東大寺二月堂へのお水送りの神事のある鵜の瀬と若狭神宮寺を見た後、2km少し下流(北)にある若狭彦神社に向かった。神宮寺は名前のとおり神仏習合による若狭彦神社の付属の寺になる。
神仏習合や廃仏毀釈は日本史で習ったが、漠然としたままでいまひとつ理解ができていない。最近は国内の旅行に出ると神社や寺に寄ることも増えたような気がするので、その内に少しずつわかってくるのかも知れない。

若狭彦神社は若狭国一の宮で海彦山彦伝説の山幸彦を祭っている。ここから1km半ほど下流(北)に二の宮になる若狭姫神社があり、前者を上社、後者を下社とも呼ぶらしい。

若狭彦神社の境内に入ると杉の大木が並んでいて、見上げると空は少し見えるだけだ。


本殿の前まで行ってみたが我々以外には参拝客も見当たらず人気も感じなかったが、神官などは下社でお勤めのようだ。


静か過ぎるくらいの境内だが大きな杉の木に囲まれたこの神社にいると、何故か落ち着く。下社の若狭姫神社まで行くと本殿の脇には更に巨大な杉の木があった。

杉の木が大きすぎて本殿がホントに小さく見える。

二つの神社とその神護寺を見た訳だが、鄙の地にある寺社とは少し違うように感じた。古代のこの地は奈良や京に文物や人を運ぶ重要なルートだったように想像する。
話は違うが、この後で国道27号線を西に向かった。同行のY氏は瀬戸内海沿いの山陽路の生まれで今は東京在住だが、小浜市内を抜け右手に日本海が見え始めると「今、東西のどちらに向かっている?」と聞いてくる。Y氏の感覚では海は南側に見えるもので、河川は北から南に流れるものになっているようだ。
自分は盆地生まれの盆地住まいで海がどちらにあるかの感覚は殆どないが、河川については南に向かって流れるような感覚がある。
鵜の瀬まで遠敷川の上流に向かって車で坂道を登ってから神宮寺、若狭彦神社と下って来たが、何となく南行している気分があったのは確かだ。なのでこのブログでは自分にもわかるように、「下流(北)」と書いてみた。
神仏習合や廃仏毀釈は日本史で習ったが、漠然としたままでいまひとつ理解ができていない。最近は国内の旅行に出ると神社や寺に寄ることも増えたような気がするので、その内に少しずつわかってくるのかも知れない。

若狭彦神社は若狭国一の宮で海彦山彦伝説の山幸彦を祭っている。ここから1km半ほど下流(北)に二の宮になる若狭姫神社があり、前者を上社、後者を下社とも呼ぶらしい。

若狭彦神社の境内に入ると杉の大木が並んでいて、見上げると空は少し見えるだけだ。


本殿の前まで行ってみたが我々以外には参拝客も見当たらず人気も感じなかったが、神官などは下社でお勤めのようだ。


静か過ぎるくらいの境内だが大きな杉の木に囲まれたこの神社にいると、何故か落ち着く。下社の若狭姫神社まで行くと本殿の脇には更に巨大な杉の木があった。

杉の木が大きすぎて本殿がホントに小さく見える。

二つの神社とその神護寺を見た訳だが、鄙の地にある寺社とは少し違うように感じた。古代のこの地は奈良や京に文物や人を運ぶ重要なルートだったように想像する。
話は違うが、この後で国道27号線を西に向かった。同行のY氏は瀬戸内海沿いの山陽路の生まれで今は東京在住だが、小浜市内を抜け右手に日本海が見え始めると「今、東西のどちらに向かっている?」と聞いてくる。Y氏の感覚では海は南側に見えるもので、河川は北から南に流れるものになっているようだ。
自分は盆地生まれの盆地住まいで海がどちらにあるかの感覚は殆どないが、河川については南に向かって流れるような感覚がある。
鵜の瀬まで遠敷川の上流に向かって車で坂道を登ってから神宮寺、若狭彦神社と下って来たが、何となく南行している気分があったのは確かだ。なのでこのブログでは自分にもわかるように、「下流(北)」と書いてみた。