遣り過ぎ
遣り過ぎという言葉があります。たとえばマンションの理事をしていて、理事は
2年ごとに2名づつ交代で4名で活動します。過去の理事会は依頼している管理会社に
まかせぱなしで、理事会自ら発議することが極端にすくない状態でありました。こん
なマンションが多いのではあるまいか。マンションがまだ新しく、依頼している管理
会社の担当者もしっかりした人で良く気が付く人であればそれでいいでしよう。
しかし、もし、マンションが新築から30年以上経過すればいろいろと修繕箇所が
多くなってきます。ところが管理会社の担当者が年配者でなかなか適格に問題点を把
握し適切に対処できていない。となれば理事会がしっかりしなければなりません。
ところが従来より管理会社に任せておけばいいのだという態度であっては、大きな問
題が発生しかねません。
そこで、この際理事として、理事長として徹底的に問題点を探し出して解決の対策
を考え、実行して行きます。そして大きな問題、多額の修繕積立金を使う場合、そし
て思い切って、管理会社を契約期間終了で、他社に替えることにした場合には、いず
れも年次総会でマンションの会員に賛否を取らなければなりません。その総会におい
て過去の総会と大きく異なって、理事会から多くの議案を出して審議したところ、会
員から、それらは理事会として「やりすぎ」であるとの強い発言がありました。過去
に大きな問題解決の為の議案が実質的に理事会提案で出されたことがないために、そ
のような意見が出たものと解釈するところです。
「やりすぎ」という言葉には、「やる」ことと「過ぎる」という二つの意味合いが
ありますが、今回の発言の趣旨は、否定的な意味での発言で会ったようです。それな
らば今までのように「やるべきこと」が解っても、理事会としてそれらの問題を先送
りしてもいいのかということになってしまいます。勿論問題は対策を取って解決しな
ければなりません。「過ぎたるは及ばざるごとし」という言葉があります。だから、
我が国の多くの人々は、集会やいろいろな組織において、積極的に発言しません。出
過ぎたら頭を叩かれると思うからです。
他人の耳や目を気にしすぎる態度になっているように思います。これは島国の変わ
らぬ感情の積み重ねでしようか。もうそろそろこのような社会をもっと積極的な活動
ができる雰囲気になればと思うのですが。