元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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ガチンコ!フィリピン代表との激戦!

2007年12月17日 14時54分56秒 | インドネシア代表ナショナルチーム(国際大会など)
金メダル奪取の望みを掛け一世一代のフィリピン代表との大勝負を控えた前日・・・
問題が発生するのだった。
外出禁止の掟が破られたのだった。いきなりスポンサーからの招待というそれらしき理由から選手一同が外食になってしまったのである。

「大勝負を前に、選手達は外の華やかさを見てしまった””」
一抹の不安が頭の中に浮かぶ・・・

インドネシア代表としては2005年でのアジアンSEAシーゲームスでは、コールド負けに値するような大差でフィリピン代表に敗れていた。
しかし、今回の意気込みは違うのだ。
エースのエフェンディーを先発に起用。
フィリピン代表も先のアジア選手権権北京オリンピックアジア最終予選で、あの星野ジャパンを10点そこそこに押さえ込んだサウスポーエースのデラカルサダ投手を投入してきた。

アジアンSEAゲームス史上の名勝負となる壮絶なるガチンコ試合が開始されようとしていた。













1回・・・0
2回・・・0
3回・・・0
・・・・・7回終了まで両代表チーム得点を奪えず「0-0」の同点。

8回表のフィリピン代表の攻撃・・・
2アウトランナー3塁、ピッチャーはエフェンディーからアクバールに交代していた。フィリピン代表の1番打者の放った打球はショートややサード寄りのゴロ・・・ワンバウンド、ツーバウンド、スリーバンド””

しかし、スリーバンド目がややイレギュラーし30cmほど跳ね上がった。
ショートのトミーが打球を叩き落とし、ボールを拾って1塁へ送球・・・

「きわどい・・・・」

一瞬の時が止まった。
球場に居た全ての人の動きがピタッと止まった。

判定は???

「セーフ!!」

判定は無情にも「セーフ!!」
この間に、3塁ランナーが生還しついに均衡が破れたのだった

「1-0」フィリピン代表のリードで迎えた8回裏のインドネシア代表の攻撃を迎える。
あきらめない!俺達は絶対に勝つ!

先頭の打者が塁に出る。
「ノーアウトランナー1塁」という絶好の反撃のチャンスを迎える。
何が何でも2塁にランナーを進めるのだ。

初球の送りバントがフォールで失敗になる・・・
次にヒットエンドランに切り替えるがこれもファールで失敗・・・
そして運命の2ストライクからの送りバント
この1球に2007年のインドネシア代表ナショナルチームの集大成を掛けた。
全ての運命を委ねた。

「ファール!!」 

最後の最後で決められなかった。
この究極の場面で「1球の持ち球」の重みに泣く。
最後の1本の糸を結べずアートは未完成で終わったのだった。

「1-0」でインドネシア代表はフィリピン代表に敗北









無念・・・「1-0」での痛恨の惜敗。
試合直後の記念写真も参加する気力さえ無い。
一人、バックスクリーンの方へ歩いて行っていた。
こみ上げる熱いものを抑えることは出来なかった。
インドネシア代表の監督に就任して以来からの、吐くような練習、断食でのエピソード、数々の出来事が頭の中を相馬灯のごとく駆け巡った。

「ヒットで負けたのならまだしも」「完全なエラーで負けたのならならまだしも」
「イレギュラーバウンドでの敗北だなんて。。。」 
全くの互角だった。紙一重であった。
あと一息、あと1歩で、選手達に金メダルを取らせてあげられた・・・
あんな苦しい練習を課しても、ついて来てくれた選手達に申し訳が立たない””」

敗北について怒りようにも、この怒りはどこにも向けられない。
怒りを呑み込む以外にない””

「死ぬほど惚れた女がいたとしよう。この女は心底に惚れたたった一人の女であった。
そしてついに念願が叶って妻となった。しかし死ぬ程に惚れて、惚れて、惚れぬいたその女は実はレズビアンだった」

この時の心理状況を例えるとこうなる。どこにも怒りを向けられないのである。
 





皆・・・泣いた””
選手も、コーチ陣も・・・監督も泣いた””
監督として敗北の謝罪を選手達に通達した・・・
その瞬間、選手達が抱きついて来た・・・

{お前達・・・}

後はもう言葉が出なかった・・・
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