元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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日大三高校野球部史 歴代監督に見る「三高野球」の推移

2011年10月13日 16時24分28秒 | 日大三高校野球部 小球史
下記、歴代の日大三高野球部監督になります
豪華爛漫の歴代監督の中で藤田省三監督だけを除き
その他の代の監督は全て日大三高野球部OBにて監督を歴任しています

初代  藤田 省三  昭和10年―昭和22年
2代  根本 陸夫  昭和23年   (昭和20年度卒)
3代  平沼  優   昭和24年   (昭和19年度卒)
4代  星川 恒雄  昭和25年―昭和33年 (昭和17年度卒)
5代  若林 輝明  昭和34年―昭和35年 (昭和27年度卒)
6代  田口  周   昭和35年―昭和38年 (昭和26年度卒)
7代  青木 久雄  昭和39年―昭和41年 (昭和33年度卒)
8代  鈴木 吉三郎  昭和41年―昭和43年 (昭和34年度卒)
9代  萩原 宏久  昭和43年―昭和46年 (昭和37年度卒)
10代  鈴木 康夫  昭和47年―昭和48年 (昭和37年度卒)
11代  山田 隆夫  昭和48年―昭和51年 (昭和36年度卒)
12代  小枝  守     昭和51年-昭和56年 (昭和44年度卒)
13代  田嶋 利昭  昭和56年―昭和59年 (昭和31年度卒)
14代   青木 久雄  昭和59年―平成 6年 (昭和33年度卒)
15代  高橋 洋一  平成 7年―平成 8年 (昭和60年度卒)
16代  小倉 全由  平成 9年―現在に至る(昭和50年度卒)
※ 2代に渡って監督を務められたのは青木久雄監督のみ


日大三高野球部球史上の特徴は
戦争期を挟み戦前の創成期から昭和36年までの期間に大きな3つの工程を踏んでいることが挙げられます

この3つの工程における各段階ごとに「近代野球の基礎的理論」が見事なまでに注入されているのが最大の特徴で
また、何よりも、この3つの工程の時期が日本の野球史においても「早い時期」であったと言うことも突起しています

そして重要な3工程を施したのは
初代「藤田省三監督」
4代目「星川恒雄監督」
6代目「田口周監督」になります

この3代の監督によって三高野球の基礎が構築され
2011年に至る4つめの工程へと繋がって行きます
それが16代目「小倉全由監督」です

でわ

年代を追って
上記、4つの工程段階を説明しながら

また、有名な先輩達が在籍していた代などをも合わせて記し
簡単では御座いますが、日大三高校野球部の小球史を覗いてみたいと思います


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