日大三高野球部は
近代野球理論の研究をスタートに
歴代監督の努力によって消化され理論と実践の一致を目指して来ました
無論
それは画一的なものではなく
それぞれ歴代の監督によって
築いては崩し
築いては壊し
試行錯誤しながら改革を試み
日大三高野球部は今日に至っています
日大三高野球倶楽部の出身者は
現在までに1100名余を数え多くの名選手を育てました
同時にプロ野球、社会人野球、高校野球、少年野球、海外野球にいたるまで多くの指導者を輩出しています
そしてプロ野球界で活躍する有名選手と
各界の指導者とでの輩出の比率を見ると
指導者輩出の方が際立って多いのが日大三高の大きな特徴と言えましょう
それは
藤田省三初代監督から受け継がれて来た「理論」の追求と研究が日大三高の源にあるからです
野球部在学中の2年半という歳月の中で
全ての歴代監督が「理論」を重んじ選手たちへのテストやレポート提出を行なってきたという背景から
「野球を知っている」訳です。この点から指導者になりやすいということが言えます
指導者になられた諸先輩方々は、口を揃えてこうおっしゃいます
{当時、監督さんから教えてもらった理論、戦術などの全てが指導の基本になっている}
{当時、教えてもらったことをそのまま行なっている(指導している)}
{当時、仕入れたものを、チョボチョボと小出しにしている(指導している)}
{高校時代に野球をしっかり勉強してきた選手があまりいない}
要は
現代に至っても通用する「野球全般の理論」を
日大三高野球部在学中に徹底的に叩き込まれているのです
従って指導者としての基本的要素を十分に備えているということになります
しかし
その半面
現在、プロ野球選手を多く
輩出している各有名高校と比べ
日大三高出身のプロ野球選手が少ない理由は
現役時代に徹底的な管理野球を施されたためだと言えましょう
選手の個性を徹底的に抑えてまでも管理する指導方法です
この指導方法によって野球そのものを嫌いにさせてしまう本末転倒さえも起こし易く
更には、個性を抑え付け、チーム全体の底上げを最前提に掲げた指導方法の後遺症として
先にも述べたように野球選手としての成長に最も大切な「感性」までも失わす危険性をも秘めているからです
従って日大三高の選手にはスタープレーヤーと呼ばれる選手が居ない(作らない)のです
まさしく「監督はより厳しく、選手はより忍耐強く」という
姿勢で野球に向かい合い勝つための絶対条件として管理野球が位置つけられていたためです
この背景には野球そのものがアマチュアリズムから浸透をし人間教育の一環として日本に根付いた
という部分も大きく影響していますが・・・
纏めると
野球選手として1番大切な通過点である高校時代に
野球選手としての成長を妨げてしまう様な指導方法が
その後のプロ野球界では選手としての大成を困難にしているのです
この理由から日大三高出身のプロ野球選手が少ないのです
以上が日大三高野球の特徴になります------------------
実際にインドネシア代表ナショナルチームの監督として選手指導にあたって感じることは
時代の流れの中で、その場、その時に発信される新しい言い回しや、表現方法などは色々ありますが
その根本・根底にある野球の理論体系は、今も昔も一緒であるということです
その中で細部についての「気づき」や「発見」などは
日大三高時代の教えの中に潜んでいた、当時は、その内容の全貌を理解するには不可能だったパーツに
過ぎない事項として出現してくる「気づき」と「発見」であると・・・
もし・・・
日大三高という高校で野球を体験していなかったら
おそらくインドネシア代表ナショナルチームの監督という名誉ある役職も無かったでしょう
今回
このような形で母校の球史をプログに書き込むことで
あらためて素晴らしい場所を通らせてもらったと思ます・・・
有難う御座いました
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締め括りとして
三高野球第5の注入は何・・・?
ズバリ!
〝木製バットでの全国制覇”
これを自分の予告とさせて頂きます