで、北海道から南九州にそれぞれ一人づつ転勤を

命じられ、私は北海道札幌に派遣されたのです。親会社の事務所に一つだけ机を借りてあって、

何もかも体勢を整えていかなければならなかった。まず、事務員の採用から行い、自分は早速

営業のため、毎日外回りして、出版物をあらゆる組織を訪問した。これが私と北海道に縁ができ

たことでありました。

 そして2年経ってやっとこの北国にも慣れ、親しくして頂ける人も出来てはじめいよいよこれ

から本格的にと言う時に、今度は東京への転勤命令があったのです。その時私は、上司に転勤を

断りました、それに対して上司いわく、サラリ-マンが転勤を断ったりすると、会社を辞めざる

を得ないぞと脅かすように言われ、その時一瞬、それなら何時か会社を退職して、自らの意志で

札幌に戻ってこようと思っていました。単なる強がりというかそれほど真剣に思ったわけでは無

かったのです。 結局東京では今度は内勤の仕事で、これまた2年ほどで京都の研究所の本社に

戻されることになりました。このようにサラリ-マンに付きものでしようが、転勤の繰り返しで

地域との結びつきは仕事以外ではほとんど持つことが出来なかったのです。世間のサラリ-マン

方は同じ経験をされているのでしようが、私はこのような勤務状態には満足というより我慢でき

ずに、現在の商売の契約をした後、再度札幌に戻って一から自営の道に進みました。当時29歳

で間もなく30歳手前の年でした。出向前の親会社に戻ることもできたのですが、いずれにして

もサラリ-マンを止めることにしたかったのです。その時代は、オイルショック直後の不況の底

辺で、上司からもこんな環境で自営するなど、無謀ではないかと言われました。でもその一瞬に

経済がどん底ならば、これから良くなることになるだろう。自営所謂脱サラのチャンスではない

かと思ったものです。 退職金と僅かな貯金を少しづつ吐き出しながら、良い運に恵まれて、2

年目にはその時き結婚もしていて、子供二人いたのですが、何とか生活の目途が見えてきました。

 京都で結婚し、すぐ子供が生まれた欲年に会社を辞めました。普通は結婚し子供が出来たなら

ば、さらに身を構えて仕事に励ところなのでしようが、この点についても、私は世間の常識と少

し掛け離れているかも知れないと、周りの人たちの言葉や態度で認識した次第です。つまりいわ

ば世間知らずであったのでしよう。

 今年で自営の道に入って以来48年になり、転勤で2年いた事と合わせると、丁度50年になり

ました。自分ではこの判断で良かったと、サラリ-マンを続けていたら、きっと窓際族のひとりに

なって、定年を悶々と迎えただろうと思い。これまでの大きな決断は良かったし、良い運に恵まれ

たお蔭だとつくづく有難く思っている次第です。

 

 

 

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