数年前から花粉症になってしまったみみ爺はこの季節がとてもこわい。外に出ると、杉の枝先にびっしり付いた赤茶色いの花粉にどうしても目が行ってしまう。マスクをして自転車に乗るのがいやで、しばらくはどこへも出かけていないんだ。
そんなときだ。自転車仲間のBさんからハイキングのお誘いがあった。私と同じように花粉症のIWAさんも同行すると言う。ハイキングならマスクをつけていれば大丈夫だろう。
秩父鉄道の三峰口から道の駅「薬師の湯」までタクシーに乗り、そこから歩き始めたんだ。目的地は秩父観音霊場札所31番観音院とその奥にある観音山だよ。
道の駅「薬師の湯」から歩き始めてすぐ、古い山門が現れたよ。真言宗の寺、法養寺の山門だ。
山門もさることながら、その先の薬師堂も見事だったよ。まさに古刹と言うにふさわしい。室町時代末期の創建だからかなり古いね。
日本三体薬師の一つに数えられているそうだよ。日本三体薬師とは神奈川県の日向薬師、愛知県の鳳来寺薬師、そしてこちらの法養寺薬師。
本尊の薬師如来は、別名目薬師とも言われ、目の守り神としての信仰を集めているそうだ。なるほど、それで「めめ」と書かれた絵馬やたくさんの千羽鶴が下がっているんだね。
薬師堂と、IWAさんの向こうに見える石の七重の塔は指定文化財ということだ。
人々の苦しみや願いの詰まったこのような古刹に出会うと、なぜか心が引き締まる思いがするね。
県道37号から、巡礼道になっている古道を行くと、小森川支流の薄川に架かる木橋があった。静かな山の中、雰囲気のある木橋だね。欄干のないこの橋は沈下橋だろうか。高麗川流域にいくつも見られる沈下橋と似ているね。
橋の感触を味わうようにゆっくり歩いていくのはIWAさんだ。
「下が見えますよ」
と、振り返って注意を促してくれる。
「おっと!」
足元を見ると、板の一部が割れていて、その隙間から下の水面が見える。
川は、きれいな水が細くひっそりと流れている。この川の上流では本格的な渓流釣りができることで有名だ。
木橋を渡り、落ち葉の急な坂道を登る。
こうして山道を歩くのは久しぶりだよ。落ち葉を踏む感触がとてもいい。
県道279号へ出て、みごとな枝垂桜のある分かれ道を、「31番観音院⇒」という案内に従って左へ。この先の緩やかな坂道のピークが権五郎落峠だろう。
権五郎落峠を越え、なだらかな傾斜の山里道をしばらくのんびりと歩き、赤平川を渡る。
橋の下には水の少なくなった細い流れが冬枯れた木々の中を、上流の方(志賀坂峠)へ続いている。
国道299号をそれ、静かな巡礼道を進む。のどかな道が続くよ。
赤い欄干の橋の向こうに、「たらちね観音」の小さなお堂が見えるよ。桜の花もとてもきれいな色をしている。
たらちねとは、短歌に用いられる母あるいは親にかかる枕詞だね。昔教わったような気がする。
たらちねの母が釣りたる青蚊帳を~
長塚節の歌にあった。
このたらちね観音の光珠院は母と子の未来永劫の幸福を祈願して開山されたそうだ。
さらに進むと、今度は母と子の悲しみがあふれた水子地蔵寺という寺の前だ。
数えきれないほどたくさんのお地蔵様が、見渡す限りの周囲の山の斜面を覆う。
晴れていて明るいけれど、何か空気が重く感じられる。
山の斜面を覆うお地蔵様の数は14000体あるそうだよ。
これだけたくさんの水子たち、そしてその同じ数だけいる母たちの悲しみが、周囲の空気を重くしているのかもしれない。
みみ爺の娘も水子をひとり持っている。
娘は、ようやく人の形がうかがえるようになったばかりの小さな子を流してしまった。初めてできた子だった。このときの娘の、深く傷つき落ち込んだ姿は今もはっきりと目に浮かぶ。幾日も幾日も黙って涙を浮かべる娘だった。
秩父札所31番観音院の入り口に着いたよ。
この鷲窟山観音院は、秩父34霊場のなかで最も険しい難所に建つお寺とされている。まさに秘境にある山寺ということだよ。
山門には石造りの仁王様が2体。その大きさは、台座を入れると4メートルを超える。石造りの仁王像としては日本一の大きさだそうだ。
険しい山道では観音山の石切り場から石を運び下ろすのも大変なことだったろう。
山門をくぐったところから始まる石段の脇に、手助け仁王の巨大な手がある。この手形もまた日本一、「この仁王の手が一年間あなたの手助けをします」ということだよ。
296段の長い石段を上る。般若心経276字と普回向20字の合計で296段になっているそうだ。
標高差は53メートルというが、そんなもんじゃないだろうという気がするほどへとへとになって上った。
ようやくたどり着いたよ。疲れたねえ。山道の上り坂は嫌いじゃないが、石段や階段はどうも好きになれない。
石段を上り詰めたところに鐘楼があったんだ。
IWAさんがみみ爺の前にその鐘をついた。大きな音が鳴り響いた。
鐘をつくなら必ず参拝前にとあったので、みみ爺も鐘をつくことにした。あまり大きな音が出ないようにと、そっとついたつもりだったが、思いもよらぬ大きな音が響いたのでびっくりしたよ。余韻が消えぬうちにあわてて合掌した。
正面の本堂の屋根の上に、背後から覆いかぶさるように大岩壁そびえているよ。山の上のすごいところにお堂を建てたものだね。秩父観音霊場の中で最も険しい難所に立つお寺という意味がわかるね。
本尊は聖観音像で、奈良時代のものらしい。
本堂の左後方にある60メートル以上高くそびえる断崖は、雨が降ると“聖浄の滝”となる。見上げるほどの高さだよ。
滝の下には不動明王が立っている。その昔、修験者の修行の場だったのだろう。
手水舎の屋根の上辺りの崖の壁面に文字のようなものが刻まれている。写真ではわかりにくいが、「南無阿弥陀仏」という名号のようだ。
崖の下に立つと、上から巨大な何かに押さえつけられるようで身が引き締まるよ。
一行はここで思い思いに用意してきたおにぎりでお腹を満たし、観音山を目指した。
岩廂の中の石仏群が見える。すごいところにあるなあ。
みみ爺には恐怖の、杉林の急坂を登っていく。杉の枝にはまだ赤茶色の花粉が無数についているよ。
一段一段が膝の高さほどもあるきつい階段を上り詰めると、下のほうに合角ダム湖が枯れ枝越しに眺められた。
やっとのことで観音山の山頂に着いたよ。
いい眺めだよ。もっと晴れていれば相当にいい景色だろう。
眼下に見える川に沿って続く道を左へ行き、ちょうど山の斜面に隠れて見えないあたりに、秩父の名水“毘沙門水”があるはずだよ。去年の同じ頃、合角ダムから西秩父林道、土坂峠、下久保ダムと辿ったときに立ち寄った場所だ。BさんIWAさんはあの時も一緒だった。
頂上を後に山道を下っていく先頭のBさん、そしてIWAさん。その後に続くのは博学の髭の断腸さんだ。断腸さんはしばらく体調を壊していたけれど、今はもうすっかり元気になったようだよ。よかった、よかった。
ダム湖に架かる合角連大橋と、その先にダム堤がくっきりと眺められるよ。水の色もきれいだなあ。こうしてダム湖を上から見ることができてよかった。ここから見る合角連大橋もすばらしいね。
くるぶしまで堆積した落ち葉の下り坂をIWAさんが下っていくよ。ザザッ、ザザッと落ち葉を踏む音が響く。これぞ山歩きだ。
尾根道を間違え、行き止まりになった先の急斜面を、
「確かめてきます」
と、BさんとIWAさんが枯れた木の枝や幹を伝いながら勢いよく下っていく。道のようで道ではないような急な斜面だ。
50メートルほども下がった雑木の中でごそごそと動いている様子だが、どうやら二人は行き詰ったようだ。
「危ないから戻ってください!」
「道じゃないですよ!戻りましょう!」
断腸さんとみみ爺が上から叫ぶ。
しばらくして、二人は前後して斜面を這い上がってきた。
「だめでした」
と、がっかりしてとても疲れた様子だったよ。
その後も途中から道が不明瞭となり、最後は木の枝や根っこにつかまりながらほうほうの体で崖を下り人里にもどってきたよ。
ここは乗馬もできるという牧場だ。
Bさん、IWAさん、断腸さんの三人は疲れた様子もなく早足で歩いていく。みみ爺はともすると遅れそうになる。
お墓の前のみごとな形の桜だ。
もうこんな季節になったんだね。去年もこんなふうに屋根の上で泳ぐこいのぼりをどこかで見た。あっという間にまた一年が過ぎてしまった。
この5月には、みみ爺はいよいよ70歳を迎える。…しかしまだまだ負けるもんか。いろんなところへ行くぞ。
今日は久しぶりに山歩きをして楽しかったよ。Bさん、IWAさん、断腸さんありがとう。
(もっと詳しい情報や画像、ルートはBさんのブログ「百尺竿頭/B」をごらんください)
そんなときだ。自転車仲間のBさんからハイキングのお誘いがあった。私と同じように花粉症のIWAさんも同行すると言う。ハイキングならマスクをつけていれば大丈夫だろう。
秩父鉄道の三峰口から道の駅「薬師の湯」までタクシーに乗り、そこから歩き始めたんだ。目的地は秩父観音霊場札所31番観音院とその奥にある観音山だよ。
道の駅「薬師の湯」から歩き始めてすぐ、古い山門が現れたよ。真言宗の寺、法養寺の山門だ。
山門もさることながら、その先の薬師堂も見事だったよ。まさに古刹と言うにふさわしい。室町時代末期の創建だからかなり古いね。
日本三体薬師の一つに数えられているそうだよ。日本三体薬師とは神奈川県の日向薬師、愛知県の鳳来寺薬師、そしてこちらの法養寺薬師。
本尊の薬師如来は、別名目薬師とも言われ、目の守り神としての信仰を集めているそうだ。なるほど、それで「めめ」と書かれた絵馬やたくさんの千羽鶴が下がっているんだね。
薬師堂と、IWAさんの向こうに見える石の七重の塔は指定文化財ということだ。
人々の苦しみや願いの詰まったこのような古刹に出会うと、なぜか心が引き締まる思いがするね。
県道37号から、巡礼道になっている古道を行くと、小森川支流の薄川に架かる木橋があった。静かな山の中、雰囲気のある木橋だね。欄干のないこの橋は沈下橋だろうか。高麗川流域にいくつも見られる沈下橋と似ているね。
橋の感触を味わうようにゆっくり歩いていくのはIWAさんだ。
「下が見えますよ」
と、振り返って注意を促してくれる。
「おっと!」
足元を見ると、板の一部が割れていて、その隙間から下の水面が見える。
川は、きれいな水が細くひっそりと流れている。この川の上流では本格的な渓流釣りができることで有名だ。
木橋を渡り、落ち葉の急な坂道を登る。
こうして山道を歩くのは久しぶりだよ。落ち葉を踏む感触がとてもいい。
県道279号へ出て、みごとな枝垂桜のある分かれ道を、「31番観音院⇒」という案内に従って左へ。この先の緩やかな坂道のピークが権五郎落峠だろう。
権五郎落峠を越え、なだらかな傾斜の山里道をしばらくのんびりと歩き、赤平川を渡る。
橋の下には水の少なくなった細い流れが冬枯れた木々の中を、上流の方(志賀坂峠)へ続いている。
国道299号をそれ、静かな巡礼道を進む。のどかな道が続くよ。
赤い欄干の橋の向こうに、「たらちね観音」の小さなお堂が見えるよ。桜の花もとてもきれいな色をしている。
たらちねとは、短歌に用いられる母あるいは親にかかる枕詞だね。昔教わったような気がする。
たらちねの母が釣りたる青蚊帳を~
長塚節の歌にあった。
このたらちね観音の光珠院は母と子の未来永劫の幸福を祈願して開山されたそうだ。
さらに進むと、今度は母と子の悲しみがあふれた水子地蔵寺という寺の前だ。
数えきれないほどたくさんのお地蔵様が、見渡す限りの周囲の山の斜面を覆う。
晴れていて明るいけれど、何か空気が重く感じられる。
山の斜面を覆うお地蔵様の数は14000体あるそうだよ。
これだけたくさんの水子たち、そしてその同じ数だけいる母たちの悲しみが、周囲の空気を重くしているのかもしれない。
みみ爺の娘も水子をひとり持っている。
娘は、ようやく人の形がうかがえるようになったばかりの小さな子を流してしまった。初めてできた子だった。このときの娘の、深く傷つき落ち込んだ姿は今もはっきりと目に浮かぶ。幾日も幾日も黙って涙を浮かべる娘だった。
秩父札所31番観音院の入り口に着いたよ。
この鷲窟山観音院は、秩父34霊場のなかで最も険しい難所に建つお寺とされている。まさに秘境にある山寺ということだよ。
山門には石造りの仁王様が2体。その大きさは、台座を入れると4メートルを超える。石造りの仁王像としては日本一の大きさだそうだ。
険しい山道では観音山の石切り場から石を運び下ろすのも大変なことだったろう。
山門をくぐったところから始まる石段の脇に、手助け仁王の巨大な手がある。この手形もまた日本一、「この仁王の手が一年間あなたの手助けをします」ということだよ。
296段の長い石段を上る。般若心経276字と普回向20字の合計で296段になっているそうだ。
標高差は53メートルというが、そんなもんじゃないだろうという気がするほどへとへとになって上った。
ようやくたどり着いたよ。疲れたねえ。山道の上り坂は嫌いじゃないが、石段や階段はどうも好きになれない。
石段を上り詰めたところに鐘楼があったんだ。
IWAさんがみみ爺の前にその鐘をついた。大きな音が鳴り響いた。
鐘をつくなら必ず参拝前にとあったので、みみ爺も鐘をつくことにした。あまり大きな音が出ないようにと、そっとついたつもりだったが、思いもよらぬ大きな音が響いたのでびっくりしたよ。余韻が消えぬうちにあわてて合掌した。
正面の本堂の屋根の上に、背後から覆いかぶさるように大岩壁そびえているよ。山の上のすごいところにお堂を建てたものだね。秩父観音霊場の中で最も険しい難所に立つお寺という意味がわかるね。
本尊は聖観音像で、奈良時代のものらしい。
本堂の左後方にある60メートル以上高くそびえる断崖は、雨が降ると“聖浄の滝”となる。見上げるほどの高さだよ。
滝の下には不動明王が立っている。その昔、修験者の修行の場だったのだろう。
手水舎の屋根の上辺りの崖の壁面に文字のようなものが刻まれている。写真ではわかりにくいが、「南無阿弥陀仏」という名号のようだ。
崖の下に立つと、上から巨大な何かに押さえつけられるようで身が引き締まるよ。
一行はここで思い思いに用意してきたおにぎりでお腹を満たし、観音山を目指した。
岩廂の中の石仏群が見える。すごいところにあるなあ。
みみ爺には恐怖の、杉林の急坂を登っていく。杉の枝にはまだ赤茶色の花粉が無数についているよ。
一段一段が膝の高さほどもあるきつい階段を上り詰めると、下のほうに合角ダム湖が枯れ枝越しに眺められた。
やっとのことで観音山の山頂に着いたよ。
いい眺めだよ。もっと晴れていれば相当にいい景色だろう。
眼下に見える川に沿って続く道を左へ行き、ちょうど山の斜面に隠れて見えないあたりに、秩父の名水“毘沙門水”があるはずだよ。去年の同じ頃、合角ダムから西秩父林道、土坂峠、下久保ダムと辿ったときに立ち寄った場所だ。BさんIWAさんはあの時も一緒だった。
頂上を後に山道を下っていく先頭のBさん、そしてIWAさん。その後に続くのは博学の髭の断腸さんだ。断腸さんはしばらく体調を壊していたけれど、今はもうすっかり元気になったようだよ。よかった、よかった。
ダム湖に架かる合角連大橋と、その先にダム堤がくっきりと眺められるよ。水の色もきれいだなあ。こうしてダム湖を上から見ることができてよかった。ここから見る合角連大橋もすばらしいね。
くるぶしまで堆積した落ち葉の下り坂をIWAさんが下っていくよ。ザザッ、ザザッと落ち葉を踏む音が響く。これぞ山歩きだ。
尾根道を間違え、行き止まりになった先の急斜面を、
「確かめてきます」
と、BさんとIWAさんが枯れた木の枝や幹を伝いながら勢いよく下っていく。道のようで道ではないような急な斜面だ。
50メートルほども下がった雑木の中でごそごそと動いている様子だが、どうやら二人は行き詰ったようだ。
「危ないから戻ってください!」
「道じゃないですよ!戻りましょう!」
断腸さんとみみ爺が上から叫ぶ。
しばらくして、二人は前後して斜面を這い上がってきた。
「だめでした」
と、がっかりしてとても疲れた様子だったよ。
その後も途中から道が不明瞭となり、最後は木の枝や根っこにつかまりながらほうほうの体で崖を下り人里にもどってきたよ。
ここは乗馬もできるという牧場だ。
Bさん、IWAさん、断腸さんの三人は疲れた様子もなく早足で歩いていく。みみ爺はともすると遅れそうになる。
お墓の前のみごとな形の桜だ。
もうこんな季節になったんだね。去年もこんなふうに屋根の上で泳ぐこいのぼりをどこかで見た。あっという間にまた一年が過ぎてしまった。
この5月には、みみ爺はいよいよ70歳を迎える。…しかしまだまだ負けるもんか。いろんなところへ行くぞ。
今日は久しぶりに山歩きをして楽しかったよ。Bさん、IWAさん、断腸さんありがとう。
(もっと詳しい情報や画像、ルートはBさんのブログ「百尺竿頭/B」をごらんください)