自 得㊳・・・水雲問答
雲 「中庸」に君子自得、すなわち「その位に素して行い、その外を願はず、富貴に
素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷荻に素しては夷荻に行い。艱
難に素しては艱難に行ふ。君子入るとして自得せざるなし」とありますが、自得と
は文字通り自ら得ることであって、人は案外自分で自分をつかんでいないものであ
ります。
富貴につけ、貧賤につけ、夷荻につけ、艱難につけ、自分を喪ってしまいがちで
す。あらゆる境遇に即して自分を立ててゆくことは君子でなければできないことで
あります。場その場によって、こうと考えを決めるのがよろしい。これが易の変易
であります。元来易というものはきまりきったことを言っておるのではなく、人間
及び時世の千変万化を説いております。俊傑はその時あるいはその時代のいかにな
すべきかということをよく知り、進むべき時は進んで時世の救世主となり、また退
くべき時は退いて自他の安全をはかるものです。死を恐れるのは武士として恥ずべ
きことでありますが、ただ死ぬばかりが能ではありません。ともんく進退というも
のは潔くしたいものです。
「天下のことに死ぬのは容易であるけれども、天下のことを行うのは大変困難で
ある。」と申しておりますが、これはもっともな言葉であります。
水 自得ということはまことにむつかしいことであります。事業も自然に手に入れば
やるがよろしい。無理に求めてはなりません。努力を重ねても成功せず、あるいは
名もあらわれないこともありますが、これは運命であります。だからそういう境遇
にいると、君子は学問して後世のために善い書物を残します。孔子や朱子がそうで
あります。本当に進むべきときに進み、退くべき時に退くということはむつかしい
ことであります。まして悔いのない死に方をするということは、容易なことではあ
りません。
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