いつも走る道を外れてみた。すると思いがけず由緒ある大きな神社に出会った。自転車に乗っていて楽しいと思うのはこんな時だ。
神社の名前は廣幡八幡宮とあった。宇多天皇の御代(887年-897年)に、「下総国第一鎮守宇多天皇勅願所」として創建されたということだ。
神社の横に細い道があった。なんとなくそそられて、その細い道を下って行った。
スピードはかなり落としていたが、緩い下り坂の先が左にカーブしていて、そこが枯れた落ち葉や乾いた土に覆われていた。
突然、自転車から放り出された。体が横になった姿勢のまま、ザーッという感じで、砂っぽい舗装の坂道を滑って止まった。
いったい何があったのかわからぬまま立ち上がった。服の一部に穴が開いただけで、どうやら体は大丈夫そうだった。自転車を見ると、落ち葉の中に埋もれるように倒れていたが、チェーンが外れただけで、こちらも無傷だった。
転倒の原因は、舗装の端っこの段差が落ち葉に隠れていて、どうやらそこに前輪を取られてしまったようだ。
気を取り直して再び自転車にまたがった。だが、しばらくすると、なんとなく左の胸が痛むのに気づいた。それでもまあ気にせず先に進んで行った。
手賀沼に着いた。冬晴れの青空を写す水面に白鳥が2羽、その周りにカモが数羽。
ススキや葦はすっかり枯れ色だった。
曙橋からの眺めは冷たい青一色だね。
手賀川左岸の自転車道を、今日は、終末処理場の手前の浅間橋のところから左へ、北に行ってみた。
国道356号を横切り、坂を上っていく。
この道は「安らぎの道」というらしい。広い道だが、車は少なく、冬の日差しが明るく降りそそいでいた。
布佐平和台という住宅地の、平和台調整池の横の道へ曲がり、さらにその先の砂利道を抜けると、「布佐下通り」という静かな裏道に出た。国道と並行して続く道だ。
そのとば口に小さな祠があり、四国霊場第89番とあった。
道を隔てた反対側には浅間神社の石の鳥居と石段がある。鳥居の基部に「仙元宮」と書かれた古い扁額が立てかけてあった。
自転車を止めて石段を上ってみた。急な石段だ。なかなかいい。
神社のお社は、太く枝を張ったご神木の向こうにひっそりと建っていたよ。
この神社は1645年に鎮座したそうで、祭神は美貌の木花佐久夜姫命ということだ。
境内にはまた、貝の化石層があるという。
「布佐下通り」をさらに進むと、雰囲気のある屋根塀に囲まれた大きな屋敷があった。
旧井上家住宅という、幕末に建てられた名主の館だそうだ。豪農と屋敷景観を今日にとどめる貴重な文化遺産ということだよ。
医薬門という形式の表門だ。
屋敷の中を見学したいと思ったが、コロナの影響なのかお休みになっているようだった。
こちらは裏門で、やはり表門と同様の医薬門だ。
さらに道を行くと、赤い幟旗の立ち並んだお稲荷さんがあった。明るい冬の日差しにあふれた境内に人の姿はない。
さらに道を進み、成田安孫子線の布佐駅の先で鮮魚街道の旧道のような細い道に行きあたった。その道を右に折れ、途中で国道を横断してさらに行くと、いつもの関枠橋のたもとに出たよ。
帰り道に立ち寄った公園は、木々がすっかり葉を落とした冬の姿だった。
転倒してハンドルかどこかにぶつけたらしい左胸は、咳をしたりクシャミをしたりするととても痛む。肋骨にひびでも入ったのかなあ。
年齢による注意力、判断力、身体的対応力の衰えだろうか。女房や子供たちは、もう年なんだからとか、若くないんだからとかいう。
でも、みみ爺は、転倒を年のせいにはしたくない。運が悪かったのだと思う。
神社の名前は廣幡八幡宮とあった。宇多天皇の御代(887年-897年)に、「下総国第一鎮守宇多天皇勅願所」として創建されたということだ。
神社の横に細い道があった。なんとなくそそられて、その細い道を下って行った。
スピードはかなり落としていたが、緩い下り坂の先が左にカーブしていて、そこが枯れた落ち葉や乾いた土に覆われていた。
突然、自転車から放り出された。体が横になった姿勢のまま、ザーッという感じで、砂っぽい舗装の坂道を滑って止まった。
いったい何があったのかわからぬまま立ち上がった。服の一部に穴が開いただけで、どうやら体は大丈夫そうだった。自転車を見ると、落ち葉の中に埋もれるように倒れていたが、チェーンが外れただけで、こちらも無傷だった。
転倒の原因は、舗装の端っこの段差が落ち葉に隠れていて、どうやらそこに前輪を取られてしまったようだ。
気を取り直して再び自転車にまたがった。だが、しばらくすると、なんとなく左の胸が痛むのに気づいた。それでもまあ気にせず先に進んで行った。
手賀沼に着いた。冬晴れの青空を写す水面に白鳥が2羽、その周りにカモが数羽。
ススキや葦はすっかり枯れ色だった。
曙橋からの眺めは冷たい青一色だね。
手賀川左岸の自転車道を、今日は、終末処理場の手前の浅間橋のところから左へ、北に行ってみた。
国道356号を横切り、坂を上っていく。
この道は「安らぎの道」というらしい。広い道だが、車は少なく、冬の日差しが明るく降りそそいでいた。
布佐平和台という住宅地の、平和台調整池の横の道へ曲がり、さらにその先の砂利道を抜けると、「布佐下通り」という静かな裏道に出た。国道と並行して続く道だ。
そのとば口に小さな祠があり、四国霊場第89番とあった。
道を隔てた反対側には浅間神社の石の鳥居と石段がある。鳥居の基部に「仙元宮」と書かれた古い扁額が立てかけてあった。
自転車を止めて石段を上ってみた。急な石段だ。なかなかいい。
神社のお社は、太く枝を張ったご神木の向こうにひっそりと建っていたよ。
この神社は1645年に鎮座したそうで、祭神は美貌の木花佐久夜姫命ということだ。
境内にはまた、貝の化石層があるという。
「布佐下通り」をさらに進むと、雰囲気のある屋根塀に囲まれた大きな屋敷があった。
旧井上家住宅という、幕末に建てられた名主の館だそうだ。豪農と屋敷景観を今日にとどめる貴重な文化遺産ということだよ。
医薬門という形式の表門だ。
屋敷の中を見学したいと思ったが、コロナの影響なのかお休みになっているようだった。
こちらは裏門で、やはり表門と同様の医薬門だ。
さらに道を行くと、赤い幟旗の立ち並んだお稲荷さんがあった。明るい冬の日差しにあふれた境内に人の姿はない。
さらに道を進み、成田安孫子線の布佐駅の先で鮮魚街道の旧道のような細い道に行きあたった。その道を右に折れ、途中で国道を横断してさらに行くと、いつもの関枠橋のたもとに出たよ。
帰り道に立ち寄った公園は、木々がすっかり葉を落とした冬の姿だった。
転倒してハンドルかどこかにぶつけたらしい左胸は、咳をしたりクシャミをしたりするととても痛む。肋骨にひびでも入ったのかなあ。
年齢による注意力、判断力、身体的対応力の衰えだろうか。女房や子供たちは、もう年なんだからとか、若くないんだからとかいう。
でも、みみ爺は、転倒を年のせいにはしたくない。運が悪かったのだと思う。