
先日・・・
尊敬する大先輩への・・・
お誕生日メッセージで・・・
1970年前後に・・・
使用されていた胸マークを・・・
Facebookにて送信をさせて頂きました・・・
これに関連して・・・
今日は三高の胸マークについて・・・
その変貌等などを記してみたいと思います・・・
昭和10年・・・
(1935年)
初代・・・
藤田省三監督によって・・・
胸マークをはじめとする・・・
現在に至っているユニフォームの・・・
デザインが決められた訳でありますが・・・
-1937年 中列左端が 藤田省三初代監督‐
初期から・・・
1994年度の卒業生までが・・・
基本的に・・・
初期からと同じ形状の・・・
マーキングを使用しています・・・
そして・・・
1995年の卒業生からは・・・
三高の“高”の文字が異なり・・・
デザインが鮮明化されています・・・
歴代の・・・
監督の代で見ると・・・
青木監督が・・・
2回目に監督を・・・
されておられた時期・・・
すなわち・・・
第66回のセンバツに出場した時が・・・
この形状の“高”での最後の甲子園出場・・・
となったことになります・・・
その翌年・・・
高橋監督の就任時に・・・
現在形の“高”の形に変更され・・・
そして・・・
2年間後に現在の・・・
小倉監督が監督として・・・
日大三高に戻ってこられ・・・
この形の“高”を継承しておられます・・・
また・・・
桜の部分も・・・
以前の形とは異なり・・・
内部が・・・
鮮明に分化された・・・
デザインに変更をされています・・・
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でわ・・・
その変貌を・・・
画像にてご覧下さい・・・
‐写真左から桑野部長、鎌田彦一先生、田口周監督‐
-1947年 根本陸夫監督時‐
‐第34回 センバツ準優勝 田口周監督時‐
- 第43回 センバツ優勝 萩原監督時-
- 第44回 センバツ準優勝 鈴木(康)監督時-
- 第66回 センバツ出場 青木監督時‐
如何でしょう・・・
おわかりになりますでしょうか・・・?
この第66回・・・
センバツ出場の時が最後の形状となります・・・
この翌年・・・
青木監督の勇退から・・・
次の高橋監督へと移って行き・・・
”高”の部分の・・・
両端が真っ直ぐに下がり・・・
- 高橋監督時 現在の胸マーク“高”の形が変更 -
真っ直ぐ・・・
下がった”高”の形状と・・・
鮮明化された桜の形状とを・・・
小倉監督が継承されていかれます・・・
- 小倉監督就任時 そして現在に至る -
以上が・・・
創設期から・・・
現在に至るまでの・・・
三高の・・・
胸マークの変貌になり・・・
近代三高野球への変貌と・・・
日大三高の胸マークの変貌・・・
ある意味・・・
”現在の胸マークは”
”近代三高野球を象徴している”
この様なことが・・・
言えるかもしれませんね・・・
この三高のマークが現在の胸マークです
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