大河ドラマ「軍師官兵衛」もいよいよ九州編。
福岡市博物館では「特別展 軍師官兵衛」も会催中。(7月26日~9月21日)
近くだし、いつでも行けると、タカをくくっていたら
あの「白檀塗合子形兜」の展示は8月いっぱいとのこと。
いざ、市博へ。
先日、あわてておじゃましてきました。
特別展のちらしです。
「白檀塗合子形兜」は、官兵衛が家臣の栗山善助に与え、
1632年に起きた
黒田騒動
の際に善助の子供の栗山大膳が盛岡藩に「お預け」になり、その時に一緒に盛岡藩に
持って行ったのだそうです。
ですので、いま「白檀塗合子形兜」は岩手・もりおか歴史文化館に展示されているのですね。
8月いっぱいの市博展示。ということは、
早く、岩手にお返ししなくては、ならないのか。
夏休みだということもあって、家族連れでにぎわっていました。
ドラマで岡田准一くんと竹中直人さんが実際に着ていた衣装です。
おもな展示品紹介です。(解説&写真は
福岡市広報からお借りしました。ありがとうございます。)
プロローグ 戦場のよそおい
戦場で官兵衛の「赤合子(あかごうす)」と恐れられた朱色の合子形兜(ごうすなりかぶと)。
シンプルなデザインであるが、鮮やかな色彩が官兵衛の存在感を示した。
白檀塗合子形兜
桃山時代 16世紀
岩手・もりおか歴史文化館
【期間限定】
8月19日(火)~8月31日(日)
【ミニ解説】
銀箔を施した上に透き漆をかける白檀塗りと呼ばれる技法が用いられており、透き漆に混ぜられた朱によって赤く見える。
大河ドラマに登場した本物が展示されます。 福岡市博物館
朱漆塗合子形兜・黒糸威五枚胴具足
兜/江戸時代 貞享5年(1688)(官兵衛の曾孫・福岡藩3代藩主黒田光之の写し)、胴/桃山時代 16世紀(官兵衛所用) 福岡市博物館
観音菩薩立像
戦国時代(16世紀) 福岡・崇福寺
【ミニ解説】
官兵衛のお守りの念持仏は、高さ3.9cmの小さなものです。兜に取り付け戦場でのお守りにしていました。
黒田家旗(福岡市美術館蔵)の写真黒田家旗
一流 桃山時代 縦385.0×横115.0cm 福岡市美術館蔵
官兵衛が定めた黒田家の旗。天正8(1580)年9月、官兵衛は黒田家の祖とされる佐々木氏の旗を参考に、白地の旗の上下を黒く染め、上の黒地部分に黒田家の家紋である永楽銭紋(えいらくせんもん)を白く染め抜いた旗を六流仕立てたという。官兵衛が豊前国(大分)六群の領主となった後、天正16(1588)年に旗の数を十二流に改めて以降、永楽銭紋は旗に用いられなくなった(「黒田家旗幟之巻」福岡市博物館蔵)。
1 播磨に生まれ
小寺政職の重臣として姫路城を預かる黒田職隆の嫡男として誕生した官兵衛。
織田信長との対面により歴史の表舞台に登場する。
織田信長像(重要文化財)
桃山時代 天正11年(1583) 愛知・長興寺(図版提供・豊田市郷土資料館)
【福岡会場限定】
【期間限定】
8月5日(火)~8月17日(日)
※8月19日(火)~9月21日(日)はレプリカ(豊田市郷土資料館蔵)展示となります
刀 名物 「圧切長谷部」(国宝)
南北朝時代 14世紀 福岡市博物館
【ドラマに登場】
大河ドラマ「軍師官兵衛」に登場した本物が展示されます。
「軍師官兵衛」第8回(2月23日放送)に登場。
小寺祐隆(黒田孝高)下地売券
永禄10年(1567)12月23日 兵庫・正明寺
【ミニ解説】初めは祐隆と名乗る。【幼名】万吉(まんきち)【俗名】祐隆、孝隆、孝高(よしたか)【通称】官兵衛尉(かんびょうえのじょう)、勘解由(かげゆ)【法名】如水軒円清(じょすいけんえんせい)【戒名】龍光院殿如水円清大居士
2 有岡城幽閉
官兵衛は羽柴(豊臣)秀吉に仕え中国攻めを助けた。
しかし、信長に謀反を起こした荒木村重を翻意させるため有岡城に乗り込み囚われの身となってしまう。
羽柴秀吉自筆書状
(天正5年<1577>)7月23日 福岡市博物館
【ドラマに登場】
「軍師官兵衛」第11回(3月16日放送)に登場。
黒田氏家臣連署起請文
天正6年(1578)11月5日 福岡市博物館
【ミニ解説】
本文書の料紙は「八幡宮/牛玉/宝印」と版刻された石清水八幡宮の牛玉宝印(ごおうほういん)が使用され、黒田家家臣たちが起請文を書いている。
【ドラマに登場】
「軍師官兵衛」第20回(5月18日放送)に登場。
小河俊(おごうしゅん)他十一名連署血判起請文(血判部分)
天正6年(1578)11月7日 福岡市博物館
【ミニ解説】
他の起請文と異なり、サインの上に血判をおしている。本文書の署名者は、黒田家の直臣ではなく、小寺政職が姫路城に派遣した与力である。自らの血をもって忠誠心を証明しようとしたのであろう。
大身鎗 名物「日本号」(おおみやり めいぶつ「にほんごう」)
【福岡会場限定】
室町-戦国時代 一口 刃長79.2センチ 総長321.5センチ 福岡市博物館
【ミニ解説】
官兵衛の家臣・母里太兵衛友信は酒豪で知られ、福島正則に強要された大盃の酒を見事呑みほし、正則から本鎗を手に入れたとされる。このため「日本号」を別名「呑み取りの鎗」と称する。このエピソードをモチーフにしたのが民謡「黒田節」である。裏側に打ち込みキズあり(敵の刃を受けた跡)。
3 秀吉を天下人に
官兵衛は、中国大返し・山崎の戦いにより秀吉を天下人の地位に導き、九州攻め・小田原攻め等で活躍し戦国時代に終止符を打った。
本能寺出土 「能」銘入鳥衾瓦
安土桃山時代 京都市
本能寺出土 焼け土 一式
安土桃山時代 京都市考古資料館
日々記(晴豊公記) 一冊
勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)筆
天正十年(1582) 国立公文書館
【福岡会場限定】
北条白貝
戦国時代 16世紀 福岡市美術館
太刀 名物 「日光一文字」(国宝)
鎌倉時代 13世紀 福岡市博物館
葡萄文蒔絵刀箱(国宝)
桃山時代 16世紀 福岡市博物館
豊臣秀吉像
桃山時代 慶長5年(1600) 大阪市立美術館
【期間限定=後期展示】
8月26日(火)~9月21日(日)
琵琶 銘「青山」
鎌倉時代 13世紀 福岡市美術館
【ミニ解説】
「軍師官兵衛」第1回の冒頭シーンに関わりがあるのが、北条白貝、太刀 名物 「日光一文字」です。
4 如水となりて
文禄の役で秀吉の怒りを受け、死を覚悟した官兵衛は、出家して如水と名乗る。
秀吉没後、関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して九州を席巻した。
木造東照権現坐像
(福岡市指定文化財)
江戸時代 承応元年(1652) 福岡・警固神社
黒田如水自筆覚書(部分)
文禄2年(1593)8月9日 福岡市博物館
【ミニ解説】
「黒田如水自筆覚書」
官兵衛が文禄の役で豊臣秀吉の怒りにふれ、死を覚悟して長政に与えた直筆の遺言。跡継ぎや家臣の扱いなど、黒田家が直面する問題についてこと細かに指示した。
署名の「官入」は「官兵衛入道」の略で、官兵衛は死を覚悟したことを機に出家し、これ以降、如水と号した。
5 文雅のたしなみ
秀吉の軍師として勇名をはせた官兵衛は、文武両道の人であった。
茶の湯や和歌・連歌に造詣が深く、キリスト教にも理解を示した。
芦屋梅松文甑口釜(あしやばいしょうもんこしきぐちかま)
戦国時代
山口・吉川史料館
如水公夢想連歌(じょすいこうむそうれんが)
慶長7年(1602)正月16日 福岡市博物館
【ミニ解説】
「松梅や末永 かれと緑立つ山より続く里はふく岡」
「福岡」の初見史料。
黒田如水ローマ字印書状(部分)
(慶長9年<1604>)正月19日 福岡市博物館
【ミニ解説】
中央のクロスの周囲に「IOSUI SIMEON(如水シメオン)」の文字が配されている。
エピローグ 思いおく言の葉なし
辞世の句
「思いおく 言の葉なくて ついに行く 道は迷わじ なるにまかせて」には、世を達観した心境と、59年の生涯を存分に生き抜いた満足感があふれている。
黒田如水辞世和歌短冊
慶長9年(1604) 福岡市博物館
黒田如水像
慶長12年(1607)5月賛 福岡市美術館
【期間限定=後期展示】
8月26日(火)~9月21日(日)
【ミニ解説】
「黒田如水像」官兵衛にはいくつもの肖像画が残っていますが、この作品がいわば最重要作品。よく見ると、左頬のホクロや、白髪が混じった短い髭など、実際に晩年の官兵衛を見て描いたのではと思わせるほど細かな描写です。いろんな官兵衛の肖像画を目にしますが、1点選ぶとすれば、これしかありません。
お昼は市博内のレスとランで「ヘルシー牛丼」
博多人形師による「官兵衛の世界」です。
福岡市博物館の横は「サザエさん通り」です。
(サザエさんの作者長谷川町子さんは、昭和20 年頃にここ百道の海岸を散歩しながら、国民的人気漫画「サザエさん」の登場人物サザエ、カツオ、ワカメなどの名前を発案したのですよ。)
松寿丸の身代わりに断首されたたのは、幸徳っていう男の子なんですって。
長政に嫁いだ糸姫は、なんと家康から離縁させられちゃうのですね~。
で、生まれた女の子は、のちに井上九郎右衛門の子と夫婦になります。
高畑充希
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「糸姫」
長政の継室は、家康の姪 栄姫です。
吉本実憂
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「 栄姫」
あ、それから、ほら、先日おじゃました大分県中津でショックを受けた
血塗りの
合元寺
長政が宇都宮鎮房を切ったという刀「城井兼光」も、展示してありましたよ。
福岡の街の礎を築いてくれた黒田。
もっと、もっと、知らなければ!と、思います。