京都市の繁華街・木屋町のそばを流れる高瀬川。
江戸初期の豪商・角倉了以によって開削された運河。
船によって運ばれた材木を扱う蔵が多く立ち並んだことから「木屋町」由来になったされる。
木屋町には幕末史跡が残りその多くは、石柱に名残をとどめる。
長州藩邸のあった中京区の京都ホテルオークラ前からスタート。
河原町を南下して三条大橋に向かうと北側に「池田屋騒動」で知られる池田屋跡を示す石碑があります。
木屋町通りを南下すると、坂本龍馬の常宿「酢屋」に龍馬の妻・おりょうの旧居跡、元立誠小は土佐藩邸跡。
そこから河原町通に戻った西側は、龍馬が暗殺された「近江屋」跡など、龍馬がらみの史跡も多い。
四条通りの北側の筋を再び木屋町方向に向かうと、近江出身の志士・古高俊太郎邸跡ある。新選組による古高の捕縛が、池田屋騒動のきっかけになったとされる。
(9/17 京都新聞・朝刊より)
こんどこのとおりに歩いてみようと思います。
そのときに石碑も撮ってきますのでお楽しみに・・・
江戸初期の豪商・角倉了以によって開削された運河。
船によって運ばれた材木を扱う蔵が多く立ち並んだことから「木屋町」由来になったされる。
木屋町には幕末史跡が残りその多くは、石柱に名残をとどめる。
長州藩邸のあった中京区の京都ホテルオークラ前からスタート。
河原町を南下して三条大橋に向かうと北側に「池田屋騒動」で知られる池田屋跡を示す石碑があります。
木屋町通りを南下すると、坂本龍馬の常宿「酢屋」に龍馬の妻・おりょうの旧居跡、元立誠小は土佐藩邸跡。
そこから河原町通に戻った西側は、龍馬が暗殺された「近江屋」跡など、龍馬がらみの史跡も多い。
四条通りの北側の筋を再び木屋町方向に向かうと、近江出身の志士・古高俊太郎邸跡ある。新選組による古高の捕縛が、池田屋騒動のきっかけになったとされる。
(9/17 京都新聞・朝刊より)
こんどこのとおりに歩いてみようと思います。
そのときに石碑も撮ってきますのでお楽しみに・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます