前回の投稿は自宅近くの散歩道にある桜の紹介だったが、昨日はショッピングモールにヨメと買い物に行った帰途、久御山町東一口の桜を見に行った。自宅からは4キロ離れた場所にある。
生憎と曇天だったが、時折満開の桜を散らす風が吹き、桜吹雪が舞う景色が見られた。
写真は国道1号線京阪国道から西方を撮ったが、正面に見える前川橋付近が桜の見所の中心になり、1号線からだと排水路沿いを下流に向かって約700メートル先の巨椋池排水機場まで桜並木が続いている。
この付近の桜の名所と言えば排水機場から宇治川沿いに4キロ先下流に背割堤がある。桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川になる地点で、桜展望タワーもある。駐車場もあるが京阪八幡市駅からも徒歩圏内で、広い河川敷ではシートを広げての花見も可能だ。
写真は国道1号線京阪国道から西方を撮ったが、正面に見える前川橋付近が桜の見所の中心になり、1号線からだと排水路沿いを下流に向かって約700メートル先の巨椋池排水機場まで桜並木が続いている。
約15年前に排水路の護岸工事があり、左岸側にあった桜はすべて伐採されて若木に植え替えられたので少し寂しくなっていたが、現在では若木も成長したので右岸にある老木にも見劣りしなくなっている。
この付近の桜の名所と言えば排水機場から宇治川沿いに4キロ先下流に背割堤がある。桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川になる地点で、桜展望タワーもある。駐車場もあるが京阪八幡市駅からも徒歩圏内で、広い河川敷ではシートを広げての花見も可能だ。
それに比べると東一口のこの場所は交通の便がなくて駐車場もなく、広い河川敷もないので花見をゆっくり楽しむのは難しいので人出は多くない。平日なら来る人も更に少なく、写真を撮る時間だけぐらいなら路肩駐車も出来なくはない。
しかしながら桜のボリュームはたっぷりあるので短時間でも見るだけで満足できると思う。そう言った意味では桜の穴場と言える気がする。
ところで話は変わるが東一口の地名は難読としても知られていて、西一口もある。先日、桜を見に東京の千鳥ヶ淵に行った後でJR市ケ谷駅に向かって歩いていると「一口坂」と言う交差点に出会った。標識には「HITOKUCHIZAKA」と表記されていたので、東京にも「いもあらいざか」があったら難読地名にはならないよなあ、と思った。
が、気になったので調べてみたら明治時代になる前は「いもあらいざか」と呼ばれていたのだとか。かつては坂の下に一口稲荷神社があったとの説もあることが分かった。
また、神田駿河台にある淡路坂の別名が一口坂(いもあらいざか)で、坂の頂上付近に現存する太田姫稲荷神社は、江戸城を開祖したと言われる太田道灌が京の都の南の里「一口」にある稲荷神社を江戸に勧請したもので、別名として一口稲荷、そしてそこの坂が一口坂と呼ばれることもあったようだ。淡路坂の地名は江戸時代になって鈴木淡路守という徳川家旗本の屋敷あったためらしい。
道灌が一口にあった稲荷神社を勧請したのは疱瘡を患った愛娘を助ける目的だったそうで、この神社には疫病退散のご利益があると伝わっていたのかも知れない。そこから「いも⇒忌み、いもがさ(疱瘡)」「あらい⇒はらう、治す」と言う語源説がある。
道灌が一口にあった稲荷神社を勧請したのは疱瘡を患った愛娘を助ける目的だったそうで、この神社には疫病退散のご利益があると伝わっていたのかも知れない。そこから「いも⇒忌み、いもがさ(疱瘡)」「あらい⇒はらう、治す」と言う語源説がある。
読み方の由来は他にも説があるようで謎めいたままで良いと思っているが、「一口」の字が表す意味は集落の北、東、南側を巨椋池に囲まれて出入り口が西の一方しかないことに起因しているのは間違いないようだ。
何れにせよ、京都にある一口(いもあらい)と言う難読地名が、東京にも別名としては残っていることは分かった。