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細田博之、「国葬儀」が終わり文書で説明を終わらすのか

「国葬儀」が終わり、衆議院議員議長細田博之

来月3日の臨時国会前に、統一教会問題を

本日29日文書だけで回答か

 

細田 博之(1944年(昭和19年〉4月5日 )生まれ。

自民党所属の衆議院議員(11期)、衆議院議員議長(第78代)。

行政管理庁長官、防衛庁長官、運輸大臣を歴任した細田吉蔵を

父とする世襲議員。

 

衆議院議員議長細田博之は、

元内閣総理大臣安倍晋三の「国葬儀」が終わっての、

本日29日に、統一教会との関係を、文書で回答をするという。

国民にとっても、

とっても分かりやすい実に自民党政治家らしい、政治姿勢なのだが。

 

ところで、内閣総理大臣岸田文雄は、

故元内閣総理大臣安倍晋三にとっての、疑惑、汚名を払拭するために、

統一教会との関係に、踏み込めるのか。

それとも真相が怖くて、

本人がいないから調査できないと言って逃げきるのか。

 

もう、故人だから調べることが出来ない、

という発言は、「恥」ずかしいとご理解ください。

調べようと思えば、いくらでも方法はあるはず。

調査意志の問題です。

 

どんな事をしても、死んだら調査不可能で問題は打ち切りだと、

全国民に仰っているのと同じです。

テロや犯罪を犯しても、死んだら迷宮入りだと。

内閣総理大臣岸田文雄として、

調査は出来ない、調査しないと、全国民に公表した、

ということになります。

 

くり返しになりますが、

国を売ろうが、法を逸脱しようが、反社であろうが、

極悪非道でも、何をしようが、やりたい放題、

死んだらチャラだと。無罪放免だと。

調査もしないと、もう出来ないんだと。

内閣総理大臣岸田文雄は、そう仰っている。

 

 

今回の本題、

細田博之衆議院議員議長、文書だけの回答でなく

11期も続けた自民党を代表とする政治家として、

ご自分のナマのお言葉で、解答し、

国民に説明されたらいかがだろうか。

報道機関の質問にもきちんと対応するのが、

「国葬儀」が終わるまで、黙秘し逃げまわった

現衆議院議員議長の細田博之という政治家の矜持を

お示しになる機会となるわけですから。

 

かつて自民党最大派閥の細田派を代表とした

政治家としても、範を垂れるのが、

その後継者とし、選ばれた故安倍晋三氏への

餞別(はなむけ)となるのではないだろうか。

 

文書でお逃げになるなら、政治家をお辞めになり、

新しい政治家に議席をお譲りになり、

議会を仕切る議長は任でないと退くべきでは。

その際は文書で構わないでしょうが。

 

この国は「恥」の文化ですから。

 

内閣総理大臣岸田文雄、衆議院議員議長細田博之、

このままでは、恥ずかしながら、

後輩議員、三原じゅん子自民党参議院議員に、

「恥を知りなさい」と叱責されますよ。

 

もう、すでに「恥」の文化は遠い過去の亡きもので、

「恥を知りなさい」という発言が、

「恥ずかしい」時代錯誤として、

メディアで取り上げられたのなら、

戦前の1944年(昭和19年)生まれの世襲議員、

11期も自民党議員を務め、

自民党最大派閥の元細田派を率いた細田博之には、

「恥」など通用するはずもなく、

ましてや、1957年(昭和32年)生まれ、

10期を自民党議員、衆議院議員第9代宏池会会長で、

戦前戦後に衆議院議員を歴任した岸田正記を祖父に、

衆議院議員を歴任した岸田文武を父にもつ、

世襲議員の内閣総理大臣岸田文雄にとっても、

「恥」の概念は政界では世襲しないで、

おふたり共に「厚顔無恥」におなりになった、ということか。

 

1915年生まれの当時陸軍軍曹、横井 庄一氏が

グアム島から残留日本兵として、

1972年(昭和47年)帰還した際、

「恥ずかしながら帰って参りました」が

その年の流行語となったくらいだから。

 

すでに、「恥」という言葉が忘れ去られた言葉となり、

「お天道様が観てますよ」とは、言わなくなってしまったからなのか。

 

結局、「恥」を知る政治家は、自民党には、

1964年(昭和39年)生まれの

女優、歌手、介護施設経営、レーシングドライバーの

経歴で「恥」とは何かを修得した

三原じゅん子自民党衆議院議員しかいないのか。

 

内閣総理大臣岸田文雄、衆議院議員議長細田博之に、

政治家として、邪道でなく正道を勧める者がいないのか。

「人たる者は天の正道に従ふを以て職分とす」(福沢諭吉)から、

「政治家たる者は天の正道に從ふを以て職分とす」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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