「大奥」の放送が、明日に迫りましたよ~。
今一度
PV 貼り付けま~す。
ちょいと、大奥のおさらいしときましょか。
大奥の始まりは、そうです。家光さんの時代からですよ。
家光さんは、なんと男好きで、心配した家光の乳母である春日局が江戸中の美女をスカウトし、女性だけの空間を作った。これが大奥です。
以下、このサイト
スケールでけぇ…想像よりディープだった「大奥」の世界引用させていただきました。ありがとうございます。
大奥に勤める女中の人数は最盛期で1000人~3000人もいた。
大奥の敷地面積は6000坪、部屋数は約600部屋もあったらしい。
幕府の年間予算は80万両(約640億円)、この中の25%、160億円が大奥に使われていた。
幕府末期には約240億円まで膨れ上がったとか。。
給料は御年寄で年収1200万円、一番下の地位の女中で年収100万円だったらしい
大奥の門限は午後6時と決められており、これ以降の出入りは何人も禁じられていた。春日局でさえも許されなかったらしい。
正月になると新入りの女中は全裸になって裸踊りをするしきたりがあった。これは刺青をしていないかの身体検査が目的だった。
男子禁制の大奥だったが、年に1回、節分の日だけは男性が豆まきにやってきた。女中たちはこの男性を薄い布団で包み、歌を歌いながら胴上げしたり撫で回したりして遊んだらしい。
将軍と女中の夜の営みに聞き耳を立てる「お添い寝役」という仕事があった。これは女中のおねだりを防ぐためだったらしい。
墓参りの帰りにお芝居を見物をしたら門限に遅れてしまった。ただこれだけで処刑、遠島など、結果的に1500人が処分を受けた事件があった。
江島生島事件。この裏には罠や権力争いが渦巻いていたとか。。
大奥の人件費を削減しようとした徳川吉宗。彼はまず大奥内の美女50名を突然クビにした。その理由は「美女ならば大奥を出ても、きっと良縁に恵まれるはず」というものだった。
これが享保の改革の1つ。
男性と出会う機会のない大奥の女性はお寺に通い、お坊さんに恋をした。谷中にある延命院の僧侶は、大奥の女中59人と関係持っていた。
延命院事件。後にこの僧侶は処刑されたらしい。
徳川綱吉は無類の女好きで。家臣の妻や娘だけでなく、自身の母や子も相手にしたという。
世継ぎを設けることは、大変なこと。
計り知れぬ、世界です。
けど、
以前も、いいましたように
「1000日のアン」や「ブーリン家の姉妹」から垣間見る
イギリス貴族の社会に比べたら、
この「大奥」のシステム、素晴らしいと思いますよ。
さてさて
明日放送の「大奥」
お殿さまは、無類の女好きとして知られる11代将軍徳川家斉です。
多くの側室をもったことで知られています。
その数実に16人。しかも特定できているだけで、という前置き付きですから、ちょっと目をつけた程度であればもっといたと考えられます。
さらに言えばその間に男子26人、女子27人をもうけています。
彼は常日頃から精力増強に熱心だったようで、毎日かかさずしょうが汁を飲んでいたと伝えられています。また、オットセイの陰茎の粉末を飲んでいたことから「オットセイ将軍」なんてあだ名もあったとか。
詳しくは、このサイト
11代将軍 徳川家斉の性格がやばい!ごらんください。リンクさせていただきました。ありがとうございます。
おっ、おっと・・。
明日は
覚悟して、観ましょか。
・・・