ちょっと•••
自分たちの時を回想して•••
西東京都大会の•••
決勝戦が7月30日•••
優勝をした後•••
バスに乗り込んで•••
赤坂へ直行•••
6丁目の本通りを•••
パレードをしてから•••
旧校舎近くの氷川神社へ•••
そうなんです•••
学校が赤坂から町田移転して•••
まだ4年目だったこともあって•••
日大三高といえば•••
やはり赤坂だった時代•••
町田の•••
日大三高合宿時へ帰寮し•••
熱闘甲子園の•••
電話インタビューが•••
あったりと多忙な1日でした•••
翌日から甲子園へ•••
出発するまでの全体練習は•••
午前中が我々•••
甲子園出場組みの練習で•••
その後に下級生が•••
練習という感じでした•••
町田市役所への•••
優勝報告の訪問やら•••
メーカーさんと•••
ユニフォーム合わせやら•••
甲子園出発までの•••
日々はあっという間に過ぎ•••
あたふたしながら•••
新幹線に乗り込んだものです•••
我々の時は•••
夏の甲子園出場は•••
実に17年振りであり•••
センバツ出場からも•••
5年間遠ざかっていました•••
ですから•••
小枝監督はじめ•••
小倉コーチや川俣コーチ•••
段取りがかなり•••
大変だったと思います•••
我々の代は•••
秋にゴールド負け•••
春もあわやのゴールド負けで•••
三高野球部創設•••
以来の弱小チームと言われ•••
関根潤三先輩や•••
根本陸夫先輩らが•••
夏の大会まで頻繁に•••
三高のグランドに来られてました•••
弱小チームは•••
運とツキだけで•••
甲子園出場まで駆け上がった•••
それが我々1979年の日大三高です•••