箱根レポ 最終回です。
『日程』
10月17日 ≪新幹線≫博多→名古屋→小田原≪小田原電鉄≫小田原→箱根湯本≪箱根登山鉄道≫箱根湯本→強羅
10月18日 ≪バス≫強羅→仙石原→強羅≪ケーブルカー≫強羅→早雲山≪ロープウェイ≫早雲山→桃源台≪海賊船≫桃源台→元箱根港
10月19日 ≪箱根登山鉄道≫強羅→箱根湯本≪小田原電鉄≫箱根湯本→小田原≪新幹線≫小田原→名古屋→博多
レポは、
その1≪レッツゴー芦ノ湖編≫
その2≪箱根の関所編≫
その3≪箱根彫刻の森編≫
その4≪小田原城編≫・・今日です。
・・へと、続きました。
旅の最終日(10月19日)は、快晴です!
箱根登山鉄道に乗り 宿のある強羅ともお別れです。
この箱根登山鉄道は、急な斜面を運行せねばならないので、
スイッチバックを繰り返して、上り下りします。
≪箱根登山鉄道≫
・・スイッチバックとは、険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道線路である。そうしたスイッチバック設備(道路、鉄道線路)を走行する運転行為をスイッチバックと呼ぶことがある。
小田原電鉄・・・・・・・・・箱根登山鉄道・・・・・・・・・箱根登山ケーブルカー・・・・・・・・・箱根ロープウェイ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スイッチバックの箇所
途中、下の方から登って来る電車とすれ違います。
「いいなあ~あの電車に乗ってるお客さんたち! 強羅へ向かってるんだあ~。
これから立派な富士山を見るんだろうなあ~。」
箱根湯本で小田原電鉄に乗り換え、小田原へ。
≪小田原電鉄≫
小田原駅に着きました。
これは、↓小田原のマンホール。
富士山、箱根山、小田原城が背景に旧東海道の「酒匂川の渡し」をデザインしたもの。
「小田原城へは、どう行ったらいいですか?」
「近くです、歩いて行けますよ。」
見ると、ほんとうに、すぐそこに天守閣がほら。
けど、小高いところにそびえています。
「タクシー乗る?」「うん、タクシー乗ろう」
なにぶん、旅の最終日ですので。
さあ~小田原城です。
・・小田原城は、室町時代末期に扇谷上杉家家臣の大森氏の城であったが、伊豆国を支配していた北条早雲により奪われ、後北条氏五代約百年間に渡る支配の本拠地となった。
北条氏によって城は拡張され、城下町を含む周囲約9kmの惣構によって城域が囲まれる超巨大な堅固な城となった。その堅固さは、上杉謙信・武田信玄による小田原城攻めを共に退けている事から証明される。しかし時代は天下統一に傾き、豊臣秀吉による関東攻めが行われ、この時も北条氏は小田原城に篭城するが、約三ヶ月後に降伏、開城した。
戦後は徳川家康の関東入封によって家臣・大久保忠世が城主となった。子の忠隣が失脚したことにより一度は廃城とはったが、再び改修され城主として大久保氏が復帰した。江戸時代中には富士山の噴火や地震に見舞われ、建物に大きな被害が及び天守も倒壊したが、復興により再建された。
北口から、入りました。
順路に沿って、歩きます。
堀の覆土からは小田原市内初の埴輪(壺形埴輪)が出土したそうですよ。
発掘調査が行われていました。↓
・・今回の調査では、昨年度調査で確認された中世小田原城の本曲輪北堀、三味線堀の延長部が発見されました。本曲輪北堀はこれまでの調査成果から、27m を超える幅を持つ巨大な堀だったことが判明しました。当地域に古墳の存在があったことを窺わせます。
≪天守閣≫
1階建の小天守、続櫓、3重4階の大天守の3部構成からなります。
大天守は見た目3重ですが、1重目は2階に別れており、4階建の天守となります。
これは大きな天守を嫌がる幕府に対する配慮です。
天守のみの高さは27.2m天守台石垣高さは11.5m、総高38.7m、
本丸広場の海抜は29.7m、合わせて海抜約70mです。
ネット画像
天守の意匠には宮大工の寺社建築の技術が取り入れられていると言われます。
1重の屋根には出窓の上に切妻破風と千鳥破風が施されています。
出窓は3箇所に施されていますが、石落しはいずれも再現されていません。
2重目の屋根には比翼千鳥破風と軒唐破風が、
入母屋造の屋根には入母屋破風と軒唐破風、鯱が施されています。
天守閣に登りました。
ちょっと 父の足取りがおぼつきません。
えっちら、おっちら。がんばれ。がんばれ。
東の方
北の方
西の方
南の方
四方を見渡せて、いい気持ちでした。
現在の小田原城天守は昭和35(1960)年に市制20周年の記念事業として造られました。
宝永3(1706)年に造られた天守をモデルに東京工業大学藤岡道夫工学博士が設計、
本来無かった高覧付廻縁が追加された為「復興天守」と呼ばれます。
≪常盤木門≫
本丸の正面に位置し小田原城内で最大の門、明治3年まで現存しました。
現在の門は昭和46年(1971)再建されたものです。
原型は元禄16(1703)年の大地震で崩壊した後、宝永3(1706)年に再建されたもの。
江戸期小田原城の中でもっとも堅固な門で、本丸正面に位置します。
多門櫓と渡り櫓から構成される枡形構造の門で、
江戸時代初期の古地図にも描かれています。
こちらは櫓門を正面から見たところです。
≪銅門 あかがねもん≫
二の丸と馬屋曲輪の出入り口にあります。
石垣による桝形、内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる堅固な門です。
二の丸の表門で扉の飾り金具に銅を使用したことから呼び名がつきました。
↑銅門土塀模型です。
昭和58(1983)年から行われた発掘調査の成果や、
古写真、絵図などを参考にして平成9年に再現されました。
銅門に架かる住吉橋は途中までが土橋、銅門手前が木橋となります。
発掘調査により橋台の石積みと松丸太の橋脚が立った状態で見つかっており、
柱穴は埋蔵文化財として砂で埋めその上に現在の柱の基礎を置いたとのこと。
こうして住吉橋は平成6年に再現されました。
内仕切門は石塁上の土塀より下方に門を作る埋門の形式を取ります。
土塀には敵を射る為に狭間(さま)と呼ばれる穴があります。
橋を渡ろうとすると正面の左右の狭間から射られてしまいます。
≪馬出門≫
平成21年に再現されたばかりの新しい城址公園の正面玄関です。
馬屋曲輪の北部に位置し二の丸の正面に位置する重要な門として、
江戸時代の寛文12(1972)年に枡形形式に改修されました。
手前には馬出門土橋(通称めがね橋)がかけられており、馬出口という呼び名もあったそうです。
馬出門は内冠木門と合わせて2つの門と、
その周囲を石垣と土塀で四角く囲った枡形形式の総称です。
ネット画像
馬出門はそれぞれの控柱に屋根のつく『高麗門』という形式の門です。
絵図や同時期に作られた江戸城の門から判断し『高麗門』と断定されました。
木材は門扉にはケヤキ、屋根の下地はサワラ、
土塀の控柱にはクリ、その他にはヒノキが使用されています。
門の鏡柱と控柱には耐震性向上の為、斜めに筋違いを施されています。
江戸城にも安政地震(1855)以降に施されている為、これに習ったとのことです。
土塀の狭間には三角形の鉄砲狭間と四角形の矢狭間が、
1間(約1.8m)の間隔で配置されています。
土塀を支える柱に関しては痛んでしまった場合も考慮し、
容易に交換ができるようにソケット式になっているそうです。
瓦は発掘調査で内冠木門の瓦溜からの出土品を参考に忠実に再現されました。
軒丸瓦には『三つ巴文』、軒平瓦には『唐草文』、
鬼瓦には大久保家家紋の『上り藤に大』が使われています。
馬屋曲輪から内冠木門を望みます。
門の鏡柱と控柱には耐震性向上の為、斜めに筋違いを施されています。
江戸城にも安政地震(1855)以降に施されている為、これに習ったとのことです。
↓この「イヌマキの木」は小田原市の天然記念物に指定されているという由緒ある木です。
樹高15メートル、幹回り4.5メートルもあります。
左回りにねじり上がっていて、近くで見ると圧巻です。
パワースポットとして知られています。
説明は、小田原城街歩きガイドより。
父は、今年82歳。
よく食べて、よく飲んで、元気です。
東京まで飛行機で行き、それから戻るより、
新幹線でのんびり行ったほうがいい。との
父の要望を受け入れた交通手段。
博多から宿のある神奈川県足柄下郡箱根町強羅まで
新幹線→小田原電鉄→箱根登山鉄道と、乗り継いでの約6時間。
のんびり。にしてはちょい、長い時間かかりましたが、
父は、満足だったようです。
とても充実した旅でした。
なにより、3日間も留守を引き受けてくれた主人に感謝です。
いつまでも、長生きしてよ、おとうさん
ますます足腰、鍛えて、
さあ~次は、どこに行くん?
↓小田原提灯も買って帰りましたよ。旅の思い出の一つに加えます。
~エッサ エッサ エッサホイ サッサ
~お猿のかごやだ ホイサッサ
~日暮れの山道 細い道
~小田原提灯ぶらさげて ソレ
~ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
~ホーイ ホイホイ ホイサッサ~♪
箱根報告
その1≪レッツゴー芦ノ湖編≫10月24日記
その2≪箱根の関所編≫10月25日記
その3≪箱根彫刻の森編≫10月30日記
そして今日、その4≪小田原城編≫
最後まで ご精読~ほんとうにありがとうございました。
・→・
赤が神奈川県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが小田原市
小田原城内図
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現在地(北門)から入りました。
箱根10月17・18・19日訪問
・・・ 今日はこの辺で
箱根レポ その3です。
『日程』
10月17日 ≪新幹線≫博多→名古屋→小田原≪小田原電鉄≫小田原→箱根湯本≪箱根登山鉄道≫箱根湯本→強羅
10月18日 ≪バス≫強羅→仙石原→強羅≪ケーブルカー≫強羅→早雲山≪ロープウェイ≫早雲山→桃源台≪海賊船≫桃源台→元箱根港
10月19日 ≪箱根登山鉄道≫強羅→箱根湯本≪小田原電鉄≫箱根湯本→小田原≪新幹線≫小田原→名古屋→博多
レポは、
その1≪レッツゴー芦ノ湖編≫
その2≪箱根の関所編≫
その3≪箱根彫刻の森編≫・・今日です。
その4≪小田原城編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
10月18日 芦ノ湖遊覧を終え、強羅に着いて宿に戻る前に
「箱根彫刻の森美術館」へと、足を延ばしました。
強羅駅のすぐそばにあります。
標高551mにある箱根彫刻の森美術館。
その日は、空から雲が降りて来ていました。
なんだか、幻想的でした。
・・魅力あふれる彫刻たちに囲まれると、まるで彫刻の世界に迷い込んだような錯覚をしてしまいます。
ゆるやかに流れる時間の中で、それぞれの彫刻に込められたメッセージに耳を傾けてみませんか?
作品の説明は、箱根彫刻の森美術館HPをご覧ください。
・・四季折々の雄大な自然が楽しめる箱根。彫刻の森美術館は、その大自然を生かして1969年に開館した、国内ではじめての野外美術館(オープンエアーミュージアム)です。箱根の山々が望める70,000㎡の緑豊かな庭園に、近・現代を代表する彫刻家の名作約120点が常設展示されています。お気に入りの作品をじっくり眺めたり散策気分でのんびり歩いたり、思い思いに芸術とふれあうことができます。また、世界有数のコレクション300点余りを順次公開しているピカソ館をはじめ、5つの室内展示場や、広場を作品に、天然温泉の足湯もあり、心豊かな憩いのひとときを過ごすことができます。
(神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平)
強羅のマンホールは、↑神奈川県の県花の花ゆりと県木のいちょうです。
てくてく、とことこ
父とのんびり、芸術の秋を、満喫しました。
【追記】 ところで!
強羅(ごうら)という地名、珍しいですよねえ。
名前の由来は、早雲山の山裾にひろがる岩石の堆積で出来た傾斜地で石がごろごろしているからという説や、
梵語(ぼんご・サンスクリット)で石の地獄という意味から取ったという説や、
いろいろあるみたいです。
箱根報告その3≪箱根彫刻の森美術館編≫
ご精読~ありがとうございました。
・→・
赤が神奈川県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黄色が箱根町
箱根10月17・18・19日訪問
・・・ 今日はこの辺で
陽光にやさしく揺れています。
≪小春日和≫
↓もう~素晴らしいったら~ありゃしない!ですよ~。
是非ごらんください・・ね
フォトムービーこしらえました。
小春日和の日曜日(10月21日)
海ノ中道海浜公園(福岡市東区)に行って来ました。
≪カラフルサンデー≫
青空の下 あたりはもう~すっかり コスモス色です。
ここ、海の中道海浜公園は
福岡県福岡市東区にある公園です。
全国で5番目に設置された国営公園です。
≪コキアのある風景≫
≪パンパスグラス≫
≪午後の噴水≫
≪充実≫
何十年ぶり?かに、観覧車に乗りました。
はい。お花の地上絵を見たかったんです。
≪大きな秋≫
ほら~「秋」の字、わかりますかあ。
やっほ~とんぼが4匹~舞っています。
≪ちびっこ大はしゃぎ≫
≪観覧車inハロウィン≫
≪公孫樹≫
≪絵画のように≫
ダリアの花は、園内のフワラーミュージアムにて。
うっとり、とり、です。
是非ごらんください・・ね
フォトムービーこしらえました。
綺麗な園内。
バランスのとれたコスモスの表情は、九州一かと思います。
佳い休日でした。
≪星の砂≫
~出かけねば ならぬかに秋 晴れてをり~ 浅利恵子
→
赤が福岡県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・紫が福岡県福岡市
→
青が福岡県福岡市東区・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが福岡県福岡市東区「海の中道海浜公園」
海の中道海浜公園10月21日訪問
旬のコスモスのムービーを早く見ていただきたくて
箱根報告≪箱根の森美術館編≫と≪小田原城編≫は、後日にしました。
『全国の国営公園』
北海道・・国営滝野すずらん丘陵公園(1983年07月開園)
宮城県・・国営みちのく杜の湖畔公園(1989年08月開園)
茨城県・・国営ひたち海浜公園(1991年10月開園)
埼玉県・・国営武蔵丘陵森林公園(1974年07月開園)
東京都・・国営昭和記念公園(1983年10月開園)
東京都・・国営東京臨海広域防災公園(2010年7月開園)
新潟県・・国営越後丘陵公園(1998年07月開園)
長野県・・国営アルプスあづみの公園(2004年07月開園)
岐阜県、愛知県、三重県・・国営木曽三川公園(1987年10月開園)
京都府、大阪府・・淀川河川公園(1977年03月開園)
兵庫県・・国営明石海峡公園(2002年03月開園)
奈良県・・国営飛鳥歴史公園(1974年07月開園)
広島県・・国営備北丘陵公園(1995年04月開園)
香川県・・国営讃岐まんのう公園(1998年04月開園)
福岡県・・国営海の中道海浜公園(1981年10月開園)
佐賀県・・国営吉野ヶ里歴史公園(2001年04月開園)
沖縄県・・国営沖縄記念公園(1976年08月開園)
国営公園・国立公園との違い
・・国営公園は都市公園法に基づき国土交通省が所管する都市公園で営造物公園であるのに対し、国立公園は自然公園法に基づき環境省が所管する自然公園である。
・・・ 今日はこの辺で
平常通り 今日は、陶芸作品紹介の日です。
「灯点し頃」
・・・夕暮れ時になると、ひとつ、ふたつ、あかりがともっていく頃。
秋に、とても似合う言葉だと思います。
あさ→ひる→ゆう→ゆうべ→よい→よなか→あかつき→あした。
で、一日です。
ゆうは、昼間の終わり。
ゆうべは、夜の始まり。
秋は、ゆうもゆうべも色濃くなる季節です。
夜が始まる夕方
・・・灯点し頃
あかりの向こうにたくさんの暮らしがある。
灯りを見ると
ほっと仕合わせを感じ
あたたかい気持ちになります。
金曜恒例~自作の陶芸作品紹介は「メルヘン横丁の家々」です。
ろうそくを灯します。
灯点し頃の似合う秋ですね。
『ハートのトレイ』です。では 陶芸教室行ってきます。
みなさま
佳い週末&休日をお過ごしください。
引き続き、箱根レポご精読よろしくお願いします。
・・・ また月曜日に
箱根レポ その2です。
『日程』
10月17日 ≪新幹線≫博多→名古屋→小田原≪小田原電鉄≫小田原→箱根湯本≪箱根登山鉄道≫箱根湯本→強羅
10月18日 ≪バス≫強羅→仙石原→強羅≪ケーブルカー≫強羅→早雲山≪ロープウェイ≫早雲山→桃源台≪海賊船≫桃源台→元箱根港
10月19日 ≪箱根登山鉄道≫強羅→箱根湯本≪小田原電鉄≫箱根湯本→小田原≪新幹線≫小田原→名古屋→博多
レポは、
その1≪レッツゴー芦ノ湖編≫
その2≪箱根の関所編≫・・今日です。↑マップの赤星あたりが関所です。
その3≪箱根彫刻の森編≫
その4≪小田原城編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
悲しいお話です。
元禄15年(1702年)のことです。伊豆国大瀬村(静岡)生まれのお玉という女の子は、江戸に住むおじさんの家で奉公していました。
しばらくして、お玉は伊豆の実家が恋しくなってしまい、ついに帰ろうと決心し、おじさんの家を抜け出しました。箱根の関所の近くまできましたが、お玉は奉公先を飛び出してきたものだから、通行手形をもっていません。仕方がないのでお玉は厳重な関所の警備を避けて脇の山を越えて抜けようとしましたが、箱根の関所は芦ノ湖から山の上までずっと柵が巡らせてあり、その柵を乗り越えようとして、からまってしまったところを村人に見つかってしまい、関所破りの罪で捕まってしまいました。
捕まったお玉は、箱根関所の獄屋に入れられ、裁判を経て処刑されてしまいました。2月に捕まったお玉は、4月に処刑されるまで、約2カ月の間、獄屋に入れられていました。
関所破りは、江戸時代の刑罰の中では親殺しなどと共にもっとも重い罪だったので、お玉も死罪を逃れることは出来ませんでした。本来関所破りは磔という刑が定められていますが、お玉の場合、同じ死罪ながらひとつ刑が軽くなり、獄門(さらし首)とされたようです。
≪江戸口御門≫
・・高麗門という形式の門で、その高さは6.1mで、大番所・上番休息所をしのいでいます。屋根や外観は「栩葺」、「渋墨塗り」です。江戸方面から来た場合には、この門から中が箱根関所の構内で、西へ向う旅人はこの門の前で身支度を整え、関所の中へと入りました。
なんと・・・。
小さな女の子も、さらし首とは・・・。
・・箱根関所が、江戸幕府によって、山と湖に挟まれた交通の要衝であるこの地に設置されたのは、元和5年(1619)のことと伝えられている。関根関所は、江戸幕府の江戸防衛のために、全国に設置した53ヶ所の関所のうち、東海道の新居(静岡県)、中山道の碓氷(群馬県)、木曽福島(長野県)と並んで規模も大きく、特に重要な関所と考えられていたようである。
この関所の配置は、箱根山中の東海道の中で、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっている。
一般的に関所では、「入り鉄砲に出女」を取り調べたと言われているが、この箱根関所では、江戸方面からの「出女」に対する厳しい取り調べを行っていた。
江戸時代を通じて機能を果たしてきた関所だが、設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えた。
箱根関所の跡地は、大正11年(1922)、「箱根関跡」として国の史跡に指定された。昭和40年(1965)には番所の建物が建設され、その後、昭和58年(1983)、江川文庫(静岡県伊豆の国市)から、慶応元年(1865)に完成した箱根関所の大規模修理についての克明な資料『早州箱根御関所御修復出来形帳』が発見され、資料の解析や跡地の発掘調査を経て、平成19年(2007)春、国土交通省、文化庁、神奈川県の補助を受けた復元整備を終え、箱根の関所は往時の姿によみがえった。
≪京口千人留≫
・・江戸口御門の対面側にあります。旅人たちが関所改めを待つ待機場として利用された広場です。
「出女」とは、大名の家族の女性が江戸から外に出て行こうとすること。
・・家康は幕府を開くと、大名の妻子を人質として江戸に住まわせるようにした。大名たちに、江戸城下に屋敷を与え、妻子を江戸に住まわせることを制度化したのだ。妻子が江戸にいれば、諸大名はまず謀叛を企てることができない。
しかし、この制度も、妻子が江戸から脱出すれば、意味がなくなる。そこで幕府は、妻の江戸脱出を防ぐため、関所で通行手形を持っている女性でも、厳しく取り調べたのである。
関所によっては、「改め婆」と呼ばれる老女がいて、男装していないかどうかも含めて厳重にチェックしていた。
≪杉木立≫
・・江戸初期に植えられたといわれています。
箱根の山は、天下の嶮
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈の山、千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)え、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士(もののふ)
大刀腰に足駄がけ
八里の碞根(いはね)踏みならす、
かくこそありしか、往時の武士
天下の嶮
と、歌われた箱根の山。
大きな杉木立がうっそうと生え、昼なお暗い
さぞや怖い関所だったことでしょう。
出女やら、奉公人の女の子やら、
なんだか弱いものいじめしてません?箱根の関所って・・・。
これは、箱根の関所近くの芦ノ湖畔に建つ、↓≪箱根駅伝の碑≫です。
・・箱根駅伝の60回大会を記念して建てられた詩碑。勝承夫の詩が刻んであります。
「若い豹は春の象徴 君たちが走ると 東海に春がよみがえる
富士はおおらかに微笑み 相模の海は夢多い調べをおくる ~」
ああ~この選手もなんだか、とてもきつそうだなあ。
ここで、箱根の伝統工芸「箱根寄木細工」
素敵なお盆を購入しました。
≪箱根寄木細工≫
・・箱根寄木細工は種類の多い木材の、それぞれが持つ異なった材色や木目を生かしながら寄せ合わせ精緻な幾何学文様を作り出し一定厚みの「種板(たねいた)」とし、これを特殊な大鉋(おおかんな)で薄く削り、小箱などに貼布、装飾に利用したり、種板をそのまま加工し製品にする手作りの木工芸品です。
白色系=あおはだ、みずき、まゆみ
黄色系=にがき、うるし、はぜのき
茶色系=えんじゅ、くす、けやき
褐色系=けやき神代
灰色系=ほおのき
黒色系=かつら神代、くろがき
さあ~まだまだ、旅は続きます。
足に湿布~おとうさん、支度OK~?
箱根報告その2≪箱根の関所編≫
ご精読~ありがとうございました。
続きは、また来週です。
・→・
赤が神奈川県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黄色が箱根町
箱根10月17・18・19日訪問
・・・ 今日はこの辺で
箱根レポ その1です。
『日程』
10月17日 ≪新幹線≫博多→名古屋→小田原≪小田原電鉄≫小田原→箱根湯本≪箱根登山鉄道≫箱根湯本→強羅
10月18日 ≪バス≫強羅→仙石原→強羅≪ケーブルカー≫強羅→早雲山≪ロープウェイ≫早雲山→桃源台≪海賊船≫桃源台→元箱根港
10月19日 ≪箱根登山鉄道≫強羅→箱根湯本≪小田原電鉄≫箱根湯本→小田原≪新幹線≫小田原→名古屋→博多
レポは、
その1≪レッツゴー芦ノ湖編≫・・今日です。
その2≪箱根関所編≫
その2≪箱根彫刻の森編≫
その4≪小田原城編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
宿泊地の強羅駅から、ケーブルカーで早雲山駅へ、
箱根ケーブルカーは正式には箱根登山鉄道鋼索線といいます。
≪ケーブルカー≫
箱根ケーブルカーは1921(大正10)年、下強羅(現、強羅)と上強羅(現、早雲山)の間に開通しました。営業距離 は1.2㎞です。概ね15分間隔で走っています。
スイス製だそうです。
車両は3両編成です。途中の駅は両方の扉が開きます。
≪ロープウェイ≫
早雲山でロープウェイに乗り換えて大湧谷へ。
大涌谷は冠ヶ岳の麓にあります。かつては大地獄と呼ばれていました。
≪大涌谷≫
冠ヶ岳は烏帽子に似ているのでそう呼ばれます。
仙石原はこの冠ヶ岳の水蒸気爆発により芦ノ湖が埋まりできました。
↓強羅駅からまずバスに乗り、行ってきましたよ。
≪仙石原≫
噴煙地に向かう登山道は、眺めるだけで勘弁させていただきました。
だって、きつそ~だもん。
≪冠ヶ岳登山道≫
登山道の入口には大涌谷延命地蔵がありました。大涌谷が大地獄と呼ばれた名残です。
≪大涌谷延命地蔵≫
富士山は、こんな感じ。
あ~たまを~くもの~うえに~だし~
雲よ、なんで富士山を隠すんだあ~。
≪富士山≫
父は、二度目の箱根になります。
以前、おじゃました時は、曇天で、富士山は見えず、
どうしても 芦ノ湖からもう一度富士山が見たい。との念願をかなえるための
今回の旅でした。
けど、またもお天気に、見放されてしまいました。
多分、↓こ~んな感じかな。
≪富士山こ~な感じ≫
大涌谷は、とにかく、ぷ~んとすごい硫黄臭です。
地熱を利用してく作られた真っ黒なゆで卵は有名です。
湧いている温泉に含まれる硫黄と鉄分が結びつき黒い硫化鉄となり卵の殻に付着して、
黒く変色していることから黒玉子と呼ばれています。
1個食べると7年寿命が延びるといいます。
父は、ここで2個、いただきました。
おとうさん、これで14年、寿命が延びたよ。
≪大涌谷名物黒玉子≫
さて、再び、ロープウェイへ。
芦ノ湖遊覧ができる海賊船が待つ桃源台を目指します。
箱根ロープウェイは正式には箱根登山鉄道索道線というそうです。
現在、日本一長いロープウェイです。
≪谷間のロープウェイ≫
ゴンドラはスイスCWA社製、定員は18人。1分間隔で運転しているので、
時間あたり1440人運べるそうです。
まるで、遊園地の観覧車に乗る感覚です。次から次にやってきます。
≪ロープウェイのつり革≫
箱根ロープウェイは普通のロープウェイとは違い、
2本のケーブルにぶら下がります。強風対策です。
これにより、とても安定性がよく、風速30m/sまで運休しないそうです。
(従来のロープウェーは20m/sくらいまで。)
風速30m/s以上の風が吹く日は年間15日くらいなの だそうです。
桃源台につきました。さあ~芦ノ湖です。
海賊船に乗り込みます。
≪海賊船パーサ≫
芦ノ湖は、・・神奈川県南西部、箱根町にある湖。富士箱根伊豆国立公園に含まれ、箱根景勝の中心ともいえる。箱根火山の火口原湖で、ひょうたん形をし、南のほうが広くなっている。周囲18キロメートル、面積6.8平方キロメートル、最大深度40.6メートル、水面の標高725メートル。水は薄藍色で、芦ノ湖から眺める富士山は日本一の景勝といわれる。古来、箱根権現(ごんげん)(箱根神社)の御手洗(みたらし)池とされ、祭礼をはじめ諸行事にあたっての潔斎の場とされ、境内の一部にもなっていた。
≪箱根神社鳥居≫
藍色の湖面がきれいです。
海賊船の後ろに航行している船は、箱根遊覧船です。
≪九頭龍神社鳥居≫
山々が綺麗に紅葉したらさぞや、すばらしいことでしょう。
いったん、元箱根港で下船し、箱根の関所へ。
関所の様子は、明日に。
≪海賊船ビクトリーとロワイヤル≫
再び 桃源台港に着きました。
芦ノ湖遊覧終了です。
私たちが復路で乗った海賊船は、左側のロワイヤルです。
結局、芦ノ湖遊覧しても、富士山は見えなかったねえ~おとうさん。
残念。
箱根報告その1≪レッツゴー芦ノ湖編≫
ご精読~ありがとうございました。
・→・
赤が神奈川県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黄色が箱根町
箱根10月17・18・19日訪問
・・・ 今日はこの辺で
10月14日 大分県日田市 訪問
・・日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名支配も行われたが、それ以外は徳川幕府の天領(直轄地)となった。その天領も大名預けとなった時期もあるが、貞亨3年(1686年)以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、政治、経済の中心地として栄え、裕福な商人が台頭し、掛屋や大名の御用達として活躍して、九州金融の中心となり、日田金は諸大名に貸し出された。当時、江戸、上方、長崎との経済や文化の交流も多く、日田には文人墨客が訪れ、賑わった。
レポは、
その1≪欧風懐石・秋子想編≫
その2≪豆田の町並み編≫
その3≪小鹿田の里編≫・・今日です。
・・へと、続きました。
日田市の北部に位置し、高塚山の麓にある「小鹿田焼の里(おんたやきのさと)」は、
今から約300年前、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼(こいしわらやき)から分窯したと伝えられ、
1705年に柳瀬三右衛門により開窯されました。
「小さい鹿の田んぼって書いて、おんたって読むんよ。」
「へえ~珍しいですねえ。」と、お嫁ちゃん。
江戸中期、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興された小鹿田焼の窯元は、一子相伝で弟子を取らず、十軒の窯のみがその技術を綿々と受け継ぎ、今に至るまで開窯以来の伝統的な技法がよく保存されて来ました。
そのことを大きな理由として小鹿田焼の技法が1995年に国の重要無形文化財指定を受け、2008年3月には地区全体が「小鹿田焼の里」として重要文化的景観に選定されました。
窯元が谷川の水を利用した唐臼(からうす)で土を砕きます。
この陶土を挽く唐臼の音は「日本の音風景100選」。
か~ん、こ~ん、と、済んだ音が山間の里にこだまします。
唐臼の音 youtubeお借りしました。
唐臼で挽いた土をこして
きめ細やかな陶土が完成します。
たくさんの器たちが生まれますね。
小鹿田焼の伝統の技法は、刷毛目、飛び鉋、指描き、櫛描き、打ち掛け、流し掛けなどがあります。
小鹿田焼といえば、↑蹴轆轤(けろくろ)です。
轆轤を足で蹴りながらまわします。
私も以前、体験させていただきました。
すごく、楽しかったです。
化粧土に小さな鉋の先で削り目をつける飛び鉋の技法は、「世界一流の民窯」と謳われ、
広く私たちの心を魅了し続けています。
マキを使い登り窯で焼くという昔ながらの技法で作られます。
ちょうど、民陶祭でにぎわっていました。
この窯から、たくさんの器たちが、生まれ出たのですね。
山里でひっそりと焼かれてきた小鹿田焼が脚光を浴びるようになったのは昭和に入ってからです。
昭和29年に英国の陶芸家バーナード・リーチ氏が訪れた後に、欧州で開かれた世界工芸展でグランプリ大賞、各地の展覧会で数々の受賞されました。受賞をきっかけに全国的に有名になり、昭和45年には国の記念保存文化財に指定されました。
お嫁ちゃんと、陶の里をそぞろ歩き。
秋の花々が、彩りを添えてくれました。
「日田はとても歴史を感じられ、楽しかったです。焼き物の里でも見たことのない窯や臼を見ることができ、嬉しかったです。
お父さんには遠いところを連れて行ってくださり、本当にありがとうございました。
お二人ともお疲れだと思いますが、ゆっくりとお休みください。」
お嫁ちゃんより。
日田報告その3≪小鹿田の里編≫
最後までご精読~ありがとうございました。
・→・
赤が大分県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが大分県日田市
大分県日田10月14日訪問
・・・ 今日はこの辺で
10月14日 大分県日田市 訪問
・・日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名支配も行われたが、それ以外は徳川幕府の天領(直轄地)となった。その天領も大名預けとなった時期もあるが、貞亨3年(1686年)以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、政治、経済の中心地として栄え、裕福な商人が台頭し、掛屋や大名の御用達として活躍して、九州金融の中心となり、日田金は諸大名に貸し出された。当時、江戸、上方、長崎との経済や文化の交流も多く、日田には文人墨客が訪れ、賑わった。
レポは、
その1≪欧風懐石・秋子想編≫
その2≪豆田の町並み編≫・・今日です。
その3≪小鹿田の里編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
豆田町は、慶長6年(1601)に徳川方の丸山城の城下町として生れたたところです。西国郡代のお膝元、天領の町として栄えました。
往事の繁栄を偲ぶ古い家蔵、また町割・地割・町道・用水路などが昔のまま残っています。
御幸通りでは、電柱を撤去し地下に埋める工事を行い、より伝統的町並みを再現しています。
それにより、国土交通省より美しいまちなみ大賞を受賞。2004年には、重要伝統的建造物群保存地区として選定され町並み保存が行われています。
マンホールの図柄は、鵜飼の様子。
三隈川の鵜飼、屋形船は風情があります。
また、クランク状の道路は、旧城下町によく見られる枡形と呼ばれる造りです。
わざと見通しを悪くして侵入者(敵)を待ち伏せするためとも、距離感を狂わせるためともいわれています。
九州随一の繁栄を極めた天領です。
莫大な財をなした豪商も多く、旧家には京都屈指の人形師から取り寄せた雛人形が
今も残ります。
その贅を尽くした「天領日田のお雛祭り」は、全国的にも有名です。
お雛様で有名なのは、升屋の草野家です。
お屋敷は、県指定有形文化財として保存されています。
しかしながら、時期的に雛人形は見学できませんでした。
今回は、≪雛御殿≫の雛人形を見学してきましたよ。
天保年間~250年前の雛人形が、約3000体~圧巻でした。
たくさんの雛人形たち~ああ~どの雛人形を写せばいいのやらあ~!
名代官と呼ばれた塩谷大四郎正義に資金を調達した広瀬久兵衛(博多屋)をはじめ、丸屋・鍋屋・升屋など古い造りに伝統がしみ込んだ日田商家が甍を並べた街並み。
お嫁ちゃん、感動しっぱなしです。
広瀬家は、私設の資料館として公開されています。
広瀬九兵衛さんは、ほら「秋子想」の秋子さんの兄、広瀬淡窓の弟です。
≪広瀬家≫
広瀬貞昌
┃
源兵衛
┃
久兵衛
┣━━┓
月化 三郎右衛門
┣━━┳━━┳━━┓
淡窓 秋子 久兵衛 旭荘
┃ ┃ ┃
青邨 源兵衛 林外
(養子) ┃
┃ 七三郎
貞文 ┃
貞治
┃
正雄
┣━━┳━━┳━━┓
貞雄 道貞 勝貞 興貞
日田は、主人が小さいころ住んでいたこともあり、
今でも、度々おじゃましています。
けど、
もちろん お嫁ちゃんは、初めての場所です。
世田谷育ちのお嫁ちゃん、
歴史のある町並みを見ては、大感激
途中、稲刈りの様子を見ては、大感激
その大感激している様子を見て、おとうさんもおかあさんも大感激でしたよ。
日田報告その2≪豆田の町並編≫
ご精読~ありがとうございました。
・→・
赤が大分県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが大分県日田市
大分県日田10月14日訪問
・・・ 今日はこの辺で
10月14日(日) 大分県日田市 訪問
・・日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名支配も行われたが、それ以外は徳川幕府の天領(直轄地)となった。その天領も大名預けとなった時期もあるが、貞亨3年(1686年)以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官、郡代の天領支配が行われた。豆田、隈の両町を持つ日田は、政治、経済の中心地として栄え、裕福な商人が台頭し、掛屋や大名の御用達として活躍して、九州金融の中心となり、日田金は諸大名に貸し出された。当時、江戸、上方、長崎との経済や文化の交流も多く、日田には文人墨客が訪れ、賑わった。
レポは、
その1≪欧風懐石・秋子想編≫・・今日です。
その2≪豆田の町並み編≫
その3≪小鹿田の里編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。
≪秋子想≫ 大分県日田市豆田町
秋子想は 広瀬淡窓の妹で 兄に生涯をつくし 22歳の若さで亡くなりました
広瀬秋子(ひろせ ときこ)を想い 店名といたしました。
欧風懐石 秋子想(ときこそう)として使用しているこの建物は
江戸時代文化10年(1813年) ひな祭り(升屋雛)で有名な草野本家の分家
升屋丈右衛門(ますや じょうえもん)によって酒蔵として建てられました。
昭和63年(1988年) 朽ち果てた蔵を大改装し レストランとして開業
以来20年 地元の方や観光客の方々に ご愛顧いただいております。
お料理は 豆田に残る江戸時代の献立が記された古文書を参考に
当時としては珍しい お箸でいただく 和洋折衷のコースを再現いたしました。
当時と同じ地元でふんだんに採れる野菜等に 福岡 玄海灘や 中津 豊前海でとれる
海の恵み(無塩もの)をとりまぜ 欧風懐石のコース料理として お出ししております。
広く 高い店内で 往時の雰囲気を想いながら 楽しいお食事をご堪能くださいませ。
(文章は、HPより。)
お嫁ちゃんと、美味しく楽しく、いただきましたよ。
内陸にある日田では、昔は、無塩の魚は高価でめったに食すことができなかったそうです。
秋子想のメニューには、いまでも あえて「無塩」と、記してあります。
新鮮な魚の宝庫~博多に住んでいる者からすると、不思議な言葉です。
へえ~おもしろいなあ~と、思いました。
日田報告その1≪欧風懐石・秋子想編≫
ご精読~ありがとうございました。
・→・
赤が大分県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピンクが大分県日田市
大分県日田10月14日訪問
・・・
さて行楽の秋 ということで、 明日から2泊3日(17・18・19日)で、父と箱根に行ってきます。 日田レポ ≪豆田の町並み編≫ ≪小鹿田の里編≫ は、ですので~後日~まとめま~す。 ブログの再開は、22日(月)になります。 よろしくお願いします。 |
みなさま
佳い週末&休日をお過ごしください。
・・・ また22日(月)に
赤いタオル
新川和江
旅をして帰ってくると
山が紅葉してしてきれいだったでしょうと
その地方の知人が言う
・・・・ぬるで
いぬたで
どうだんつつじ
ななかまど
郷土自慢をするように
紅くなる葉を数えあげる
・・・・窓のてすりの赤いタオル
とわたしは心で言い添える
線路沿いの
お粗末だが新築のアパートの
二階の窓に干してあった
赤いタオル
なんという町か知らない
東北の小さな町の
その町からもこぼれて建った
ちいさなアパートのちいさなひと間の
ちいさな暮し
その赤がなぜか一番
目にしみてわたしは座席で泣いたのだけど
言えなくて
・・・・ぬるで
いぬたで
どうだんつつじ
ななかまど
そうきれいでした!と言う
我が家の裏手に、ワンルームマンションがあります。
とても、近い距離に建っていますので
洗濯物とか干してあると、自然に目に入ります。
我が家の居間と同じ高さにある、そのマンションの一室は、
4月から 多分、大学生の男の子が住んでいます。
顔も見たことないし、どんな子か検討もつきませんが、
きっと、まじめで、几帳面な子です。
だって、大学の講義のない晴れた日曜日は、ちゃんとお布団を干します。
洗濯物もきちんと並んでいます。
やだ、じろじろ・・は、見てませんよぉ・・。
一人暮らし。
この子の故郷のおかあさんは、心配しておられることでしょう。
新川和江さんの「赤いタオル」は、涙を誘います。
ふかふかになったお布団、風に揺れる洗濯物を見るたびに、
こう、つぶやきます。
故郷の、おかあさん
あなたのお子さんは、大丈夫ですよ。
しっかり、暮らしています。安心してください。
「娘と日田デート」レポ まとめ中です。
・・・ 今日はこの辺で
明日(10月13日)、一泊で二男夫婦が帰福します。
二男~友達の結婚式出席のため。
ですので、また「娘とデート」できちゃうのです。
こちらは、初めてのデートの様子で~す。娘とデート
るんるん。わくわく。
今回は、日曜日で主人も一緒。
娘(←お嫁ちゃんのことですよ。)と3人で
大分県日田市へとドライブ~、洒落込もう~かと。
わくわく。るんるん。
秋子想にランチの予約済みです。
秋子(あきこ)は、日田出身、江戸時代の儒学者広瀬淡窓の妹さんの名前です。
金曜恒例~自作の陶芸作品紹介は、「ふくろうさんのツーショット」
香炉です。信楽並、信楽赤、白志野、3種類の土を使いました。
薔薇の花の好きなお嫁ちゃんのために
「薔薇のお香」を焚いて、歓迎です。
『ハートのトレイ』です。では 陶芸教室行ってきます。
みなさま
佳い週末&休日をお過ごしください。
・・・ また月曜日に
そうでした!!
思い出しました!!!
北海道では、椿の花は見られないのです!!!!
≪椿≫
先日の「木偏に春」の椿の話題の際、
北海道在住のブログ友lilaさんのコメントで思い出しました。
≪ハナミズキ≫
≪金木犀≫
≪山茶花≫
北海道では、他に「ハナミズキ」や「金木犀」や「山茶花」の花も咲かない。
柿や杉や竹藪もないのだそうです。
(ですので、スギ花粉もないのです。)
普通に眺めている草花の風景が、
こんなに小さな日本なのに、実は、様子が違う。
≪イチジク≫
以前、調べたのですが
草花の北限 もう一度、列記します。
イチジク・・宮城県(石巻)、青森県(黒石)
インドゴムノキ・・静岡県(浜松)
ウンシュウミカン・・新潟県(村上)、岩手県(大船渡)
エニシダ・・福島県(会津若松)
オシロイバナ・・静岡県(浜松)
オモト・・岩手県(一関)、長野県(牟礼)、秋田県(角館)、福島県(三春,会津若松)
カキ・・北海道(古平)、岩手県(大船渡)
カニバサボテン・・静岡県(浜松)
カラタチ・・秋田県(角館)、岩手県(大船渡)、福島県(三春)、宮城県(仙台)
キヅタ・・秋田県(檜山)、福島県(会津若松)、宮城県(仙台、石巻)
キョウチクトウ・・宮城県(仙台)
キリ・・北海道(古平)
クジャクサボテン・・静岡県(浜松)
クダモノトケイソウ・・静岡県(浜松)
クチナシ・・福島県(会津若松)
クルメツツジ・・青森県(黒石)
ゲッケイジュ・・福島県(会津若松),宮城県(石巻)
ゴクラクチョウカ・・静岡県(浜松,御前崎)
サツキツツジ・・青森県(黒石)
サルスベリ・・岩手県(大船渡)
サンゴジュ・・福島県(三春)
シキザキベゴニア・・静岡県(浜松)
シキミ・・宮城県(仙台)
シャガ・・北海道(古平,檜山)長野県(牟礼)
シャコバサボテン・・静岡県(浜松)
シャリンバイ・・福島県(三春,会津若松)、宮城県(仙台,気仙沼)
シュウカイドウ・・北海道(檜山),青森県(角館)
シュロ・・福島県(南相馬市、会津若松),宮城県(仙台,石巻,大船渡,棚倉,矢祭,気仙沼)
ジンチョウゲ・・青森県(角館)、宮城県(仙台,石巻)
シンビジウム・・静岡県(浜松)
タイサンボク・・福島県(会津若松)
ツゲ・・岩手県(一関)
ツバキ・・北海道(古平),岩手県(一関)
トケイソウ・・静岡県(浜松)
ナンテン・・(黒石,大船渡,檜山,角館,三春,会津若松,下栗,仙台,気仙沼)
ノボタン・・愛知県(名古屋)
ハイビスカス・・(御前崎,浜松)
ハゴロモジャスミン・・静岡県(浜松)
バショウ・・福島県(棚倉)
ハラン・・福島県(会津若松)
ヒイラギナンテン・・長野県(牟礼),秋田県(角館),福島県(会津若松),宮城県(石巻)
ビナンカズラ・・福島県((会津若松)
ヒラドツツジ・・青森県(黒石)
ビワ・・長野県(牟礼),福島県(三春,棚倉),宮城県(登米,石巻)
フヨウ・・秋田県(角館)
ブルグマンシア・・静岡県(浜松)
マサキ・・福島県(三春,会津若松),宮城県(気仙沼)
マツバギク・・宮城県(気仙沼)
マメツゲ・・宮城県(仙台)
マンリョウ・・宮城県(仙台)
ミズカンナ・・静岡県(浜松)
ミョウガ・・北海道(檜山),長野県(軽井沢)
モウソウチク・・青森県(黒石),岩手県(一関)
ヤツデ・・青森県(黒石),岩手県(大船渡),秋田県(角館),福島県(三春,会津若松,気仙沼,石巻)
ユズ・・青森県
レンゲソウ・・岩手県(遠野)
ロウバイ・・福島県(花見山)
参考にさせていただきました。
追加で南限として、
蓮華草、金木犀、ユキヤナギは、沖縄では咲かない。
東菊(アズマキク)は、関東地方から以北に生える。
ほら!ほら!ほら!
中程の静岡県あたりに、境界線が一つ!ありますね。
不思議ですね~!おもしろいです!
≪蓮華草≫こちらはネット画像です。
やはり野に置け蓮華草
・・そのもののふさわしい環境に置くのがよいというたとえ。
このことわざって、
北の地方の方々は、使わない・・?のでしょうか。
南限も、調べなきゃ!ですね。
ああ~日本は
東西にひょろ長い~ぞ~。
・・・ 今日はこの辺で
最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。
劇中で読まれる詩です。
解説・・第32回吉川英治文学新人賞に輝く、辻村深月の小説を実写化したファンタジー・ドラマ。死んだ者と生きる者の再会を仲介する使者“ツナグ”の見習いを努める高校生が、さまざまな依頼者の姿を目の当たりにして成長する姿を追う。『王様とボク』などの松坂桃李が主人公の歩美を好演、ツナグの師匠でもある彼の祖母を『わが母の記』の樹木希林が演じ、温かな掛け合いを見せてくれる。人と人のつながり、家族の絆、生死を深く見つめた物語もさることながら、佐藤隆太、桐谷美玲、八千草薫、仲代達矢といった豪華共演陣の顔ぶれも見ものだ。
あらすじ・・生きている者が、もう一度だけ会いたいと強く願う、すでに亡くなってしまった者。その再会の機会を設けることができる、“ツナグ”と呼ばれる使者の見習いをする高校生・歩美(松坂桃李)。ガンで逝去した母(八千草薫)と会いたいという高慢な中年男・畠田(遠藤憲一)、けんかをしたまま事故死した親友・御園(大野いと)に尋ねたいことがある女子高生・嵐(橋本愛)など、さまざまな依頼人の願いをかなえる歩美。だが、死んだ者と生きる者が再び出会ってはいけないのではないか、それで両者は救われるのだろうかと考え……。
死んだ者と生きている者を再会させる案内人が見た3つの物語を描くファンタジー・ドラマ「ツナグ」。これは見習い“ツナグ”の成長物語です。
ネタばれは、しませんよ。ご安心を~
ツナグ役の松坂桃李君。
高校生役は、無理ぃ~!無理ぃ~!
制服姿を見て、思わず、ぷ。っとふきだしてしまいましたっ!
死んだ者と生きている者の再会は一度だけ。
生きている者が希望しても死んだ者が拒絶する可能性もある。
死んだ者に会いたいと生きている者が思う。けど一方通行ではだめなのです。
死んだ者も生きている者に会いたいと思われてうれしい。
このお互いの気持ちが大事。
つまり・・・死んだ者に会えるということは、生きている者と死んだ者がお互いを大切に思っているということなのです。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
なにより・・・
この詩が、頭の中を反復します。
ツナグ10月7日鑑賞
ねね、
松坂桃李君と三浦貴大君(三浦友和さんの二男)って、そっくりですよね~!
・・・
松坂桃李君・・・・・・・・・・・・・・・・・三浦貴大君
・・・ 今日はこの辺で
PCに向かってマウスで楽しく描いた絵です。
≪彼岸花≫
≪秋桜≫
≪彩秋≫
≪とうもろこし≫
≪サルビア≫
≪赤とんぼ≫
≪紅葉≫
≪ハロゥイン≫
≪ムラサキシキブ≫
私のPC~新しい相棒ですよ。
2012「ルビーロゼ」です。
素敵な色でしょう。「ルビーロゼ」。
絵を描くのも、ますます~楽しくなって
ますます~楽しいネットライフ♪です。
・・・↓こちらは、今までの相棒2011「モテナレッド」。いままでありがと。情熱パソ
・・・
【追記】どうぞ。
≪ムラサキシキブ≫
・・・ 今日はこの辺で
小久保選手、そして城島選手が、今季限りで引退します。
・・・・・
城島選手の2軍戦最終戦の模様~youtubeで見つけました。
ホークスを日本一に導いてくれた二人に
感謝の言葉でいっぱいです。
動画撮りました。
小久保選手のレギュラーシーズンの本拠地最終戦は、10月8日。
ホークスの小久保選手、ホークスの城島選手
ありがとうございます。お疲れ様でした。
・・・・・
金曜恒例~自作の陶芸作品紹介は、「王冠」です。
『ハートのトレイ』です。では 陶芸教室行ってきます。
みなさま
佳い週末&休日をお過ごしください。
・・・ また9日~火曜日に