「途中」と言うのは地名で、~へ行く途中の意味ではない。住所は大津市伊香立途中町で、鯖街道とも呼ばれて京から若狭へ行く街道沿いに位置している。若狭から京に至る「途中」にあることが起源かと推測される。
現在はそれぞれバイパス工事によって国道367号線と国道477号線が高架上でT字路で交わっている地点に「途中」の表示があるが、バイパスができるまでは、2本の谷川が合流する谷あいにある、狭い旧道の三叉路の交差点だった。20代の頃、スキーシーズンには京都から大原を通り、途中峠を越えるコースでびわこバレーや箱館山のスキー場に行っていたが、途中峠から三叉路までの下り坂は狭くて離合出来る場所も限られ、積雪でもあればひどい難所だった。
その三叉路から1Kmほど琵琶湖方面に進むと左側を流れる川にかかる赤い橋がある。昔はここで左折して橋を渡り、国道162号線の和邇までショートカットのコースを走行していた。この赤い橋のそばに還来神社があるが、立ち寄ったのは初めてだ。


これも初めて知ったのだが、名前は還来と書いて「もどろき」。祭神は太政大臣藤原百川の娘で藤原旅子。彼女は桓武天皇の夫人で何人かいた内の一人だが、皇后は別にいた。桓武天皇との間に生まれた男子が彼女の死後に即位して淳和天皇となったので、追贈されて皇太后となる。
旅子はこの付近にあった藤原氏の荘園の別邸で生まれ、33歳で病に斃れる際にこの地にある梛の大樹の下に葬るように言残した。祠の後ろにある枯れた古木が神木となる梛の木らしい。神社の名前の「還来」は、旅子が生誕の地に還って来たことに由来するようだ。

本殿の前まで来ると、石段の横に巨大な切り株があった。つい2年前に伐採された、樹齢は約8百年の杉の木で、カエルが置いてあったが、相当な巨樹であったことがうかがえる。そうか、カエルは帰って来るの意味なんだ。


そこに地元の男の人が現れたのであいさつをすると、この神社の氏子総代を務めているとのこと。近年の台風によって杉の木の枝が吹き飛ばされ、本殿や拝殿の建物に甚大な被害が及んだため、止む無く伐採したと話してくれた。りっぱな杉の木だっただろうに、もったいない気持ちがする。
見ると本殿の裏山にも大木が多くあり、台風による倒木が落下すると危険なため、伐採を検討しているようだ。ただ、傾斜地にあるので伐採は簡単ではなさそうだし、コストも相当なものになりそうだ。
総代さんは見回りに来ている様子だったがいろいろと話をしてくれた。戦前は出征する兵士や家族が無事に帰って来るようにとの参拝者が引きも切らず、現在では東日本大震災で長期の避難生活を余儀なくされた人、北朝鮮に拉致された人の関係者などの参拝があるそうだ。
自分が参拝を済ませると総代さんが本殿の横に置いてあったお守りの中から、カエルのお守りをくれた。お金を払おうとすると受け取ってくれないので、少額だが2度目のお賽銭をしておいた。


この神社の年に一度の例大祭は5月5日だが、今年はコロナウイルスの影響で規模を大幅に縮小することが決まったそうだ。御輿の出番もないようで、総代さんが淋しそうな表情をしていた。
ネットで調べてみると、京都の西院にも還来神社があることがわかった。藤原旅子が産んだ淳和天皇の皇后である正子内親王が祭神で、還来の名前は、内親王が御殿の火災に遭い避難したが、無事に御殿に帰れたことに由来していると言う。正子内親王だけでなく、藤原旅子も祭神の一人にしているデータがある。
折角なので西院の春日神社内にある還来神社にも、いずれ行ってみよう。
現在はそれぞれバイパス工事によって国道367号線と国道477号線が高架上でT字路で交わっている地点に「途中」の表示があるが、バイパスができるまでは、2本の谷川が合流する谷あいにある、狭い旧道の三叉路の交差点だった。20代の頃、スキーシーズンには京都から大原を通り、途中峠を越えるコースでびわこバレーや箱館山のスキー場に行っていたが、途中峠から三叉路までの下り坂は狭くて離合出来る場所も限られ、積雪でもあればひどい難所だった。
その三叉路から1Kmほど琵琶湖方面に進むと左側を流れる川にかかる赤い橋がある。昔はここで左折して橋を渡り、国道162号線の和邇までショートカットのコースを走行していた。この赤い橋のそばに還来神社があるが、立ち寄ったのは初めてだ。


これも初めて知ったのだが、名前は還来と書いて「もどろき」。祭神は太政大臣藤原百川の娘で藤原旅子。彼女は桓武天皇の夫人で何人かいた内の一人だが、皇后は別にいた。桓武天皇との間に生まれた男子が彼女の死後に即位して淳和天皇となったので、追贈されて皇太后となる。
旅子はこの付近にあった藤原氏の荘園の別邸で生まれ、33歳で病に斃れる際にこの地にある梛の大樹の下に葬るように言残した。祠の後ろにある枯れた古木が神木となる梛の木らしい。神社の名前の「還来」は、旅子が生誕の地に還って来たことに由来するようだ。

本殿の前まで来ると、石段の横に巨大な切り株があった。つい2年前に伐採された、樹齢は約8百年の杉の木で、カエルが置いてあったが、相当な巨樹であったことがうかがえる。そうか、カエルは帰って来るの意味なんだ。


そこに地元の男の人が現れたのであいさつをすると、この神社の氏子総代を務めているとのこと。近年の台風によって杉の木の枝が吹き飛ばされ、本殿や拝殿の建物に甚大な被害が及んだため、止む無く伐採したと話してくれた。りっぱな杉の木だっただろうに、もったいない気持ちがする。
見ると本殿の裏山にも大木が多くあり、台風による倒木が落下すると危険なため、伐採を検討しているようだ。ただ、傾斜地にあるので伐採は簡単ではなさそうだし、コストも相当なものになりそうだ。
総代さんは見回りに来ている様子だったがいろいろと話をしてくれた。戦前は出征する兵士や家族が無事に帰って来るようにとの参拝者が引きも切らず、現在では東日本大震災で長期の避難生活を余儀なくされた人、北朝鮮に拉致された人の関係者などの参拝があるそうだ。
自分が参拝を済ませると総代さんが本殿の横に置いてあったお守りの中から、カエルのお守りをくれた。お金を払おうとすると受け取ってくれないので、少額だが2度目のお賽銭をしておいた。


この神社の年に一度の例大祭は5月5日だが、今年はコロナウイルスの影響で規模を大幅に縮小することが決まったそうだ。御輿の出番もないようで、総代さんが淋しそうな表情をしていた。
ネットで調べてみると、京都の西院にも還来神社があることがわかった。藤原旅子が産んだ淳和天皇の皇后である正子内親王が祭神で、還来の名前は、内親王が御殿の火災に遭い避難したが、無事に御殿に帰れたことに由来していると言う。正子内親王だけでなく、藤原旅子も祭神の一人にしているデータがある。
折角なので西院の春日神社内にある還来神社にも、いずれ行ってみよう。