振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

乳頭温泉郷 鶴の湯  形容する言葉が思いつかない

2022-12-09 17:36:25 | 旅行


鶴の湯の駐車場に着いて車を降りようとすると、突然みぞれ混じりの雪が降ってきた。





晩秋に訪れたみちのくの秘湯で、みぞれが歓迎の演出をしてくれているようだ。一度は来てみたいと、長い間思っていた温泉だけに、寒い中でもテンションが上がってくる。

鶴の湯の景色はテレビやネット画像では何度か見ていたが、何処かの時代村にあるような古い木造の建物や、その奥の方に湯けむりの上がるこの佇まいを、上手く表す言葉が思いつかない。自分の生家は藁葺き屋根の古い家で、山に囲まれていた幼い頃の田舎の風景がふと思い出される。





受付で600円の入浴料を払い、早速男湯へ。脱衣場にいた二人の先客の内一人が、広島から来たのでみぞれにビックリした、と言うともう一人も自分も広島からだと言う。三人で入った浴槽では、自分も参加してしばらく会話が続いた。

たまたま一緒になっただけの三人だが、話が弾んだのは、遠路はるばる鶴の湯を目指してやって来たという、共通の興奮があったからだと思う。


画像は白湯と呼ばれる浴槽で、入浴客がいなくなったのでパチリ。 

昨日から今朝入浴してきた酸ヶ湯温泉や玉川温泉のような酸性度の高い泉質ではないのて、同じように白く濁っていても、湯が柔らかく感じる。

印象的だったのは湯加減が丁度良くて、何時間でも浸かったままでいられそうだった。どんな温泉でも大体5分も浸かれば上半身だけは湯から出したくなるが、それが全くない。たまたまだったかも知れないが、どんな湯加減調整をしているか、湯守さんがいたら尋ねてみたいところだ。




こちらは同じ建物内にあった黒湯。白湯とは泉源が異なるために泉質が違うようだが、お湯の色だけでは区別がわからない。

次は露天風呂だが、男湯から10メートルばかり離れていて、脱衣場が別にあるようだ。先ほど聞いた話では、着替えるのは面倒なので大概はタオルで前を隠し、裸のままで移動しているとのこと。

自分も同じように移動していたら数人の女性(もちろん着衣)の視線を浴びることになったが、そんな光景もここでは不自然に見えることはないような気がする。





露天風呂には入浴中の人がいたので全景は撮れなかったが、割と広くて男女混浴になっている。別の場所に女子用の露天風呂があるため、ここでは女性の姿は見かけなかった。

鶴の湯に着いた時に降り始めたみぞれも、露天風呂に入った頃には止んでいた。みぞれや雪の中の露天風呂なんて、なかなか味わえるものではなく、少し残念だった。


正午前には風呂から上がると、何となく身体に疲労感がある。昨日から連続して温泉に入ったからかも知れない。乳頭温泉郷にある他の温泉も、あと1か所くらいは入浴しようと考えていたのだが止め、温泉郷は車で一回りすることにした。

全部の温泉を見たわけではないが、乳頭温泉郷の中の温泉でも、「鶴の湯」とその別館になる「山の宿」だけは、他の温泉とはかなり離れた別の場所にあるのがわかった。



鶴の湯に向かっていた時も、この案内板とバス停のある場所を左折しなければならないのだが、数十メートル通過してしまった。メインルートを走れば鶴の湯に行けると思っていたのだが、間違いだった。

みちのく秋田の乳頭温泉郷まで折角来たのに、鶴の湯だけではもったいない気もするが、他は次の機会の楽しみにしよう。

酸ヶ湯、玉川温泉、鶴の湯と、いずれも印象の強い温泉ばかりだったので、満腹感で一杯になった気持ちだ。







玉川温泉の湯治宿 次に来たら腰を据えて連泊だ

2022-12-04 14:11:48 | 旅行
事前学習を怠って玉川温泉に来たら、色んなコトにびっくりした。そもそも玉川温泉の名を知ったのは今回が初めてで、酸ヶ湯、奥入瀬、十和田湖を経て翌日は乳頭温泉に日帰りで行ける宿を宿泊サイトで探していて見つけた温泉だ。

十和田湖から山を越えて行く感じで、鹿角を過ぎてからの国道341号線は暗くなった山道。途中30分以上もの間、対向車が来ないような寂しい道だった。これはてっきり人里離れた山奥にポツンとあるこじんまりした湯治宿だと、思い込んだのは大間違いだった。 




宿は3階建てながら本館に東館、南館に西館とあって、更には昔ながらに自炊しながら湯治のできる宿泊棟もあるようだ。大きくてさしづめ迷路のような宿だ。





ここの温泉は酸性度が日本一高く、部屋や大浴場には入浴時の注意書きがあって、源泉に長時間浸かるのは身体にはNGらしい。浴槽は源泉100%と、源泉50%に分かれていて、更に湯の温度でも分かれている。低い酸性度、低い温度の浴槽から攻めるのがコツのようだ。

源泉に浸かってしばらくすると、身体のあちこちでチクチクしてくる。たぶん虫刺され跡か擦り傷の跡だろう。手をこするとスベスベしてくるのがわかる。浴槽を出ると注意書きに従って、洗い湯で全身をしっかり流してから上がった。





翌朝、部屋の窓から見ると温泉の湯けむりの中をみぞれ混じりの雪が降っている。しばらくすると雪が止んだので、朝湯に浸かった後、朝食をとる前に近くを散歩することにした。



自然研究路の方角に遊歩道を歩いてゆくと、素晴らしい景色が見えてきた。





 
このあたりで写真を撮っていると、時々ゴザを脇に抱えた人が行き来している。はて?と思って更に奥へ進んで行くと数軒の小屋(テント)が見えてきた。





ゴザを抱えた人たちの目的は岩盤浴だと、今頃になってわかった。宿の館内にも岩盤浴があるので、こんな屋外にもあるとは思わなかった。


 
地熱のある場所を選んでで野宿かと思いきや、この人も岩盤浴をしていたんだ。


 
乳頭温泉郷あたりでは火山性有毒ガスで人が亡くなる事故があるのは知っていたが、この辺りでもその危険があるようだ。旅から帰って知ったが、約10年前には新雪雪崩で岩盤浴のテントが押し潰され、亡くなった人が数人いる。

また、ここで岩盤浴をすることで北投石が発する微量の放射線を利用してガンを抑えようと、やって来る人もいると知った。 

つくづく思ったが、ここに来る前にもう少し勉強すればよかった。次に来る時には屋外で岩盤浴を体験して、隣接する新玉川温泉にも浸かってみたい。それなら腰を据えて連泊しないと駄目だな。






自分が泊まった部屋は湯治宿らしい質素な部屋だったが、ひとり旅ならこれで充分。滞在中は時間もたっぷりあるので、次回来るなら自炊しながらの連泊も面白いかも知れない。それにはやはりひとり旅が良さそうだ。




















酸ヶ湯温泉の混浴大浴場は視界不良だった

2022-11-28 14:46:18 | 旅行
三内丸山遺跡から酸ヶ湯温泉までは30キロ強で、奥羽山脈目指して登って行く感じだが、約1時間程で到着。




 
温泉の後方にある山は雪化粧を始めていた。

旅に出る前に事前学習をすると、酸ヶ湯温泉にはヒバ千人風呂と言う混浴の大浴場があることを、初めて知った。温泉施設はこの大浴場のある湯治宿の一軒だけで、温泉街があるわけではないこともわかった。入浴するならここしかない。

更にネットの画像を見ると、広〜い浴槽ではあるが割と近しい距離で男女が入浴しているではないか。お湯が白濁しているので、首から下は見えていないが、万が一若い女性が自分のそばに入浴していたらと、つい妄想してしまう。


過去に数回、混浴風呂の経験はあるが全て露天風呂で、女性は入っていないか、いても水着や湯浴み着のようなモノを身に着けていた。露天で周囲からも丸見えだからそりゃあ当たり前だが、ここは屋内だからと妄想がススム。

入浴料の千円を払ってタオルを貰い、館内に入って案内図を見ると、混浴ではなく男女別の浴場「玉湯」があったので、先ずそちらに行ってみた。大浴場が千人風呂ならこちらはこじんまりした十人風呂?で、自分以外の入浴客は二人だけ。

脱衣場で一緒になった人に大浴場の混浴について尋ねてみたら、お湯は白いし湯気が一杯立ち込め、ナニも見えない、とのこと。以前、二十代になる自分の娘さんと入浴したこともある、と聞いて少し安心?した。

玉湯を出て一度服を着て大浴場に向かった。無論、脱衣場は男女別々で、浴槽までのアプローチの階段も仕切りがしてある。広くてテニスコートくらいある浴槽(千人は無理だな)にも中程までは仕切り壁があり、女湯側は遮蔽されているものの浴槽は一つで、奥の仕切りのない部分を回ればどちらにも行ける。

ヒバの木で作られた木造の建物は天井が高く、硫黄臭と湯気が立ち込めて照明か暗く、少し離れると誰かわからない。

浴槽は多少深目でお湯は白濁しているので、首から下を湯から出さずに行き来ができる。自分も男湯側で湯に浸かっていると、ぼんやりとした湯気の中から誰かこちらに向かって来る。2メートル位近づいたところで女性とわかったので、目をそらすために慌てて向きを120度変えた。

女性は男湯側にいるご主人を探しているようで声を掛け始めた。男が女湯側に移動するのはさすがにNGだと思うが、これはOKなんだろう。浴槽の奥に進めば女湯側が視界に入るが、立ち込めた湯気で何も見えそうにない。

ネットで見た画像では浴槽を高いアングルから見わたし、湯の中は見えないものの、湯気は全く無くて明るいので男女の別までわかる。あれは広告用の特別撮影だったのか?

混浴は視界不良でちょうどよいのだ。





玉湯の近くにあった喫茶コーナーで頂いた牛タンカレーは美味しかった。そこのスタッフの人に聞くと、1週間前くらいに降雪があり、路面にも積もったとか。




温泉を後にして駐車場を出ると、端の方に積雪の跡が残っていた。酸ヶ湯と言えば寒波が到来して大雪になれば、必ず耳にする地名。この冬も間もなく聞くようになるのだろう。














酸ヶ湯温泉を出発した後、奥入瀬渓流、十和田湖を経て、今晩の宿ある玉川温泉に向かった。



縄文人のパワーは半端じゃない 三内丸山遺跡

2022-11-26 10:39:50 | 旅行
弘前の宿を朝8時に出発、一般道で37キロ離れた三内丸山遺跡へ向かった。通勤時間帯だったが渋滞らしき事はなく、1時間程で目的地に到着。大型バスで来た中学生の団体が入場していた。



予定では外部の遺跡を3〜40分間、展示資料館を5〜60分間と考えていたが、9時15分からボランティアガイドによる遺跡内の案内説明があるというので予定を変更。見学者7人でガイド氏の案内を受けた。



説明では約30年前、青森県営野球場の建設を始めたところ縄文時代の遺物が出土し、大規模な集落跡が見つかったので野球場の建設は中止に。相当な違約金が発生したらしいが当時の県知事の英断があったようで、野球場にしていたら世界遺産登録などなかったのは確かだ。





三内丸山遺跡に関するの資料では必ず見るのが復元されたこの建物で、「大型掘立柱建物」。現物を見てその大きさに改めてビックリした。6本の柱はクリの木で、直径約1メートル、高さ約15メートル。推測だが重さは2トン近くはありそうだ。





画像は柱が立っていた穴と、穴の底に残っていた柱の一部。これらから柱は直径約1メートルのクリの木で、柱を支えた穴底の土の密度から柱の重さと高さが推定されたようだ。復元の際、さすがにこれだけ太いクリの木は国内では見当たらす、ロシアから輸入したそうだ。
 
石器しかない時代にこんな大木をどんな風に切り出して、そしてどのように運んで来たのか、それを考えてみて思ったことがある。

古代エジプトのピラミッド築造の際の石の運搬や積み上げ技術は素晴らしいと思っているが、紀元前3000〜2000年のほぼ同じ年代の三内丸山の縄文人たちも似た事をやっているのではないか。

調べてみたがピラミッドの石の平均重量は2トン半らしい。1基のピラミッドで積まれた石は200万個以上あるので、出来上がるまでに20年(100年説もある)以上の歳月を費やし、千~万人単位の奴隷(新説では庶民が報酬のビール目当てに働いたとか)が使われたようだ。

建造物の規模で言えば全く比較にならないが、2トン近い木柱を運搬して建てる技術レベルは、ピラミッドの技術に近いと言えないだろうか?

当時のエジプトでは小麦の栽培が始まっていたので、狩猟採集生活の縄文人よりも食料事情は安定し(ビールもあったから?)、労働力の供給も容易だったのではと思う。

一方で三内丸山では500人程度の人口と推定されている縄文集落の人々が集まり、カズラやツタを束ねたロープで木柱を引き摺り、そして引き起こしたのだろうか?失敗してケガ人が出たこともあっただろう。思えばスゴイことをやっていたもので、縄文人の知恵、技術、パワーと言ったものが半端でなく、自分の想像をはるかに超えている。

ガイド氏によると、6本の柱を使った建物が実際にはどんな構造で、また何の目的で建てられたかは不明だが、集落の存在を示すランドマークやシンボルではなかったのでは、とのこと。遠方から丸太舟で交易に来る人が目標にしていたのかもしれない。





上の画像は復元された大型竪穴建物だが、これを見ると十年くらい前に佐賀県の吉野ヶ里遺跡に行った時に見た、高床式祭壇や集会の館を思い出した。建物の細部や建物としての完成度は弥生時代の吉野ヶ里遺跡の建物の方がが進んでいるのは当たり前だが、さらに二千年は遡る縄文期にもこれほどの大型建物が建てる技術があったのはやはり驚きだ。










大型の建物や柱以外に竪穴式住居(復元)や子供の墓、盛土なども見学して色々と想像力を掻き立ててくれたが、大型掘立柱は遺跡を後にしてからも色んな事が頭をを離れなかった。

ガイド氏の案内だけで1時間半を費やしてしまったので時遊館(展示資料館)を見る時間が無くなってしまった。折角ではあったが、屋外の遺跡を見てガイド氏の説明だけでも頭の中が満杯に近かったので、見損なった残念度は低い。

縄文人のバワーって、スゴイもんだ。半端じゃない!











弘前で見つけた宿が好かった

2022-11-20 11:57:37 | 旅行
14時半頃に着陸した秋田空港からレンタカーで一般道を走り、弘前の宿に到着したのは19時前だった。



館内に入ると懐かしい鍵のついた下駄箱が迎えてくれた。学生時代に通っていた銭湯の下駄箱がこれだったが、最近はあまりお見かけすることがない。



下駄箱の数からでもわかるように、たくさんの部屋数がある宿ではない。宿の女将さんにチェックインしてもらい、エレベーターで部屋のある二階へ。



この宿には洋室も和室もあるが、予約した宿泊サイトの画像を見て和室を選んだ。腰痛があるので本来なら洋室の方が使い易いのだが、木質の部屋の雰囲気が見たくなって和室を選んだ。狭いながらも一人で使うならホテルにある洋室よりも落ち着き、居心地も良かった。





バスルーム(少し小さいバスタブ)と洗面台、トイレは別になっていて使い易い。最近までのホテルはこの3つがワンユニットになっているのが当たり前で、今でもビジネスホテルでは主流だと思うが、なるべく別室の方が良い。二人で泊まる場合などは尚更だ。

この宿で特筆すべきは予約制で使えるお風呂が別にあり、30分間を貸切で入浴できること。3人くらいまでは入れる浴槽と洗い場があるそこそこの広さの浴室に、一人で入っていると贅沢な気分になる。4時間近くのドライブ疲れも洗い流せて気持ち良かった。 

最近の新規ホテルには共用で中規模の浴場を備えた物件が増えているように思うが、自分の場合はホテルを選択する際の重要な要素のひとつになっている。部屋の浴室とは風呂上がりの快感が大きく違うと思う。





朝の7時から食堂で朝食を頂いた。メインは魚(鯖?)の味噌煮で野菜の煮付けに他一品。普段の朝食と同じようなボリュームで、高い宿泊料を払っているわけではないので充分だと思う。



セルフサービスのコーヒーと一緒にいただいたフルーツは、パリッとした食感から梨かな思ったが、後で女将さんにリンゴだと聞いた。名前も聞いたが難聴のせいでよく解らず、後日調べると地元青森県産の「トキ」で、近年出来た交配種らしい。甘くて美味しいが、リンゴの食感とは思えなかった。

この宿は自分のように旅での利用者よりも、定宿にしている出張者の方がはるかに多そうで、同じ時間に朝食に来ている人は女性の方が多かった。

朝食の配膳をしていたのがご主人のようで、宿は家族で経営されている様子。宿全体の作りに客をもてなす気持ちが表現されていて、アットホームな雰囲気がある。自分にはもう一度来る機会はないかも知れないが、ひとり旅にはピッタリの宿だった。


今回のみちのくひとり旅は次の理由から思い立った。
①全国旅行支援の恩恵に与ること
②JALマイレージの有効期限が迫っている
③東北地方に行ったことのない場所が多い





そこで旅程は3泊と決め、以前にも数回利用したJALの「どこかにマイル」に申し込み、伊丹⇔秋田便が決まった。訪問地は思案の末、青森まで足を伸ばして三内丸山遺跡を見た後に温泉巡りをすることにした。秋田空港から三内丸山遺跡に向かう途中の宿泊地として弘前を選んだが、弘前が観光目的だったのではない。

宿にチェックインした後、旅行支援でもらった地域振興クーポンを持って弘前駅前の居酒屋へ。



地元名物のイガメンチ、嶽きみ(スイートコーン)の天ぷら、そしてイカの炙りを食べ、ビール、ハイボールの大ジョッキを飲むともらったクーポン(¥3000)では足が出た。
 
好きなモノを誰にも遠慮せず好きなだけ食べる、これがひとり旅の醍醐味のひとつだ!