三連からなる 山村暮鳥の『風景 純銀もざいく』という詩。
いちめんなのはな
に、
かすかなるむぎぶえ
ひばりのおしゃべり
やめるはひるのつき
という節が
が、まじっています。
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私は、
三連めの「やめるはひるのつき」という行が気になります。
漢字をあてると「病めるは昼の月」でしょうか。
どうやら作者は「やめるはひるのつき」という一行に読者の視線を集めたかったと考えられる。そう考えるとき,昼間の白っぽい月を「やめる」と形容した意味は大きいだろう。
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この一語によって「風景」は単なる叙景詩の衣を脱ぎ捨てることになると言ってよい。昼間の白く見える月を,事実そのままに「しろいはひるのつき」と言っても音数は同じなのに,あえて「やめる」と形容したのは,そこに作者暮鳥の心的状況が反映しているからではないか。
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うららかな春のある日,あたり一面菜の花が咲き乱れている「風景」は,暮鳥を取り巻く外界の状況を象徴するものである。そして,その外界は,作者を除外するように働いてはいない。
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詩全体の基調の一つとしてあった柔らかさは外界が作者を拒否するとげとげしいものではなかったことを物語っている。むしろ作者の方が外界に対して違和感を覚えていると考えるべきだろう。
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外界の明るさとは裏腹に,彼の心象「風景」は何かの悩みのために決して明るくはなかった,言い換えれば,外界(現実)が明るすぎるがゆえに溶け込むことができなかったと思われる。
漢字で表記される「風景」という題には,以上の,相容れない二つの風景の意味がこめられているのである。
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うららかな春の日に
心の明暗。
菜の花を観る時、せつなくなりそうです。
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「菜の花の灯り」を作りました。
例によってたくさん写しましたが、作品は1個ですよ。
山村暮鳥1884~1924年
・・群馬県出身。明治・大正期の詩人、児童文学者でもある。筆名の山村暮鳥には、「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味が込められている。
・・・
いちめんなのはな
に、
かすかなるむぎぶえ
ひばりのおしゃべり
やめるはひるのつき
という節が
が、まじっています。
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私は、
三連めの「やめるはひるのつき」という行が気になります。
漢字をあてると「病めるは昼の月」でしょうか。
どうやら作者は「やめるはひるのつき」という一行に読者の視線を集めたかったと考えられる。そう考えるとき,昼間の白っぽい月を「やめる」と形容した意味は大きいだろう。
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この一語によって「風景」は単なる叙景詩の衣を脱ぎ捨てることになると言ってよい。昼間の白く見える月を,事実そのままに「しろいはひるのつき」と言っても音数は同じなのに,あえて「やめる」と形容したのは,そこに作者暮鳥の心的状況が反映しているからではないか。
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うららかな春のある日,あたり一面菜の花が咲き乱れている「風景」は,暮鳥を取り巻く外界の状況を象徴するものである。そして,その外界は,作者を除外するように働いてはいない。
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詩全体の基調の一つとしてあった柔らかさは外界が作者を拒否するとげとげしいものではなかったことを物語っている。むしろ作者の方が外界に対して違和感を覚えていると考えるべきだろう。
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外界の明るさとは裏腹に,彼の心象「風景」は何かの悩みのために決して明るくはなかった,言い換えれば,外界(現実)が明るすぎるがゆえに溶け込むことができなかったと思われる。
漢字で表記される「風景」という題には,以上の,相容れない二つの風景の意味がこめられているのである。
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うららかな春の日に
心の明暗。
菜の花を観る時、せつなくなりそうです。
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「菜の花の灯り」を作りました。
例によってたくさん写しましたが、作品は1個ですよ。
山村暮鳥1884~1924年
・・群馬県出身。明治・大正期の詩人、児童文学者でもある。筆名の山村暮鳥には、「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味が込められている。
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「菜の花の灯り」ステキ!本当に素敵です。壁に写った影が、さらに素敵です。ずっとこのまま、見ていたいような…
穏やかな春風も感じられそうです。お人柄が作品に出ているのかな(#^.^#)
山村暮鳥も、勉強になりました☆
菜の花の詩も「菜の花の灯り」も素敵です。
子供の頃、辺り一面の菜の花に埋もれていた孤独な私を
切なく思い出しました。
菜の花は暖かく、私の心を包んでくれました。
山村暮鳥の詩、いいですね。
子の菜の花にはモンシロチョウは飛んでこないんでしょうか^^?
物凄く感じが出ておりますね^^。
そうですね,お月さまは黄色くこうごうとかがいているべきですからね^^。
白い月は病んでいるのかも^^;
こういった作品を作られる際は、
やはり、一面の菜の花畑に出かけたりされるのかな~
私、以前サボテンすら枯らしちゃったので、
夫にずーっとネチネチ言われてるんですけどね、
でもね息子の中学受験の塾2つ送迎やら、認知症の姑のお見舞いやら、本当にね、その時期すっごく頑張ってて、お花どころではなくて・・・
はなこころさんの様なお人柄の方が、夫の友人にも居てくれたらいいのになぁ・・・っていつも思っちゃいます。
人には、思うように出来ないこと沢山ありますよね。
癒しの灯りを見ていたら、つい愚痴っちゃってすみません・・・・
昼の月、もの悲しい自分ですか・・・
何を思っての詩ですか。
昼の月、青瓢箪なのですね。
田舎親爺のような凡人には、詩人ならこそ
なぞらえているのですね。
菜の花の灯り・・・
素敵ですね。
明るい菜の花畑を想像してしまいます。
毎週楽しみにして見ていて心が和む。
ハッピーになれますね。
陶芸をなさっておられるの
でしょうか?
「菜の花の灯り」さん。素敵ですね。
応援のポチです。
やめるはひるのつき、ですね。
目の前に菜の花の情景が広がりました。
素敵な灯りとともにまたよみがえって来ました。
幸せの 色です
菜の花を もじって 作った 菜の花の
明かり 素敵ですね~
うっとり 見とれて しまいました.(*'▽')
良い 日々を。。。。