Records にへーのブログ

演劇・映画・小説・マンガが好き!
日々考た事で、Xに書きづらい事を書いて行こうと思っています。

篠田千明公演「非劇 Higeki」観劇(昔書いた観劇感想)

2024-12-03 12:29:00 | 演劇
以下の文章は、2015年12月に下書きで書いたままになっていた観劇の感想です。

今更出すのもどうかなと思ったのですが、せっかく書いてあったので、gooブログに移転した機会に出す事にしました😅



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しぶりに吉祥寺シアターに行って来ました。







まず、観劇前から、少しワクワクしました。
それは、一階から入る事だったり(吉祥寺シアターは大抵二階からお客は入るので)、客席の模型から座りたい席の付箋を取って席に着くとか、



青い付箋なので、青い冊子が見える様に席に置いてあります。


(オレンジの付箋の席はオレンジの冊子と、色々な色があります)

テキストが事前に配られるとか。



そういった事や、『「劇に非ず」で非劇』というホームページのアナウンスだったりで、かなりアーティスティックな作品になるだろうと、期待が高まった中で観劇が始まりました。


ストーリーを公演ホームページからコピペさせてもらうと……

「2021年、東京オリンピックの翌年。スマホを手に入れるくらいの値段と手間で、事故や病気を自動で治してくれるドローンが開発されアンダーグラウンドで広まっていく近未来。ほぼ不老不死になった人類から「人生一回」とか「命がけ」とかの意味がなくなりドラマや宗教が求心力を失っていく。自分を自動販売機に改造してしまった不死ドローンの開発者の非活躍と、沈黙する彼を巡りようのない人々の非邂逅を描いたハードSF。劇はないが、わたしたちは生きている。」

……というもの。


全体的な感想を言えば、まず面白かったです。
もの悲しく美しい、力強い舞台だったと思います。
エピソードの鮮烈なイメージを、照明や美術のアイデアが盛り上げていた。
群舞も、1人1人がイメージのきらめきを放っていました。

あと、もっと精密な世界を予想してたので、わりとザクザクしてたなーと。
「ザクザク」したという表現は、決してマイナスの言葉ではなく、ジャズだと思って聞いたら、ゴリゴリのパンク・ロックだったなという感じ。あるいはナイフの切れ味でなく、ノコギリだったなという感じ(分かりずらいか?)
篠田さんが「非劇はハードコアSF」と言っていたのは、こういう感じを指していたのかもと思ったりもして。(余談・・・ジャンルSFでカテゴライズされる「ハードコアSF」とは、科学的考証がしっかりしたSFを指すので、それとは今回は少し違った印象を受けます。篠田さんがハードコアSFというジャンルがすでに存在してる事を知っていて使っているかどうかは、分かりませんが)
完璧な作品というより、いい意味で未完成感の魅力が溢れてました。

大きな一つの流れ(物語)で作られた作品でなく、断片(エピソード)のループ感で作られていて、そこら辺も所謂、(物語)劇でなく、非劇。
テキストで事前に配られた物語も、本編で劇的な展開を迎えないのも、非劇。
とか、「非劇」の意味を色々と後で考えるのも、ちょっと楽しかったりして。

ただ、ハードルが上がり切った状態で見たせいか、思ったよりは特異な作品ではなかった印象でした。
また、シーンや出来事の鮮烈さはあっても、イメージを喚起させる鮮烈な言葉は意外と少なかった気もします。
まあ、もしかして今回の舞台では、言葉で語るのでは無く、そういったシーンや出来事、役者の肉体(ダンス)で語る事の方が重要事項だったのかもしれませんが。

という、ザックリ感想を書いてみました。

第二黎明期公演「紅茶とライオン」観劇

2015-03-31 22:00:00 | 演劇
ちょっと前に、芸術のミナト新潟演劇祭で第二黎明期さんの公演「紅茶とライオン」を観て来ました。

今年は、自分達の公演や長岡の演劇祭シアターゴーイングがあったりして、ミナト演劇祭は第二黎明期さんとCREATIO ATELIERさんの「蛙昇天」しか観れませんでした。

会場がりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)の能楽堂でやるという事と、中央ヤマモダンさんがオープニング・コントをするという事もあり、楽しみにして行きました。

以下、感想です。









第二黎明期公演「紅茶とライオン」感想。



まず、受付を通り能楽堂の入り口に行くと、(中央ヤマモダンさん用の)特設ステージが設けられている。ステージの脇にはパネルが立てられ映画のチラシが何枚か貼ってある。能楽堂入り口ドアの脇には映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のポスターが。

どうやら中で映画が上映されているという設定らしい。

そんな中、中央ヤマモダンのコントがスタート。

映画を中で上映しているので、映画が終わるまでコントを観て下さいという事。

コントは、ほとんどが以前に観た事のあるものだったけど、会場ではヤマモダンさん独特のクスクス笑いを(若干のアウェイ感も有りつつ)確実に取る。

最後に映画が終わり、映画を見終ったお客にインタビューをするといった形でコントは終了。

中にに引き続いて居るお客がいるので、空いている席にお座り下さいと言われ中に入ると、段ボールで作った人型のものが多数の席に設置してあり(キャパを減らす為?)笑う。


さて、本編の「紅茶とライオン」ですが、黎明期さんらしい細やかな演出の舞台でした。

盲目の女主人とお手伝いの女性。近所で起きた殺人事件を巡り静かに起きるサスペンス。

休日の午後、紅茶を飲みながら読む軽いミステリーの様な、どこか優雅さすら漂う舞台。

お二人とも上手く、それぞれ違ったタイプのかわいらしい女性を魅力的に演じていた。

高橋さんが圧倒的に上手いのはいつもの事ですが、明田川さんは昨年末の劇団カタコンベさん「嘘は、鏡にうつっても嘘」の重い役柄とはまた違って、軽やかさを持ち且つ、実は裏で何を考えているか分からない感じも出ていて(演出の手腕も大きいでしょうが)良かった。今後の活躍も楽しみです。

ただ個人的には、会場はもうちょっと小さい所で観たかったです。能楽堂も雰囲気があって良かったのですが、黎明期さんの細やかな演技は小さい会場でこそ活きるのでないかと(個人の感想としては)思うのです。

黎明期さんで言えば、「銀河生活」みたいな演目は能楽堂で観たい気もしますが、今回は黎明期さんの本拠地、西堀DOMOの方が合っている気がします。


終演後、再びヤマモダンの山本さんが現れ、「紅茶とライオン」のキャラと能楽堂入り口でのコントのキャラでの三人のコントが有り笑わせてもらいました。









岡崎藝術座公演「+51 アビアシオン,サンボルハ」感想

2015-03-29 01:16:00 | 演劇
この前の日曜日(22日)の観劇の最後は岡崎藝術座さんの公演「+51 アビアシオン,サンボルハ」です。



場所は日本橋のビルPUBLICUSの地下にある、NICA:Nihonbashi Institute of Contemporary Arts。



岡崎藝術座さんは今回観るのが初めてですが、岡崎藝術座さんの前の公演「(飲めない人のための)ブラックコーヒー」も評判良かったし、今公演も前評判が非常に良かったので、期待して観ました。

以下、感想です。








岡崎藝術座公演「+51 アビアシオン,サンボルハ」感想



メキシコ・沖縄・ペルー。作・演出の神里さんのルーツを巡る物語(らしい)。

ちなみにタイトルの「+51」はペルーの国際番号。
「アビアシオン,サンボルハ」はペルーの首都リマにある通りの名前。神里さんのおばあちゃんが住んでいる所。

白い壁に、床は青・緑・赤・ピンク・からし色・レモンと縦に6色で彩られる舞台。

その(その舞台で演じられる)土地の空気というか、役者の持つ空気感というかが独特で、異国のロード・ムービー的なテイストを感じた。

体験に基づいたテクストの素晴らしさも、それに拍車を掛けている。

柿喰う客の大村わたるさんの存在が独特で、計算されたユルイ動きが、ちょっと変な生き物的な感触。

児玉さんは綺麗だな。



……と、良いと思う部分は沢山あるのだけど、今回、俺はどうも乗り切れなかった所もあって。

個人的な趣味で言うと、演劇の会話という物に魅かれる事が多いので、今回の様な長いモノローグの連続の様な劇は、どちらかと言うと苦手な部類に入るのです。

今回特に、下手すると朗読劇と捉えかねない部分を孕んでいて、疲れも手伝って、中盤少し睡魔が襲って来てしまったのでした。

台本も素晴らしいのだけど、台本というよりテクストと呼んだほうがしっくりと来る(まあ、個人の感覚だけど)。

とはいえ、後半に掛けて(自分の中で)持ち直し、スリリングに感じれたので、決して悪くは感じていないのだけど。

正直、この作品だけだと岡崎藝術座さんが自分に合っているかというのは分からないので、もっと他の作品を観てみたいと思うのでした。





PJ平成一揆「脳内パラドックスゲーム

2015-03-26 12:50:00 | 演劇
日曜日(22日)の観劇、その2です。

PJ平成一揆さんの公演「脳内パラドックスゲーム」を、西荻窪のギャラリーがらん西荻で観て来ました。





PJ平成一揆は、前に新潟の劇団カタコンベさんにいた新田澄夏さん主宰の演劇ユニット。

前から観たいと思っていのですが、今回タイミングが合って、観に行く事が出来ました。

PJ平成一揆さんは今、1年間で6本の公演をするという企画をやっていて、今回はその5本目に当たります。

ちなみに劇団名は「ぷろじぇくとへいせいいっき」と読む様です。

ちょっと偉そうな事を書いてしまいますが、以下感想です。







PJ平成一揆公演「脳内パラドックスゲーム」感想。



物語は近未来。脳にメモリー・チップを入れ、人工的に生み出された人間(クローン?)を生み出す事によって、人口の調整が行われている世界。
若者のほとんどが、人工的に生み出されたされた人間になり、彼らは疑似家族の中で成長して行く。
ネット内のヴァーチャル・ゲームや犯罪を疑われている男がなどを描き、物語が進んでいく(60分)。



登場人物はそれぞれの想いや主張があるが、それは相手に伝わらない。

声高に主張はするが、(表向きは理解してる風に装っているが)相手の意見に関心が無い(信じない)という閉じた感情、ディスコミュニケーションな人々を描く所が印象に残る。



正直な感想を言えば、今回の公演だけ見れば、まだまだこれからの劇団なのだろうなと思う。

作・演出の新田さんは、ENBUゼミを卒業してまだ1年という事ですが、今回に限って言えば、もうちょっと掘り下げられたかなと。

面白いと思う要素も幾つかあるので、多分じっくり時間を掛けてやれば、また違った出来になっていたのではないか。



終演後、新田さんと少しお話が出来たのだけど、今回の6部作は色々な事にチャレンジする試みという事で、SFや殺陣を取り入れたのも今回が初めてだとの事。

いつもは青年団っぽい作風といわれているらしいのだけど、今回の作風からは想像出来ない(役者がお客に背を向けて話す所は青年団っぽい)。

6部作終了後に、時間を掛けて初の本公演(旗揚げ公演)をすると言う。


そう言われると、色々と腑に落ちる。

6作通して観た時に、習作公演としての面白味みたいな物も出るんだろうなぁと。

観てる最中にも思ったのだけど、今はまだ発展途上なのだろうなぁと。


この6部作を走り抜けた後の新田さんがどんな作品を作るのか?

それが本当に楽しみです。








オイスターズ公演「日本語私辞典」

2015-03-23 22:06:00 | 演劇
日曜に東京へ観劇に行って来ました。

せっかく高い新幹線代を出して行って来るので、公演の時間が合えば、なるべく3公演観てくる様にしてます。

で、この日の1本目は名古屋の劇団、オイスターズさんの「日本語私辞典」。場所はシアター風姿花伝でした。



オイスターズさんは、新潟で「ドレミの歌」を観ていて、今回が二度目の観劇です。

これから仙台公演もあるし、DVDも出しているので、これから観る人は、感想でかなりネタバレしてるので注意です。

以下、感想です(ネタバレ)。









オイスターズ「日本語私辞典」感想。



舞台には、おおきな白い紙を貼った様なパネルが設置してある。

障子戸に紙を貼ったかの様に細かく枠で区切られている。

冒頭、前に役者が全員出てしりとりをする中、一人(平塚さん)が脚立の上に上がって、細かく区切られた枠の中に「あ」から「ぽ」の50音(+濁音・半濁音)を一語づつ書き入れる。

分かりづらいと思うので、簡単に絵を描くとこんな感じ(歪んでしまった)。



最後まで書き終えると物語が始まる。



朝起きて、両親と朝食を食べ、学校に行って試験を受け、友達と話をする。

基本はこの繰り返しなのだが、その繰り返しの中で少しづつ言葉が失われていく。

例えば「野郎」はいらないという会話が出て来ると、バックのパネルにある「や」と「ろ」と「う」の言葉が、カッターで切り取られて、穴が空いてしまう。

そうすると、それ以降の会話の中で「や」と「ろ」と「う」の文字が使えなくなってしまうのだ。

そして使えなくなった言葉の物は、その世界から存在が無くなってしまう。

「か」が無くなると、お母さん(おあさん)が世界から無くなってしまう。そうなると主人公は、慌てて「お母さん」を「母(はは)」と言い換え、母を救うのだ。

「す」が無くなると、椅子が無くなり腰掛とと言い直し、丁寧語が言えなくなる(「で」、「ま」が使えなくなる為)。

お父さん→父(ちち)→パパと言い換えて行くが「パ」が無くなった段階で、お父さんは世界から消えてしまう。

ドンドンと言葉が無くなって行き、会話もおぼつかなくなっていくのだ。


アイデア勝ちですね。

50音を使ったロジカルな作りがとても素敵で楽しめました。

小林賢太郎の作品に似た感触を少し感じたかな。