振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

ルアンプラバーンと言えば托鉢が有名だが

2017-07-14 09:43:07 | 日記
今回のラオスの旅でルアンプラバーンの托鉢を見ることは大きな目的のひとつであった。

が、何とも寂しい限りであった。期待にはほど遠かった。

早朝5時半に宿を出て托鉢の行われる道路に向かうとすぐにおばさんが寄って来た。托鉢の時にお坊さんに喜捨する商品を観光客に売っているのだ。買う気はなく断ったのだがかなりつきまとわれた。


道路に着くと歩道にはプラスチックのイスがずらりと並んでいたがそこに座ってお坊さんを待っている人は僅かだ。しばらくすると10人ずつくらいのグループでお坊さんが並んでやって来たが肩からかけた袋も軽そうだ。


韓国人と思われる10数人の観光客が歩道のイスに並んで座り、ガイドにつきそわれて忙しそうにお坊さんに喜捨していたが、他には我々と同じようにカメラを持ってうろうろしている観光客がいるくらいだ。

観光地のイベントの一つになってしまったのか、またシーズンオフで観光客も少ない時期だったためか肩透かしをくった情景だった。

お坊さんたちの行列は渋滞することもなく通り過ぎ、それぞれのお寺に散って行ってしまった。

プーシーの丘で見たラオス内戦の跡

2017-07-11 11:13:23 | 日記
プーシーの丘はルアンプラバーンの街の中心にある標高差150mほどの小高い丘で、頂上には金色の仏塔がある。

丘を登るには正面側の国立博物館の前から300段あまりの階段を直登するか、もう一つ丘の裏手に回ってナムカーン川のそばから比較的ゆるやかに続く山道を登る方法がある。

目当ては仏塔ではなく、頂上から眺める街やメコン川の景色で夕焼けに遭遇するととても良いそうだ。我々は裏道から汗をかきかき登り、正面階段を下ったが1時間もあれば街に戻れる。


画像はメコン川側と裏のナムコーン川側を撮影したもの。ナムコーン川画像の左端にルアンプラバーン空港が見える。

私が高校生の頃はベトナム戦争の時代で同時に隣国ラオスも混乱、内戦の時代だった。パテトラオ、ジャール平原、ルアンプラバーンなどニュースで呼ばれた名前は当時から覚えている。ラオスには当時の米軍が落としたクラスター爆弾やその他の不発弾が未だに数百万発と言うレベルで残っていると言う。現在でも不発弾によって亡くなる人もいるらしい。

山道を歩きながらそんなことを考えていると目の前に突然現れたのが対空機関砲の砲座と砲架らしき鉄のかたまり。

パテトラオ軍がルアンプラバーンの防空に設置したのだろうと想像したが実際に使われたのだろうか?



上の画像はルアンプラバーン空港を離陸直後に撮った街の中心部。メコン川とその支流のナムコーン川に挟まれている。街の真ん中の緑の部分がプーシーの丘で、頂上にある金色の仏塔がわかる。

チャイニーズと間違えられる

2017-07-09 14:05:03 | 日記
画像はヴィエンチャンでトゥクトゥクのドライバーに撮ってもらったもので、どちらが私でどちらがK氏かは省略する。

今回のラオス滞在中、現地の人たちに時折コリアンに間違えられたがチャイニーズにはよく間違えられた。また、ルアンプラバーンの同じ宿にグループで泊まっていた中国系マレーシア人からも香港だとか台湾だとか言われた次にハッと気づいたようでジャパニーズ?と言われた。

ルアンプラバーン空港から市内へのタクシーで幼い女の子を連れた欧米人ファミリーと相乗りになったことは既に書いたが、その日の夕方に川沿いにある宿のレストランで二人でビアラオを飲んでいるとそのファミリーが入って来た。

K氏がすぐに気が付いて手を上げて合図すると先方も気がついて手を振ってきた。離れた席に座ったが英語力のない我々二人にはそれ以上のことはできなかった。

ところが小一時間したころに女の子が我々のテーブルに近づいてきてK氏に向かって何か言おうとする。二人が何だろうと緊張すると彼女は「ニイ ハオ マ」とあいさつをしてきた。

慌てた二人は「こんにちわ」とか自分たちを指さして「ジャパニーズ」とか言ったが、後で考えるともっとマシな対応があったのではと反省した。

想像だが彼女は香港やシンガポールあたりに住んでいる欧米人で近所にチャイニーズのお友達がいるのかも知れない。無論、日本人とチャイニーズの区別ができるわけもないし、父親や祖父母から確かめておいでとけしかけられたのかもしれない。

ラオスに来てみると日本の存在感より中国や韓国のそれの方がはるかに大きい。観光客の数もしかりで日本からの直行のエアラインはないが中国や韓国からは直行で来れる。仕方のないことだ。

ラオスからの帰路、バンコクで2泊して夕食のついでに久しぶりにパッポンのナイトマーケットを覗いてみた。ここでは一目見て「シャチョー、ニセモノ」とあちらこちらで声を掛けられた。K氏も「ここは流石だなア」と言いながらホッとした表情だった。

主題とは関係ないが画像はバンコクのソンブーン本店での夕食。ここではやはりプーパッポンカリーだ。

予想以上のスケールだったクアンシーの滝

2017-07-08 10:27:28 | 日記
ルアンプラバーン到着後に予定していた観光地としてクアンシーの滝があった。行き方や手段までは調べていなかったがよく働く宿の若いスタッフがこちらから尋ねる前にすすめてきた。

午後1時半出発でミニバスが宿までピックアップに来て一人40000キップ。別に現地で払う入場料が一人20000キップとのこと。今日は雨も降りそうにないのでと熱心にすすめるので二人分80000キップを支払って申し込んだ。

時間に少し遅れて来たミニバスは前から3席×4列と最後部が4席でドライバーを除くと15人定員。我々二人が乗り込むとちょうど満席になった。これで1時間と少しはちょっとキツイがエアコンが効いているのでなんとかなった。

道路はカーブの多い山道だが舗装はされている。但し時々大きな穴が開いているらしく車は徐行しても大きく揺れる。何か所かあった橋は全て1車線の狭いものだった。

現地に到着して入場料を払い、登り道を進んで行くと熊牧場のようなものがあり、さらに進むと川べりに到着。


水は少し白く濁ってはいるがエメラルドグリーン。このあたりは滝の落差はほんの1~2メートルで欧米人や中国人などの若い観光客は設置された更衣のための小屋で水着に着換えて川に入っていた。但し泳ぐと言うほどの面積ではない。


更に上に登ってゆくと鍾乳洞などで見られる棚田状になった場所があった。たぶん石灰岩も含まれているようで水が流れ落ちている岩もよく見ると端が小さなつらら状になっている。

最上部まで登ると落差が数十メートルはありそうな滝が現れた。なかなか立派な滝だ。これほどとは想像していなかった。

水着を持って来ていれば時間をつぶせたが準備していなかったので帰りの出発時間まではビアラオで暇つぶしをした。幸いにもサングラスは持っていたので水着ギャルの鑑賞だけはしっかりとできた。

2部屋予約していたのに1部屋しかなかったルアンプラバーンの宿

2017-07-06 14:30:55 | 日記
ルアンプラバーンの空港に着いて市内まで行くため、空港ビル内のタクシーカウンターに行った。市内まで50000キップで3人までと書いてある。宿のゲストハウスの名前を告げて50000キップ払うとすぐにドライバーが来てワンボックスカーに乗せてくれた。

我々二人だけかと思っているとしばらくして欧米人のファミリーが4人乗ってきた。4歳くらいの可愛い女の子と父親、そして祖父母のようだ。我々が先に中央の良い席に座っていたので女の子は運転席の横の席に父親と一緒に座ったが窮屈そうだったので連れのK氏が余裕のある自分の横の席においでと誘ったが彼女ははっきりと「NO!」

15分くらい走って我々の宿に到着したのが10時半頃。カウンターに若い男性スタッフがいたのでできるのであればチェックインしようとして予約サイトのアゴダのバウチャーとパスポートを出し「ツールーム」と言うと彼は急にあわてだした。1部屋しかないと言う。

(左端の玄関が緑の木で囲まれた家が宿泊先のゲストハウス)

アゴダからの予約情報が届いていないのか、誤って1部屋しか準備していなかったのかよくわからないが2部屋分の代金は既にクレジットカードで決済されている。そこによくしゃべる年配の女性スタッフが出て来たがそれでも理由がわからない。宿のオーナーがカンボジアに行っていて不在のため理由はわからないと言っているようだ。

その内に明日は2部屋準備できるから今夜だけは別の宿に1部屋確保すると言う。しかたないので下見をさせろと言って男性スタッフと3人で100m離れた裏通りにある宿を2軒下見した。途中で彼に先ほどの女性スタッフは君のママか?と質問すると「違う、ボスだ」と言う。

どちらの代替宿も部屋は小奇麗でまずまずだが観光シーズン以外は客をとっていない感じだ。K氏と相談してツインベッドの部屋があれば1部屋で妥協して1部屋分をディスカウントさせようと、そのことをスタッフに提案した。しかし彼はWベッドの部屋しか空いていないと言い、ジェスチャーで男二人で抱き合って寝たらどうだと、冗談を飛ばしてきた。



しかたないので一晩だけ私が代替宿に泊まることになった。しかしながらトラブルはあったもの大きな声でスタッフを呼ぶボスとよく働く若い男性スタッフ、宿の前の道路を渡るとメコン川が眺められる宿のオープンレストラン。毎晩そこでメコン川を眺めながらビアラオを飲んでいるとトラブルのことは忘れてしまった。