現在の世情について・・・・誰が反省し改めなければならないか
このテーマの問いに多くの国民は、それは政治家に決まっているじゃないかと、呆れられる
かも知れません。でもよくよく考えてみれば違った本質が見えてくるのである。
つまり、我が国は主権在民、民主主義国家であるから、当然に施政者の責任と考えるかもしれ
ません。その為政者、政治家を誰が選んだのかという基を考えなくてはと思うのです。
昨年からウクライナとロシアの戦争(侵略戦争だが)、そして今年の秋ごろよりイスラエルの中東
地域における過激な戦争等にについてマスコミ各社は毎日何本かの報道を続けている。これらいず
れも斯高い視聴率を狙って毎日何回も報道している。しかもその番組に出演している人々は時には
笑乍ら、正義感をこの時こそと吐き出している様にも見える。
今日まで生の戦争をこれほど度々報道するなど思いもしていなかった。さらに、政治家の問題、
パ-テー券の売上を強いたり、横流ししたり金権政治を個々ばかりと報道している。これらは誰が
反省をしなければならないかをよくよく感が手見れば、誰でも解ることであるにも関わらず、つま
りこのような低たらくなで欲得の政治家を誰が投票して選んだのかということです。たしかに政治
各位の反省と責任を取らなければならないことは言うまでもありません。その前にそれらの政治家
を選んだ国民一人一人が大いに反省しなければならないでしよう。しかし、このようなことを言う
マスコミを初め全くと言ってよいほど、聞くことがありません。
企業で多額の2万円のパ-テ-券を社員の名前で小刻みにして購入した形にして、政治家に公共工
事の発注の口利きをお願いするなど、企業の企業である。決して国の為にお金を出していないよう
に見えるのは私だけでしょうか。多額のお金を賭けなければ当選できない。というても、必ず定員
の人数だけは当選するのである。つまり、選挙活動に候補者には大きな金が必要としない仕組みを
作るべきだと思います。
たとえば、ラジオやテレビにおいて候補者が政策提言をする機会を多く作ることです。それには
報道機関にも義務付け、その費用は国が負担し公募者には掛けないというシステムです。能力があ
り見識が豊かで政治家にふさわしいひとは世間は沢山おられるでしよう。しかし、自らを優秀な人
間だとPRしたり、金集めをすることは苦手というひとは、政治家の二世ぐらいしかいないでしよう。
選挙に金がかかると、報道に出て来る人達は金がかかるものだと決めつけられているようです。
我が国は民主主義国家というけれども、戦後欧米から押し付けられた制度を追っかけ乍ら今日ま
できているように思われるのです。我が国の精神文化にふさわしい、諸制度を作り上げて行かなけ
ればとつくづく感じているところです。
政治家の責任を追及しながらも国民の一人として反省することから始めなければ、現在の混乱し
ていることは必ず、また何時しか繰り返すことでしよう。