goo

英国、エルザベス女王の死去

NHK  NEWSWEBより、

 

英国、エルザベス女王の死去に、

世界から哀悼の声相次ぐ

 

2022年9月8日、

英国の君主として、

歴代最長となる70年にわたって在位してきた

エリザベス女王が、96歳で亡くなりました。

 

◇英国のエリザベス女王の死去から

 初めての週末10日を迎え、

 ロンドンのバッキンガム宮殿の前には、

 家族連れなど朝から花束を手にした

 大勢の市民が集まり、追悼する姿が見られた。

 

◇天皇陛下 国葬に参列の方向で調整

 

◇米国、バイデン大統領 女王の葬儀に参列する意向表明

 

◇国連本部でも国連旗の半旗掲揚

 

◇ロンドン中心部ではあちらこちらに

 女王の写真や追悼メッセージ

 

◇スポーツの試合や催し 延期の動き相次ぐ

 

◇仏 マクロン大統領 哀悼の意を

 英語でのビデオメッセージで

 

◇9日正午 各地の教会が一斉に鐘を鳴らす

 

◇女王死去の発表直前 バッキンガム宮殿上空に2つの虹

 

◇国連 グテーレス事務総長「深く悲しんでいる」

◇ロングボトム駐日大使 声明を発表

「女王は持続と安定の源」

◇中国 習近平国家主席

「イギリス国民にとって大きな損失」

◇シンガポール リー首相

「偉大なリーダーとして記憶される」

◇トラス首相 官邸前で声明

「並外れた生涯の奉仕をたたえたい」

◇イギリス 首相経験者が相次いで哀悼の意

◇インド モディ首相 ツイッターに

「温かさと優しさ 忘れない」

◇ウクライナ ゼレンスキー大統領「心から哀悼の意」

◇カナダ トルドー首相

    ビデオで声明「いなくなるのはさみしい」

◇ドイツ ショルツ首相「模範で心の励み」

◇ロシア プーチン大統領がメッセージ

◇ブラジル ボルソナロ大統領「大きな衝撃と悲しみ」

◇アメリカ 歴代大統領が相次いで哀悼の意

◇オーストラリア アルバニージー首相

「慰め 希望 癒やしの源」

 

◇岸田首相 弔意の書簡 トラス首相あてに送る

◇岸田首相「心から哀悼の意」

 

(2022年9月10日 NHK  NEWS W EBより抜粋)

 

 こうみると、同列に並べるのも憚れる。

 元内閣総理大臣安倍「国葬」といわれるものまで、

 カウントダウン15日

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田茂元首相の「国葬」と安倍晋三元首相の「国葬」(仮)

まずは、

当時内閣総理大臣佐藤栄作の国葬儀委員長の「追悼の辞」から

 

国葬儀委員長の佐藤総理が追悼の辞を述べます。
「いまご霊前に額づき、万感こもごも胸に去来し、言うべき言葉も知りませんが、ここに心から永遠のお別れを申し上げようと思います。

吉田茂先生は、有史以来初めての敗戦、占領軍の進駐という厳しい現実に、国民の大半が民族的誇りと自信を失わんとしたとき、先生は内閣の首班として、この事態を冷静に直視しつつ、その奮起を促し、卓越した指導力によって、すべてを国家再建の一点に結集すべく努められたのであります。

かくて、(昭和)21年には新憲法の交付をみ、祖国再建の礎石が打ち立てられました。また、先生は、戦後最大の課題である、講和問題について、筆舌に尽くしがたい辛苦を重ねられ、昭和26年、サンフランシスコ対日講和会議には、自ら主席全権委員として出席され、対日平和条約の締結によって、国民待望の独立回復を実現されたのであります。

平和条約の締結と我が国の独立回復は、民主主義国家に生まれ変わった新しい日本の門出を意味するもので、戦後史上最大の奇跡であり、不滅の功績であります。

ここに国民各位とともに、偉大な先人の業績を称え、生前の面影を忍びつつ、心からご冥福をお祈りいたします。吉田先生、どうぞ安らかにお眠りください。」

 
政府が1960年代前半に国葬の法整備を検討していたことが、
28日までに国立公文書館所蔵文書を分析して分かった。
(2022年9月9日 テレ朝 news)
 
では、どんな形になれ、
腹心の友、元内閣総理大臣菅義偉は、
ご一緒に逃げきった数々の問題を避けて、
追悼の辞に、なにを語る。
 
繰り返しの内閣総理大臣岸田の説明、
 
1) 憲政史上最長の8年8カ月にわたり、首相を担った
(当時、憲政史上最長、ノーベル平和賞した佐藤栄作は「国葬」でない)
 
2) 東日本大震災からの復興、経済の再生、外交を主導し、実績を分野で残した
吉田茂元首相と比肩するのか)
 
3) 諸外国で敬意と弔意が表明されている
(過去の元首相も同様、特別じゃない。
 大平元首相、小渕元首相、当時現職米国大統領「内閣・自民党合同葬」に参列)
 
4)民主主義の根幹たる選挙中での非業の死
 (選挙をだせば、旧統一教会の問題、警備の問題を抜きにできなくなる)
 
ーーの4点を列挙し、理解を求めた。
 
さらに安倍氏を追悼するとともに、
暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していくと訴えた。
(2022年9月9日 朝日新聞デジタル)
 
⇒国家の国民への丁寧な説明を欠く繰り返しの独走は、
 乱暴で、民主主義の手続きを欠く。なにを断固として守り抜くのか。
 軽はずみな内閣総理大臣岸田文雄の「国葬」発言と面子か。
 内閣総理大臣岸田文雄の「民主主義」とは。
 
 
 
 
当時の公文書は国葬を巡り
「あらかじめ法律で根拠が定められることが望ましい」と明記。
だが具体化できないまま67年に吉田茂元首相が死去すると、
急きょ閣議決定し、戦後初の実施に踏み切った。
 
その後、法的裏付けがないからといって
国葬を認めないのは「相当でない」との見解に転じた。
 
閣議決定を根拠とする運用が
基本的に安倍晋三元首相の国葬にも受け継がれた。
 
 吉田元首相の前例に至る経過からは、
法制化の議論が煮詰まっていない段階で国家的行事の実施を決めた様子が浮かぶ。
(2022年8月28日 東京新聞 TOKYO Web )
 
 
 
佐藤栄作首相(当時)が
1967年に吉田茂元首相の国葬を閣議決定する際、
法的根拠がないとして
野党第1党の社会党を説得するよう自民党の園田直衆院副議長に
指示していたことが分かった。
 
園田氏は秘密裏に社会党幹部と交渉し内諾を得た
 
衆院職員として園田氏の秘書を務めた平野貞夫元参院議員(86)が
3日までの共同通信社の取材に対し、当時の経緯を明らかにした。
 
 岸田文雄首相は安倍晋三元首相の銃撃事件から6日後の7月14日、
国葬実施を表明した。
 
野党からは、
国会への説明がないまま国葬実施の判断に踏み切ったことに
反発が出ており、
 
実施決定の手続きが妥当だったかも焦点となりそうだ。
(2022年9月3日 東京新聞 TOKYO Web )
 

岸田文雄首相の「決断」によって踏み切られた安倍晋三元首相の国葬が、9月27日に実施される。しかし、日増しに国民の反発は増すばかりだ。

各社世論調査では「反対」が「賛成」を上回っている。安倍国葬をテコにして政権浮揚を狙いたかった岸田首相の思惑は、裏目に出てしまった格好だ。

前回の国葬が1967(昭和42)年10月31日に開かれた、吉田茂元首相のケース。

時の政権は、佐藤栄作首相だった。

吉田国葬では、今ほどの激しい逆風は吹かなかったとされている。

安倍氏の国葬に反発が高まっている理由はどこにあるのか。

当時の新聞報道を基に、吉田氏の弔いを振り返りなから、考察してみたい。

吉田元首相は1967(昭和42)年10月20日午前11時50分、心筋梗塞によって神奈川県大磯の自宅で死去した。享年89だった。

同日付の各紙夕刊は一面トップで吉田氏の訃報を伝えた。

朝日新聞の前文には、

「吉田氏の葬儀を国葬としておこなうかどうかについて協議した。

官房長官によれば、(佐藤)首相は国葬を希望しているといわれ、

首相の(訪問中のマニラからの)帰国を待って

臨時閣議で国葬とすることに決る見通しである」と述べられていた。

 

記事本文でも「(国葬は)10月末か、11月のはじめとなろう」「国葬委員長は佐藤首相がなる」「国葬の場所としては、日本武道館、国会議事堂、国立劇場などが候補としてあがっている」と、かなり具体的な記述が認められる。日経などの他紙をみても、同様の内容だった。

 

既報の通り死去から11日後の10月31日に、

日本武道館で国葬が行われることになった。

 

安倍氏の場合はどうだったか。

7月8日に暗殺され、14日に岸田首相によって国葬の実施が発表された。
安倍国葬は9月27日(死去から81日)。
 
吉田国葬までの期間(6日後)に比べてかなり長い。
この準備期間の長さによって、国葬に関する議論の余地を与え、
SNSなどで否定的意見が拡散することになった。
吉田国葬のようにスピーディーに実施していれば、
「炎上」は起きなかったかもしれない。
 

吉田氏死去の翌21日の朝日新聞朝刊では、

国葬についての解説記事が組まれている。

それによると、「新憲法の施行にともなって、以前の国葬令は失効している」こと。

「だからといって、国葬をしてはならないことにはならないが、

政教分離の観点から宗教色を排した儀式にするしかない」などと論じている。

 

当時も今と同じような議論がなされていたのだ。

さらに記事では、

「戦前までの国葬では全国民が仕事を休んで喪に服し、歌舞音曲の類も禁じられた。

しかし、戦後は国民の祝日も法律によって決められており、

もちろん歌舞音曲の禁止もできない相談」としている。

 

そうこうしているうちに10月23日、吉田氏の密葬が行われた。

会場は、文京区のカトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)だった。

意外にも吉田氏は、敬虔なクリスチャンだったのか?

 

実は歴代首相の中には、7人のクリスチャンがいた。

第19代首相の原敬氏、第20代の高橋是清氏、第46代の片山哲氏、

第52・53・54代の鳩山一郎氏、第68・69代の大平正芳氏、

さらに吉田茂の孫にあたる第92代の麻生太郎氏らである。

 

しかし、吉田氏の場合は信仰が篤いとは言い難い。

なぜなら、「天国泥棒」ともいわれる死後洗礼によって、

クリスチャンになっているからだ。

吉田氏は、雪子夫人がクリスチャンだったこともあり、

生前にカトリック信者になりたいとの希望を家族に告げていた。

死去直後に神父によって洗礼が行われ、

「ヨゼフ・トマス・モア」との洗礼名を授かった。

吉田氏の墓は、青山墓地につくられた(2011年に横浜市の久保山墓地に改葬)。

 

その実、吉田氏は戒名も授かっている。

「叡光院殿徹誉明徳素匯大居士」。戒名は仏弟子になった証しでもある。

吉田氏は、クリスチャンなのか仏教徒なのか、どっちなのか。かなり、いい加減だ。

 

だが、そんなことをいえば、

麻生太郎氏もクリスチャンでありながら、

神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問に就任しているし、

安倍氏も旧統一教会との関係が指摘されている通り。

日本の政治家は、宗教に節操がないと思う。

 

⇒「葬儀」と旧統一教会の問題は分けるとして、

 故人だから、調べようがないでは、すまされない。

 生前でも、隠し、調べなかった件はあるだろう。

 岸田政権の強い意志の問題だ。

 特に、旧統一教会の問題は、利己的な選挙動員より、

 売国問題にも繋がりかねない重大な政治家としての責任問題を抱えている。

 そうなると、「国葬」に値するかどうかの問題となり、分けては考えられない。

 ちなみに、なぜ、細田博之衆院議長は特別扱いなのか。

 議長だからと中立性って、自民党を離党したわけではない。

 屁理屈、「国葬」までのだんまりで、

 真っ黒な、無言の表明。

 衆院議長細田博之、真っ黒な腹を割りなさい。

 

10月31日午後2時より、日本武道館にて国葬が開式した。

葬儀委員長の佐藤首相に衆参両議長、

最高裁長官の「三権の長」のほか、

73カ国から代表者ら約6000人が招待された。

安倍国葬でも同規模が予定されているので、

吉田国葬の規模感を踏襲したとみられる。

昭和天皇と香淳皇后は皇居のテレビで中継を視聴した。

 

この日、全国の国公立学校は半日休校措置がとられ、

官公庁では弔旗の掲揚が命じられた。公営ギャンブルも自粛・中止になった。

 

東京駅ではホームアナウンスで、黙祷が呼びかけられた。

だが、足を止める人はごくわずかであった。

何度も駅員が「黙祷の時間です」と促したという。

銀座では銀座教会が追悼のチャイムを鳴らしたが、

買い物客はほとんど無関心だった。

産業界では、大阪門真市の松下電器本社や、

東京丸の内の日立製作所本社では社内放送で黙祷を呼びかけた。

 

放送局は歌謡やクイズなどの娯楽番組、さらに「派手なCM」の放送自粛を決めた。

差し替えになったのは、

TBSでは「奥さまは魔女」、日本テレビの「そっくりショー」、

日本教育テレビ(現テレビ朝日)の「ものまね合戦」などである。

この措置に対して、

マスコミ関連産業労組共闘会議は言論統制として抗議をしたが、

当時のフジテレビ村上七郎編成局長(後のフジテレビ専務、関西テレビ社長)は、

「民放連の番組委員会で、あんまりひどい番組は同じ日に流せないだろう、各社の判断でいこうということになったが、政府から圧力がかかったなんて、そんな事実はない。わたし自身だって、このごろのCMは歌ものが多いから、せっかくの国葬のふんいきをぶちこわすと思っている」(朝日新聞10月29日付)などと述べている。

テレビを作る側の人間でありながら、当時の娯楽番組を「あんまりひどい番組」と自虐している点は、なかなかのものである。

今回の安倍国葬の日、当時以上にお笑いなどバラエティー色が強い番組をずらりと並べているテレビ局はやはり“忖度”をするのだろうか。

日本武道館には、一般会葬者3万5000人が長い列をつくった。

列は武道館から竹橋までおよそ2キロにもなった。

また、自宅の大磯から出発した吉田氏の遺骨を武道館へと運ぶ

計26台もの柩車の列を見るために、沿道には7万人が押し寄せたとの報道がある。

 

北の丸公園では、防衛庁儀仗隊が弔意の大砲を19発発射。

武道館の見える場所では喪服を着た人が、正座をして合掌する姿もあった。

一般の献花は午後3時半から午後7時半まで続けられた。

 

では、式当日の抗議行動はどうだったか。

東京大学駒場キャンパスでは学生が、

渋谷、池袋などの街頭では共産党や市民団体などがビラをまくなどの抗議を示した。

31日付朝日新聞夕刊社会面では短く、吉田氏の地元高知の抗議活動を報じていた。

「吉田さんにはゆかりの地、高知県では高知市役所を除いてほとんどの官庁や学校は午後から休み、町では各官庁や金融機関が半旗を掲げ、吉田さんのめい福を祈った。しかし一般の人たちの反応は割合い静かで、民間企業や金融機関はほぼ平日通りの勤務。一方勤評闘争で名をはせた高知県教組は国葬に反対し、午後から各学校で抗議集会を行った」

 

国葬後は、抗議活動は沈静化。

メディアは議論を引きずることはなかった。

 

27日の安倍国葬はどうなることか。

費用は当初発表していた額を大きく超えて、

警備費・海外要人の接遇費などを含め16億6000万円と報じられている。

近年は、コロナ禍ということもあり

一般人はもちろん俳優や企業社長など有名人であっても

葬儀は簡素化の一途をたどって、参列者は家族などに限られ、

合理的な予算に抑えられている。

そうした中での“自民党主催”の無理くりの盛大な国葬である。

 

吉田国葬の時と異なるのはSNSなど、

個々人が「メディア」を持っている点である。

その点ではメディアや世論の動きを、興味深く見守りたいが、

あれだけ批判にさらされた東京五輪も、

終了後はさほどの検証がなされることもなく、

世論も盛り上がらなかったことを思えば、

まあ今回も同様に

「びっくりするほど、あっさり終わる」のではないかと、私は冷ややかに見ている。

(2022年9月9日 PRESIDENT Online 鵜飼秀徳)

 

⇒ 内閣総理大臣岸田文雄は、

 

閉会中審査への出席を表明した8月31日の記者会見で、

岸田首相は「内閣(府)設置法や閣議決定を根拠として、

国葬儀を実施する」と語った。

 

しかし、国葬の実施を表明した7月14日の記者会見では、

「内閣府設置法で、内閣府の所掌事務として、

国の儀式に関する事務に関することが明記されている。

国の儀式として行う国葬儀については、

閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得る」と、

閣議決定と内閣府設置法を分けて説明している。

 

つまり政府の説明によれば、国葬の根拠は閣議決定である。

内閣府設置法は直接の根拠ではなく、あくまでも閣議決定の対象となる

「行政の作用(行政権に属する事務)」と解することの理由になる法律と

いう位置づけだ。

このため8月31日の首相会見を除けば、

設置法については根拠という言い方を巧みに避けているように見える。

(2022年9月7日 毎日新聞)

 

法的根拠は「国の儀式」を執り行うと定める内閣府設置法と閣議決定だと紹介した。国葬の実施は「間違いなく行政権に属する」と明言し、閣議決定の前に衆参両院議長らの了承を得る必要はないとの認識を示した。

今後の関連法などの策定も不要だと表明した。死去にいたるまでの事情を勘案し「その都度、政府が総合的に判断するのがあるべき姿だ」と提起した。

(2022年9月8日 日本経済新聞)

 

余計な法的根拠を示してしまった。

しかし、

「内閣府設置法」で、内閣府の所掌事務として、

国の儀式に関する事務に関することが明記されている。

 

国の儀式として行う国葬儀については、

「閣議決定」を根拠として、行政が国を代表して行い得る」と、

閣議決定」と「内閣府設置法」を分けて説明している。

 

「内閣府設置法」なら、

1975年の吉國長官による「三権の合意」見解に対して、

その説明責任はある。

 

「閣議決定」なら、吉田茂元首相に倣(なら)い決行か。

残されたのは、野党との交渉か、それをも無視し、

国民の声をも、アベノマスクのように、

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「健忘症」を見越して、決行か。

 

岸田総理大臣は
 
「説明が不十分だったことは謙虚に受け止め丁寧な説明を続けていきたい。
 
一つの基準を作ったとしても、
 
国際情勢や国内情勢に基づいて判断しなければならない。これが現実だ。
 
その時々、そのつどつど、
 
政府が総合的にどういった形式をとるのかを判断する。
 
これがあるべき姿だと述べました。
 
(2022年9月8日 NHK  NEWS WEB)

 

 その時々、そのつどつど、

   政府が総合的にどういった形式をとるのかを判断する。

 これがあるべき姿だ

 

⇒こうなると、開き直りに、こうともとれる。

 ひとつの基準などない。

 その時々、そのつどつど、

 君たち国民が選挙で選んだ与党、自民党、公明党の

 岸田政権が、政府として総合的に「国葬」と判断したんだ。

 君たち国民が民主主義の根幹の選挙で選んだ政府の判断だ、と。

 われわれ政府を選択した君たち国民の責任であり、ただ、従えばよい。

 半数以上の国葬反対で、文句があるならば、

 次の選挙で、問えと。

「黄金の3年間」、解散がない限り、次の大きな選挙までに3年間ある。

 その間に、忘れているでしょう国民は、と。

 

 

 旧統一教会の問題でも、

 二階元幹事長「自民党はビクともしない」と傲慢な発言。

 

 

 陶片追放の制度があったことを思い出せ。

 といっても、合法的選挙とは、違うから。

 

 やはり、

 選んだしまった、われわれ国民の責任に戻るのか。

 

【陶片追放】(オストラシズム:ostracism)

紀元前5世紀、古代ギリシャで行われた僭主出現防止のための市民投票。
僭主の可能性のある者の名を陶片(オストラコン)に書いて投票したため
この名がある。票が一定数に達すると、指名された者は10年間追放された。
オストラキスモス。
(デジタル大辞林)
※ 【僭主】古代ギリシアのポリスにおいて、非合法的に政権を獲得した独裁者

 

  

 カウントダウンの残り数日を、内閣総理大臣岸田文雄は、

「国葬」の形のために、どう動くのか?

 

 このまま、国民の選択として、断行するのか。

 

 

 すでに、参加派、不参加派。半旗を掲げる派、半旗を掲げない派。

 黙とうする派、黙とうしない派。で、分断を生んでいる。

 

 分断を拒むことせず、望んだ、

 内閣総理大臣安倍晋三の遺志は、継続されている。

 

 

 

 

 

 

 

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする