死生観を考える
我が国は最長寿の国である。そしてこれまで80年間は生命第一主義に徹してきた。そうな
らば、最高の価値が世界最高の水準で実現されているのであるから、至福の気分に浸っていれ
ば良いのではと思うのですが、多くの国民にそういう幸福感はあるのだろうか。
どうもそうではなく、世界最高といえるほど街路や広場そして老若男女の多くが何だか不愉
快そうな顔つきに見えるのは私だけでしようか。
高齢者の最大の悩みは、自分は一人になった時にいい施設に入れるだろうかという経済的な
目に見える問題、そして何時しか間違いなく訪れる死の問題である。まず経済的な問題につい
ても介護費用が年々高額になっていて、国のうつ政策では解決がつかないため、多くの平均以
下の蓄えのない人々の不安は尽きない。
そして第二の問題、死生観の問題であるが、これはなかなか容易ではない精神な問題である。
いかに長命でも延命はいつまでも続かない、死はいつか必ずやってくる。死の不安・恐怖が高
まる。現代の我が国には戦争もなく、死を覚悟しなければならない日々はない。わずかに新型
コロナによる感染恐怖はあった。しかし僅か3年程度である。勿論運悪く感染された方とか自
衛隊の第一線で訓練している人は例外と言えよう。高齢者になるまでに死ということを考えな
くなっていて、初めて後何年間という状態になって初めて死ということを考えるのでは無いだ
ろうか。そこで初めて延命の事を精神的望むことに成り、若き時代には全く考えていなかった
死生観ということに思いを至らせるのである。それだから大きな不安や恐怖を感じてしまうの
だろう。元気な内に人間は必ず死ぬものだと思い一日一日を大事に生きることが肝心なのであ
る。死を考える時になってあれもしたかった、これもやりたかったと後悔をすることがそれが
不安と恐怖となってしまうのではないだろうか。 だから高齢になるまえから死生観を胸に叩
き込む必要性があると思うのです。